続編 24
いつものような外套つきの正装ではなく,簡易な白のシャツとズボン姿。
髪の毛ぼさぼさのセルジは鬼気迫っていて、ある意味怖かった。
最近、セルジのこんな取り乱した姿ばかり目にしているような気がする。
ユナは、三人の間に漂う微妙な沈黙に、ばつが悪くなり、獣のような俊敏さで、エルフィスから離れたところ……。
「ぐわっ!」
弾みで見事に寝台から落ちてしまった。
「……何だ。お前まだいたのか?」
事もなげにセルジが言う。
……この何事も見ていないかのような対応。
(慣れているのね?)
どうせ、日常茶飯事なのだろう。
「あーあー」
エルフィスは目的を遂げられないまま両手を宙に浮かせて、頭をがくりと下げた。
(それにしても……ね)
毎回神がかり的な登場の仕方には、感謝しているが、どうせ踏み込んで来るのなら、もう少し早い段階で来て欲しかった。
「まったく、ユナ。お前は期待を裏切らない転げ方をしてくれるな」
蛙が潰れたようにひっくり返っているユナに、セルジは渋々手を差し出してきた。
しかし、そんなセルジを押しのけて、ユナを腕ごと引っ張ったのは、やっぱりエルフィスだった。
「ちょっと帰ってくるのが早くないかな。セルジ?」
「残念だったな。エルフィス。ヘラに俺を足止めさせていたつもりだったかもしれないけどな。俺はそんなことには騙されないぞ」
「…………ふん。どうせ、慣れない色仕掛けに狼狽して、逃げだしてきたんでしょ? ヘラももう少し穏やかにやってくれればいいものを」
「あの……。一体、セルジ様は何処に?」
「昨夜『渇望の箱』をヘラの家に持って行けって頼まれたんだよ。ちょっと心配だったけど、昨日はカナもこの部屋にいたし、さすがにコイツも無茶はしないと思って、朝には帰るつもりで席を外したら、このザマだ。散々ヘラに絡まれて帰ってくるのが遅くなっちまった」
「女慣れする良い機会じゃないか。ヘラもその気だったのなら、もったいないことをしたと思うよ。セルジ」
「そういうことを言うから、お前はユナに嫌われるんだ。ほら、ユナを見ろ」
「―――あっ」
エルフィスが戸惑いながら、傍らのユナを見る。
言われるまで、考えてもいなかったが、確かに、一応、恋人だと宣言したユナの隣で、他の女の話をするのも酷い話だ。
「あ、あのさ。違うんだよ。ユナ。その……偶然だったんだよ。僕はね。昨日はとても疲れていたんだ。あんな忌わしい箱、とっとと返品してしまいたいじゃないか。危険物だからね。神殿内に置くのも躊躇われるし、ヘラが私的に欲しいっていうから、セルジを供につけて送らせたんだよ」
けれども、その意外なまでのエルフィスの慌て方で、ユナは違った事実を想像してしまった。
(これって、もしかして……?)
ユナはどんよりした気持ちで、聞き返した。
「つまり、エルフィス様は、セルジ様が邪魔だったから、ヘラさんを嗾けた……ということではないのですか?」
エルフィスは最初から確信犯だったのでないか?
ユナとて、想像がつく。
どうせ。レンフィスのことでヘラを釣ったのだろう。
そんなに、ユナと二人になりたかったのか?
…………そこまで策を弄して?
(馬鹿じゃないの…………?)
果たして、答えは予想通りだった。
「………………そう、だよ」
エルフィスはバレてしまったら、仕方ないとばかりに落ち着いた様子で、言い返してきた。
「君の気持ちをどうしても確認したかったからね。二人きりになりたかったんだ」
「二人になるのなら、他に方法だって、あったはずですよね?」
「……君はさ、僕から逃げないで、自分から僕に告白の返事をしてくれる気あったの? 率先して二人きりになってくれる? ないよねえ。絶対、あり得ないよね」
「それは、そうもかしれませんけど、でも……」
それにしたって、エルフィスの、完全にユナの性格を掌握したかのような不遜な物言い……。
本当に、彼はユナが好きなのだろうか?
