087 食事会と方程式
しかし…
ドーガク地区での襲撃から数日後、本日は何事もなかった日の夕刻に伯爵家に設けられた兵舎の与えられている自室で寝転び、俺はちょっと考えていた。
これほどまでにお嬢をしつこく狙ってくるのは何故だろう?
お嬢が仄めかした通り、相手は伯爵家の失墜を狙っていてその家族をマトにしているのかも知れない。
でもそれは迂遠な話だ。伯爵の権力を失墜させたいならやはり伯爵自身を暗殺するのがベストだ。仮に家族が殺られても本人が健在なら権勢は続くだろうし、壮絶な報復だけが待っている可能性すらある。
ローマ皇帝ティベリウスの息子が殺られた時も皇帝の権威は微塵も揺るがず、真実が明らかになった後、後継者狙いで暗殺を実行した者とその一族郎党及び関係者が地位も立場も無関係に皆殺しになっただけだ。結局、ティベリウスは皆が恐れる大ローマ帝国の皇帝としての権力を握ったまま、有名観光地にあるお気に入りの別荘で80歳近い当時としては超高齢で平和裏にお亡くなりになった。
そう考えると後継者狙いって線もあるのか。
サウザンリーフ公ケーンサック公爵のところも後継者を巡る暗闘があると言っていた。今にして思えば、娘しかいないというケーンサック公爵は、互いに暗殺とかって話に発展させない為に敢えて後継者争いを半ば公にしていたのかも知れないな。そうであるならばやはり彼は大したものだ。
だが、こっちの場合、争いも何も伯爵家後継者は弟殿下で決まりだし、当の弟殿下のところには刺客など来てない。
う~ん……
もっとも方程式は間違っていても答えは合ってる、というのは、わりかしよくある話ではある。
俺が会社にいた頃に、先輩が通常の1,000倍の仕入れをした事がある。
社内では俗に三桁間違いと呼ばれてたヤツで、端的に入力数値が1000単位であったのを間違って入力したのだ。方程式としては初手から唯の間違いである。
実際に入力した数量を見て、というより保管の為の倉庫手配の請求書を見て初めて気が付いた上司は目を剥いて「何で、こんな事になってるんだ!?」と怒鳴り怒り狂った。
対する先輩は無論、自分のミスなので詫びはしたものの抗弁した。
「そりゃ、最初に数量を間違ったのは俺ですよ?けど、課長も指示書は見た上で印鑑、押したんですよね?」
「そんなモン、数量なんか確認してないに決まってるだろ!」
それを言っちゃあお終いよ!とは元ネタは覚えてないが、横で聞いてる全員が思った。
それじゃあ、何の為に注文に上司の許諾を必要としてるんだ?という話である。しかも1,000倍である。キチンと見てれば分かったはずだ、という先輩の抗弁にも一理あった。
だが(これもある種当たり前だが)上司は自身の責任は1mmも認めず、後始末も手伝わず先輩に丸投げされた。もっとも丸投げされても少なくとも短期的には何も出来ないので、原料在庫は積み上がったままだった。
ちなみに単価は安く、金額としては大した金額ではなく保管倉庫代の方が高いぐらいだった。だから気が付かなかったとも言える。
ところが半年後、面白い事が起き始めた。
本社でこの原料を使った製品が突如火がついた様に売れ始めたのだ。
本社の製品が売れている、というより某事情で業界全体で類似製品全体が売れ始め、原料もあっという間に手に入らなくなっていた。物理で手に入らないし、値段も3倍以上にハネ上がった。
本社の売れ行きは通常の実に100倍以上にも達し、生産が全く追いつかず多数のバックオーダーを抱える事態になっていたが、なんせウチには通常の1,000倍の原料在庫がある。しかもその殆どが今の価格の半値以下、3分の1程度の値段で購入してきたものだ。
本社の在庫確保の命令に上司は胸を張って、幾ら生産を増強しても少なくとも当面は問題ない、と胸を張り、営業から一刻も早い生産数量増をせっつかれていた本社生産管理本部は手放しで喜んだ。
そして「どうしてそんな事が出来たんだ?」と満面の笑みで聞いて来た本社営業部長に課長は澄ました顔で答えた。
「いえ、出荷状況と相場を見て、ここで少し厚めに在庫を確保しようと思いまして…」
