祇園の密会㈡
「混沌」の魔女と「秩序」の堕天使。最悪で最強な二人の狂気の共闘劇!
孝子が、不愉快そうに柳眉をひそめる。
黒椿は、懐の宇宙の深淵のように揺らめく布地の中から、ゆっくりと、二つの漆黒の封筒を取り出し、座卓の上に置いた。
「先日の、富士の樹海での『実験』……誠に見事でした。お二方の魂が、極限の生存本能と強烈なエゴによって反発し合いながらも、結果的に交じり合い、奏でた、あの破壊的な『不協和音』。……あれこそが、我らが長年求め続けてきた、新たなる『神』の産声だったのです」
「「神……?」」
二人の少女の声が、全く同じタイミングで重なった。
「そう。神、です。古き、そしてひどく退屈な神々――天界を統べる天照や、地獄を管理する閻魔が作り上げた、あの停滞しきった偽りの『調和』の世界。それを根底から破壊し、この地上に、真の『混沌』と『秩序』が永遠にせめぎ合い、血を流し合いながら進化を続ける、刺激的で、果てしなく美しい、新たなる『遊戯盤』を創造する。それこそが、我ら『神託』の最終目的」
黒椿の無機質だった瞳の奥に、初めて、狂信的でドロドロとした黒い光が宿った。
「そして、お二人には、その新世界の『神』となっていただく」
「……お断りいたしますわ」
凉子が、一切の躊躇いもなく即座に拒絶した。
「わたくしは、美しくないノイズとバグをこの世から排除するだけ。神になるやなんて、そんな下品で非論理的な欲望には、一ミリも興味あらへんわ。あんたらの狂った計画に、わたくしを巻き込まんでちょうだい」
「わたくしも、お断りですわ」
孝子も、扇子を音を立てて閉じ、黒椿を冷酷に睨みつけた。
「わたくしは、ただ、わたくしが望む時に、わたくしのやり方で、罪人たちを『お稽古』して絶望させたいだけ。誰かの用意した盤上の駒になるなど、地獄の底の汚泥を舐めるよりも反吐が出ますわ。……さあ、無駄話は終わりですわ。今すぐここから退きなさいあそばせ」
「……ええ、分かっております。お二人が、自らの意志を曲げない気高き存在であることは」
黒椿は、二人の拒絶を最初から想定していたかのように、その狂気的な笑みをさらに深くした。
「ですから、あなた様方が、自らの意志で、結果的にその道を『選ぶ』ように……我々は、最高に刺激的で、最悪な新たなる『ゲーム』をご用意いたしましたの」
彼女は、黒漆の座卓の上に置かれた二つの黒い封筒を、白い指先でツーッと滑らせ、それぞれ孝子と凉子の目の前へと移動させた。
「さあ、開けてごらんなさいまし」
孝子が、警戒しながらもその封筒を手に取り、中身を引き出した。
中に入っていたのは、一枚の高画質な写真であった。
そこに写っていたのは、神戸の高清水家の豪邸、その防音設備が施された音楽室の窓越しから盗撮された、高清水凉子の姿だった。深い青色の制服を着て、優雅に、そして完璧なフォームでヴァイオリンを弾いている彼女の「無防備な日常」の瞬間。
「……これは? なんの嫌がらせですの?」
孝子が、怪訝そうに目を細める。
「『神託』からの、あなた様への次なる『契約』ですわ、北條孝子様」
黒椿が、歌うように告げた。
「その女……高清水凉子を、『狩り』なさい。……ただし、殺してはなりません。彼女の命を奪うことなく、生け捕りにして、我々の元へ引き渡すのです。見事成功すれば、あなた様を、あの忌まわしい地獄の番人の監視と、冥府からの追っ手の呪縛から完全に解放し、この地上での永遠の『絶対的な自由』を差し上げましょう」
一方、凉子もまた、もう一つの封筒を開け、中身を確認していた。
そこに入っていたのは、横浜の歴史ある女学館の校庭で、濃紺のセーラー服を着て、取り巻きの友人たちと楽しそうに談笑している、北條孝子の「偽りの日常」を完璧に捉えた盗撮写真であった。