やっぱり、ただ単に、ユナを籠絡して、セルジに自慢したかっただけではないのか?
それとも、二人の間で、珍獣ユナを籠絡できるか、賭けをしていたのではないか?
そういう現実の方が、ユナには、よほど納得ができるのだ。
(悲しいくらい、我ながら、後ろ向きだけど……)
ユナは小さく溜息を吐いた。
何だかどうでもよくなったのだ。
とにかく想定外の脳内葛藤に、ユナは朝から疲れているのだ。
「分かりました。もういいですよ。エルフィス様。セルジ様も、私が神殿に来たことで、沢山ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ありませんでした。でも、ご安心ください。私、嵐で壊れた家が修理できたら、ちゃんとここを出ていくつもりにしていますから。セルジ様が大変な思いをするのは、これで最後だと思います」
「はあっ!?」
しかし、ユナはセルジの気持ちを汲んで発言したつもりだったのに、機敏に反応したのはエルフィスの方だった。
「何、それ? どういう話の流れでそうなっちゃうわけ?」
「……エルフィス様?」
そんなに怒らなくても……と宥めたいほどに、彼は感情をあらわにした。
「酷いもんだね。ユナ。たった今、気持ちを確かめたばかりなのに。そこを忘れて、いきなり神殿を出て行くだなんて。恋人同士が離れて住むなんて、馬鹿げているじゃないか」
「ちょっ……と!」
更に、恋人宣言まで持ち出されて、ユナは目を剥いた。
その「たった今」の出来事を、あえてここで言わなくても良いではないか。
しかし、セルジは微塵も驚いていない。
むしろ、彼が訝しげな視線を向けている対象は、ユナであった。
「おい、嘘だろ。コイツの気持ちを、確かめる? まともな返事なんて出来るのか。ユナが?」
「セルジ様。私は、まだ嫌ではないと言っただけです」
何でこんなことをセルジに報告しなければならないのだろうか。
しかし、セルジはユナの言わんとしたいことが分かったらしい。
ほうっと一息ついた。
「やっぱりな。だったら……」
「だからだよ。僕のことを嫌じゃないって、このユナが言ったんだよ。つまり、僕とユナは両想いってことさ」
「…………まあ。お前がそう思っているのなら、いいんじゃねえか。めでたいな。口だけなら祝ってやるぜ」
あえて突っ込まなかったのは、彼の優しさだったのかもしれない。
もうどうとでもなれと言わんばかりの適当に応対に、付け加えるようにセルジは尋ねた。
「………それで、まさか、ここで、いかがわしい真似をしちまったってことはないよな? 俺はどうにも目が悪くて……な。心配になったんだ」
「当然、あるわけないじゃない」
ユナは機械仕掛けの人形のように、がくがくとエルフィスの方を見た。
エルフィスは悔しいほどに飄々としている。
「ほら。大神官の接吻は祝福というじゃないか。ユナを幸せにしてあげたいと思って、是非してあげたかったんだけど……。お前に見事に妨害された。今からしようとしても、応じてくれそうもないし。みーんなお前のせいだ」
「この俺にヘラなんぞの色気で、時間稼ぎをしようとするからだろ」
黙って、二人のやりとりを傍観していたユナは、次第に痛みが増してきた頭を押さえて、心の中で自問を繰り返した。
(ちょっと、待って。いかがわしい真似って何をどこまでが、いかがわしいことなの? 接吻が大丈夫って? あれ?)
「ううっ。セルジ様……」
ユナは情けなさ丸出しで、セルジを見上げた。
「何だよ。気色悪い」
「いや、えっと……。その」
エルフィスは、眠っているユナにとんでもないことをしたと告白していたのだ。
しかし、今は何もしていないと、さらりと言ってのけた。
何が真実なのか、やっぱり分からない。
口づけが何でもないことなら、一線を越えてないこととは何なのか?