1,000倍の在庫は「少し厚め」というレベリングではなかったが、さりとて当の先輩も自分の発注ミスを明らかにする必要もなく黙っていた。
会議が終わった後、課長は俺らにボソッと言った。
「…俺は持ってるな。」
ああ、まあ、結果だけ見ればそういう見方もあるね!と周囲は思ったものだ。
その製品が今、売れてるのは彼の力ではないのは、本人も含めて全員が知っている。某事情で業界全体が活況を呈しており、彼どころか業界に影響力のある本社が何かしたわけでもないのは明らかだった。
そして材料が大量にあるのも彼が説明した理由ではない。先輩がポカした結果だ。
しかも、この左遷子会社には何かを持ってる人間など来ない。
けど、結果は大成功だ。
方程式は間違っていても答えは合ってる事はあるのだ。
そんな海野のしょうもない経験や相変わらず雑念大杉で纏まらない考えなど先代ドンのジャン=アルフレッドと元部下で当代ドンであるプレストンは全く知らないし興味もない。しかしこの業界の2大巨頭の話し合いも、本人達は最後まで気付く事は無かったが方程式は部分的に間違っていても答えがわりかし合ってる例だった。
彼らは町一番のレストランの個室で仲良く雑談(?)をしながら食事をしていた。
この種の高級レストランは客は選ぶが差別はしない。金を持っていない客はお断りだが、それ以外では差別はない。例えヤクザのドンであろうと店の雰囲気に合ったキチンとした服装で入店し、キチンと金を払ってくれさえすれば、何の差別もなくキチンと入店させてくれ、キチンと対応する。
これはこの世界がコンプラ的に緩いからではなく、何処の世界でも同じだ。
ドイツの高級車メーカー、六本木の高級レストラン、フランスの高級ブランドは差別がない、流行りの言葉で言えば多様性を最重要視した商売をモットーにしている。重視しているのは客の懐具合だけでその属性に目を向けたりはしない。
彼らやその客からすれば、コンプライアンス云々など単なる貧乏人に僻みに過ぎない。
だから金に困っていないヤクザ組織の幹部ともなればドイツ製の高級車か愛知県産の室内の広い高級バンが定番で、腕にはスイス製の高級腕時計が光り、服はフランスまたはイタリアの高級ブランドのオーダーメイド品だ。ニューヨークのマフィアのドン達が最高級の有名ホテルに住んでいたのは誰もが知っている。
そして子弟は逆に名門有名私大の付属学校に小学校から通い、芸能人とは違い親の業界には生涯近寄らない。
両親はこの業界は実務が異常に厳しく、国会や芸能界と違いって才能と適正がない者が親の七光りだけでは跡は継げない、それどころか直接生命に関わる話のオンパレードのこの業界を継いでもいい事など何もないとよく知っているのだ。
ケータイ業界だけは結構広範に反社を排除しているフリはしているが、これは最新と見られているこの業界は少なくとも日本では実は発生当初からガチガチの規制業種でお上とマジツーカーな業界なので、畑違いであってもお上のご威光には敏感に反応しているからだ。
それにグローバルで見れば業界の中心となっているのはそもそも中国、韓国、日本、ベトナムの位置関係すら曖昧なアメリカの年若い理系君が立ち上げて支配する巨大企業で、彼らはヤクザと呼ばれる極東の一部のローカル顧客が彼らの製品、サービスを使えない事に全く痛痒を感じていないからに過ぎない。
もっともお上のご意向には従うと言っても所詮はやったフリだけなので、結果としてヤクザも詐欺師も皆、ケータイを手にしている。反社会的な方々もケータイ会社のやったフリには付き合うので入手するにはちょっと手間が増えるだけ、善良な一般人が手にする時には本来は全く不要な手続きが膨大に増えただけである。
いずれにせよやったフリぐらいするのはケータイ会社ぐらいで、他は愛知県のメーカーも欧州の高級ブランドもフリすらしない。特に飲食店業界は気にもしないどころか裏ではキチンとミカジメ料とかを納めているという事で、この世界の反社業界の大物中の大物であるジャン=アルフレッドとドン・ミルスコップの2人は、彼らが裏社会に足を踏み入れた頃には入店する事すら叶わず、仮に入店しても最低価格の一品の値段すら払えなかったであろう高級店の個室で優雅に豪勢な食事を愉しんだ。
