6話 死神は誤解を生むのが得意らしい
瞼の裏に微かな朝の日差しを感じて、フォードは目を覚ました。
毛布を床に敷いて寝床を作ってはいたものの、やはり固いフローリングの上で寝た代償は大きく、全身が凝り固まっているようだった。
フォードは身体をほぐすために、首を回しながら大きく背伸びをする。
そのついでに、ふとベッドの方へと視線を向ける。
そこにはベッドから布団を蹴飛ばし、フォードが貸した白いシャツを乱したあられもない姿のルノーが目に映る。めくれ上がった裾からは健康的な太もも、そして下着が露になっている。
(——ぶっ!?)
思わず大声を上げてしまいそうになったフォードだったが、寸前で自分の口元を手で押さえた。
昨日に引き続き、今日も朝から冤罪でヘンタイ扱いされるのは御免だと、フォードはすやすやと小さく寝息を立てて未だ起きる気配のない彼女に近づき、白い素肌をなるべく見ないようにそっと布団を掛け直す。
「……よし」
バクバクと高鳴る心臓を落ち着かせるため浴室へと向かい、冷たい水で顔を洗って、制服に袖を通す。
そして何事もなかったと自分に言い聞かせて鏡の前で身だしなみを整えてから、ベッドの傍に立って彼女に声をかける。
「おい、起きろ」
「んむぅ……おはようございます……」
眠気まなこを擦りながらルノーはゆっくりと上体を起こす。
しかし、彼女はかなり寝起きが悪いらしい。起き上がったはいいものの、焦点の合わない目でぼーっと宙を見つめたままの状態で、まったく微動だにしない。
「ボケっとしてると遅刻するぞ。早く顔洗って着替えてこい」
「……はぃ」
今にも消え入りそうな声で返事をするが、やはり一ミリも動く気配はない。
しばらくは放っておこうか——そう思ったフォードの目の前で、ルノーは急に何を思い至ったのか、シャツのボタンに指をかけた。
そして、一切の躊躇いもなく、そのままその場でシャツを脱ぎ始めようとする。
「ばっ、お前⁉︎ ここで脱ぐなアホ!」
「びゃっ⁉︎」
フォードは即座に電気の魔法を構築すると、威力を微弱にして彼女にぶつける。
バチッと小さな火花を散らして情けない声を上げたルノーは、そのままベッドから転がり落ちてしまう。
「……目、覚めたか?」
「いったたた……! はい、おかげさまで。でも、もう少し優しく起こしてくれてもいいんじゃないですか⁉︎」
ぶつけたお尻を手で擦りながら、ルノーは床に座り込んでフォードのことを恨めしそうに見つめる。
フォードもまた、朝からトラブルを引き起こす彼女に、思わずため息を吐き返すことしかできなかった。
「お前が無防備すぎるのが悪い。それよりもさっさと準備しろ。朝飯食いそびれるぞ」
「朝ご飯が⁉︎ それは一大事です、すぐに準備してきます!」
食欲にはあらがえなかったのか、ルノーはすぐさま立ち上がると、大慌てで浴室へと着替えに走っていった。
早朝のダイムラー王立学園。
まだ授業開始時刻まではかなり早いのだが、学園にはそれなりの生徒がすでに登校してきていた。
その最大の理由が、学園内に併設してある食堂だ。学園生であれば誰でも無料で利用することができ、健康管理や遅刻防止の役割も担っている。
そのため早朝から営業を開始しており、香ばしい焼きたてのパンやスープの良い匂いが、広大な食堂全体に漂っている。
「わぁ……! フォードさん、すごいですね! いろんなな食べ物がたくさん並んでいます! あれ、どれでも好きなもの食べてもいいんですか?」
「少し声を落とせ……。そこにあるものは好きなだけ取って食べてもいいが、食べ過ぎて腹壊すなよ」
興奮冷めやらぬ状態のルノーは、トレイと皿を手に取り、様々な料理に目移りしながら「あれも!」「これも!」と料理を皿に盛っていく。パンやオムレツなど、どんどん積み上がっていく食べ物の塔を見て、フォードは呆れたように視線を送ることしかできなかった。
周囲にまだ生徒のいない、窓際の席を陣取る二人。
だが、器用に積み重ねられたパンと山盛りのサラダ、オムレツにスープと信じられないような量をトレイに乗せてきた彼女のせいで、周囲からは異様な視線が向けられていた。
しかし、そんな視線など気に留める様子もなく、ルノーは「おいしいです!」と紫水晶の瞳を輝かせながら、ものすごい速さで料理を平らげていく。
正直なところ、フォードは彼女のあまりの健啖家ぶりにドン引きしていた。
「……食事中のところ悪いが、お前は今日から特例留学生として学園の生徒になるんだ。前も言ったが、絶対に人前で自分が死神だなんて言うなよ。あと、実技授業の時は仕方ないが、魔法も必要以上に使うな」
「もちろん分かってますよ、フォードさんはちょっと心配しすぎなんです」
「誰のせいだと思ってるんだ! 本当に頼むからあんまり目立たないでくれよ……」
「そういえばフォードさん。学食にはメロンパンがないです」
「あれは菓子パンだから昼以降じゃないと出てこないぞ」
そんな会話をしているうちにルノーは、山のように積まれていた料理をすべて食べ終わり、残ったスープをのんびりと嗜んでいた。
「もう少し食べておこうかな……」と、とんでもない世迷い言を抜かすルノーを制して、二人は食堂を後にした。
学園校舎の二階の最奥、フォードの所属する二年C組の教室。
フォードは壁に掛かったプレートを指差し、最後の説明をする。
「ここがお前の在籍するクラスだ。いいか、お前はとにかく、大人しくてお淑やかな普通の人間の女の子を演じてろ。俺の親戚だということだけ言っておけばいい。見た目だけは無駄に良いんだから、黙って微笑んでりゃ誰もお前を死神だなんて思わないはずだ」
「なるほど……。とにかく、笑顔で普通に挨拶をしておけばいいってことですね! 任せてください!」
ルノーはポンと、その薄い胸を叩き、自信満々に微笑んだ。
それでいて、これまでとは雰囲気が違う上品な笑みを浮かべてみせる。その表情は、彼女のポンコツな内面を知らない者であれば高貴な令嬢だと紹介しても通用するだろう。
(散々忠告してきたし、これならなんとかなるか……?)
