5話 死神にも恥じらいはある
ルノーの入学を認めてもらうこと自体には成功したフォードだったが、その代償として、いくつか面倒な条件を押し付けられてしまった。
まず提示されたのは、フォードの学習態度の改善。
普段から授業を抜け出してはサボっているフォードの不真面目な素行は、学園長の耳にも入るほど問題視されていた。
そのため、ルノーを学園に受け入れる代わりに、「明日からのすべての授業に真面目に出席しろ」というフォードにとって最悪の脅しの道具として利用されてしまった。
次に問題に上がったのは、ルノーの管理について。
魔法の失敗による暴発は、未熟な学生の身であれば誰にでもあり得ることだ。だが、魔法の暴発だけで学長室はおろか、学園の防護結界ごと外壁に穴をあけたその規格外な破壊力は、学園側にとって「素晴らしい有望株」である一方、「いつ爆発するか分からない巨大爆弾」でもあった。
つまるところ、「お前が連れてきたんだから、責任もってお前がちゃんと面倒を見ろ」ということらしい。
日の落ちた暗い夜空の中、修復魔法をかけて学園を復旧するワーゲンから、「この条件が守れるのなら、特例留学生として認めよう」と告げられ、フォードはまるで苦虫を噛み潰したような顔で承諾するしかなかった。
そして——現在進行形で最も深刻な問題になっているのが、フォードの部屋だった。
当然、フォードはルノーを女子寮へ入寮させるよう要請した。しかし女子寮の部屋に空きはあるものの、清掃や生活用品の搬入など、部屋を設えなければならず、今すぐには用意できないと許諾が得られなかった。
何とか他の部屋を用意できないのか説得を試みようとしたが、
「お前たちは親戚なのだから、しばらくは同じ部屋で過ごしても何の問題もないだろう」
という学園長のその一言で、完璧に言いくるめられてしまった。
現在、フォードの部屋の中には、未だ顔を赤く染め、むすっとした表情のルノーが佇んでいた。ベッドに腰かけ、フォードを半目でじどーっと睨みつけている。
学生寮に戻る最中から今に至るまで、いつもなら夏の蝉のように騒がしい彼女が、不機嫌そうにローブを握りしめ、ふくれっ面で一言も話さない。その沈黙が、フォードにはたまらなく居心地が悪かった。
「……ヘンタイ」
ぼそりと、しかし静寂と凍えるような空気に包まれた部屋の中で、その言葉はとても大きく響いた。
「ちょ、ちょっと待て⁉︎ 誤解だ!」
「何が誤解ですか‼︎ いきなり私のお尻を触ったんですよ! それがヘンタイじゃなかったら、誰がヘンタイなんですか!」
「お前は気づいてなかっただろうが、あの時のお前の魔力は異常なほど死神特有の歪な魔力が出てたんだよ! あのままクリスタルに流したら『自分は死神です』なんて自己紹介するようなもんだったんだぞ!」
「じゃあ、そうならそうと教えてくれればいいじゃないですか! お尻なんか触ってないで!」
「お前に視線で訴えかけてただろ!」
「視線じゃ会話はできないんです! マウストゥーマウスなんですー!」
「それを言うならフェイストゥーフェイスだ! それに、人間の世界には空気を読むっていう高度な技術があってだな!」
「そんな言葉、冥界じゃ聞いたこともないですよ! 第一、フォードさんお得意のハッキング魔法で、何とか誤魔化したらよかったじゃないですか!」
「あの爺さんは魔法のエリートなんだ! 俺が少しでも魔法で関与した瞬間、即座に見抜かれて余計に怪しまれるに決まってるだろ!」
「もーっ! ああ言えばこう言う! フォードさんのバカアホヘンタイ!」
フォードの必死の釈明も、怒れるルノーには全く聞き入れられず、次第に激しい口論へと発展していく。
しかし、壁の向こう側からの激しい打撃音と共に「おい、うるさいぞ!」という隣室からのお叱りを受けて、二人はビクッと肩を震わせてようやく沈黙した。
「とにかく、お前のケツを触ったのは本当に悪かったと思っている。だが、あの状況を乗り越える方法が、お前に動揺を与えて魔力暴発させるくらいしか思いつかなかったんだよ」
「むー……」
フォードは頭を下げて弁明するものの、ルノーは心底納得いってないように頬を膨らませる。
「…………メロンパン」
「はい……?」
小さく漏れた呟きに、フォードは呆けた声をこぼす。
「フォードさんの方が圧倒的に悪いですが、私もカッコつけて魔力を高めすぎたことについては、少なからず非があることは認めます。……だからメロンパン二つ。いえ、三つです。それでこのことは水に流してあげます!」
