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風任せで人任せな俺がここにいる理由  作者: 明月 文


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125 姉の無茶ぶりと弟の返し

 アンネの声に少年は、深夜に幽霊に肩を叩かれたかのようにビクッと振り向いた。

 そして森の中でAクラスの魔物に出くわしてしまった様な絶望の表情になった。


 普段から姉と顔を合わせない様に計算し尽くした日常を送っている。

 今日のこの時間もいつも通りなら姉はまだ学校から帰って来ていないはずだった。


 なので剣術道場での昇段審査を控えていた彼は、普段は目立つ事を恐れて絶対やらないのに「たまには気分を変えて」と中庭の隅で技の復習をしていたのだ。

 ちなみに彼の部屋、即ち公爵家嫡子の居室は木刀どころか槍を振り回しても何の問題もない広さなので普段はそこで復習している。


 得物を見付けた姉は死にかけのネズミを見付けたネコの様な悦びに満ちた捕食者の眼差し(という風に少年には見えた)で弟に命じた。


「そこで何をしているのです?コチラへお出でなさい。」

「……はい。」


 しかし今更悔やんでももう遅い。

 完全に油断していた自分が悪いのだ。


 屋敷内で姉に逆らうのはこの世への絶望か、死への憧憬の何れかと同義だ。

 彼は姉の言葉に従って、長期懲役刑を申し渡される寸前の囚人の様な表情でトボトボと姉の傍までやって来た。

 まだ何もされていないのに、彼は心なしか自分の呼吸が浅くなっているのすら感じていた。


 ジュリアスが珍しく姉に捕まってしまったのを見て、周囲にいた侍女3人がそれとなく足を止めた。


 人間は自分がヤられるのはイヤだが、人がイジメられているのを横で見てほくそ笑むのは大好きだ。それは自分の強さの証明ではなくとも、相手が自分より弱い存在である事を感じられるからだ。

 所詮は人間はサルから進化したから、上から下までマウンティングだけで社会が構成されるサル山社会を抜け出せていない。彼女達は高貴な立場の美少年が今から悪魔に吊るし上げられるのを見られることに嗜虐的な悦びすら感じていた。


 ジュリアスを呼び出した方の田中は、背後で足を止めた侍女達の底意地悪い視線を感じ、「ヤダヤダ!あ~ヤダヤダ!」とは思い、悪役令嬢本領発揮でまずコイツらから精神的に半殺しにして根性を叩き直してやろうかとも思いもしたが、今はそれどころではない。

 客の少ない顔見知りだらけの田舎の中古車ディーラーやらマニュアルをこなせば誰でも出来るチェーンのハンバーガー屋の売り子ではない。色々な仕事が同時多発的に並行で走っている大手町の大企業内では、仕事は目先に飛びつくのではなく優先順位をハッキリと付けてやるのが必須技能だ。


 この絶好の機会を逃すわけにはいかない!

 クサレ侍女達を精神的にツブすのは後で思い出した時でいい!

 今が勝負時だ!!


 アンネは一瞬にして心臓発作を起こした老人の様に顔色が悪くなった弟にまずは優しく声を掛けた。


「剣の稽古ですか?」


 対する弟は優しい声音ぐらいで気を緩めたりはしなかった。

 姉はとにかく外面は完璧なのだ。実の弟である自分の目から見ても超絶美人で誰よりも貴族的な振舞いに長けている。


 だが中身はそうではない。

 地獄の獄卒ですら彼女を相手にしたら精神的に完全に錯乱してお漏らししながら号泣して許しを乞うか、心を病んだまま彼女ではなく自らが剣山に飛び込んでしまうのは間違いないイジメの達人である。


 完全に疑心暗鬼の彼は周囲の侍女も視界に捉えていたが、姉が自分を痛ぶって見せしめにして悦ぶ為に呼んだのだと思い込んでいるぐらいだった。

 勿論、アンネの思惑はそうではなかったが、嫌な意味でもアンネに鍛えられ続けていた侍女達は正にそれを期待していたから、こちらは全くの勘違いというわけでもない。


「この様な場所で申し訳ありません。直ぐに部屋に戻ります。」


 揚げ足をとられ、何事かの口実にされるのを避ける為に、姉の言葉に全く取り合わず一礼だけして部屋に逃げ込もうとする弟を、しかし待ち構えていた姉は当然逃しはしなかった。


「毎日、朝から道場で熱心に稽古をしているのは私も存じております。どこまで上達しているのですか?」


 地獄の門が開ききる前に、とにかく一刻も早く何とかしてこの場を立ち去りたい。

 しかし話を終わらせられずに聞かれてしまえば答えるしかない。


 ジュリアスは仕方なしに話を続けるしかなかった。


「…来月にはレッドの審判を受ける予定に致しております。公爵家の名に恥じぬ様、今後も精進を続けるつもりでおります。申し訳ございませんが、本日はこの後、学校の宿題をやらねばなりませぬ故…」


 弟君の必死の言葉に全く取り合う事無く、それどころか途中で華麗にぶった切って姉は続けた。


「アナタは将来はお父様の跡を継いで軍を率い、皆に号令する立場。しかし恐らく私がその姿を直接見る事はないのでしょうね。」

「……」


 剣術なんぞ全く分からず、ジュリアスの答えに碌な反応も出来ない田中が必死こいて話を引っ張ろうとしているなどと思いもよらないジュリアスは悩んだ。


 姉はどこから攻めて来るのだろうか?


