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無職占者と迷惑神官  作者: 森戸玲有
二人の朝(攻防戦)
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続編 23

 頭の中に春が住んでいるような連中ばかりだ。

 そうして、ユナは、アカデミーに在学していた頃を思い出す。

 誰がいいだの、好きだの、嫌いだの……。

 若い身空で色恋に興じたって、その男と添い遂げる可能性なんてないに等しいのに、みんな無駄な労力を費やす。

 家で寝ていた方がはるかに楽じゃないか?

 だけど……。

 何の因果か、エルフィスはユナに決断を迫ってくる。

 そして、ユナもまた自分では未知の感情が心に巣食っていることには気づいていた。


「別に、方向性は、ずれていないでしょう。君みたいな子が、嫌いな男なんかに触られた日には、もっと大げさに騒ぎ出すと思ったんだよ」

「私は、ただ実感が持てないんです」

「じゃあ、今、実感を持って、考えてみてよ。僕が君に触ったら嫌? 君は僕の事が嫌いなのかい?」


 ――嫌いだ……と、断言できない自分が悲しかった。


「…………に、逃げていいですか?」

「逃げられると思ってるの?」


(わ、分かっているわよ。私だって)


 ……エルフィスだから。

 だから、ユナはどんなことをされても許しているのだ。

 ――多分。

 エルフィスが好きだから、嫌われたくないから、彼がこんなことを告白しても、許してしまっているのだ。

 もしも、他の男にそんな台詞を言われたら、ユナはどうしただろう。

 その時は、拳を振りあげるだろうか?

 エルフィスだったら良かったと、後悔するのだろうか?


(思うかもしれない)


 ユナはそうやって、悔やむときだけ、顕著に自分の感情と向き合う羽目になるのだ。

 いつも、いつも……。

 でも、ダメだ。

 そんなことを口に出して、エルフィスに弱みを握られたくなかった。

 エルフィスが特別だとバレてしまったら、意味不明なこの勢いで、何をされるか分かったものではない。

 自分(ユナ)は卑怯だから。退路だけは取っておきたかった。


「本当はもう君にだって分かってるんじゃないの? 白状したら」

「…………どうして、そう自信たっぷりに」

「自信なんて微塵もないよ。僕は君に弱みしか握られてないからね。君に出会ってからの僕は、結構、屈辱的なことばかり経験している気がするよ。まっ、だからこそ、僕は、君に対してこんなに必死なのかもしれないんだけどね。そういうことで、君が選べる答えは三択だよ。僕のことが好きか嫌いか、やや好きかもしれないか?」

「やや嫌いはないんですね?」

「嫌いと言われるよりも、半端に衝撃がありそうだからね」

「…………保留とかは?」

「ない」

「待機は?」

「僕は犬じゃないんだけど?」


 距離を縮めたエルフィスがユナの腕を掴んだ……らしい。


「ひゃっ!」


 咄嗟のことすぎて、ユナはドレスの中から顔を出せなかった。

 時代遅れの強盗のような格好で、エルフィスの腕の中に飛び込んでしまう。

 恐ろしくなって、慌てて、外に顔を出そうとしても布が引っかかって、なかなか頭が外にでない。


「僕にはこの機会を逆手に取ることくらいしか、君の真意を掴むことが出来ないんだよ。情けないことにね。君はまっすぐには返してくれないんだ。答えは単純で、たった一言で済むのに、君相手だと数倍以上の手順と時間がかかってしまう。それは、それで楽しいわけだけど……。でも、いい加減それも限界」


 エルフィスが何か言っているが、ユナの耳には届かなかった。

 片手でドレスと苦戦しているユナを見かねたのか、エルフィスがユナの頭を外に引っ張りだした。


「はあ……」


 外の涼やかな空気が肺に優しい。

 ユナのぼさぼさの金髪が宙に舞った。


「エルフィス様。あ、ありがとうごさい……う」


 言い終わるか否かの段階で、背中に両腕を回されて、素早く抱きすくめられた。


(また始まった……)


 頭では冷静を装おうとしているのに、体は正直で、心臓は激しく鼓動を刻んで、破裂してしまいそうなほどだった。


「さて、ちゃんと向き合ったところで、答えを聞こうか? ユナ。僕は、前言撤回はしない主義なんだ。ちなみに短気で、忘れたふりをするのも好きじゃない」

「わ、分かりました。とてもよく」

「嫌なら突き放してくれて構わないよ。その方がすっきりするし、そんなことで君を悪いようにするような男じゃない。そのくらいは君だって分かってくれているでしょう?」

「……急にそんなことを言われましても」

「急じゃないよね。ユナだって僕の好意には気づいていたでしょう? 口に出したのは昨日が初めてだけど、そのかなり前から僕は結構公然と口に出していたけどね。君はもったいぶるのが好きな魔性系なのかな?」

