086 予定外の介入
「今まで5回以上も襲ったそうですが全て撃退されてます。保安官事務所の捜査もそろそろ誤魔化せませんな。」
リバードア最大のヤクザ組織、ミルスコップ一家を率いるプレストン・ミルスコップの自宅の応接会議室は、居心地よくしつらえてあり、幹部達は各々好きなグラスを片手に一見すると寛いだ感じでソファに腰掛けていた。
だが、この部屋で会議の出来る幹部はドン・ミルスコップ自身を含めてもたった8人であり、8人のうちプレストンを除く7人は、ふかふかのソファは自らの負う重い責任をこの一瞬だけでも軽減する為だけのものであり、最高級の酒は、都合の悪い報告にともすれば途絶えがちになる口を少しでも滑らかにし、殺伐とした話しか飛び交わない席をほんのちょっぴりでも和やかなフリをする小道具に過ぎないのは充分承知していた。
プレストンを含め8人とも、昨日、今日、ヤクザになったのではないのだ。
今、問題になっている点を報告している幹部は、この中では頭脳派に位置付けられる高利貸しと詐欺を得意とする幹部である。
彼も部下達も一応は客商売なので、この種の集団の中では比較的弁が達つ者が多い。
もっとも彼もその配下もヤクザであって詐欺師ではない。
簡単には返せない利子であるのが高利貸しで、かつそんな所から金を借りる連中はハナから返す気もなければ利子を払う気もないので、債権回収には勿論、日常的に荒事が必須だ。なので部下達はそちらの専門家揃いだ。しかし強盗とか殺人とかハナから突撃仕事がメインではない。
突撃仕事が直接の担当でもないのにこの件を彼が報告しているのは、官憲動向報告の一環としてである。
態度の悪い客の足の指を妻子の目の前で鉈で落としたり、借金のカタとして嫌がり泣き叫ぶ娘の髪を引っ掴んで風俗に売り飛ばすのがごく普通のこの業界では、それでも比較的穏当かつ日常的な仕事に位置付けられている債権の取り立てを一々官憲サイドで大事にしない為、彼は非合法の賭博場を仕切る幹部と並んで普段からの官憲との付き合いを大切にしていた。具体的には上から下まで広く小銭をばらまいていたので、周辺情報も入って来易い。
いずれにせよ、この一件は自分の失点でも自身の直接の配下の失点でもないから、マズい話を報告しながらも彼には片手に持つ最高級のワインの芳醇な香りを多少は楽しめる余裕はあった。
「何をもたついてんだ?ハンソンにしちゃあ、珍しいじゃねえか。」
これも本件とは直接は関係ない違う幹部が口を開いた。
彼の言うハンソンとはこの件を直接やってる中堅幹部で、組織で殺人の請負を得意とするチームを率いている。
そして組織外からの暗殺なんかも請け負うことがあり、この件もそうだ。ドンから組織に不都合のある、あるいはドンが個人的にムカつくと感じた誰かを殺って来いと命令されたわけではない。
もしこの場にハンソン氏がいれば、お漏らしだけは何とか耐えられるかも知れないが、滝行の後の様に冷や汗でびっしょりになりながら釈明したのは本人だっただろう。
何処の世界でも組織の幹部の基本は嫌なニュースは部下の直接の担当者から、良いニュースだけは上司である自分から、である。
だが幸か不幸か、普段は末端で手を汚し、時に組織の為にム所でお勤めする役も担うパシリの長に過ぎないハンソン氏は最高幹部しかいないこの場にはいない。
居心地の良い椅子と高級なテーブルの並ぶ豪勢な部屋で行われる取締役会に担当とはいえ一介の平社員や課長程度では呼ばれもしないのと同じだ。
この場で報告義務があるのは、彼のシマを仕切っている大幹部の別の男である。
仕方なく、皆の視線の集中する中でその大幹部自身が、親分や自分の命令でもなく、勝手に引き受けた仕事に失敗を続けた挙句、官憲にも目を付けられるという部下の失態の中身を説明すべく、嫌々口を開いた。
「護衛に凄腕がついてる。」
「凄腕だあ?」
ハンソンについて言及した幹部が小馬鹿にした様な薄笑いで突っ込んだが、彼は構わずに平静を装いつつ続けた。
「弓師なんだが、狙いは百発百中で弾き手が雷の様に早い。おまけに蛇の様に陰険なヤロウで象も即死しそうな猛毒を使ってる。どこに当たっても皆、速攻あの世逝きだ。」
「何者だ?」
「クリス・シーガイアというCクラスの冒険者らしい。最近、マトに雇われたって話だ。」
Cクラスは冒険者としては素人ではないし、ある程度の実績を持っている事を示している。