 その糸口が分からなくなった彼は、返答も出来ずに困惑して黙っている隙に更に明後日の方角から姉の攻撃は飛んできた。


「一度、見せては下さいませんこと?」

「は?」

「ですから、号令を掛ける姿を見せては下さらない?」

「は、はあ…」


 昭和の飲み会で上司から突然「何か一発芸をやれ!」と言われたかの様な姉の突然の無茶ぶりにジュリアスは少し迷った。


 が、何度も繰り返すが、所詮はこの家で姉に逆らう事は出来ない。

 気持ち的に早くも完全に追い詰められており、早く終わらせて早く部屋へ逃げ込むに越した事はない、としか判断出来なかったジュリアスは、仕方なく「では…」と言いつつ剣をバッと抜いて前方を鋭く見ながら叫んだ。


「総員!突撃!」


 王子とは違う。

 彼は流石に王子の様に神々しいまでのイケメンではない。それに歳も少し下のせいかまだ少年の面影が残り、ちょっと可愛い感じすらする。


 けど、夕陽に照らされた美少年が厳しい表情で剣を掲げるその姿は、あたかも神話の一場面の様だった。直前まで稽古をしていて額に流れる汗さえ輝いて見える。絵画にしたら「神の軍勢に号令する天使」とタイトルがつき不朽の名作として博物館に飾られる。そんな風景だった。

 

 傍で今日はどんなイジメが見られるのかワクワクしながら見ていた侍女3人、それに話を必死で引っ張るべく会社の部長同然の無茶苦茶な無茶ぶりしただけだったアンネ自身も、後光の射す1枚の絵画の様なその場面に硬直してしまった。


 有り得ない神話の一場面を目の前にして、姉+侍女ズ3人の女衆が口を半開きにして完全に固まっているのに気付き、流石にジュリアスも恥ずかしくなった。

 そして、ちょっと引き攣った照れ笑いしながらそそくさと剣をしまった。


「いや…こんな型は練習でもやりませんので……では私はこれにて…」


 モゴモゴと訳の分からない言い訳しながら、それでも固まっている女衆をチラッと見て、弟君は今更ながらに耳まで真っ赤になって、しかしアタマの冷静な部分は「今しかない!」と判断して、そそくさと立ち去ろうとした。


 が、ほんの少し、具体的には0.001秒程遅かった。

 ハッと我に返ったのはアンネが叫んだ。


「凛々しい!」


 アンネの魂の叫びに他の女衆も我に返り、口々に叫んだ。


「凛々しゅうございます!」

「その凛々しゅうお姿…目が潰れてしまいそうです!」

「そのお姿を見れば…ああ…どんな兵でも地獄の果てまでもついていくことでしょう!」


 女衆の掛け値ない、魂の根源からの賛美に今度はジュリアスの方が固まってしまった。


 彼は生まれた時から姉にチマチマとイジメられて育ったせいで、女性を少し苦手にしていた。

 それに加え、姉に全くアタマが上がらず、小さくなって震えているだけの自分を見続けていた公爵家の侍女達も、口や態度には出さないものの自分を軽んじた目で見ているのは感じていた。

 自分より卑小なものを軽蔑し、弱い者に侮蔑の目を向け、冷たい態度を露骨に示すのは男でも女でも変わらない。


 そんな中で育った彼は女性全般に若干の苦手意識を持っていた。


 その彼が数少ない苦手としていない女性が姉と同じ2つ上の先輩でヒロインのアマベルだ。


 彼女はいつも優秀な彼の剣の腕前、学業の成績に惜しみない賛辞をくれる。

 そして学年で王太子、アソール公爵嫡子と競い合ってぶっちぎりTOP3の成績を誇る彼女に質問をすればいつも笑顔で教えてくれる。


 自習をするなら広くて居心地の良い自室、ややもすると文献の揃う図書室さえ館にはあるのに、道場での稽古のない休日にはいそいそと学園内の図書館に通うのは、普段は狭い女子寮の2人部屋に住み、碌な参考書すらも持たない庶民のアマベルが休日には必ず来ているからだ。

 館内の目立たない片隅で彼女の横に座り、他愛のない雑談を交えながら少し分からない部分を時折教えて貰っての勉強が彼の密かな楽しみであった。


 そして…彼女の横でドクドクと自分の心臓の音が聞こえるのは何故なのか、敏い彼は理解していた。


 が、学内の他の女性はといえば、家の侍女達の様な卑小なものに対する冷たい対応をとったりはしないが、彼の女性に対して一歩引き気味な態度、そして逆に公爵嫡子という迂闊に声を掛けても非礼とされる彼の高い地位も相まって滅多に近寄って来ないし、偶に話せば、その口からは字面だけは優雅なお追従しか語られない。