でも、こんな恥ずかしいことを口に出して聞くことは出来ない。
――出来ないけど……。
セルジはユナが何を言わんとしているのか、瞬時に察したらしい。
長年の付き合いだけあって、さすがであった。
「ああ。悪い。悪い。今のは失言だったな。いくらエロフィスでも、神殿は神の坐する聖なる場所だ。そんなところで、大神官が女を連れ込んでおかしな真似をすることはさすがに出来ないだろう。どうしようもない男かもしれないが、コイツだって自重はするはずだ。今だって、いかがわしい真似とは言わずに、大神官の接吻だって言い訳していただろう?」
「ああ。そっ、そう…………です……よね。はははっ。…………はあ」
ほっと息をついたユナは、それが溜息に変わっていたことには気が付かなかった。
(やっぱりか。やっぱり嘘だったんだな。本気で焦ったわ。エロフィスめ)
ユナ自身、自分の身体にエルフィスが欲情するとは露ほどにも思っていないが、それでも記憶がないだけに、恐ろしかった。
しかし、何事もなかったことは喜ばしいはずなのに、セルジはエルフィスに鋭い視線を向けていた。
「あの……?」
やはり、大神官の私室にほいほいユナのような小娘が出入りするべきではないのではないか?
エルフィスは、セルジの視線に気づいているはずなのに、あえて無視して、ユナに声をかけてくる。
「ユナ。家の修復は進めているけれど、如何せん、跡形もなく消えてしまったようだからね。少々時間がかかるんだよ。その間はここを好きなように使ってくれて構わないよ。それで、しっかり勉強をして、とっととこの国を覆っている壁を破壊してしまうんだ」
どうやら、唐突に前の話に戻ったようだった。
一瞬、呆けてからユナはゆっくりと答えた。
「…………そうは言われましてもね」
いきなり忘れかけていた話題で、前向きな発言をされて、ユナは驚いた。
家がすぐに再建できないことは、先ほどのエルフィスの態度から予想をしていたが、その話から「壁」に話題が移ることは想定もしていなかった。
大体……。
エルフィスはユナが壁を壊そうが、壊すまいが関係ないふうの態度を取っていたのだ。
方法は探しているようだったが、ユナ一人の負担にならないように配慮をしていた面もあったのに……。
(何で?)
やはり、ユナが魔法を使えることを知って、やる気を出させようとしているのだろうか?
「壁が壊れたのなら、君は救国の聖女だ。後ろめたくなる必要も嘘をつく必要もなくなる」
「聖女なんて……」
勇気づけるにしても、あまりに、突飛すぎる。
ユナは吹き出しそうになるのを堪えた。
たとえユナが壁を壊したとしても、国王は民間人のユナの働きであることを公言しないのではないだろうか。
ユナとて、そのつもりだったし、宣伝される方がそら恐ろしかった。
「まっ。まだ今の君には早い話かもしれないね。僕も、その時までに、抜き差しならないくらいに、君から好きになっておいてもらわないといけないね」
「けっ。アホらしい」
「でも、エルフィス様。壁を壊したとしても……。とんでもない世界だったらどうなるんですか? 周囲の国が戦いばっかりしてて、巻き込まれてアルメルダが滅んだら? そしたら、私は稀代の悪女となりますよ」
「ああ」
しかし、そんな質問は想定内と言わんばかりに、エルフィスは躊躇なく言い放った。
「そんなことを恐れていたら、何もできないじゃないか。君を悪女になんて僕が権力振りかざしてでも阻止すればいいことでしょ。力の使いようで聖女にも悪女にもなるものさ」
「何をおっしゃってるんですか?」
「だからさ。たとえ、どんな結果が待っていたとしても、どうせ挑まなければ始まらないんだよ。もっと気楽に壊そうよ。ユナ。多分、そういうものが魔法を使う上で君に欠けているものなんだと思うよ」
「……えっ?」
「畏れや怯えと、とんでもない後ろ向きな感情で、たった一歩が踏み出せないんだ。いつも君は」
「…………エルフィス様」
「…………そう…………かもしれませんが」
