第二話 不器用な世話の焼き方
エルザの家に来て、五日が経った。
最初の日、部屋に案内されて、倒れるように眠った。次の日は一日ほとんど寝ていた。三日目にようやく起き上がれるようになって、四日目から少しずつ動き始めた。
エルザは何も言わなかった。
寝ていても起きていても、文句も急かしもしなかった。ただ、朝になると一階から食事の匂いがして、降りていくと必ず二人分の皿が並んでいた。
今朝も同じだった。
階段を降りると、エルザが台所に立っていた。鎧は着ていない。動きやすそうな上下に、エプロンをか
けている。騎士がエプロンをしているのを見るのは初めてで、少し不思議な気持ちになった。
「おはようございます」
「起きたか」
振り返らずに言った。
「今日は早いですね」
「いつもこの時間だ」
「私が寝すぎてたんですね」
「そうだ」
あっさり肯定された。
私はテーブルに座って、エルザが料理をしているのを眺めた。手際がいい。無駄な動きがない。剣を扱うのと同じように、道具を扱っている感じがした。
「エルザは、騎士として任務はないんですか」
「今は休暇中だ」
「そうなんですか」
「三ヶ月の休暇をもらっている」
「それで辺境の村に?」
「静かな方が好きだ」
なるほど、と思った。王都の喧騒よりこういう場所が合っているのは、なんとなくわかる気がした。
エルザが皿を運んできた。今日は焼いたパンと、野菜の炒め物と、目玉焼きだった。
「いただきます」
食べ始めると、エルザも向かいに座った。
しばらく無言で食べた。でも居心地は悪くない。この五日間でそれには慣れてきた。エルザは喋らないけど、無視しているわけじゃない。ただ、必要なことしか言わない人だ。
「エルザ」
「なんだ」
「力の練習、今日から始めてもいいですか」
エルザが少し手を止めた。
「体は大丈夫か」
「もう大丈夫です」
「無理して倒れてもしらないぞ」
「倒れません」
「三日前まで道端でへたり込んでたやつが言うな」
それはそうなんだけど、と思いながら私は続けた。
「ここに置いてもらっているのに、何もしないのは申し訳なくて」
「俺が申し訳ないと思えと言ったか」
「言ってないですけど、自分がそう思うので」
エルザは少し黙ってから、炒め物を口に入れた。
「……午後からにしろ」
「ありがとうございます」
「礼はいい」
「言いたいので言います」
エルザが少しだけ眉を上げた。
否定はしなかった。
午後になった。
エルザが家の裏の広場に連れていってくれた。村の外れにある空き地で、木の柵が囲んでいた。騎士の訓練に使う場所らしい。
「今日は様子を見る。力を少し出してみろ」
「はい。ただ、どれくらい出るかわからなくて」
「わからなくていい。出してみてから考える」
私は深呼吸した。
聖女の力というのは、祈りと意思から生まれる。手を合わせて、心を澄ませて、光を呼ぶようなイメージで。それが教わったやり方だった。
ただ、私がやると必ず何かが起きた。
周囲の花が一斉に咲いて枯れたり、空気が震えて窓が割れたり。制御できない何かが溢れ出してくる感じがして、それが怖くて、怖いから余計に制御できなかった。
「リリア」
「はい」
「出てきたものから逃げるな。ちゃんと見ろ」
どういう意味だろうと思いながら、私は目を閉じた。
力を呼んだ。
光が来た。
いつもより早かった。体の内側から何かがどっと溢れてくる感じがして、私は反射的に止めようとした。
「止めるな」
エルザの声が聞こえた。
「でも」
「止めようとするから暴れる。流せ」
「流す?」
「溜めるなということだ。来たら出す。ただそれだけでいい」
止めない。出す。
試してみた。
光が手の先から溢れ出した。思っていたより穏やかだった。爆発じゃなくて、水が流れるみたいに。
柵の木が少し光った。地面の草が一瞬輝いて、それから落ち着いた。
壊れなかった。
「……壊れなかった」
「そうだ」
エルザが腕を組んで見ていた。
「止めようとするからエネルギーが蓄積して、一気に出る。それが暴走に見えてただけだ」
「私の力が特別危険なわけじゃない、ということですか」
「危険ではある。強いから。ただ、制御の問題だ」
私はしばらく自分の手を見た。
無能じゃなかったのかもしれない。危険な力を持っていたのは本当だけど、それは使いこなせていなかっただけで。
神官長は、そこを見てくれなかった。
「もう一度やってみろ。今度は量を意識して」
「量を?」
「どのくらい流すか、自分で選べ。蛇口と同じだ。全開にしなくていい」
