109 もしかして悪役令嬢?
田中紗理奈、35歳。独身=彼氏いない歴=年齢。
勿論、東大早慶じゃないしその次のレベルでもないけど、その次ぐらいのレベルの大学を出て(アタシなりに頑張ったのよ…)、大手町にある上場企業に潜り込む事にも成功して(とてもとても面接で頑張ったのよ…)、今は一応、都内な江戸川区で悠々自適なお一人様ライフを楽しむOL(死語)。それが私、のはずだった。
「お嬢様、馬車の支度が整いましてございます。」
「…有難う。直ぐに向かうわ。」
お礼を言うと、言われた方の執事は、角を曲がったら足元に交通事故死してグシャグシャに潰れた猫の死骸を見てしまった様な蒼い顔でカクカクと首が動いた。
「…!…!!!…いえ、も、勿体ないお言葉にございます。」
それが今はナニ?
なんなの!?
気が付けば周囲からお嬢様と呼ばれ、馬車に乗って学園と呼ばれる学校に通っている。ちなみに車に比べると滅茶苦茶遅いし乗り心地が悪い。
馬車の話はさて置き、今の私はアンネ・バーバレラ公爵令嬢。御年17歳。
下にはイケメンな弟君(14歳)がいる公爵家長女だ。
歳半分かよ!
なんでこうなったし!?
私の疑問を他所に乗り心地の悪い馬車は、しかし静々と学園に向かって進む。
滑らかなアスファルトではない石畳の道路に、空気の入ったゴムタイヤじゃない車輪。
そりゃ乗り心地悪いわ、と最初は思ったが、魔法で少しはダンパーっぽい衝撃を吸収するものは入っているらしく、これでも最高級の乗り心地らしい。公爵家の乗り物だし。でも最近は慣れて来たとは言え、微妙にケツ痛え…
魔法と言えば、最初は魔法?魔法って何よ?とも最初は思ったが、私自身が使える。バリバリ使える。
勿論、田中紗理奈の記憶ではなくアンネ・バーバレラの記憶だ。しかも闇魔法。
闇ってコワ!闇って何よ!?とも思ったが、実際にはそんなに怖い類の魔法ではなく、ちょっと安心した。アンネの記憶が蘇って自分の心の中で勝手にビビり、アンネの記憶で自動で安心させられただけだけど。
「「「ご機嫌よう、アンネ様!!!」」」
学園について侍女または御者の手を借りて、というかむしろ公爵令嬢だから1人でピョンと飛び降りたりしてはいけないわけだが、とにかく馬車から降りると数人のご令嬢から朝のご挨拶がかかる。
彼女もパンピー会社員の田中紗理奈としてではなく、バーバレラ公爵令嬢アンネ・バーバレラとして、アンネの記憶に基づいた優雅な仕草で返答する。
「皆様、ご機嫌よう(恥)」
彼女達は同じ学園に通うご学友で、バーバレラ公爵令嬢の取り巻きらしい。
そうして私は取り巻きに囲まれて教室へ向かい、授業を受ける。
何がどうなったのかは分からないが気が付けば貴族のご令嬢である。
朝眠いうちから起き出して会社に行く必要もなく、歳も何でか若返っている(悦)わけで無問題に見えなくもないが、問題がないではない。
現状の問題点は……かなり沢山あるが大きくは3つだ。
1つ目は勿論、私=田中紗理奈が何故にココにアンネ・バーバレラ公爵令嬢として存在しているか、である。
現状を見る限り、どう見ても転生だ。
だが、転生になってる記憶がない。
転生トラックに転送された覚えはない。
勤務先は大手町の上場企業で仕事中にかかるプレッシャーはハンパないが、精神的あるいは生命的に死者続出の超ブラック企業ではない。自分の日々の仕事は忙しくはあったが流石に過労死する程ではなかったのは断言出来る。
運悪く通り魔的な何かに襲われた記憶もない。
逆に通り魔が誰かを襲っているのを目の前で見ても、助けに入って代わりに殺られる様なハメには絶対ならないのは自分としては確信出来る。面倒ごとに自分から寄っていく様な趣味はない。
男だって刃物持ったヒョロい兄ちゃんが暴れてるのを見て「俺のが強えだろ!あ!?」とイキって素手で止めに入り、刺され所が悪くて死んだ例はある。その勇気(?)は称えられるべきかもだし、形式的には赤の他人を庇って刺されたという事は人としては立派で模範にすべきかも知れないが、アタシ的にはマネる気は全くない。
転生の記憶がないと言う事は、伏線として自分を転生させるに至った超存在的な何か、つまり神様に会った記憶もない。だからここがどこであるかの知識もなく、チートを貰った覚えもない。
正に徒手空拳だけど、立場はそれ程悪くないのは救いだ。
公爵令嬢。全く悪くない。全然悪くない。むしろメッチャいい!
