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 一躍、世の人となり、著名人の仲間入りも出来るに違いない。だが、それで、いいのか? 反面、今の平凡な自由と安らいだ生活は消え去り、世間の目を気にする日々が続くことは目に見えている。保は、すっかり重い気分になった。とはいえ、こんな気持でいつまでも頭を悩ませてはいられないのだ。愚直な日々の暮らしは今まで通り続けねばならない。それが、ともかくは気づかれない唯一の手段に思えた。で、保は、そうした。幸い、マンションの管理人だろうと、そう容易たやすくは賃借人の居住空間へ立ち入ることは出来ない。それを考えれば、一歩、外へ踏み出した後の行動、言動にさえ注意すれば事足りる。そう巡りながら、保は、この朝も岸田2号の調理した美味い朝食に舌鼓を打っていた。

━ 岸田2号では堅苦しいな。名前を考えてやらにゃ、いかん… ━

 と、保は思った。そして、食べ終えるとコーヒーを啜った。

『オサゲシテモ、ヨロシュウゴザイマショウカ、ゴシュジンサマ』

 岸田2号の人工的ながらも柔和な女性の声がした。

「ああ、頼むよ…」

 岸田2号は慌てる様子もなく、スムースな身のこなしで保が食べ終えた食器を炊事場へと下げていく。保は、もうすっかり、この光景に違和感がなくなっていた。そのとき、ふと浮かんだのが初恋の沙耶さやの姿である。まあ、初恋の相手と言えるかどうかは保の一方的な淡い恋愛感情だったからいささか疑問なのだが、ともかくその相手が浮かんだのだ。保にとって本格的に恋した最初の女性であり、唯一の女性であった。

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