「……釈然としないんだが」
「はい? 何か言いましたか?」
「いえ……何もないです。それでお願いします……」
ルノーの抑揚のない、死神のような冷たい声と視線にフォードは綺麗に頭を下げ、こうして不平等なメロンパン条約が結ばれた。
怒り心頭に発した彼女の威圧感は、昼間に襲い掛かってきた時よりも遥かに恐ろしい、本物の死神を彷彿とさせる。フォードは彼女を本気で怒らせないようにしようと心の中で誓うのだった。
「あ、あーそういえば、これ学園長から貰ってきたんだった」
これ以上彼女を刺激しないようにと、フォードは学園長から預かっていた大きな袋を手に取り、大根役者さながらの棒読みで露骨に話題を変える。
「……なんですか、それ?」
「お前用の学園の制服だ。それに魔法で綺麗にしたとはいえ、あの時の爆風で汚れただろ。シャワー浴びるついでに一度袖を通しておけよ」
「えっ、本当ですか! 見せてください、着てみたいです!」
先ほどまでの不機嫌はどこへやら、ルノーは紫水晶の瞳を爛々と輝かせ、フォードの手からひったくるように袋を受け取る。
「うわぁ、これが……わかりました! 着替えてきます!」
「あ、ああ……」
パタパタと浴室へ駆けていくルノーを見送り、フォードはどっと押し寄せた疲労に、身を任せて椅子にもたれかかった。
しかし、すぐに浴室の扉がすすっと開かれ、彼女は申し訳なさそうに視線を覗かせる。
「……その、ここのシャワーってどうやって使うんですか?」
「そこからかよ……」
それからしばらくして。
「フォードさん! 見てください!」
嬉しそうな声と共に、浴室の扉が開く。
現れたルノーの姿を見た瞬間、フォードは言葉を失って固まってしまった。
学園の伝統である、紺色が基調の気品のあるブレザーに、白いブラウス。そして、ルノーの細くしなやかな太ももを惜しげもなく覗かせる、チェック柄のスカート。
今まで着ていた黒いローブを脱ぎ捨て、真新しい制服を身に纏った彼女は、その透き通るような白い髪や可憐な顔立ちも相まって、息を呑む程に美しかった。
「どうですか! 似合ってますか?」
ルノーは自信満々だと言わんばかりに両手を広げ、フォードに見せつけるようにその場でクルリと一回転してみせた。
ふわりと彼女の白い髪が舞い上がり、風呂上がりでほんのり桜色に上気した白い肌と、石鹸の良い香りが部屋に広がる。女性らしさを感じさせるルノーに、フォードは思わずドキッとしてしまう。
「……あ、ああ。まあ、なんだ、普通に似合ってるんじゃないか」
「本当ですか! いやー嬉しいですね!」
「さっきのローブよりかは、何百倍もましだと思う」
「むっ、相変わらず余計な一言がです。……でも、そうですね。私、こういう可愛いお洋服を一度は着てみたかったんですよ!」
ルノーは制服の袖を見つめながら、満面の笑みを浮かべる。
その純粋な少女の笑顔に、フォードはさらに心臓が早鐘を打つのを感じ、慌てて視線を逸らした。
「……喜んでるところで悪いが、もう夜も遅い。お前、皺が付くから制服着たまま寝るなよ。俺のシャツ貸してやるから」
「はーい。……あ、フォードさん、私の寝るところ……」
「ベッドを使え。俺は床で寝るから」
フォードはクローゼットに閉まってある予備の毛布とバスタオルを取り出すと、フローリングの上に簡易的な寝床を設えた。
彼女もブカブカの白いシャツに着替え、ベッドへと戻ってきていた。
照明を消し、部屋が暗闇に包まれる。
「……フォードさん」
ルノーの小さく、穏やかでしっとりとした呼び声が響いた。
「なんだ」
「ありがとうございます」
「……それは何のお礼だ?」
「色々とお世話してもらったことも含めてですが……私が人間の世界に取り残されてしまって、心細かった時……見捨てないでもらいました」
静かな部屋の中、寝返りを打った彼女の布団の衣擦れの音が大きく響く。
「ヘンタイさんだったのは驚きでしたけど」
「……悪かったって」
「ふふ、おやすみなさい。フォードさん。明日からもお願いしますね」
「……おやすみ」
フォードは薄暗い天井を見つめながら、自分の頬が熱くなっているのをはっきりと自覚していた。
ただ、心配事が尽きない明日からの学園生活に、不思議とほんの少しだけ、楽しさと安心感を覚える自分がいた。
最初の夜は、不思議な感覚だけを残して、静かに夜が更けていくのだった。




