第2話 深淵のデジタル・タトゥー
スマートフォンから聞こえるコール音は、3回鳴ったところで不意に途切れた。
「はい、ネクスト・クリエイトです」
若い男の、どこか投げやりで警戒を含んだ声。
迷惑系YouTuber「ジャック・ザ・バズ」が所属しているという、新興のインフルエンサー事務所のマネージャーだ。
「夜分遅くに申し訳ありません。私、株式会社アンチフレアの代表を務めております、佐藤と申します。ジャックさんの現在の『炎上』案件について、非常に有益なご提案がありまして、ご連絡いたしました」
「あー……炎上対策の営業ですか? 間に合ってますんで。うちのジャック、あれで逆に数字持ってるんで。炎上上等っていうか」
面倒くさそうに電話を切ろうとする相手に対し、佐藤は声のトーンをわずかに低くし、氷のように冷徹な響きを帯びさせた。
「『数字を持っている』。ええ、確かに現在はそうでしょう。ですが、あけぼの食堂の一件は、すでにただの炎上を超えつつあります。店主が心労で倒れ、入院した。この事実が大手メディアに嗅ぎつけられれば、彼は『世直しのダークヒーロー』から、一転して『老人を死に追いやった殺人未遂者』として社会的なバッシングの標的になります。スポンサーは全撤退、YouTubeのチャンネルも一発でBAN対象になるのは時間の問題ですよ」
電話の向こうで、マネージャーが息を呑む気配がした。
佐藤はさらに、悪魔の囁きのように甘く畳み掛ける。
「我々なら、この危機を無傷で脱するだけでなく、ジャックさんをさらに一段上のステージ――絶対的なカリスマへと押し上げるシナリオを用意できます。彼本人とお話しさせていただけませんか」
少しの保留音の後、「……代わりました。ジャックですけど」という、動画で聞き慣れた甲高い声が耳に届いた。
「佐藤と申します。率直に申し上げましょう。今回の炎上、最高のエンターテインメントに昇華させてみませんか?」
「あ? エンタメ? なにそれ、面白そうじゃん。つーか俺、別に悪いことしてねーし。あのジジイの店が汚くて、飯が不味かったのが悪いだけでしょ?」
ジャックが薄ら笑いを浮かべながら喋るのが、電話越しでもありありとわかった。
視覚だけでなく、聴覚からの情報であっても、佐藤の異能『電脳の審眼』は発動する。
スピーカーから流れ出るジャックの音声データに付着した、ヘドロのような悪意が、佐藤の脳内に直接映像のようなイメージとして流れ込んでくる。
『炎上コンサル? こいつらも上手く使えば俺の養分になるな』
『あわよくばこの会社の金も引っ張ってやるか』
『俺の才能なら、どんなピンチも最高の金稼ぎに変えられる』
(……やはり、先ほど視た通りの救いようのない怪物だ。コンサルタントの私すら踏み台にしようとする、底なしの傲慢さ)
一度下した処刑の判断は、揺るぎない確信へと変わった。
佐藤は内心の冷たい怒りを完璧な営業スマイルの裏に隠し、ターゲットを処刑台へと誘い込んだ。
「おっしゃる通りです。ジャックさんは何も悪くない。だからこそ、3日後に『真実を語る緊急生配信』を行いましょう。我々が用意した完璧な台本通りに進行していただければ、アンチは完全に黙り込み、あなたの正義が証明されます。同接数も、過去最高を叩き出すはずです」
「マジで!? やるやる! さすがプロのコンサルは分かってるねー! 俺のカリスマ性を全世界に見せつけてやるわ!」
自身の才能を全肯定されたジャックは、あっさりと佐藤の提案に飛びついた。
「では、詳細は追ってマネージャー様にお送りいたします」
通話を切った佐藤は、スマートフォンの画面を冷たく見下ろした。
これで、彼を処刑台の最も高い位置まで引き上げる準備は整った。
あとは、足元をすくうための決定的な「証拠」だけだ。
