050 突然の文句と今後の方針
さてさてさて。
宿屋街に着いて宿を確保した俺は、ベットに寝転び考えていた。
イレギュラーはあったものの、宿は確保したので後はメシを食いに行くぐらいで今日の予定は無事終了だ。
だが、当然だが今考えているのは今夜のメシの予定とかではない。
全くの予定外ではあったが、取り敢えずぶっ殺して口は封じ、ついでに憂さも晴らしたが、オーエンから得た情報をどう使うべきか、この情報を元に具体的にどう動くべきか、が今の俺が考えるべき事だ。
まずオーエンの存在は俺に2つの事を確認させてくれた。
1つはこの世界はやはり以前俺がいた世界であることだ。
勇者ケータ・シーバ、マーサ・ヨシ、タッカート・ウンノウの噂と言うか伝説は俺の耳にもちょくちょく入ってはいた。言うまでもなくタッカート・ウンノウが俺の事だろうとも思っていた。
けどガリシアがない、と知ってからは話が変わった。
本当に前に俺が来た世界か確信が持てなくなって来たのだ。
だが旧知のオーエンが話し掛けて来たことで、その問題は一部は解決した。
見知った人間がいる、という事は即ち今いるこの世界は前回の世界と被っている、ということだ。
そしてもう1つは言うまでもなく、俺以外の生き残り、レニの生存の確認である。
魔王城に突撃掛けたマサさん、シイちゃん、俺の勇者組3人とお付きのアイーシャ、ミリー、レニ、リリアの騎士団4人のうち、最後まで、つまり俺が日本に帰る頃まで生き残っていたのは、俺が知る限り俺を含めて3人だ。その生き残りの1人、レニ・トルーキンがまだ生きているらしい。
レニに今更問い質す話が何かあるか?
勿論ある。色々ある。
だが、それを聞きにレニと所へ向かうべきなのか?
そしてレニに会ったところで、話してくれるか?
俺は寝っ転がって考えたが、何も浮かばない。
こんな時に、何か画期的な事、若しくはやるべき事が即時に浮かぶなら、前回の旅でも俺がリーダーだっただろう。
マサさんもシイちゃんも俺が一番年下である事を気にした様子はなかったし、一番年上のマサさんではなくシイちゃんがリーダーだったのも、純粋にシイちゃんの能力だ。
こんな時にどうすべきか考え付く、指示が出せるは、別に然程特殊な能力でもない。
普通は考え付かない何かを言い出すのも同じく特殊、特別な能力ではない。
世界を揺るがす様な事でなくとも、画期的な解決方法を思いつく人間というのは何処にでもいる。
何の事はない中学校での授業でそれを体験した事があった。意外な事に習字の授業の時間で、である。
小中学校では習字の授業と言うのがあったが、ご多聞に漏れず、習字とかを習い事でしている少数を除き、俺ら全員が苦手としていた。
しかも授業内容も悪かった。
他の学校は知らないが、俺らの小学校の先生は何故か墨を手で磨る事に異常に拘りがあって、授業時間の実に4分の3以上がこのクソつまらん単純作業に費やされた。そして安物の墨だからなのか我々のやり方がいい加減なのか、長時間かけて磨ったはいいが、実際に書くと字の良し悪し以前に「薄い!」の一言でハネられて全員がウンザリするだけだった。
肝心の字の書き方とかを具体的に指導してくれる事はなく、お手本を見て書け、と6年間言われ続けて終わった。
習字の授業のお陰で習字の腕前が上がった人間も、字が綺麗になった人間も皆無だった。習字が上手なのは音楽が上手なヤツと同じで、学校外で別途稽古に精を出しているヤツらだけだ。
中学校の授業ではやはり墨は磨らされたものの墨汁を足して誤魔化すという手段が流行り、先生も見て見ぬフリをしてくれる所は良かった。
そこは良かったが、その他の点も相変わらず何の指導もなく、その割にただ〇×だけつけられ、成績だけが小学校の頃より遥かに厳しく、デジタルな感じでつけられるのは全くいただけなかった。