「あら、こんなところで何をしているの、フォードさん?」
フォードが安堵の息を漏らしたその瞬間、背後から声をかけられた。
慌てて振り返ると、きっちりとしたスーツ姿で眼鏡をかけた、C組の担任教師であるフィアットが立っていた。
「あら、もしかして……あなたが噂の特例留学生のルノーさん?」
「はい!」
「私はフィアット。二年C組の担任で担当科目は呪文魔法学と魔力操作よ。学園長から話は聞いているわ。魔法のすごい才能の持ち主なんですってね」
「えへへ……恐縮です!」
「それにちょうどよかった。もうすぐ朝のホームルームが始まるから一緒に入りましょう。フォードさんも早く席に着いて」
フィアットに促され、二人はどこか異様な空気を漂わせる教室へと入る。
いつもホームルームはおろか、授業もサボっているフォードが朝一番から着席しに来たことも驚きの要因ではあるのだが、それ以上に、その彼がこれまで見たこともないような超絶美少女を引き連れて登校しているところを視られたのだ。
教室中がとよめき、視線が一気に二人に集中する。特に男子生徒からの視線は、羨望と怨嗟の念が入り混じった冷淡な視線がフォードに向けられていた。
「みなさん、静かに。急ですが今日からこのクラスに、特例留学生として編入することになったルノーさんよ。仲良く受け入れてあげてくださいね。——それじゃあルノーさんからも自己紹介してもらえるかしら?」
「はい!」
ルノーは教壇の前に凛とした姿勢で一歩躍り出た。
フォードは自分の席に座り、心の中で神頼みをしながら、彼女の様子を固唾を呑んで注視する。
「みなさん、初めまして! 今日からみなさんと一緒に学ばせてもらいます、ルノーといいます! えっと、フォードさんとは遠い親戚関係で……」
透き通った明るい声に、天使のような優しい笑みを浮かべ、普通に自己紹介をしていくルノー。その可憐な容姿も相まって、クラスの全員が彼女の虜になっていく。
(まあ、自己紹介くらいならさすがに問題ないか……)
フォードが肩の力を抜いた、まさにその直後。
「……それで、昨日から同じ部屋で一緒に生活しています!」
「ブフッ⁉︎」
安堵しかけていたフォードは、人目も気にせず盛大に吹き出した。
「私、ここに来たのが初めてで、魔法以外にもいろんな『初めてのこと』を教えてもらってます! まだまだ不慣れな体ですが、これから頑張っていくのでよろしくお願いします!」
天使のような微笑みで、死神の鎌のように切れ味鋭い爆弾発言を投下していくルノー。
本人は「食べ物のこと」や「受肉した人間の身体のこと」を言っているつもりなのだが、彼女が無駄に抽象的な表現をするせいで、周囲には卑猥で刺激的な意味合いにも聞こえてしまう。
これ以上ないほど、二年C組の教室は沈黙に包まれていた。
クラスメイト全員から、特に男子生徒からは殺気と怨念を感じさせる視線がフォードに突き刺さる。
「え、ええと……はい、ありがとうルノーさん。それと……フォードさん、後で詳しくお話聞かせてもらえないかしら?」
フィアット教師も冷や汗をだらだらと流し、張り付けたような笑顔を引きつらせてフォードのことを見つめてくる。
フォードは机に思いっきり額を打ち付け、頭を両手で抱えながら心の中で絶叫した。
(俺の平穏な学園生活が終わったあああああぁぁぁ‼︎)