そして食後のコーヒーならぬ酒が出て来た段階でプレストンは今日の目的の話を元の上司にした。
「腕のいい弓師か…百発百中ってか?」
「らしいんだ、アニキ。なんかそれらしい話を昔、言ってなかったか?」
親しみを強調するかの様にアニキ、などと呼びかけてはいたが、最初の一杯はドン・プレストンご自身がわざわざ立ち上がって、グラスを掲げるジャン=アルフレッドの傍まで行き、横に跪いてお注ぎして、老人が満足げに頷くと自身の席に戻った。
そして老人が軽く顎を動かすという傲慢な仕草で許可を与えた後に初めて自分のグラスに手酌で注ぎ、老人の乾杯の手付きに合わせてグラスを挙げた。
今のプレストンは紛う方なきこの町の裏社会のドンで、対するジャン=アルフレッドは見た目は車椅子の座った目付きは悪いが裕福そうな老人だ。引退してからは町のあれこれに口を出す事もない。
見た目通りに裕福に暮らしており身の回りの世話をする使用人には事欠かないが、現役の頃の様な直属の部下がいるわけでもない。
だが、ドン・ミルスコップはこのジャン=アルフレッドに幼い頃に見い出され、その引きでこの世界でのし上がり、長じて彼の地盤を引き継いだ。プレストンにとってジャン=アルフレッドは年老いていようが、体を悪くしてようが、恩人であり、人生の師なのだ。
彼はその長い付き合いからジャン=アルフレッドを「アニキ」と呼んでいるが、そんな気軽な口の利ける今ではたった1人の現役だ。
組織の最高幹部である例の7人ですらジャン=アルフレッドの前では許可なく顔を上げる事すら許されず、中堅のヤクザ態度では気軽な口どころか震えて目を合わせる事すら出来ない。
だがプレストンは震えもせず一緒に食事をして質問すら出来る。それは彼が先代ドン、ジャン=アルフレッドが最も信頼し、二人三脚でヤクザ社会を制圧し、そして彼自身が認めた後継者だからだ。
だからリバードア裏社会のトップになった今でも、目の前の車椅子の老人は彼にとってドブ底からその身を拾い上げてくれた恩人であり、尊敬し畏怖すべき上司だ。最大限の敬意を表するのに些かの躊躇もない。
忠誠の篭った仕草を今でも欠かさない、最も可愛がっており、最も信頼し、それ故、最もキツい仕事ばかりを任せていた長年の部下の問いに、昔を知る老人は少し考える風になった。
「ああ…古い話にゃなるが…昔、勇者組が魔王退治にこっから出てったことがあるだろう。」
「…古いっても随分古い話だな、アニキ。」
「随分、古い話さ。」
一度言葉を切ったジャン=アルフレッドが今度は葉巻を咥え、すかさずプレストンはマッチを擦って火を差し出す。
20年、いや30年以上続けられている儀式は流れる様に完璧な仕草だ。
ジャン=アルフレッドも当然かの様に受けて、フーッと煙を吐いた。
「勇者の4騎士の中に弓師がいたのは知ってるか?」
「へい。」
ケータ・シーバ、タッカート・ウンノウ、マーサ・ヨシの3人の勇者には王国から4人の選りすぐりの騎士が従った、と言われている。剣士2人と弓師、それに白魔導士で、いずれも勇者と負けず劣らずの一騎当千だったという話だ。
実に10代入ったばかりの頃から極道一本槍のプレストンに学と呼ばれる何かは1mmもないが、その程度なら知っている。
彼は元の上司の言葉に素直に頷いた。
「付き従った弓師なんだが…」
ジャン=アルフレッドは旨そうに煙草を吸い込み、またフーッと煙を吐いた。
「百発百中の凄腕だったって聞いてる。」
「……」
海野が聞けば苦笑いで「いやあ、そこまで凄くはねえなあ」と言っただろうし、当の本人であるミリーも、ここまで褒められては照れていつもの男前な仕草でアタマを掻いただろう。それに海野が百発百中なのはミリーの技ではない。
だが、この場に前のドンの話を否定する者はいなかった。
今のドンであるプレストンはアルフレッドが現役の時と同様に、上司の言葉を畏まって興味深そうに傾聴しているだけだ。
「勿論、勇者の騎士が並の弓師じゃねえのは確かだ。けど、百発百中は凄腕過ぎる、と思わねえか?」
思う。
なのでプレストンは答えた。
「…ちょっと盛ってるんじゃねえですかい?」
上司の言葉に異を唱えるというのはこの業界では命を懸ける必要がある。