「習字は墨を磨る事で心を落ち着かせ、精神を統一して書く!」との主張の下、全員にそれを厳しく強制する割に字の指導は殆どしなかったが、書けば取り敢えず〇がついた小学校の授業と、俺らが適当にやっても何も言わず、やっぱり字の指導は全くしなかったが、成績だけは容赦なくつける中学校の授業は、どちらも悪い意味で甲乙つけ難かった。
ただ、ほぼ全員が習字が嫌いになるか、興味が持てなくなるのは一緒だった。
こうなると日本文化の伝承を意図的にサポタージュしているか、側面から潰しにいってたとしか思えん。(※個人の見解です。)
もっとも習字に限らず、主要5科目以外の義務教育授業とは大概こんなもんだ。
音楽の授業が好きな人間の殆どは授業と無関係な習い事でピアノだの何だのをやっている人間だ。そして小学校で最後の授業が終わった瞬間に教科書も縦笛もピアニカもゴミ箱に投げ捨てる。そもそもクラシックだろうがロックだろうが音楽を最終的に生業にしている人間だって、大人になってもピアニカ、縦笛を生業にしている人間はいない。6年間も習っているのに全く無意味な習いなのだ。
勿論、音楽自体が好きになる人間は多いが、それは学校の授業とは全く別個の理由が大半で、大人になってもピアニカや縦笛を愛好している人類は存在しない。(※繰り返しますが個人の感想です。)跳び箱と一緒で義務教育専用に開発された何かだ。
これに限らず、日本の義務教育の基本は戦前に開発され、戦後50年以上経っても教育関係者の怠慢と想像力不足により道具に多少の進歩はあっても、目的を見失ったまま、ただ漫然と継続されているものが多かった。
美術工芸はやはり絵が好きとか手先が器用とかって一部を除き、全員がウゼえと思って受けている。
小中学校の授業で描いた絵など誰も思い出したくもないし、アタマはいいのに不器用で低い評点を付けられ、高校受験の内申点で苦しんだ人間などは恨み骨髄だ。
そもそも普通科の高校受験で何で5科目以外の成績が選考基準になるのかが意味不明だし、普通以上と言われる3ぐらいはキープしとけ、ならまだしも、4とか5とかが有利に働くのかが分からない。しかも評価方法は絶対評価ではなく相対評価である。
私立上位校で1とかは流石に不真面と取られて受験不可となるのはともかく、公立の最上位校だと5科目以外でも普通は5、最低でも4じゃないと不利になるのに至っては全く理解不能だ。
公立最上位校に進学する人間は、ほぼ100%、将来は有名大学への進学を目指している。美大や音大ではなく、彼らの目指す類の有名大学の入試科目に音楽も美術も家庭科もない。なのに内申点と称して受験科目の1つに数えられるのはおかしい。
体育も別の意味で謎に満ちていて、野球、サッカー、バスケットボールの様な、やってる我々も楽しく、1万人に1人でも将来の食い扶持になる可能性のある競技は殆ど教えず、授業内容は多くはマット運動やら跳び箱、平均台と戦前から何も変わらない全く無駄な運動がメインだ。
……今まで唯のムダとしてあまり真剣に考えた事がなかったけど、戦前の体育の授業は国民に運動の楽しさを教えるとかって思想は皆無で、将来は健康な兵隊さんになる為の基礎訓練が目的だったと聞く。
そこから逆算すればプロに繋がるスポーツ競技ではなく跳び箱、マット運動中心だったのは今にして思えば、日本国としては将来、徴兵制が復活した時に備えていたのかも知れない。
お国の為に徴兵制度復活を期して残したと捉えれば戦前派恐るべしだし、次にアメリカとか中国とかと戦争する時は国会議員だけでやってくれ、としか思えない。
あるいは逆に国民皆兵制度が復活しても国民が困らない様にという温かい目線でやっているのだとすれば、その優しい気持ちは評価したいが方角は丸っきり異次元だから改める事を強く勧めたい。
……まあ、悪口ばかりではアレなので少しフォローするなら、絵画や音楽の授業だって、別にまるで無駄ではない。