「そんな腹芸が出来るくらいなら。私はですね……」

「分かってるよ。僕は臆病で人の良い君に付け込んでいるだけだ」


 更に腕に力がこもる。

 この男は、朝からどれだけ絶好調なんだ。

 しかし、ユナとて「腹芸が出来ない」と公言しただけ、自分が誤魔化し続けることができる人間とも思っていない。

 もう嫌だ。

 退路は必要だが、どんなに逃げ道を確保したところで、どうせ、みんなバレているのだ。

 ヘラにも、セルジにも……エルフィス本人にすらユナの気持ちはバレバレなのである。隠しているだけ、自分が痛いだけなのではないか?


「エルフィス様のことは……その……や………じゃないです。これじゃ駄目ですか?」


 呼吸をするくらい、小さな声で囁いた。

 ユナにはこれが限界だった。

 嫌ですと気丈に嘘をつけるほど賢くはなく、好きだと大声で伝えられるほどの勇気もない。

 悔しいほどに、これが精一杯なのだ。

 百万回エルフィスに愛の告白をされても、百万回疑ってかかるだろうくだらない自信だけはある。

 こうして近くにいても、ずっと遠い存在に思えてならない。

 いつか消えてしまうのだろうと時間を惜しむくらいしか出来ないのだ。


「…………安心した。じゃあ、まったく問題なんてないわけだ」

「えっ?」


 究極の楽天家なのか、天性のバカなのか……。

 物好きな大神官は、ユナの肩に落ち着けていた自分の顔を放した。

 再び間近に見つめあう格好となってしまって、ユナは面食らってしまう。


「――問題……だらけですよね?」

「大丈夫だよ。僕は今、とてもいい気分なんだ。どうせ、この先、君が逃げだそうとしたり、やっぱり自信がないんですって言い張る姿なんて、すぐに想像がつくからね。そんなことは障害の一つにもならない。僕にとって一番の問題は、君が僕を好きかどうかだったんだ。君の好意が僕の勘違いではなくて良かった」

「はあ?」


 言わされた感が半端ないのだが……?


「…………ご……ご期待に添えられて良かった」


 棒読みで言うと、エルフィスはユナの両肩をがっしりと掴んだ。


「そうだね。これで心置きなく君に迫ることができる」


(まだそれを言うのか……)


 諦めたわけではなかったらしい。


「さて。時間はたっぷりあることだし」

「いや、ないです。いい加減、エルフィス様はお仕事の時間と思われます」

「今更、真面目な仕事人間になってどうするの? 君の口から「仕事」なんて言葉を聞くとは思わなかったな。大丈夫だよ。すでに僕は、ここ最近の過重労働の疲れで、休み扱いになっている」

「一体、何をしてるんですか?」

「別に問題はないでしょう。僕の神殿。僕が大神官。僕が休むって決めたんだから、休ませてもらうよ。ただでさえ、働き詰めで、休みもロクにないんだからさ。……で、せっかく、君と揃って休みが取れたんだ。二人が仲良くなるには、絶好の機会なんじゃないのかな?」