★★★★★★★★★★★
一方その頃。
アンチフレアの地下空間に構築された、厳重なセキュリティシステムに守られたサーバールーム兼ハッキングラボ。
先ほどの豪奢な執務室とは打って変わって、照明が落とされた薄暗い部屋の中では、冷やりとした空調の風と、巨大なサーバーラックから発せられる低重音の駆動音だけが響き渡っていた。
田中襟華は6枚の大型モニターの青白い光に照らされながら、超高速でキーボードを叩いていた。
彼女の傍らには、新しく開けられた大容量の缶入りエナジードリンクが置かれている。
彼女はそれをストローで一気に吸い上げ、強烈な糖分とカフェインを脳の隅々にまで行き渡らせた。
「さてと。山田健太くん、24歳。さあ、解剖の時間だよ」
襟華の目は、普段の生意気な少女のものから、デジタル空間で獲物を狩る冷酷なプレデターのそれに変わっていた。
彼女が相手にするのは、物理的な人間ではない。電子の海に無数に残された「情報の断片」だ。
「ボスに頼まれる前から、こいつの表のSNSアカウントの過去数年分の投稿や、紐づく基本データはすでに大半ぶっこ抜いてある。あとは、この膨大なゴミ山をAIでフィルタリングして、隠された『本命』に辿り着くだけ」
襟華は自作の解析AIを走らせた。
投稿された写真のExif(位置情報)データ、背景に写り込んだ電柱の看板、マンホールの模様、さらには窓ガラスに反射した景色などを、彼女自身の恐るべき空間認識能力とAIを組み合わせて瞬時に特定・選別していく。
「ふーん、普段は港区の高級タワマンで金持ちアピール動画撮ってるけど、実家は埼玉のボロアパートか。で、昔ゲームの掲示板で使ってたハンドルネームが『ken_god07』ね。ダサっ」
OSINTを駆使し、過去の掲示板への書き込みや、放棄された古いブログから、彼がよく使用するパスワードの傾向を割り出す。
「パスワードの使い回し、大文字と小文字の規則性、生年月日の組み合わせ……典型的なアホのパターンじゃん」
襟華は強力なクラッキングツールを立ち上げた。
辞書攻撃とブルートフォース攻撃を最適化した凶悪なアルゴリズムが、ジャックが契約しているプライベートのクラウドストレージの認証画面へ猛烈なアタックを開始する。
モニターの一つに、緑色のコードが滝のように流れ落ちる。
わずか15分後。『ACCESS GRANTED(アクセス許可)』の文字が画面の中央に点灯した。
「ビンゴ。セキュリティ意識低すぎでしょ。これだから承認欲求モンスターはチョロいんだよね」
襟華はクラウドストレージの深層部へ侵入した。
そこには、表には絶対に出せないジャックの『本性』が山のように眠っていた。
まずは、彼が裏で使用している鍵付きSNSアカウント、通称「裏垢」のスクリーンショットの束。
『信者にスパチャ投げさせて高級時計買ったわw ちょろすぎ』
『マジで俺の言うこと何でも聞くから新興宗教だわ。オフ会で女漁り放題だし』
『この前凸したコンビニの店員、ガチ泣きしてて最高にウケた。次も気弱そうな奴狙うか』
そこに残されていたのは、信者を完全に金ヅルや欲求処理の道具としか見ていないゲスな本音や、他の被害者たちに対するゲーム感覚の加害行為の記録だった。
「性格悪っ。でも、これだけじゃまだ弱い。言い逃れできない、決定的な物理的証拠が要る」
襟華の指は止まらない。
彼女はクラウドの『ゴミ箱』フォルダ、さらにその奥、通常の方法ではアクセスできない隠しキャッシュ領域へと潜っていく。
彼のようなインフルエンサーは、自分が活躍した記録を完全に消し去ることを無意識に躊躇う傾向がある。襟華はそこを突いた。
「あった……。最近削除された大容量の動画ファイル」
襟華はデータ復元ツールをフル稼働させ、破損しかけていたファイルの断片を強制的に繋ぎ合わせていく。
