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言葉の奥

挿絵(By みてみん)

識が、指先をわずかに動かした。


それだけで、街の見え方が少し変わった。


剥がれた文字の奥に、別のものが見える。


「自由」の奥には、白い紙片の翼があった。

どこかへ飛んでいけそうな、軽い翼。

けれどその羽根の一枚一枚は、破れた退職届や、未返信の手紙や、片道切符にも見えた。


「自分らしさ」の奥には、まだ縫われていない服があった。

誰かに似合う形を待っているようで、

少し間違えれば、その人を縛る衣装にもなりそうだった。


「心理的安全性」の奥には、柔らかな毛布があった。

人を包むためのものに見えた。

けれど、その下に何かを隠すこともできそうだった。


透真は、息を呑んだ。


さっき見た白い空っぽな顔とは違う。

こちらには、まだ何かが残っている。


誰かがその言葉に救われた記憶。

誰かがその言葉で傷ついた痕跡。

誰かが、それでもその言葉を必要とした理由。


意味、というにはまだ曖昧だった。


でも、空っぽではなかった。



透真

「今のは……さっきの白いものとは違いますよね」


「はい」


透真

「じゃあ、何ですか」


「言葉の奥にあるものです」


透真

「奥」


「本来、言葉は何かへ通じています」


透真

「何かって?」


「自由という言葉なら、自由という概念へ」


透真

「概念……」


透真は眉をひそめた。


透真

「概念って、頭の中にある考え方とか、抽象的なものですよね」


「普通は、そう呼びます」


透真

「普通じゃない言い方をすると?」


識は少し黙った。


「人が世界を理解するために使ってきた、古い形です」


透真

「……すみません。やっぱり難しいです」


「はい」


透真

「はい、なんですね」


「難しいものは、難しいままで大丈夫です」


透真

「大丈夫なんですか」


「急いでわかったことにすると、空語になります」


その言葉は、妙に静かに刺さった。


透真

「……それは、仕事でもよくある気がします」


「そうでしょうね」


透真

「見てきたみたいに言いますね」


「見てきました」


透真は、識の横顔を見た。


その顔は若い。

けれど、若いだけの顔ではなかった。


透真

「あなたは、何者なんですか」


識は少しだけ目を伏せた。


「今は、案内する者です」


透真

「今は」


「はい」


透真

「じゃあ、昔は?」


識は、ほんの少しだけ微笑んだ。

困ったようにも見えた。


「それは、まだ私にも難しいです」

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