7話 死神、初めての授業
「ねえ、ルノーちゃん。遠くから来たって言ってたけどどこに住んでたの?」
「ルノーさんの得意な魔法ってなに?」
「勉強とか大丈夫そう? 分からないところがあったら遠慮なく聞いていいからね」
「髪もつやつやで肌もキレーイ! お人形みたーい!」
「い、一緒に住んでるって言ってたけど、ホントのところフォ、フォードさんとの関係はどういうものなの……? え、エッチなのはいけないと思います!」
朝のホームルームが終わった直後の教室。ルノーはクラスの女子たちに囲まれて、怒涛の質問責めにあっていた。
(……馴染めてはいるな。まあ、愛想はいい奴だからな、あいつ)
少し戸惑いながらも、笑顔でクラスメイト達と交流している彼女を見て、フォードは胸をなでおろした。
だが、そんなほのぼのとした女子たちの集まりとは打って変わって、フォードの周囲は修羅と化していた。
「おい、あれが学園を破壊したって噂の特例留学生なのか? どう見ても普通の美少女じゃないか。是非紹介してくれよ!」
「フォード……この野郎! 一緒に暮らしてるってどういうことだ! もっと具体的に、包み隠さず詳しく話しやがれコラァ!」
「いつも授業に出ないと思っていたら、街中でナンパでもしてたのか?」
「お前すごいな。もう彼女を手籠めにしたのか」
「なんで真面目に日々を過ごしてる俺よりも、お前みたいな不良が主人公面してんだよ!」
現実逃避をしているフォードを取り囲むように、男子生徒たちが恐ろしい形相で詰め寄ってくる。
ルノーに対する疑問、自己紹介での不穏な失言、あらぬ風評被害から、もはや意味の分からない理不尽な嫉妬まで、フォードへと一斉に降りかかってきた。
「待て待て待て! 一旦落ち着け! 俺とあいつはただの親戚であって、お前らの思っているような不純な関係じゃ断じてない!」
「なら、さっきの『初めてのこと』っていうのはどういう意味なんだよ⁉︎」
男子生徒たちの追及は留まることを知らない。ギラギラとした目を向けながら、今にもフォードに掴み掛らんと机に身を乗り出してくる。
フォードは冷や汗をにじませながら、ルノーの留学生としての設定に齟齬が生じないように昨夜の出来事を脳内で変換して、言い訳を説明する。
「あいつは、辺境のド田舎で育った世間知らずなんだよ! だから、あいつはメロンパンも見たことがなかったし、シャワーの使い方も知らなかったんだ! 俺がシャワーの使い方を教えてやったり、メロンパンを食わせてやっただけだ。あいつが言った『初めてのことを教えてもらった』ていうのはそのことであって、お前らの想像しているようなことは一切していない!」
「シャワーの……使い方を……教えた……?」
「それって……つまり……」
「やっぱエロい事してんじゃねえか!」
フォードの弁明も意味をなさず、男子たちの妄想は留まることを知らない。アクセルベタ踏みで、追及はさらに急加速していく。
「お前ら、わざと悪質に切り取って話してんだろ! 俺は普通に一緒に浴室に入って使い方を——いや、それも語弊が生まれる! とにかくシャワーのノブの使い方とか——」
「はいはい、交流を深めるのは良いことですが、授業の時間ですよ。みなさん席についてください」
フォードがパニックに陥りかけていたその時、教室の扉が開き、分厚い教本を抱えた担任のフィアット先生が入ってきた。
男子生徒たちはチッ、と舌打ちをしながらしぶしぶと自分の席へと戻っていく。
(た、助かった……)
机に突っ伏しながら、フォードは授業が始まることに深く感謝した。
一限目の授業は『呪文における魔法言語学』。
過去の偉人たちが翻訳した、安全かつ確実に魔法を試行するために必要な詠唱文をただひたすらに書き写す、退屈極まりない座学の授業だ。
「初めての授業です! フォードさん、分からないところは教えてくださいね」
フォードの隣に座るルノーは、やる気満々にノートを広げて授業の開始を今か今かと待っている。
「はい、それでは授業を始めます。さて、ルノーさんは今日が始めての授業ですよね。なので今回は復習も兼ねて、基本の詠唱術のところから始めていきますよ」
フィアット先生はチョークを手に取ると、黒板に複雑な魔法文字で書かれた詠唱文を書き写し始める。
「まず前提として、人間にとっての魔法とは、体内に保有している魔力を具現化させることです。その具現化した魔力を放出することやモノに組み込むこと、これを魔法と言います。しかし、人間の脳では魔法を具現化させるための複雑な術式を組み立てることはできません。……一部の例外を除いてですが」
フィアット先生は、まるで異端児でも見るかのようにフォードに目を向ける。
「そこで、私たちは『詠唱』という補助手段を用います。一段階ずつ術式を言葉として具現化させ、安定した状態を作り出します。要するに、詠唱とは『魔法を作り出す工程』のようなものです」
先生の理論的な説明を、ルノーはノートを一生懸命取りながら聞いていた。
しかし、その説明を聞いていくうちに、ルノーはふと疑問を抱く。
(魔法には詠唱が必要……? でも、それなら……)
ルノーは、隣の席で退屈そうに頬杖をついて堂々とあくびをしているフォードに視線を向ける。
昨日から何度もフォードが見せた規格外の魔法を思い出す。拘束魔法を解除した時、氷の粒を落としてきた時、死神の鎌を強制的に書き換えた時、彼は一度たりとも呪文など唱えていなかった。
「……あの、フォードさん」
「ん? なんだ」
「今の先生の説明を聞く限りだと、人間は詠唱をしないと魔法を行使することができない……んですよね?」
「そうだな」