会社か!と思う程のクソバカデカい邸宅で朝から文字通り食べきれない程のスイーツが並び、出掛ける(登校)となれば左右に20人以上のメイド、執事が並んで「行ってらっしゃいませ!」と一糸乱れぬ45度の礼だ。
……北の将軍様みたくてそこはあんまし嬉しくはないけど、日本では間違いなく経験することはないキチョーなアレだ。
自分自身の見た目も現実社会の超純粋日本人田中紗理奈とは全く違う。
顔面は少々キツ目ではあるが「整形か!」と思う程の美顔面で、しかもジャパンなカワイイ系統ではなく北欧系の超美少女だ。寝起きの顔すら洗顔とか化粧とか不要だろ!と思う程凄い。とにかく自分で自分に惚れてしまいそうで、日本の芸能界とかそういうレベルじゃない。
カラダの方もムネはデカく腰は細くケツは小尻なのに形が美しい!全然自然じゃねえーって思ったわけだが、実際、自然じゃなく長年コルセットやら補正下着やらでギリギリやった結果であって朝の溢れる程のスイーツが殆ど食べられないのはご愛敬だ。肌も透き通る様な北欧系の白い肌だ。化粧液イラネー!
とにかく全身、物凄くて最初はウヒョー!って鏡の前で自分であちこちペタペタ(詳細非公開)したみたりした!(←バカ)
一緒なのは黒髪ぐらいのもんだ。
全然悪くない!むしろ超スゲー良い!
強調する為に繰り返しました。
しかしながら、である。
ただ生まれ変わったとかならまあいいが、この展開はどこかで見た事がある。つかすっげえ見たことがある。所謂、異世界転生の1バージョンだ。
異世界転生は大きく分けて3つあり、1つは剣と魔法の最強の冒険者、または勇者若しく魔王として無双するパターン。2つ目は魔法だかチートだかでノンビリ暮らすスローライフパターン(でも周囲が放っておいてくれないのが多い…)。そして最後に学園モノと言われる貴族とイケメンの揃う学校で恋愛で勝負するパターンだ。
今のアタシの立場は、バーバレラ公爵家のご令嬢であり、王族、貴族の通うトリキャス学園の生徒であり、そして実はこの国の第一王子の婚約者であるらしい。
……3番目のパターンがドンピシャで当たる。
これってもしかするとアタシって悪役令嬢じゃね?
実際に学校に行けば取り巻きに囲まれる女子のボスっぽいし、皆の目線も当たりの厳しい部長を見るそれだった。恐れ敬っていて、取り巻き以外の目には幾分かの脅えが入る眼差しだ。
屋敷内に至ってはメイドや召使い連中は田中=アンネに完全に怯えきった様子を見せている。
一体、何をしたんだ?アンネよ?
世界観はバッチリ学園ものの乙女ゲーだ。しかも自分が悪役令嬢っぽい空気だ。
…なんかやっぱしマズくね?ヤバくね?
