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プラスチック・ブルー  作者: いわたとおる


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6 『ニッパーと破壊衝動』

 

      6 『ニッパーと破壊衝動』


 それからも、奇妙な放課後はつづいた。

 終礼(SHR)と掃除が終わると、僕は生物準備室へ急ぐようになった。やらなければならないことができたからだ。

 鍵を開け、換気扇を回し、プラモデルを作るための作業スペースを展開する。机の隅では、彼女が置いていった『ダンゴムシ』が、黒い塊となって鎮座している。それからしばらくすると、コンコン、と控えめなノックがあり、月島レイナが現れる。

 彼女は特に何をするわけでもない。

 ある時は本を読み、ある時はスマホをいじり、ある時はただぼんやりと孵卵器の中を眺めている。

 あまりにも頻繁に来るものだから、僕は「生徒会はいいのか?」と聞いてみた。生徒会長の仕事は、この時間からが忙しいはずなのだ。

 しかし、彼女の答えは僕の想像の右斜め上を通り過ぎて行った。

「わかんない」

 わかんない? なんだそれは。隙間時間に来ているわけではないのか?

「わかんないって、どういうことだよ」

「ちょっと疲れたから、少し休ませてくださいって言ったの。そしたら、水曜日と木曜日だけ来てくれればいいよって言われた」

 それは、さぼってるということじゃないのか? いや、生徒会をさぼる生徒会長なんて、聞いたことがない。

「まあ、気にしないでよ。佐藤くんには関係のない話」

 そう言われたら、それ以上は聞けないじゃないか。

 というわけで、月島レイナは月・火・金はここにいるのだ。

「今日は(ガンプラ)進んだ?」と彼女が聞き、「右足の装甲がついた」と僕が答える。

「(孵卵器の)温度は?」と彼女が聞き、「安定してる」と僕が答える。

 ここ数日の、この距離感は心地よかった。妙に踏み込んでこないのは、心配でもあったが。

 いつしか、僕は彼女のためにコンビニのお菓子を余分に買うようになった。彼女が相変わらず腹を空かせてやってくるからだ。チョコ、グミ、スナック菓子。彼女は何でも美味しそうに食べた。

「佐藤くんは、餌付けが上手だね」

「野良猫を拾った気分だ」

「猫かぁ。悪くないね」

 二週間前には考えられない程に、僕たちの関係は馴染んでいた。

 学校という巨大なシステムの隙間にできた、エアポケットのような時間。

 だが、変化は確実に訪れていた。

 僕の手元では、白いモビルスーツが徐々にその姿を現し始めていた。内部フレームが装甲に覆われ、人型としてのシルエットが完成していく。孵卵器の中の卵たちもまた、殻の中で確実に「その時」を待っていた。

 そしてある日。その穏やかな均衡(バランス)に、鋭利なノイズが混じった。

 その日は、梅雨入り前の重たい湿気が立ち込めていた。

 放課後の生物準備室。

 僕は作業台で、RGガンダムの腰部パーツの「合わせ目消し」に集中していた。二つのパーツを接着剤で溶着し、乾燥後にヤスリで削って、最初から一つの部品だったかのように継ぎ目を消す作業だ。

 プラスチックの溶けるツンとした有機溶剤の臭いが漂う。

 普通の女子なら眉をひそめる臭いだろうが、彼女は平気な顔をしていた。むしろ、その体に染み付いた高級な柔軟剤やヘアオイルの香りと、僕のプラモデル用セメントの臭いが混ざり合うのを、楽しんですらいるようだった。

「ねえ、佐藤くん」

 机に頬を乗せたまま、彼女が気だるげに言った。なんだその体勢は、かわいいじゃないか。

「その作業、飽きないの?」

 彼女の視線の先で、僕は八〇〇番のサンドペーパーを小刻みに動かしている。シュ、シュ、という地味な音が続く。

「飽きるとかじゃない。これは儀式だ」

「儀式?」

「偽物を本物に近づけるための工程だ。プラモデルは所詮、金型で抜いたオモチャだろ。でも、この継ぎ目を消せば、兵器としてのリアリティが出る。……嘘を誠にする作業だよ」