だが突出した腕前とは言えない。
この段階で、部下の苦戦という聞きたくもない話を心広く聞き流していたドンが興味を示した。
「C程度でそんなに凄腕がギルドにいたか?」
親分の問いにキチンと素性は調べさせていた担当の幹部はキチンと回答を用意していた。
伊達にこの業界で最高幹部までのし上がったわけではない。
それにこの業界では1秒の返事の遅れが致命的な結果を招く事があるのは骨身に沁みてよく知っている。
「ギルドに張ってる手配師のヤツに確認させてます。3、4か月程前に他所から流れてきたって話です。」
彼の言う手配師とは、クリスが最初にギルドに顔を出した日に声を掛けたダニーの事だ。
ここに集う幹部からすれば、同じパシリとは言えど会社組織で言えば一応は支店長クラスではあるハンソン氏程ですらなく、末端も末端の孫会社の購買部員程度のパシリに過ぎないダニーの名前など当然出て来ない。
そしてダニー本人にとって幸いな事にドンは「ソイツを今直ぐココへ連れて来て詳しい話をさせろ!」と言ったりもせず、考え込んだ表情になった。
ドン・プレストン・ミルスコップはこのリバードアの東側にあるスラムの生まれだ。
ギャングのトップにしては、というより一般人と比較しても小柄な体格だが、見た目とは逆にケンカ1つでのし上がってきた。
彼の武器は思い切りの良さだ。
小さい頃から自分よりデカい、強い相手にも勢いよく突っ込んでいく思い切りの良さと、殺る時は後先など考えず、一切の容赦もなく殺り切る思い切りの良さの二つを兼ね備えていた。
才能が開花したのは10歳の頃だ。
実の父親は小さい頃に近場のギャングの抗争で死んで顔も碌に覚えていない。
母親は間もなく次の男を家に引っ張り込んだ。
義父にあたるこの男は近所のギャングの顔役の1人で、母子は食うには困らなくなったが、男はいつも家では母親と彼に激しい暴力を振るっていた。DVとか言う一般用語が母猫が隣で寝ている子猫を舐める動作の様に感じられる類の暴力だ。
そして10歳の時、遂に彼はキレた。
母親は既にボコボコに殴られて部屋の隅で半ば気を失って倒れており、いつもの様に一緒に殴られて壁に叩きつけられた彼は、いつもと違い、叩きつけられた反動で壁を蹴って、思い切りよくアタマから義父の股間に突っ込んだ。
「うぐぉ!」
思わぬ奇襲を無防備に喰らい、思わず前屈みで股間を押えて下がった義父の髪の毛を両手で掴み、プレストン少年は今度は真上にジャンプした。
「ごゔぁああああ!!!」
子供相手とはいえ、唇と鼻の間辺り、所謂、人中に思いっきりジャンプしたプレストン少年の頭突きを喰らった義父は今度はのけ反り、その一瞬の隙にプレストンは上から掴みかかった。彼らは床の上に折り重なって倒れた。
「ぎゃあああああああ!」
そしてプレストンのもう一つの才能が開花した。
彼は何の躊躇いもなく、馬乗りになった一瞬に両手で義父の両目を突いたのだ。
偶然でもなく、引っかきにいったのでもなく、最初から二度と見えなくする事を目的として念入りに両手をフルに使った目潰しは見事に義父の両目に突き刺さった。
普通の人間にはやろうと思っても躊躇する攻撃だが、ヤクザとしての才能溢れ、荒れた生活の中で人の心はもう微塵も残っていなかったプレストンにはほんの一瞬の躊躇も無かった。
「あががががが…」
義父は手足をバタつかせて暴れた。
大人の男の本気の暴れに、プレストンは再び壁にふっ飛ばされた。
「ちきしょおお!!このクソガキぃぃぃ!!ぶっ殺してやらああああ!!」
だがプレストン少年は今度は冷静に静かに起き上がった。
男は両目を両手で押さえて喚いている。
鼻は完全に折れて鼻血というには多過ぎる血が出ており、目を覆う指の間からも血が流れ、目は全く見えていない様だ。
プレストンの血塗れの指に残った感触から考えても、目を潰しきったのは明らかだ。
プレストン少年はゆっくり、静かに下がり、血塗れの手のまま台所にあった包丁を取った。
「おらああ!!!!!」
顔を押さえて叫ぶ男にゆっくりと狙い定めて、しかし思い切りよく腰だめで突っ込んだ包丁は、見事に男の腰の上辺りに深々と突き刺さった。
男は片手で目を押え、もう片手を目蔵滅法振り回しながら腰の辺りを必死で弄り、叫びながら包丁を抜いて投げ捨てた。
危うく避けたプレストンは、再び台所まで後ずさって様子を伺った。