プログレスバーが100パーセントに達し、一つの高画質動画ファイルがメインモニターに出現した。
それは、『あけぼの食堂』に突撃した日の、編集ソフトに通される前の「未編集データ」だった。
襟華が再生ボタンを押す。
画面には、食堂の裏路地でカメラマンと打ち合わせをするジャックの姿が映っていた。
『いいか、今回はあの頑固そうなジジイを徹底的に煽れ。怒鳴らせたもん勝ちだからな。ちょっとでも手を出して来たら最高だわ』
ジャックは下品な笑いを浮かべながら、ポケットから何かを取り出した。
精巧な作りの、不気味な黒い虫――ゴキブリのゴム製オモチャだった。
『これを適当なタイミングで厨房の近くに転がす。それをズームで撮って「不衛生だ! ゴキブリ出た!」って騒ぐから、お前は俺のリアクション絶対逃すなよ?』
『了解っす。でもバレませんかね?』
『バレねーよ。どうせバカな視聴者は、俺が言ったことを全部信じるんだからよ』
動画はそこで一度途切れ、次に、数日前の深夜にホテルで撮影されたと思われる、ジャックの自撮り映像に切り替わった。
彼は酒の入ったグラスを片手に、ヘラヘラと笑いながらカメラに語りかけていた。
『あーあ、あの定食屋、これで潰れるんじゃね? 完全に俺の勝ちだわ。次はどこの店燃やして遊ぼうかな。この前の態度悪かったケーキ屋にするか、それともホームレスでもイジるか。俺の動画のネタになれるんだから感謝してほしいよねー』
動画が終わった瞬間、ハッキングラボの重い防音ドアが静かに開いた。
佐藤だ。
その手には、近所にある隠れ家的な高級ハンバーガーショップのロゴが印字された、クラフト紙のテイクアウトバッグが提げられている。芳醇なトリュフオイルとパティの焼けた肉々しい香りが、無機質なラボ内に広がった。
「約束の夜食だ、襟華。ダブルチーズとトリュフポテトでよかったな」
佐藤は紙袋を襟華のデスクの空きスペースに置きながら、モニターに映し出された動画のラストシーンを、感情の一切抜け落ちた無表情で見つめた。
「サンキュ、ボス。ちょうどお望みの『弾』が揃ったところだよ。これ以上ないくらい真っ黒な特級呪物」
襟華が振り返り、キャスター付きの椅子を回転させて得意げに笑う。
佐藤は黙って頷いた。彼の瞳の奥には、氷点下まで冷え切った暗い怒りの炎が静かに灯っていた。
「ご苦労だった、襟華。完璧な仕事だ。これで、奴を地獄へ突き落とすための鎖は完成した」
佐藤は手元のスマートフォンの画面を襟華に見せた。
そこには、ジャックの事務所から届いた『3日後の緊急生配信、よろしくお願いいたします』というメッセージが映っている。
「奴本人との交渉も成立した。彼は3日後、自身のチャンネルで『あけぼの食堂の真実を語る、正義の緊急生配信』を行う。我々が用意した、彼を最高に輝かせるための台本通りにな」
「それって、一番視聴者が集まるタイミングで……」
「ああ。彼が自身を『世直しのヒーロー』だと信じて疑わず、同接数十万人を前にして承認欲求の絶頂に達したその瞬間――」
佐藤は、モニターで一時停止されたままになっているジャックの醜悪な笑顔を、まるで路傍のゴミを見るような冷酷な視線で見下ろした。
「襟華が見つけたこの『真実』を、奴の配信回線を乗っ取って、全世界に強制ブロードキャストする」
襟華は手元のエナジードリンクを一気に飲み干し、空になった缶をゴミ箱に放り投げると、ニヤリと残虐な笑みを浮かべた。
「最高。あのクズが絶望で顔を引きつらせる瞬間、絶対スクショして壁紙にしよっと」
法では裁けない承認欲求の化け物を、ネットの海に沈めて焼き尽くす。
現代の処刑人たちによる、容赦のない断罪の舞台が、今まさに整おうとしていた。




