8話 死神は決闘で調子に乗る
周囲を円状に石壁で囲い、青々とした芝生が敷き詰められた学園敷地内にある広い演習場。
その中央で、ルノーとサターンが少し距離を空けて向かい合っていた。
本来であれば実技の授業であり、魔法の試射や術式の組み立ての練習を行うはずなのだが、クラスの生徒達は二人を遠巻きに見物している。
さらには責任者であるはずの実技担当の教師までもが「人の魔法を使うところを見るのも勉強だ」と宣い、野次馬根性丸出しでこの決闘を眺めていた。
「どっちが勝つと思う?」
「さすがにサターンだろ。常に成績上位だし、実技授業の模擬戦闘じゃ負けなしなんだからな」
「そうかなぁ、私はルノーちゃんが勝つと思うな。特例留学生の試験に合格してるわけだし、何より無詠唱で魔法が使えるんだよ!」
どちらが勝つかの予想で盛り上がる中、フォードは少し離れたところで、心配そうにルノーを見つめていた。
「わざと負けろとは言わない。無詠唱で魔法を使ってもいい。ただし、間違っても滅茶苦茶な魔法は使うなよ。それと『拘束』は使うな。あいつは無駄にプライドが高いから、搦手みたいな魔法で攻めると後々面倒なことになる」
「大丈夫ですよ、ちゃんと手加減しますから。心配しないでください!」
授業が始まる前に念入りに忠告こそしておいたが、本当に理解しているのだろうか。戦いの舞台に立つ彼女の能天気そうな余裕の表情からは、微塵もそれを感じることはできなかった。
「今回の模擬戦のルールは魔法の使用だけ。身体強化はありだが、殴る蹴るの物理攻撃は無しだ。いいな?」
「はい、わかりました!」
その会話を最後に二人は構える。
ピリピリとした緊張の空気が、演習場全体にじわじわと張り詰めていく。
「準備いいな。なら、よーいドン」
教師の気の抜けるような掛け声と同時に、サターンは即座に詠唱を始める。
「《炎よ・弾となりて・撃ち抜け》! 『火炎弾』!」
サターンの指先に瞬時に作られた五つの火球が、空気を切り裂きながらルノーに向けて一斉に放たれる。
至近距離から放たれた高速の射撃魔法。避ける隙もなく、さすがにこれは対処できない、そう誰もが思っていたが——。
「よっ、ほっ、とりゃあ!」
ルノーはまるで目の前を飛ぶ羽虫を払いのけるように、迫りくる炎の弾丸を、なんと手刀で軽々と弾き飛ばしていく。
ペチンと、気の抜けた音が響き渡るたび、サターンの放った火球が明後日の方向へと弾かれ、そしてあっけなく霧散していく。
「……は?」
サターンがあんぐりと大きな口を開け、間抜けな声を漏らす。
二人の戦いを見守っている教師や生徒たちも、現実味のない光景を目にしたかのように、同じように口を開いて愕然としていた。
「な、なんだ今の⁉︎ サターンの魔法を、それも『火炎弾』を素手で弾きやがったぞ!」
「身体強化とも魔法の反射とも違う。こんな魔法見たことない!」
ざわめき立つギャラリー。
「あの、真剣にやってますか? それとも普通の人間の魔法はこんなものなのでしょうか?」
ルノーも首を傾げ、サターンを怪訝そうに見つめた。
ルノーは身体強化も反射魔法も使ってはいない。彼女は右手を魔力で包み込み、炎の熱さも感じられないほどの籠手のようなものを作り上げ、物理的に弾いただけである。
しかし、そんな彼女の凄まじい技量など知る由もないサターンは、自分の得意な魔法をまるで子ども扱いされたかのように簡単にあしらわれてしまったこと、そしてルノーの無自覚な挑発にも取れる発言もあって、プライドがずたずたに粉砕されてしまった。
「な、舐めるなよ、特例留学生風情が……! この俺を愚弄したことを後悔させてやる!《紅蓮の炎よ・煉獄の業火の如く・万物を灰燼と化し・焼き払え》!」
怒りで顔を真っ赤に染めるサターンは、怒気のこもった詠唱で、殺傷能力があるため一般的に使うことを禁じられている高級魔法を唱え始めた。
彼の周囲が陽炎のように歪み始め、足元の芝生は熱波で発火し、焦げ付き始める。
「おい! あれは授業で使ったらダメなヤツだろ!」
「ルノーちゃん! 逃げて!」
「サターン! 今すぐその魔法を止めろ!」
慌てふためく生徒たちと、サターンに怒声を上げて制止を求める実技教師。
だが、頭に血が上った彼は周囲の声など気にも留めず、自らの頭上に大きな炎の魔法を構築していく。
(あれはさすがにマズいか……?)