金の有る無しに関係なく、芸術に全く興味のない家庭環境は存在するわけで、そういう子供達が芸術に触れる機会を作るのは悪い話じゃないし、一般教養としても写楽の絵ぐらい見ておいた方がいいし、ベートーヴェンやモーツァルトの曲の1つ、1回ぐらい耳にすべきだ。
だが全員がある程度写実的な絵が描ける域にも達せず、音符がスラスラ読めるようにもならないぐらいに教え方がいい加減なのは、やっぱり授業としては意味半減だ。
教養なら実技はなしの鑑賞だけでもいいし、ましてやテストなどすべきでないし成績を付ける必要もない。
逆に言えば最初から技能、学問として教える気がないのならタイパが悪過ぎる。
少なくとも義務教育の6年+3年間、音楽の授業をやってもそれだけでは大半の人間が猫ふんじゃったすら弾ける様にはならないのだ。
そして何より大半の人間にとっては結局は実業的に役立つ教育ではなく教養として終わる話であるなら、何度も言うがそもそも成績で序列を付けるべきではない。その無意味な序列の結果、アンチが増えるなら猶更だし、生涯を決める第一回目と言っていい高校受験に影響さすとか有り得ん。
イカン!脱線し過ぎた!
書道の話だった。
書道全般がメンドくさいと思った話はともかく、書道で意外とメンドーなのは最後に名前を書く所だ。
余白が少なく、小文字で、しかも筆も普段使うものではなく細筆だ。
しかも、大元の文字が折角上手に書けても、名前でしくじれば全てがパーになることすらある。
同級生にフルネームが漢字7文字という珍しいヤツがいて、彼はいつも名前を書くのがメンドくせえ、メンドくせえと言っていた。
そんな彼がある日、今迄誰も思い付かなかったバカ過ぎる画期的なアイディアを発案した。
「俺、いいこと思い付いたわ。」
俺を含めヤル気のないアホが、これ幸いとすかさず周囲に集まった。
先生はいつものように何も言わないで、見て見ぬフリをしている。
「何よ?」
「書道とかさ、小説書く人とかってさ、よく違う名前とか使うじゃん?」
ペンネームってヤツだね。話が何処へ続くのかは分からないが、そこは理解した俺らは頷く。
「アレ、俺もイケるかもって思うんだわ。」
「……なんそれ?」
彼は胸を張った。
「今日から俺は書道ではスティーブとなる!」
俺を含めて周囲のヤル気のないアホ同級生はいきなり英語(?)を言われて沈黙した。
「……何でスティーブなん?」
「いや、ジョージより語呂がいい気がしねえ?」
何かが違うのは分かっているが、俺らは彼のボケに突っ込めず、更に一瞬、間が開いた。
が、言わんとする事は飲み込めた。彼は彼的にはクソメンドい漢字7文字での署名を止めて、より形が簡単なカタカナで書こうというわけだ。ある種、画期的なアイディアである。
「………ゴロとかよく分かんねえけど、今の名前(彼の実名)よりかは書き易い?」
「まあ、漢字よかマシか?」
バカの画期的なアイディアに続き、更に画期的なアホな意見も出た。
「いや違うな。下手でも外人だからオッケー的な感じ、いや外人にしては凄くね?って感じも出る?」
「「「おおっ!」」」
その発想はなかった!と突っ込んだ同級生に画期的な彼も含め俺らはみんな感心した。
だが、別の1人がおもむろに突っ込んだ。
「スティーブ何とかって書くん?」
「おう!スティーブ○○〇(←彼の名字)だ!」
「それって元より字数、多くね?」
「「「……」」」
結局、何だかんだで、字数は増えても画数の多い漢字で書くよりかは楽だろって話で落ち着き、彼は宣言通りスティーブを名乗ったが、先生に書き直しを指導される事もなく、ただ×を付けられて終わった。(授業に出席して書きはしたので、成績は5段階評価で2)
しかもこの先生は底意地が悪かった。
この大人げない先生は×を付けたにも関わらず、書き直しを指導するでもなく、その清書書きを学校の文化祭的な行事でそのまま貼り出したのだ。