「……ダボが。どういう意味なん、これ」
凉子の声の温度が、一気に絶対零度まで下がった。
「『契約』ですわ、高清水凉子様」
黒椿は、凉子に向かっても同じように微笑んだ。
「その女……北條孝子を、『浄化』なさい。……ただし、殺してはなりません。彼女の持つ地獄の力を完全に封じ込め、生きたまま我々の元へ引き渡すのです。見事成功すれば、あなた様を、あの忌まわしい天界の監視ネットワークの呪縛から完全に解放し、あなた様が望む、ノイズの存在しない完璧なる『秩序』の世界を、お与えしましょう」
二人の少女は、手元の写真と、目の前の黒椿の狂気に満ちた顔を、交互に見比べた。
互いの日常を、完全に把握され、踏みにじられている。その事実が、二人の自尊心を激しく逆撫でしていた。
「……もし、わたくしが、このふざけた契約を断ったら?」
孝子が、声のトーンを極限まで落とし、千枚通しを握る右手に力を込めながら尋ねた。
「その時は」
黒椿の笑みが、この世の全てを嘲るように深くなる。
「お二人が、あの横浜の本牧埠頭で繰り広げた、血生臭い秘密の『お遊戯』の高画質な映像。……そして、富士の地下要塞で、バケモノのように暴走した『実験』の映像。……それらの全てを、インターネットを通じて世界中に公開し、さらに、ご両親の職場や、学校の友人たちの手元に、直接郵送させていただくまでです」
「なっ……!」
「警察も、マスコミも、そして、何よりあなた様方が愛してやまない『平凡なご両親』や『ご友人』たちが、あなた様方の正体を知り……その完璧な『日常』を、一瞬にして破壊しに来るでしょうねえ。軽蔑と、恐怖の目を向けられながら生きる世界は、さぞかし居心地がよろしいでしょう」
最悪の、そして一切の逃げ道を塞ぐ完璧な脅迫であった。
そして、最悪の二者択一。
『神託』は、二人の少女が互いを最も憎み、己の美学にかけて最も排除したいと願っていることを完全に理解した上で、この「共食い」のゲームを仕掛けたのだ。互いを殺すのではなく、生け捕りにするという難題を課すことで、二人の能力の限界値を引き出し、さらなる「融合」のデータを抽出しようとしているのは明白だった。
「ああ、それから」
黒椿は、着物の裾を優雅に翻して立ち上がり、座敷を去る間際に、決定的な、そして最も残酷な一言を付け加えた。
「この『契約』には、厳格な期限がございます。……ちょうど、一週間。もし、一週間以内に、どちらも『獲物』を仕留められなかった場合……あるいは、どちらかが死んでしまった場合」
彼女は、振り返り、美しく、そして底知れぬほどに残酷に微笑んだ。
「お二人の、大切な大切な『サポート役』……。外で待機していらっしゃる、ガーディ様と、詫間亨様。そのお二人の魂を、『神託』が責任を持って、この宇宙から完全に『処分』させていただきますわ。……彼らの命を救いたければ、相手を狩るしかありませんのよ」
音もなく、重厚な金襖が静かに閉ざされた。
広大な座敷に後に残されたのは、圧倒的な殺意と絶望に凍てつく二人の少女と、卓上に残された二つの黒い契約書だけであった。
東の魔女と、西の堕天使。
互いを「狩り」、この忌まわしい因縁に決着をつけて自由を手にするか。
それとも、躊躇い、愛する唯一の「家族」であるサポート役の命を失うか。
選択肢など、最初から存在しなかった。
『神託』が周到に仕掛けた、逃げ場のない最終テスト。
互いの血と美学を代償にする、狂気の「共食いゲーム」の冷たい幕が、雨の祇園の夜に、残酷に上がりきったのであった。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