「でも、フォードさんって昨日から一節の詠唱もせずに魔法を使ってませんでしたか?」
「そうだな、俺は無詠唱で使える」
フォードはさも当然であるかのように、しかし授業の邪魔にならないように声を潜めて答える。
「言っちゃ悪いが、あんなものはどんな奴でも魔法を使えるようになる補助的なものでしかない。長ったるいし、一言一句覚えなきゃならんし、それに遅い。俺は頭の中で術式の構築ができるし、魔道具も触れればどんな魔法が組み込まれているのか視ることができる。わざわざ手間暇かけて詠唱なんてする必要がないんだよ」
「え、ええ……」
ルノーの心の中で、驚愕と困惑の感情が同時に湧き上がる。
死神であるルノーは、彼の異端性、そしてその言葉の意味の恐ろしさをこの場の誰よりも理解していた。
人間が魔法を使うための制約的立場を担う詠唱行為は、上位の存在が決めたこの世界の理のようなものだ。それを、この暇そうに虚空を眺め続ける怠け者はその意味も知らず、世界の絶対的ルールを当たり前のように無視しているというのだ。
これまではフォードのことを「ただのものすごい魔導士」だと思っていた。だが、彼のやっていることは、この世界に対する反逆行為と表現してもおかしくない行為。はっきり言って、人間としてはあり得ない異常性だった。
(もしかして、上司の命令の意味って……いや、考えすぎですね)
ルノーは命令を下した上司の意向を推測するが、行き過ぎた考察だと自分に言い聞かせて即座に切り捨てる。
今は授業に集中しよう、そうルノーが黒板に向き直したところで、
「それじゃあ、せっかくなのでルノーさん。黒板に書いてある『詠唱』を唱えて『念力』の魔法を、このチョークに使って動かしてみてくれますか?」
「え、はっ、はい!」
急に指名されて驚き立ち上がったルノーは、即座に手を突き出すと、いつもの感覚で『魔法』を唱えた。
「——『念力』」
ルノーが発した短い言葉に連動するように、教卓に置かれたチョークはふわふわと宙に浮かび上がる。
しかし、魔法が成功したことよりも、重大なことをしでかしてしまった彼女に、フィアット先生を始めとしたクラス全員が唖然とした表情を浮かべていた。
「あの……ルノーさん? その、え、詠唱は……」
「え……? わあ⁉︎ ごめんなさい!」
ルノーは思い出したように慌てて後から詠唱を唱えようとした。しかし、彼女の焦りが魔力の流れを激しく乱してしまい、宙に浮いてたチョークはパァンと、ものすごい音を立てて粉々に砕け散ってしまった。
「今、詠唱してなかったよな……?」
「魔法の失敗で、『念力』操作を失うとかじゃなく、粉砕するとは……どれでだけの魔力があるんだよ……」
「やっぱり学園長室を破壊したって噂は本当なのか……?」
「フォードさんの推薦と聞いたときに、もしかしたらと思っていたけれど……まさかルノーさんも無詠唱で魔法が使えるなんて……この授業の意味が……」
ざわめき立つ教室に、わなわなと震えながらどこか遠くを見つめ始めるフィアット。フォードもまた、机の上で頭を抱えていた。
先生が放心してしまったことで、もはや授業として成り立ってない中、申し訳なさそうに音を立てず椅子に座ったルノーに対して、フォードは潜めた声で問い質す。
「お前も無詠唱で魔法を使えるのか⁉︎」
「まあ……はい。死神ですから。むしろ、詠唱なんて存在そのものを今日勉強して初めて知りました」
「お前、……いや、こればかりは俺が悪いよな」
実際のところ、ルノーが魔法を使うところを見た人間はフォードだけである。その彼が無詠唱で魔法を扱うことができる特例的な存在であったため、彼女にとってそれが普通だと思い込んでいたのだ。
授業で習ったばかりとはいえ、詠唱なんて仕組みを今まで知らなかったルノーがいきなり詠唱して魔法をコントロールするというのは、不慣れな体も相まって少し厳しかったかもしれない。
——キーンコーンカーンコーン。
その後も授業は一向に再開されず、フィアット先生が虚無の表情で黒板を見つめたまま一限目の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
我に返ったフィアット先生は、わなわなと震える手で荷物をまとめると、かすれた声でクラス全員に向かって告げる。
「……それじゃあ、次の時間は屋外訓練場での『実技演習』です。各自、制服の上から訓練用防具を着用して、十五分後までに訓練場に集まるように……」
逃げるように教室を出ていった先生。扉が閉じた瞬間、クラスメイトの視線が、ギラリとルノーに向けられる。
彼女の無詠唱魔法を目撃した今、クラス全員の特例留学生に対する興味と警戒は、格段に跳ね上がっていた。
そんな異様な雰囲気にも気に留めず、席を立ったガタイの良い男子の一人——サターン。クラスの中でも指折りの実力者で名門の魔導士の家の生まれの、貴族のような少年が取り巻きを数人引き連れてフォードの席へと歩み寄ってきた。
「おい、フォード。次の時間は実技授業だな。無詠唱で魔法が使えたり、学園長室を破壊したって噂の留学生だが、いざ見てみれば失敗ばかりじゃないか。せっかくだから訓練の時には少し手合わせでもしてもらって、お前の推薦した彼女の凄さとやらを見せてもらおうじゃないか」
少年の挑発的な眼差しが、フォードとルノーを射抜く。
「……俺としては、嫌な予感しかしないし、これ以上厄介ごとを増やさないでほしいんだけどな、本当に」
フォードは頭痛を堪えるようにこめかみを押える。
そんな彼の心情など知る由もなく、隣でルノーは「実技ですか! それなら負けませんよ!」と、細い腕で力こぶを作り、無邪気な満面の笑みを浮かべていた。