「があああああ!!!殺す!殺す!殺してやらああああああ!!!ぶっ殺してやらあ!!!!!」
男は滅茶苦茶に暴れ、椅子が倒れ、机が倒れ、家具が倒れた。
が、直ぐに本人も倒れた。
バタバタバタ……
男が手足をバタつかせるが徐々に弱っていくのをプレストンは台所から静かに眺め続け、やがて血の海の中で手足をヒクつかせる程度になったところで、血塗れのままの手で近くに転がっていた包丁を再度取って近寄った。
義父はもう何の反応もしない。
荒い呼吸を繰り返すだけだ。
プレストンはその耳元に跪いた。
「殺す?お前が死ねや!バ~カ!」
勢いよく振り上げて勢いよく下ろした包丁は義父の首に刺さり、義父は喉からゴボゴボという音を出し、やがてその呼吸は完全に止まった。
その頃になって殴られて気を失っていた母親が起き出してきた。
「母ちゃん…」
母子は互いにボコボコの顔で見つめあった。
「…アンタが殺ったのかい?」
「うん…」
ボコボコの顔で彼女の目は殆ど開いてないといっていい。
だがその目は躊躇いがちに返事をした息子に対し優しく細められた。
「ふん、こんなヤツ、死んで当然さ!」
息子を全肯定した母親は倒れてピクリともしないギャングの顔役の男を見た。
今ならともかく、当時のプレストンはまだ10歳である。
思わずキレて殺したものの、流石に殺した後の事まで考えていなかった。
言うまでもないが、このまま放置して逃げでもすればギャング団が追って来る。
無論、官憲に自首して良い事など何もない。官憲で母子共々散々に痛ぶられた挙句、やっぱり最期は官憲の中にも紛れているギャングの手先に始末されるだろう。
だが、プレストン同様にスラムで生まれ育ち、アバズレ道を極めた母親はトラブル慣れしていた。
死体一つでビビる様な感性は生まれた時から持っていない。そんな事でビビるような人間はそもそもこのスラム街に存在しない。
彼女は今更ながらに「ママ、どうしよう?」という目で見るプレストンに対し、素早く指示を飛ばした。
「母ちゃんも手伝うからそこの竈をどかして、土を掘るんだ。なるべく深く掘ってその下に埋めるんだよ。竈の下なら汚れで掘り返しは直ぐに目立たなくなるし、虫も寄って来づらいからね。終わったら床をキレイに掃除だよ!」
3日後、ギャングの仲間が家にやってきた。
酷薄な顔をした若い男だ。
「ビリーのアニキは?」
「知らないよ!あんな奴!」
答えたのは、だいぶ引いたとはいえ、顔のあちこちに青痣の残る母親だ。
ギャングの若い衆は、母親の背中の後ろに立っている母親と同じく顔は腫れてアザを作り、アタマには包帯を巻いて素知らぬ顔をするプレストン少年を凝視した。
そして、そのチンピラ然とした身形と酷薄さが滲み出た見た目とは裏腹にちょっと気の毒そうな顔になった。
彼も普段の行動こそゴブリンとかトロールとかと同じで欲しいモノは奪う、ムカつく奴は殺す、オンナとみれば犯すが基本だが、生物学上は一応は人間で、ボロボロになっている女子供を見れば少しは思うところもあったのかも知れない。
「……アニキにやられたんか?」
「そうだよ!」
「アニキはいねえのか?」
「知らねえって言ってんだろ!あんな奴!アタシらこんなにして、どっか逝っちまったっきりだよ!」
男は彼らの肩越しに妙にキレイに掃除されている部屋の中を見回す様に見た。確かにアニキ分の姿はない。
彼は鼻がむずがゆかったのか、スンッと鼻を鳴らした。匂いを嗅ぐ仕草の様にも見えた。
「…そっか。邪魔したな。」
ギャングの若い衆は扉を閉めて帰ろうとしたが、ふと思い出した様に、母子の方を半身で振り返った。
正確には母親ではなく、息子の方を見た。
「ぼうず、ハラ減ってねえか?」
プレストンは小さな子供の様に狡猾に母親の後ろに隠れながら、俯いて黙って首を振った。
が、ギャング団で若手有望株として頭角を現しつつあった男はその程度の演技に騙されなかった。
「俺はジャン=アルフレッドだ。”恐れ知らず”のアルフレッドって言えあ、この辺りじゃあ誰でも知ってる。」
片手を扉にかけ、もう片手はポケットに突っ込んだまま、アルフレッドは少し身を乗り出し、目線をプレストンに合わせてドスの効いた声で囁いた。
「腹が減ったら、いつでも来いや。」
ジャン=アルフレッドはやはりスラムの生まれ育ちで無学だったがアタマは狡猾に回転する方だった。
彼はプレストンが殺したアニキの話を穿り返す愚は冒さなかった。
