最終回 さよなら魔法少女
「……結婚してください」
その言葉を、よし子はしばらく理解できなかった。
居酒屋だった。
チェーン店。
半個室。
テーブルには食べかけの焼き鳥。
彼は少し緊張した顔で、小さな箱を持っていた。中にはルビーの指輪。
「……え」
「いや、その」
彼は照れ臭そうに笑った。
「もう四年だし」
「……うん」
「一緒にいたいなって」
よし子は黙る。
三十七歳。
魔法少女。
勤務歴二十二年。
最近、膝が痛い。
ストゼロ九%を飲むと翌日残る。
でも。
たぶん。
この人となら、生きていける。
「……よろしくお願いします」
彼が、ほっとした顔で笑った。
その顔を見て。
よし子は、自分も少し泣きそうになっていることに気づいた。
◇
婚姻届。
市役所でもらった紙。
妙に薄い。
人生、もっと重いと思っていた。
「緊張する?」
彼が聞く。
「ちょっと」
「俺も」
休日の昼。
サイゼリヤ。
ドリンクバー。
周囲では家族連れが騒いでいる。
よし子はボールペンを握った。
五十嵐よし子。
三十七歳。
その名前を書く。
そして。
最後の欄へ、サインした。
瞬間。
世界が、瞬いた。
「——え」
光。
花びら。
鈴の音。
妖精が叫ぶ。
『マジカル王子の、おなありぃぃぃぃ』
うるせえ!
「うそ……」
周囲の音が止まる。
時間が止まる。
世界が一枚ずれる。
マジカルミラー。
強制展開。
その中央に、男が立っていた。
白いタキシード。
四十代後半くらい。
妙に疲れた顔。
『やあ』
「……誰」
『マジカル王子』
「うわぁ……いたんだ……」
思っていたより年いってた。
もっとキラキラした存在かと思っていた。
なんか普通に疲れてる。
『これまでありがとう、よし子』
王子は少し笑う。
『結婚すると、もうマジカル少女は続けられないんだ』
「……え?」
『歴代最強だったから、ついズルズル引っ張っちゃって』
王子が頭を下げた。
『ごめんね』
よし子は、ぽかんとする。
「……終わり?」
『うん』
「え、サインした瞬間?」
『そう』
「役所に出した時じゃなくて?」
『気持ちの問題だから』
「雑だな!?」
でも。
次の瞬間。
胸の奥から、何かがほどけた。
重かったもの。
ずっと背負っていたもの。
二十二年間、自分を縛っていたもの。
それが。
すうっと消えていく。
「…………」
そして。
よし子は、小さく笑った。
「……そっか」
終わるんだ。
やっと。
終われるんだ。
世界を守らなくていい。
夜中に呼び出されなくていい。
寿命を削らなくていい。
巨大観音と戦わなくていい。
よし子は、自分でも驚くほど安心していた。
『あと、これは僕からの結婚祝い』
マジカル王子が祝儀袋を差し出す。
「え、まじ?」
『まじ』
「ありがとうございます」
『それじゃ』
王子は少し困った顔で笑った。
『いろいろごめんね』
「うん」
『ありがとう』
光が消える。
静けさ。
時間が戻る。
「……よし子?」
彼が不思議そうに見ている。
「大丈夫?」
「……うん」
よし子は、祝儀袋を開けた。
一万五千円入っていた。
「少なっ」
◇
あれから三ヶ月。
世界は平和だった。
空は割れない。
巨大猫も出ない。
悪のウィッチ組合も現れない。
——いや。
本当は、現れているのかもしれない。
ただ。
⭐︎が消えた今の自分には、もう見えないだけで。
あるいは。
全部、幻覚だったのかもしれない。
長いストレスで脳が作った、妄想。
疲れた人生が見せた夢。
でも。
思い出は残っている。
確かに戦った感覚も。
世界を救った実感も。
この手に残っていた。
秋だった。
ベランダ。
夕焼け。
遠くで洗濯物が揺れている。
どこかでカレーの匂いがした。
よし子は空を見上げる。
少しだけ笑って。
小さく呟いた。
「……マジカルステッキセットアップ」
静けさ。
何も起きない。
しばらくして。
遠くで、トンビが一回鳴いた。
読んでくれてありがとうございました。描いていてよし子が可哀想になり、ハッピーエンドで終わらせました。