蛇口、というのは騎士らしくない例えだな、と思いながら、私はもう一度目を閉じた。
蛇口。全開にしない。少しずつ。
力を呼んで、今度は流す量を絞った。
ほんの少しの光が、手の先でゆっくりと揺れた。
「できた」
「そうだ」
エルザが短く言った。
褒め言葉じゃないけど、「そうだ」という肯定がうれしかった。
一時間ほど練習して、家に戻った。
台所でエルザがお茶を入れてくれた。
「力を使うと消耗する。飲んで休め」
「ありがとうございます」
お茶を受け取ると、エルザが向かいに座った。
「エルザは、魔力の扱いをどこで学んだんですか」
「騎士団だ。戦場で魔力を使う局面がある。一通り学んだ」
「騎士なのに魔力も使えるんですね」
「使えないと死ぬ場所がある」
さらっと言った。
「怖くないんですか、戦場」
「怖くないやつはいない」
「エルザでも?」
「俺でも」
意外だった。この人が何かを恐れているというのが、想像しにくかった。
「でも、行くんですか」
「行く理由があるから」
「何のために騎士に?」
エルザは少し間を置いてから言った。
「守りたいものがあったから、昔」
「昔、ということは今は?」
「今もある」
それ以上は言わなかった。
聞かない方がいい話かもしれない、と思って、私も聞かなかった。
夕方になった。
エルザが夕食を作り始めたとき、私も台所に立った。
「手伝います」
「いい」
「いいじゃないです。ずっと作ってもらってばかりで」
「怪我するぞ」
「料理で怪我はしません」
「お前が料理できるかどうか知らない」
確かに、私が料理できるかどうかエルザは知らない。神殿にいたときは使用人がいたから、自分でやることはほとんどなかった。
「……できないかもしれないです」
「だろ」
「でも、やらないといつまでもできないので」
エルザが少し私を見た。
「野菜を切れるか」
「切れます、たぶん」
「たぶんじゃなく」
「切ります」
エルザが野菜を出してくれた。人参と玉ねぎとセロリだ。
包丁を受け取って、切り始めた。
人参が少し歪んだ。玉ねぎは目が痛くて涙が出た。
「目を細めろ」
「こうですか」
「もっと」
「……これは涙が出るものじゃないんですか」
「慣れる」
慣れる、という言葉を信じながら、なんとか切り終えた。
切り終えたものをエルザに渡すと、少し見て、特に何も言わずに鍋に入れた。
否定されなかった。それだけでよかった。
並んで台所に立ちながら、エルザが静かに言った。
「明日も練習する。今日みたいに、少しずつ量を調整する感覚を身につけろ」
「はい」
「急がなくていい。時間はある」
「エルザの休暇が終わるまでに、なんとかしないといけないと思っていて」
「終わっても、どこか行けと言った覚えはない」
私は手が止まった。
「……いてもいいんですか、休暇が終わっても」
「言ったらそうだ」
「迷惑じゃないですか」
「迷惑なら最初から拾わない」
エルザがまた同じようなことを言った。
最初から拾わない。倒れてたから拾った。迷惑なら声をかけない。
全部、シンプルで、でも確かだった。この人はそういう嘘をつかない気がした。
「……ありがとうございます」
「礼はいいと言っている」
「言いたいので言います」
エルザがため息をついた。
でも、嫌そうじゃなかった。
夕食ができて、二人でテーブルについた。
今日は私も少し手伝ったスープだった。味見をしたら、思っていたより悪くなかった。エルザが味を調えてくれたからだと思うけど。
「エルザ、おいしいですか」
「悪くない」
「本当に?」
「悪くないと言ったら悪くない」
それがエルザなりの褒め言葉だということは、少しわかってきた。
窓の外が暗くなってきていた。
今日も、あたたかい夕食が食べられた。それだけのことだけど、三日前の自分には想像できなかったことだ。
エルザのことを、最初は無愛想だと思っていた。今も無愛想だと思っている。でも、それだけじゃない。
料理を作る。力の練習を見てくれる。礼を言うたびに「いい」と言いながら、拒絶はしない。
不器用だけど、ちゃんと世話を焼いてくれている。
私はそれに気づいて、なんか、胸のあたりが温かくなった。
「エルザ、また明日、練習お願いします」
「わかった」
「あと、夕食も一緒に作らせてください」
エルザが少し間を置いた。
「歪んだ切り方でいいならな」
「練習するので、そのうちうまくなります」
「見てやる」
短い言葉だった。
でも確かに、見てやる、と言った。
それだけで、明日が来るのが少し楽しみになった。