ガキ1人、制裁したとて何の意味もない。
彼は、アニキは仲の悪かった別派閥のヤツに殺られたに違いない、と周囲を焚きつけて、ライバルだった別派閥のリーダーをリンチして殺し、やがて若いながらもギャング団の幹部にのし上がった。
そしてプレストンはそのアルフレッドの下で頭角を現した。
アルフレッドは”恐れ知らず”の通り名に相応しく、敵対した相手には容赦なく制裁を加え、その実行部隊の1人としてプレストンものし上がった。
彼はギャング団の凄惨な出世争いをアルフレッド直属の子分として乗り切り、長じては冷酷非情なドン・ジャン=アルフレッドの更に冷酷な片腕として恐れられ、やがてアルフレッドが病に倒れ、後遺症で身体が不自由になったのを契機に、彼の安全と楽隠居を条件にシマを譲られた。
その後は順調にシマを拡大し、今やリバードア最大最凶のヤクザのドンだ。
今回のハンソンがしくじり続けている首都伯令嬢の暗殺という仕事を受けたのはドン・プレストン本人ではない。プレストンの配下のギャング団のヘッド格の男、暗殺を稼業とするハンソンがプレストンには特に断りなく引き受けた仕事だ。
組織で日常的に行われている暗殺やら殺人やらが一々ドンの許可を得て行われるはずもないし、ヤクザ社会では最終的に上にたんまり上納金が納められれば仕事の過程など何も問われないのが普通だから、別におかしくはない。
ただ、それは逆に結果が伴わない、のみならず組織全体にマズい話になったとなれば、理由も過程も何も関係なく、責任を問われるという意味だ。ヤクザ社会のそれは当然、一般会社よりもずっと過激で生きたままミキサーに放り込まれる様な類の話になりかねない。
そんな業界にごく若い頃に飛び込み、頂点まで行きついたプレストンは少し考えた。
通常なら放っておくだけだ。失敗すれば本人が困るだけだし、組織に迷惑が掛かる様なら鼻をかんだ塵紙を捨てる様にグシャグシャにしてゴミ箱に蹴込むだけだ。
が、今回はマトが良くない。
マトが良くないのはハンソンとかってパシリも素人じゃあるまいし分かっていただろう。組織内では中間管理職に過ぎないとはいえ、一応は暗殺団を率いているのだ。
にも関わらず引き受けたのは、報酬に目が眩んだか、依頼主が余程の大物かのどちらかだと思われる。むしろ大物から多額の報酬で持ち掛けられた可能性も高い。
そうなるとマトに加え、依頼主もヤバい相手だ。
グズグズしていると組織にまで本格的に火の粉が降ってくる事も考えられる。しかもヘタをするとマトと依頼主の双方からだ。
しくじり続きのハンソンとかって末端のバカは、後で生まれて来た事と自分の心臓が未だ動いている事を充分過ぎる程後悔するまでシメるにしても、この件は放ってもおけまい、とプレストンは考えた。
「…その件は少しアルフレッドのアニキとも話してみよう。」
業界的には通常有り得ないドン自ら助け船を出してやろうという話なのに、居並ぶ幹部、特に古参の幹部数人の顔が微妙に強張った。
報告をしたハンソンの上司にあたる幹部などは既に顔面蒼白だ。高級酒を持つ手も僅かに震えているのは、アルコールによる中毒症状とかではない。
最初に自分とは関係ねえとばかりに饒舌に報告していた高利貸しのボスも「ヤバいことになっちまった…」と顔色を変えている。
身体を少し悪くしているものの他は全く昔のままで楽隠居中の先代ドン、ジャン=アルフレッドと当代のドン・プレストンは今でもタマに食事をしたりする非常に良好な仲だ。
そして、2人の間で雑談以上の”話し合い”が行われた場合、その後には組織内外で大規模な粛清が実行される事が多かったのは、誰も口には出さないが良く知っていた。社長が大規模なリストラを実施するにあたり、元会長である相談役に事前にご相談してご承認を得る様なものだ。
ズーンという効果音が聞こえる様な部下達の様子を見て、プレストンは珍しく少し苦笑いした。
「そういうこっちゃねえ。少し古い話をアニキに確認してえだけだ。」
冷酷非情な先代ドンを”アニキ”呼ばわり出来るのは今では当代ドンのプレストンだけだ。
そのプレストンが珍しく部下を安心させる様に言ったのだったが、部下達は何も安心出来なかった。ライオンから「心配すんな、喰わねえよ」と言われてるのと何も変わらない。
しかし文字通りケダモノの王であるドンに文句を言い募るなど当然出来ず、彼らは黙ってアタマを下げるしかなかった。