自称スティーブは「外人にしては上手くね?」という評価を当然得る事無く、見学に来た関係者全員の失笑を買った上、同じく見学に来た親からは怒られたらしい。
挙句、三者面談で、書道の先生とは別の科目を受け持っている担任から「学校生活を真面目に出来ない人間は社会に出ても碌な人間にならない!」と説教まで喰らい、家で再度親から怒られたとの事だった。
無論、最初からそんなふざけきった清書を提出した彼と、面白がって煽るだけだった俺らが悪いのだが、指導もせずに放置した挙句、結果が分かっているのに公的な場に出すのは大人としての態度ではないし、教師のする事ではない。
幸田先生だったら厳しくもキチンと指導したんだろうな。
でも俺の頃の中学校なんてそんな場所だった。
我々の態度も悪く、比例して先生の態度も悪い。
先生の仕事は勉学の指導ではなく、部活8割で、残りの2割は昭和の一時期流行ったらしい校内暴力(先生に対して生徒が暴れる事)を未然に防ぐことと、イジメがあれば発覚して大事にならない様に生徒のやり過ぎだけを注意する事だった。進学したいヤツは学校の授業は流して別途塾で勉強する。
その姿を見て、我々は大人であっても所詮は他人であり、他人は結局何の頼りにもならず、年齢を重ねた上の人だからって信用してはいけないという世の中の真理を学ぶのだ。
そして同時に中学校は最後の義務教育で、今や数は少ないが昔はここが終われば社会に出る人間も大勢いた。
なので、社会人の心得として自分の起こした出来事は、どんなに些細な話でも小学校と違い「ごめんなさい」の一言では済まず、上の人が自主的にフォローしてくれる事など無く、自分で責任を取らなくてはならない事を学ぶのだ。
スティーブ(自称)の画期的なアイディアは結論的にはアイディアが画期的なだけに終わった、というよりマズい結果となった上に、スティーブは何の反省もなかったが、彼と違い反省の出来る男である俺は、今日の事を多少は反省していた。
殺した事ではない。
多少反省しているのはアッサリ殺し過ぎた事である。
後知恵ではあるがレニの居場所だけでなく、もう少し色々聞いてからでも良かった。
よく考えてみればレニの居場所にしたってサウザンリーフとしか聞いてない。もっと詳しく聞けば良かった!
が、今更そんな事を言っても遅い。
一方で相手がオーエンで、短くも話をした結論としてあの場でトドメを刺すのは確定事項だった。
まず生かしておけば俺の情報が何処かに回る可能性がある。現にオーエンはレニ以外にも報告する先がありそうな口振りだった。それは封じたい。
状況を考えてみても、明るい所ではムリ、あそこで話し込んで誰かが通りかかってもダメで、殺るならあの時しかない。
そしてシイちゃんの1件はどんなに恩義があっても許す事の出来る話ではない。
諸々の事情に加え、話し込んだところでオーエンがあれ以上の情報を持っていなければムダだから、まあ、仕方がなかったとするしかない。
俺はベットに寝転んでオーエンから得た情報の使い道を考え続けた。
…つか余計な事ばかり思い出して全く考えきれてねえなあ(苦笑)。
いずれにせよ上手くいくかいかないかはともかくとして、1つだけ方針は決まっている。
次の目的地はサウザンリーフだ。
どうして毎回キリ番は話のキリが悪いところなのか不思議ですが50話まで到達しました。
ここまで読んで戴いた方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
作者にとっては読者の皆様の力強い後押しこそが、これからも続ける力になります。
気に入られた方、読み続ける気がある方は「読んでるよ」という印代わりにお気軽にブクマ、評価、感想をお願いします。
ちなみに教育制度に関する諸々は主人公個人の経験による主人公個人の見解、妄想、暴走です。
作者の経験に基づくものではなく、作者または本サイトの公式見解ではありません(笑)。