「ふーん……」

 彼女は興味があるのかないのか分からない声で相槌を打つと、指先で自分のスカートのプリーツをなぞった。

「嘘を誠にする……か。私と逆だね」

「逆?」

「私はほら、毎日『本物の優等生』っていう嘘を塗り固めてるから。継ぎ目が見えないように、必死にファンデーション塗って、笑顔貼り付けて」

 彼女は自嘲気味に笑った。その笑顔は、教室で見せる完璧なそれとは違い、どこか歪で、ひび割れそうだった。

 僕は何と答えていいか分からず、手を止めようとした。

 その時だ。

 ブブブブッ、ブブブブッ。

 静寂を切り裂くように、机の上に置かれた彼女のスマートフォンが振動した。

 その音への反応は、異常だった。

 月島レイナの肩が、ビクッと大きく跳ね上がったかと思うと、次の瞬間には凍りついたように硬直したのだ。まるで、捕食者の足音を聞いた小動物のような。あるいは、不可視の鞭で打たれたかのような、条件反射的な怯え。彼女の喉が、ヒュッ、と乾いた音を立てて空気を吸い込む。

 先日もあった反応だ。

 僕が視線を向けると、彼女はすでに死人のような顔で画面を凝視していた。

 そこには、彼女を縛り付ける鎖の持ち主の名前が表示されていた。

『お母様』。

  母親、でも、ママ、でもない。丁寧語の「様」がついたその登録名は親子の親愛ではなく、明確な主従関係を示しているように見えた。

「出なくていいのか?」

「うん……。ちょっと失礼」

 彼女は短く言うと居住まいを正した。パイプ椅子の上で背筋をピンと伸ばし、喉の調子を整えるように一度咳払いをする。

 スマートフォンを手に取り、通話ボタンを押す。その瞬間、彼女の声は「よそ行き」のものへと切り替わった。

「はい。……はい、お疲れ様です、お母さん」

 ワントーン高く、明るく、そして従順な声。

 それにしても「お疲れ様」? 相手は母親じゃないのか? それとも「お母」という綽名の知り合いなのだろうか? そんなバカな。

 教室でみんなが聞いている「生徒会長・月島レイナ」の声そのものだった。目の前で繰り広げられたその鮮やかすぎる変貌に、僕は薄ら寒いものを感じた。まるでMG(マスター・グレード)の精巧な変形ギミックを見せられているようだ。

 漏れ聞こえる通話相手の声は、落ち着いた女性のものだった。決して怒鳴っているわけではない。だが、その抑揚のない口調は、真綿で首を絞めるような圧迫感を含んでいた。

『レイナ。いま、どこにいるの? GPSだと学校のようだけれど』

「はい、まだ学校です。……少し、生徒会の仕事が残っていて」

 彼女は滑らかに嘘をついた。

『そう。……昨日の模試の結果がメールで届きましたよ』

 月島レイナの背中が強張ったのがはっきりと分かった。

「……はい」

『数学が二点、下がっていたわね』

「……申し訳ありません。計算ミスをしてしまって」

『ミス? ケアレスミスこそが一番の罪だと、いつも言っているでしょう。気が緩んでいる証拠よ。……最近、お友達とのお付き合いが少し増えているんじゃない?』

「そんなことは……」

『来週のピアノのレッスン、回数を増やしておきました。先生には私からお願いしてあります。今日は寄り道せずに、十九時までには戻りなさい。……あなたのためを思って言っているのよ。分かるわね?』

「……はい。分かっています。ありがとう、お母さん」

 通話が切れた。

 彼女はスマホを机の上に置くと、そのまま動かなくなった。

 背筋は伸びたままだ。だが、スマホの画面が暗転するのと同時に、彼女を支えていた見えない糸が切れたように見えた。

 彼女は俯き、両手を膝の上で固く握りしめている。

 その指の関節が白くなるほどに。

「……クソババア……」

 静かな部屋に、ポツリと汚い言葉が落ちた。

 月島レイナは震えていた。

 悲しいからじゃない。悔しいからでもない。行き場のない破壊衝動が、彼女の中で暴れ回っているのだ。

 見ていられなかった。

 怒りとも恐怖ともつかない感情で、彼女の細い指先が小刻みに震え続けている。その不安定な振動が、空気まで揺らしているようで、僕の集中力を著しく削ぐのだ。

 ……いや、違う。

 僕はただ、その震えを止めたかったのかもしれない。これ以上、彼女が内側から壊れていく音を聞きたくなかったのだ。

 僕は無意識のうちに工具箱を漁っていた。

 取り出したのは、タミヤの薄刃ニッパー。モデラーにとっては命の次に大事な「聖剣(エクスカリバー)」だ。素人に貸して刃を欠けさせでもしたら、末代まで呪うレベルの代物。