 それに加え、自身の公爵嫡子という立場は学業、武芸で良い成績を見せても当たり前としか見られず、この様な心からの賛辞を送ってくれることもない。


 その彼が目をキラキラさせた女衆の絶賛、魂からの大絶賛に完全に動揺して硬直している隙をついてアンネは彼の両手を無理矢理とって握りしめた。


「ジュリアス!今まで姉は間違っておりました!アナタこそ公爵家、いえ軍の至宝!姉はこれからアナタを全力で推します!!」

「お、推す?」

「そうです!こんな…こんな神々しい軍人になるなんて…姉は…ああ!姉は…今までの私の目は何と節穴だったのでしょう!」

「こ、神々しい!?あ、いや、あ、姉上の目が節穴などという事は決して…」


 今迄にない姉の言葉と、肉親とはいえ絶世の美女である姉が言葉も体もグイグイ前に迫って来て、周囲を100万の敵兵に囲まれた様に逃げ腰であたふたする弟君の面前で、姉はビシッと指を立てた。


「とにかく!」


「はいっ!」と弟は条件反射で硬直する。


 繰り返しになるが、この屋敷内、いや学園内であっても姉に逆らうのはこの世に完全に未練が無くなったという意味である。

 いや、今後、自分を取り巻くこの世で起きる事を考えれば、むしろ行先は地獄であってもあの世に憧れを抱く様になったというのが正しい。


 そんな緊張感を一瞬で取り戻した弟に対し姉は真剣な表情で宣言した。


「この姉はこれからはアナタ全面推しです!この姉が!学園内でもアナタを引き立ててあげます!」

「い、いえ、お、お、お気持ちは、た、大変嬉しいのですが、ぼ、僕は特にそんな事は望んでな…」

「いいえ!」


 弟の控え目な逡巡を姉は一撃でぶっ飛ばした。


「アタクシの弟として!将来の軍の指揮官として!アナタを一流の地位にこの姉が!推し上げてあげます!」


 仕上げに姉は弟をヒシっと抱きしめた。

 脳の回路が最早ズタズタと言ってもいいレベルで大混乱中の弟は、姉に強く、そして優しく抱きしめられるという天変地異レベルの追い討ち遭遇して、完全に死後半日の兵士よりも硬直してしまい、されるがままである。

 霊媒師、あるいは聖魔法の使い手がいれば、彼の魂が放出されるエクトプラズムの様に肉体を離れていく様が見えたことだろう。


 そんな弟の瀕死の状態にお構いなしに、姉は声も麗しく弟の耳元に囁いた。


「これからはこの姉が!しっかりアナタを支えて上げます!何も心配は入りません!姉に任せておきなさい!」


 写真にすれば感動的なシーンだが、実際には将来有望な才能溢れる高貴な少年が、今、正に混乱の最中に天に召されようとしていたその時、4人目の侍女が奥から登場した。

 食事の支度が出来た事をアンネに知らせる為に出て来た彼女は、見た事のない、姉が弟を優しく抱きしめるという状況を目にし、真夏の昼の路上でチェンソーを構えて血塗れのジェ〇ソンを見たかの様に硬直した。


「お、お、お食事のご、ご、ご、ご用意が出来、デキ、デキ、デキ、デキ…」


 噛む、と言うより最早DJがディスクを逆回転させているかの様な状態の侍女の方をアンネはチラリと見た。というか睨んだ。

 その「何か言いたい事でもあんの!?(怒)」という悪役令嬢の全力眼力視線をモロに浴びたDJ侍女は、その圧倒的なパワーの前に呆気なく白目を剥いて意識を手放した。その場ではしたなく倒れなかったのは公爵家侍女としての厳しい鍛錬の成果である。


 感動の瞬間の空気が読めずに乱入してきた侍女を一睨みで仮死状態にまで持っていったアンネは、一瞬で優しい顔に戻って、未だ分離した幽体が身体に戻りきらずに死後硬直から立ち直ってない弟を漸く離し、しかし解放する気は更々なく、警察が連続殺人鬼を拘束するが如く再度その手をシッカリ握りしめた。


「鍛錬の後の食事は大切ですよ。さあ行きましょう、ジュリアス。今日の学校の様子とかも聞かせて下さいね。」


 DJ侍女とは違い白目になる程に身体は弱くないが、DJ侍女とは異なり気絶程度では済まず完全幽体分離中の弟は、自身の将来が懸かっていると全力攻撃中の姉に手を引かれて、そのまま大人しく食堂へ連行されていった。


 霊媒師、あるいは聖魔法の使い手がいれば、意識のない少年の肉体が手を引かれて立ち去るのを見て慌てて肉体の後を追いかける魂が見えたに違いなかった。


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