アルフレッドと最もお気に入りの子飼いの部下であるプレストンの間柄だから許されるプレストンの疑問に、先代ドンも怒る事無く話を続けた。
「いや、それが騎士団にいた頃から有名だったらしい。」
「騎士団?」
「淑女騎士団だ。」
「ああ…」
4人の勇者の騎士は全員がオンナだった、というのもプレストンだけではなく誰もが知ってる。
「で、百発百中には理由があるんじゃねえかってのが当時からの噂だった、らしい。」
繰り返しになるが、ミリーは淑女騎士団で弓の腕前は1、2を争うとの評判だったのは確かだが、百発百中までは言われてない。
だが、それを指摘できる人間はこの席にはいない。
なのでこの微妙に間違った方程式はそのまま流れた。
「理由?」
「何らかの魔法を併用してるんじゃねえかって噂だった、と思う。」
「魔法…」
プレストンは考え込む表情になった。
「おめえも知ってるだろうが、勇者も勇者の騎士も結局、ここには戻らなかった。魔王戦でおっ死んだって話もありゃあ、帰りつく前に勇者とくっついて、そこに住みついたってな話もある。ま、誰もホントのところはよく分からねえ。」
プレストンは上司の言葉を聞いて更に考え、戦慄の表情で顔を上げた。
「まさか…」
だが対する元上司は軽く苦笑いしながら首を振った。
「年齢的には合うんだが、なんぼなんぼでも息子って事はねえだろう。それにそんなヤツが流れモンの唯の弓師ってなわけがねえ。名前も違う。勇者組の息子なら同じ名を名乗るだろう。隠す理由もねえしギルドも騎士団もトーシロじゃねえ。誰かが気付くに決まってる。」
「そうっすよね…」
前のドンは煙草を灰皿に置いた。そしてグラスを持つ。
すかさずプレストンが、今度は跪きはしないがグラスに酒を注ぎ、前のドンは鷹揚に頷いて、ゴクリと飲んでテーブルに置いた。
「けど、弟子か…あるいは弟子の弟子か…要は関係者って事は充分考えられる。」
正に海野の弓はミリー直伝ではある。
「っつう事は、魔法併用の弓師って事かよ、アニキ!?」
「そういうこった。」
プレストンは両腕を挙げた。
「参ったね!勇者の騎士の弟子で魔法で弓引いてる弓師かい!ウチの連中じゃあ勝てねえわけだ。ハードルが高過ぎらあ!」
「ま、そうかもな。」
しかし言葉の割にプレストンの顔は笑っている。
長い付き合いでアルフレッドもプレストンが何事か考え付いたのは分かった。
「おめえはガキの頃からアタマは回るな。何、考え付いた?」
プレストンはにやあっと笑った。
彼のこの笑顔は、彼が商売敵を三途の川の先まで一撃でぶっ飛ばす方法を考え付いた時の笑顔だ。
前のドンからすれば頼もしい限りの笑顔だが、敵が目にすれば立ったまま小便を漏らすのは必定だ。
部下であっても同じ事である。
プレストンは気に入らないヤツ、生意気な口を利いたヤツをぶち殺すのに、敵か味方かを気にした事はない。
「魔法使ってるってこたぁだ、逆に言えば魔法を封じれば唯のちょいと腕のいい弓師ってことじゃねえかい、アニキ?」
繰り返すが方程式は微妙に間違えていても答えが合う事はある。
だが何故、微妙に方程式が違うのかと言えば前提となる情報が間違いとまではいかずとも正確ではないからだ。
だから間違った、あるいは欠けた情報を元に立てられた方策が間違ってしまうのは止むを得ないところではあったが、この時の2人はこの場では当然、それには気付かなかった。
彼らはクリス・シーガイアと名乗る冒険者が、勇者の騎士ミリーの弟子ではあるがその息子でも勇者の息子でもなく、勇者本人である事を当然知らなかった。
彼がミリーから伝授されたのは弓の基本的な操作を除けば毒の使い方と魔法を使った矢の装填であって、百発百中の元ネタであるレーザー標準は彼のオリジナルであることも知らなかった。
そして何より全ての元ネタである魔法の操り方が、彼ら勇者とこちらの世界の通常一般の術者とでは段違いにレベルが違うことを知らなかった。
なので、現役のドン・プレストンは即座に有用な情報を与えてくれた元の上司に尊敬の眼差しを送り、引退している元の上司はその尊敬の眼差しに大いに満足して双方共に上機嫌で食事会は終了した。