 だが、いまの僕には、そのリスクよりも優先すべきことがあった。

 僕は「聖剣」と、使い終わったランナー(パーツを切り取った後の、プラスチックの枠だけのゴミ)を彼女の目の前に乱暴に置いた。

「……なに?」

 彼女が、殺気立った目で僕を見た。なんて目をしているんだ。美少女なだけに、その表情には鬼気迫るものがあった。

「やるよ」

 僕はぶっきらぼうに言った。

「切ってみろ」

「は?」

「いいから。……ここの太いところ。思いっきり」

 彼女は怪訝な顔をしたが、言われるがままにニッパーを手に取った。不慣れな手つきで、プラスチックの枠を刃の間に挟む。

「……こう?」

「ああ。親指に力を入れて、一気に握れ」

 彼女は力を込めた。

 パチンッ!

 硬質なプラスチックが弾ける音が、準備室に響いた。切断された破片が、勢いよく机の上を転がる。

 手に残る確かな抵抗と、それが一瞬で断ち切られる解放感。

 月島レイナは目を見開いて、切断された断面を見つめた。

「……音」

「ん?」

「なんか、いい音がした」

「だろ。プラスチックが悲鳴を上げて切れる音だ」

 僕はもう一枚、廃材のランナーを差し出した。

「ここも切れるぞ。あと、こっちの太い軸もいける」

 彼女は無言でニッパーを構え直した。今度は躊躇いがなかった。

 パチン。パチンッ。バヂンッ。

 連続して音が響く。

 彼女は一心不乱に、ただのゴミであるプラスチックの枠を細切れにしていった。

 切る。切る。切る。

 そのたびに、彼女の肩から力が抜けていくのが分かった。

「お母様」の声も、「期待」という重圧も、この硬いプラスチックと一緒に寸断されていくようだった。

 文字通り、彼女は切って切って切りまくった。

 五分後。

 机の上には、細かく切り刻まれたプラスチックの山ができていた。

 月島レイナは大きく息を吐き出すと、ニッパーを机に置いた。

 その顔には、憑き物が落ちたような、さっぱりとした表情が浮かんでいた。

「……ふぅ」

 彼女は額の汗を拭うと、僕を見て、少しだけバツが悪そうに笑った。

「ごめん。なんか、散らかしちゃった」

「構わない。どうせ捨てるゴミだ」

 僕はちりとりを持ってきて、プラスチックの残骸を集め始めた。それにしても、なかなかの量だ。

「……佐藤くんってさ」

 彼女がその様子を眺めながら言った。

「意外と、優しいよね」

「勘違いするな。おまえがイライラしてると、俺の手元が狂うからだ」

「ふふ。そういうことにしておく」

 彼女はスマホを手に取り、今度はそれを鞄の奥底――教科書の下の、見えない位置へと放り込んだ。

「……ここに来るとね、息ができるんだよ」

 彼女は独り言のように呟いた。

「学校も家も、どこにいても酸素が薄いけど……ここだけは、空気が濃い気がする」

 それは、僕への最大の賛辞だった。

 ここは彼女にとって、学校で唯一の「呼吸ができる場所(エアポケット)」になったのだ。

 だが同時に僕は恐怖を感じていた。彼女が感じているその安息は、あまりにも脆いバランスの上に成り立っている。そして、それはいつ崩れてもおかしくはないのだと。

 たった二点の減点で、自由を奪われる世界。

 ニッパーでゴミを切ることでしか、衝動を発散できない日常。

 月島レイナはそんな毎日を送っているのか。

 窓の外では、黒い雲が厚みを増していた。

 梅雨入りは、もう目の前まで来ていた。



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― 新着の感想 ―
更新、ありがとうございます。 前回から一転しての、すこし心配な雰囲気に心がザワリとしました。月島さんの、「ここだけは、空気が濃い気がする」という言葉が刺さります。 合わせ目消しは、いつもなにかミスし…
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