乙女ゲーの世界と仮定した場合、最大の問題点は実はそこでもない。
ここがどこだか分からない、というのが3つ目のそして最大の問題だった。
何となく自分が悪役令嬢っぽい事から考えて乙女ゲーの世界か?と考えはしたが、どうアタマを捻ってもアンネ・バーバレラ公爵令嬢という名前には見覚えがない。
乙女ゲーは大好物で大所は大概やっている。
しかもお一人様の三次元カレシなしだから、その多くは2、3周してコンプに近いまでにやり込んでいる。
が、アンネ・バーバレラなんて悪役令嬢に覚えがない。モブですら記憶にない。
ゲームだけでなく、家に100冊は軽く超える数があるラノベやマンガでも記憶がない。
そうなるとストーリーも登場人物も分からないから、どう動けばいいのかサッパリだ。
敵味方も分からないから、誰とどう接していいのかも判断がつかない。
攻略本もネットもないから、何が地雷かも分からないし、地雷原を前にした時にどう切り抜けていいか調べもググレもしない。乙女ゲーならヒロイン、つまり特大の歩く地雷もいるはずだが、それが誰かも分からない。周囲にそれらしきヤツもいない。(←今のアンネは知りもしなかったが別クラスだから)
かと言って普通に異世界転生なら、もうお手上げなだけだ。
元ネタがないのであれば、何をどうしていいかも全く見当がつかない。
能力的にも、前世はガチ文系のガチインドア派だったから、科学知識で無双もなければ冒険者とか体力勝負にうって出るのも無理だ。
闇魔法はちょっと珍しいらしいし、レベル的にもそこそこに使える部類らしいが、チートと呼べる程ではない。スポーツで言うなら県大会ぐらいは優勝だが、オリンピックレベルではないし、世界新記録を狙える位置にもいない。
イジメられているわけではない、と言うか公爵令嬢にそんな事が出来る人間は滅多にいない。逆に周囲には恐れられ、学園内の取り巻き達を除けば明らかに避けられている。
しかしながらヤクザとか半グレじゃあるまいし、アタシ的にはこの状況は楽しめない。
しかもその学内カースト構造は自分でなかった頃のアンネ自身が作り上げたものだから泣けてくる。
アンネの記憶で日々の生活を流しながら、はっきり言って途方にくれる毎日だ。
悪役令嬢かも?といつ地雷を踏むかビビりながら過ごす女。それが今の私だ。
しかもそれを周囲に相談とかも出来ない。それどころか話し掛けようとしても、家でも学校でも周囲は逃げ散るかへつらうだけでマトモな会話すら成立しない。
友達いねえのか、この女…
ちなみにこの世界に来て既に半年程が経過するが、婚約者という王子には会った事がない。
この世界に来た(?)のがバッチリ夏休みのど真ん中だった事と、彼は王族として学業より優先される国務がある可能性を考慮して学校の必要出席日数義務を免除されているからだ。彼はその特権を行使して実に3か月近く、学校に顔を出していない。
もっとも成績は年に2回あるテストではブッチぎって成績のいいTOP3から落ちた事がないらしく、学校側としては文句も言い難いようだ。
婚約者、という事だが、結構長めに会えてない現状に自分の中のアンネの心があまりざわつかない所を見ると、こういうのが普通にある状態なのかな、とアタシは判断している。
そしてこれも自分が悪役令嬢ではないかと怯える遠因になっている。
大概のストーリーでは悪役令嬢と婚約者の王子の仲は、ヒロインが登場する前の段階でも最悪までは行かずとも、仲睦まじいとかでは全くない。
王子の3ヶ月の休学(?)が更に半年近くに伸び、アタシが漸くアンネとしての生活ルーチンに馴染んで来た頃、最大の問題点「ここは何の世界なのか?」の答えが齎された。
持って来たのは公爵家に来た客だ。
「お初にお目にかかります。アンネ様。私はリバードア王国よりまかり越しましたルーク・ポリアリン男爵と申します。」
20代後半ぐらいに見える黒髪の男が優雅に胸に手を当てた貴族簡易礼式で頭を下げる。
そしてその後ろには清潔感があって小綺麗ではあるが、どことなく貴族ではない雰囲気のやはり黒髪の男がアタマを下げている。
こちらは貴族でないから手は降ろしたままだ。服装からして侍従かな?