彼の言う通りなのは、分かっている。
もっとも、分かったところで、急に性格を変えることなど出来そうもないけれど、それでも、こんなにも自分のことを分かってくれている人にも、そうそう出会えるものではないかもしれない。
「……と。そんなふうに、お綺麗にまとめようとしているようだが、仕事をさぼっているのは確かだよな?」
セルジが腕を組んで、なぜかユナだけを威嚇していた。
エルフィスは寝台の縁に腰をかけて、小首をかしげている。
「半休は取っているはずだけど?」
「でも、いつまでもだらだらとお前のくだらない愛の告白で、時間を潰されたら、この神殿に税金を納めている国民が可哀想だ。しっかり仕事をしろよな」
「…………セルジ。お前さ。もしかして、妬いているのかい。お前は昔からモテないもんねえ?」
「ほう。そういうことにしておいてもいいぜ。女たらしより、女嫌いの方がまだ可愛げあるだろ。ユナに昔のお前の素行について色々と語り聞かせてやっても……」
「さあてっ!」
エルフィスが大仰に手を叩いた。
「じゃあ仕事だ。ユナ。今の君の力を確かめるためにも、久々に占ってもらおうかな」
「はいっ!?」
ユナは声を張り上げた。
とんだ、とばっちりだ。
「だって、エルフィス様もセルジ様も私の占いは当たらないって……」
「当たってないんじゃないよ。君のやり方が悪いだけさ」
しれっと言ったエルフィスの意見に、てっきりユナはセルジが反対するだろうと思っていたのだが……。
「そうだな。久々に視てもらおう。特にエルフィスの女運に関してな」
……やるらしい。
そういえば、初めてエルフィスを占った時も、セルジが後押ししたのだった。
意外にセルジは占い好きなんだろうか?
――しかし……。
思うようになったはずなのに、エルフィスは不服そうだった。
セルジの言葉が癇に障ったらしい。
頬を膨らませ、子供のように怒鳴りつける。
「いちいちうるさい奴だな。じゃあ、セルジの女運についても視てもらおう。それがいい」
「エロフィス。お前の頭の中はそればっかだな?」
「そればっかだって思う方が卑猥な想像力に満ち溢れてるんじゃないのか。お前さ。そんなしょっちゅうカリカリして、……欲求不満なんじゃないの?」
「何だと!?」
「ああっ! もう」
セルジが今にも、腰の剣を抜き放つような勢いだったので、ユナは珍しく声を荒げた。
「承知しました。着替え次第……占いますから」
皆まで聞かずに、パタパタと隣の部屋に戻ってナイトドレスを脱ぎ始めた。
急がないと、また二人で喧嘩を始めてしまうかもしれない。
いつものような親しみのある言い争いなら良いのだが、今日のはやや剣呑だった。
ユナから言わせれば、二人とも欲求不満なんじゃないかという感じだ。
「…………ああ、まいった」
もう二度と占いなんてするつもりもなかったのに……。
あんなに馬鹿にされたのだ。
ユナにとっては、軽い心の傷だった。
両親との思い出がなければ、占いの本すら捨てていたかもしれないくらい自分の才能のなさに傷ついていた。
……にも関わらず、結局、こんなふうに彼らにして、のせられてしまうのだ。
そんな自分が心底呪わしい。
「はあ」
陰鬱な表情が鏡台に映し出されているが、エルフィスが直々に選んだという、清楚な青色のワンピースは目が覚めるほど、鮮やかで美しかった。
(……綺麗なドレス)
例によって、胸元が開けている。
確実にエルフィスの趣味だ。
……そして。
「あれ?」
首筋に連続して赤い湿疹……。
一つ、二つ、三つ…………。
「ま……」
(まさか……ね)
エルフィスに心は奪われているのは認めざるを得ないが、だからといって、エルフィスが信用できる人間かというと、それは違う。
でも、セルジが嘘を言うはずがない。
きっと、どこかで虫に刺されたただろう。
ユナは、それ以上知らぬふりで、首尾よく用意されていた盥の水を使って必死で顔を洗い、櫛を取って、痛いのを承知で激しく髪を梳いた。