「分かりました。エルフィス様は、お疲れのようですし、ゆっくり、ここでお休みになって下さい。私は、隣の部屋でもう一眠りしますから」

「あのね。恋人同士が別々に休むほうが不自然じゃないか?」

「………………はっ?」


 聞き慣れない単語に、ユナは失神しそうになった。

 しかし、また気を失ってしまったら、この男に何をされるか分かったものではない。


「一体、誰と誰が恋人なんですか?」

「ユナ。恋人の定義から君に説明しないといけないのかな? 僕のことが嫌じゃないんでしょう。僕は君が好きで、君も僕が好きだといったら、そういうことだ」

「…………残念ながら、私は、エルフィス様の気まぐれ愛人になるつもりはなくて……ですね。こう……素敵なお顔を遠くから拝見してれば、それはそれで愉快なんです」

「変わった趣味を持っているね。でも、人の気持ちとは欲深いもので、見ているだけでは、足らなくなるものなんじゃないかな」 


 ――そんなはずはない。

 ユナは、こんなふうに彼と密着している方が怖いのだ。


「私には、まだその段階は難しいということのようです。正直、身近にいたら、見たくない一面を知ってしまうかもしれないだけで、楽しくもないと思いますけど?」

「男と一度だって関係を持ったこともない君が言ったところでね。人生楽しんでない証拠じゃないか。これから僕と色々した後で、改めて君の見解を聞きたいものだね」

「色々……ですか?」


 そら恐ろしいことを、何でもないように話すことができるのは、彼がやはり変態だからだろう。


「うん。まず昨夜一晩、鉄の理性で一線を越えなかった僕を慰めてもらわなくちゃ」


 ……エロフィスが、勝手な暴走をしようとしている。

 むしろ、理性があるのなら、最後の一線の前に手を打って欲しかった。

 普通は、ここでセルジか誰かが間に入って来るものだ。

 今が好機なのに、誰も来ない。

 もうユナは一杯いっぱいだ。

 ここまでの人生における「応用」を朝の少時間でこなしたのだ。

 誰かに褒めてもらいたいくらいだった。


「どうでもいいけど、ユナ。とりあえず、目でもつむったら? 別につむらなくても良いけど、やっぱり君は初めてなんだし」

「…………本気で、本当に、本気なんですか?」

「言葉がめちゃくちゃだけど、愚問だと思うよ。ユナ。僕を誰だと思っているの。相手が君だから、今までこんなに必死で我慢していたんじゃないか?」


 神話の彫刻のように完璧な青年がユナを覗き込んでいる。

 ……まるで、夢の一幕のような光景だ。

 暗示にかけられたかのように、ユナは硬直した。

 この神の化身の如き青年が生きていると感じられるのは、ユナの肩に置いた手が温かいからだ。そして、その青年が体ごとこちらに迫ってくる。


「…………あ」 


 顔も体も近すぎる。


(何なのよ。この展開は?)


『目をつむれ』なんて、言われるまでもなかった。

 あまりに崇高な存在を前に、目を開けていることの方が不敬に感じられた。

 ぎゅっと目を閉じると、花の香りが一層近づいてきた。

 もうじたばたしたところで始まらない。

 ユナは最早抵抗する気力もなく、ただ前方から近づいてくる気配に従うだけだった。

 甘い香りが鼻腔を擽り、頤に指が当たった。

 温かい空気だけではなく、柔らかい感触が唇を掠めて、重なった。


(私、唇が荒れてるんだけど……)


 そんなこと思ったって、もう止めることなど出来ないのに。

 慣れない感覚を落ち着かせるために、ユナはいろんなことを想像するが、そのどれもが自虐的なことばかりで嫌になった。

 心細くなって、所在なくしていた手でエルフィスの袖を固く掴むと…………。


「…………ユ……ナ」


 エルフィスは驚いたのか、喜んだのか、片手でユナの腰を強く引き寄せて、覆いかぶさるように顔を寄せてきた。


「……ん」


(待って。待て待て)


 一度で十分じゃないか?

 もうノルマは達成したはずなのに、彼はまだ先にいきたいらしい。

 後ろに仰け反り、最後まで抵抗しようとしたものの、エロフィス相手に意味なんてなかった。かえって、彼を煽っただけである。


「ね、ユナ。口、開いて」 


 甘ったるい声に、つい口を開いて応対しそうになる。……が、それこそが罠だ。

 ユナは真っ赤な顔で、懸命に頭を振った。

 エルフィスの顔は見ていない。けれど、彼がこれだけでは済まさないと至近距離にいることは分かっている。


「可愛いねえ。それなら、それでいいけど……」


 わざとらしく耳元で言ってから、よりにもよって彼はユナの耳朶を舐めた。


(わああっ!)


 叫びたい衝動をぐっとこらえていたら、我慢比べのように感じ始めた。

 声を出したら、負けという奴だ。

 しかし、それこそ、勝手に挑んだユナの勝負に、エルフィスも乗ってしまったのだろう。

 彼は躊躇なく、ユナの胸元に手を置いた。


「わっ!」


 さすがに驚いて、目を見開き、声を上げてしまったら、すぐ目の前で、してやったりとユナの頬に手をかけるエルフィスがいた。


「…………まっ」    

「待たない」


 答えより早く、彼の顔が迫っていた。

 待たないというからには、ユナの逃げ場もないということで、この部屋から出る時は、もう……。


「セ、セルジ様……」


 薄目を開けて、その名を呼ぶ。…………と、エルフィスはあからさまに不機嫌に声を落とした。


「何それ? また他の男の名前。セルジは来ない。ユナ、いい加減、覚悟を……」

 

 ………………だが。


「俺が来たら、悪いのか? エロフィス」

「はっ?」


 エルフィスは眉根を寄せて、ゆっくりと後ろを振り返った。

 彼の背後には、歪な笑みを口元に蓄えながら、腕を組み、仁王立ちになっている老け顔の青年が立っていた。

 ユナは、一足先に、エルフィスの背後に彼の姿を見ていたのだ。


(神のような間合いの取り方だわ……。セルジ)


 感心して良いのか、恥じらった方が良いのか分からないが、ユナは彼に助けられたのだ。

 …………多分。


「セルジ……。何でお前が……?」


 セルジの登場に、驚くでもなく、ただ純粋に失望しているエルフィスに、ユナは先が思いやられる気持ちで頭を抱えたのだった。

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