公爵家に来客があった場合、通常は無論、主人たる公爵本人が出迎えて挨拶する。娘の出番はない。
しかしながらアンネ・バーバレラ公爵令嬢は王太子の婚約者である。
王太子妃、更には王妃になってしまえばそうそうお会いできるものではない。なので一介の公爵令嬢(?)である今のうちに将来を考えて一言、ご挨拶申し上げたいという客はそこそこいる。
そしてアンネ側としても将来の王妃として顔繫ぎは重要だから、基本、挨拶は受ける方向だ。
男爵の礼儀正しい挨拶にアンネも公爵令嬢に相応しいカーテシーで礼を返した。
「お初にお目に掛かります、ポリアリン男爵閣下。バーバレラ公爵家のアンネで御座います。」
純然たる貴族の挨拶が終わると侯爵家侍従の案内で男爵とアンネは窓辺近くの居心地の良い応接席に腰掛ける。
男爵の侍従の方はその場から動かず、アタマだけは上げて休めの姿勢をとった。
バーバレラ家という軍事を司る家に生まれた(?)アンネは通常のご令嬢とは異なり、比較的軍人というものを見慣れているが、その侍従の姿勢をチラリと見て、侍従と言うより軍人くさくね?と思った。
実際に護衛も兼ねているのだろう。公爵家にもそういう人材はいるし、現に普段、アンネの傍に控える侍女ジーナは公爵家に代々仕える騎士の家柄で、いざとなればアンネの身も守れる様に武道もみっちり仕込まれている。
「しかし…不躾で申し訳ございませぬが何とお美しい!王太子殿下の婚約者と知らせずに我が国のパーティーなどにご出席されれば、出席者全員が即座に御前に跪いて求婚する事でしょう!」
「いえいえ、リバードア宮廷は花咲乱れ、王家のバラ園もかくやとばかりに華やかとお伺いしております。その中では私など霞んでしまう事でしょう。」
この種の仰々しいお世辞と遣り取りも最初の頃はテレるとか動揺するとかも通り越してむしろ「コイツ、ナニ言ってんの?」と不審な気しかしなかったが、最近は流石に慣れて来た。
アタシも負けじとゴテゴテとした返答を返す。慣れって怖えな。
天候の会話の代わりとして貴族の間の大げさな社交辞令の傍らでは部屋に案内した公爵家侍従と入れ替わりに入って来た侍女ジーナが茶菓セットを並べ、お辞儀して部屋の片隅に下がる。
そして暫くの間、男爵とアンネの2人の間では暫く時候の挨拶に色がついたぐらいの誰が聞いても人畜無害な雑談の応酬が続いた。
が、タイミングを見計らった所で、男爵が周辺に目を飛ばす。
繰り返しになるがアンネは唯の公爵令嬢ではない。王太子の婚約者で将来は王妃になる身である。将来の王妃にこの機会に何か耳打ちしたいという客は多い。
その99%は将来の王妃を篭絡しようという話ですらなく、愚にも付かない話だから、大方、こちらの出方を試しているだけなのだろうとアタシは理解しているし、当主である父公爵も同じ判断だ。
当然、話の内容は後で父公爵に余すことなく報告するし、向こうもその可能性はアタマに入っている上での話だろうから聞くだけなら何の問題もない。その上、相手の話の内容、態度で、向こうがどう考えているか知る切っ掛けにもなる。
なので、そういう客に対し、公爵家は話を全部受ける、という方向で対応する事にしていた。アタシ自身が父公爵より「全部聞け」と直接言われている。
そしてアンネがどうしてたかは知らないが、今の中身はバリバリ社会人のアタシである。
相手は女子高生(?)とナメた態度の客が囁く変な話をいちいち真に受ける程の小娘じゃないし、ホホホと笑って誤魔化して流すなどお手のものだ。そして後で要点だけ上司である父公爵に細大漏らさず報告する。
なのでアタシもこの辺りはいい加減慣れて来て心得たものだ。
彼女は隅に控えている侍女に声を掛ける。
「ジーナ?」
「はい。」
「明日の授業の準備をしてくれません?ここは大丈夫だから。」
「畏まりました。」
侍女が特に異議を申し立てる事無く下がる。
彼女はアタシでなくアンネに異議を唱える事がどういう結果を生むか、骨身に染みてよく知っているのだ。
アンネの立場も気性もよく弁えている侍女がサッサと下がり、室内がアタシと男爵+αになったのを見届けて、男爵が再び口を開いた。
「んで?アンタ、本名は何て言うんだ?」