フォードもルノーに手加減するように言った手前、あの大火球を対処するのが厳しいのではないかと思い、万が一に備え『魔法無効化』を放てるよう準備をしておく。
「はあ……はあ……。どうだ、この魔法は! 今、頭に地をつけて泣いて詫びれば許してやらんこともないぞ!」
サターンの頭上に浮かび上がる直径三メートルほどの炎の塊。息も絶え絶えながら、勝ち誇った顔でルノーに言い放った。
「うーん……まあ、大丈夫だと思います」
「なっ! ……どうなっても知らねえからな! あの世で自分の発言を後悔してやがれ!『紅炎の焦熱』‼︎」
サターンの全力の咆哮と共に、演習場全体に波及する熱波を伴った巨大な火球が、ルノーに向けて放たれる。
「いやぁ、これはなかなか凄いですね。さすがにちょっと熱いかもです」
芝生を燃やしながら迫りくる炎の魔法を前にしても、ルノーは恐怖するどころか、余裕の表情を崩すことなく自身を焼き尽くそうとする魔法を観察して感心していた。
「フォードさんの言う通り、本気の魔法は使わない。だから……」
ルノーが、その白く細い指先を目前に迫る火の玉に向ける。
「これくらいかな? ——『突風』」
ルノーの囁くような呟きと共に、彼女の指先から強風が吹きつける。
彼女としては、目の前の巨大な火の玉を打ち消す程度に、と思って手加減して放った魔法のつもりだった。しかしルノーは、自分の内に秘めた『死神の魔力』の存在をすっかりと忘れていた。
人間の魔力とは比較にならないほど高密度で凄まじい魔法の変換力は、たとえ手加減した魔法であっても、一瞬にして火の玉を消し去るほどの大暴風と変換されてしまった。
「あ、マズい。ヤバいかも……」
ルノーのバツの悪そうな呟きは、一瞬で引き起こされた大爆音にかき消される。
彼女の放った風の魔法は、死神の魔力によって人間の放つ『突風』の域を超え、あらゆるものを薙ぎ倒す大嵐へと大暴走を遂げた。
サターンの放った直径三メートルの大火球はその暴力的な暴風に曝された途端、爆発する猶予すら与えず、ただの小さな火の粉へと魔法そのものを消し飛ばされ無残に霧散した。
だが、暴走した『突風』はそれだけでは終わらない。
「おいおい嘘だろ、本当に手加減したのかよアイツ⁉︎」
フォードは冷や汗を流しながら、即座に脳内で最大出力の防御魔法を構築、展開。自分と生徒達、そして腰を抜かしている実技の教師を包みこむように形成する。
その直後。
ドガアァァァァァァァァァン!!!
演習場全体が爆音と共に激しく揺れ動く。
暴風と化した魔法はもはや衝撃波となり、演習場を囲む頑丈な石壁に激突すると、まるでガラスが砕けるかのようにバキバキと音を立てて粉砕していく。芝生もろとも地面を抉り取とられ、吹き荒れる瓦礫の嵐がフォードの展開する障壁を激しく叩きつけた。
やがて、風は収まり、もうろうと立ち込める砂煙がゆっくりと晴れていく。
そこには、きれいに整備されていた、かつての立派な演習場の姿などどこにも残っていなかった。
石壁に大きな風穴が作られ、地面は見るも無残にえぐり取られ、もはや廃墟と呼ばざるを得ない惨状と化した何かが、広がっていた。
「ゴホッゴホッ……。魔力の調整失敗しちゃいました……」
自分の起こした暴風に煽られて制服をボロボロにし、頭に草と泥を乗せながら、荒れ果てた地面にへたり込むルノー。
その少し奥には、あまりのショックと恐怖で白目を剥き、泡を吹いて倒れているサターン。
「あ、ああ……。殺傷魔法の使用に、演習場の大損壊。監督不行届で責任問題だ……。これは始末書だけで済むのか……? そうだ、教師を辞めよう。故郷に帰って静かに暮らすんだ……」
実技教師もまた別の理由で完全に心を壊され、死んだ魚の目をして、抑揚のないかすれ声で呟いている。
こうしてルノーの記念すべき初めての実技授業は、クラスメイトに底知れない実力と、圧倒的な恐怖心を植え付けた時間となった。




