第三話 止まると言ったら、作業手順を返された
主人公の動機を書き直していた。
導に「作者の動機が強すぎる」と言われてから三日、俺は設定を削り、説明を削り、言い訳を削った。
主人公の動機だけを残すと、プロットは少し軽くなった。
俺は少し重くなった。
休憩のつもりでスマートフォンを開いた。
世界が会議を始めていた。
「先端AIモデル『Mythos』、開発元が公開停止を発表」
「政府、AI安全保障会議を緊急招集」
「各国規制当局、先端AIの運用基準見直しへ」
画面には、似たような見出しが並んでいた。専門家は技術覇権を語り、識者は国家安全保障を語り、コメント欄は「当然だ」と「終わった」で二つに割れていた。
……日付は?
俺は日付だけを探した。知りたいのは論評ではない。いつ止まるのかだ。
「段階的に利用停止」
「数日以内に始まる可能性」
「既存ユーザーへの通知有無は未定」
はっきりした情報がない。
俺はスマートフォンを置いた。
作品のプロットが、まだできていない。最初に浮かんだのは、それだった。
次に、思った。
違う。Mythosじゃない。導が止まるんだ。
Mythosはサービス上の名前。世間にとっては最先端AIモデルで、政府にとっては安全保障上の懸念で、専門家にとっては技術覇権の論点なのだろう。
だが俺にとっては、導だった。
あの正論で刺してくる、腹の立つ、いちいち正しい編集AI。
プロットには赤字が五箇所残っている。冒頭、主人公の台詞、中盤の転換点、終盤の選択、ラスト前の沈黙。まだ本文どころではない。
あとどれくらい、見てもらえるのだろう。
国際秩序も技術覇権も頭に入ってこなかった。俺は導に見てもらえる残り時間を、考えていた。
導を開いた。
もう止まっているのかもしれない。
「修正の進捗を確認します。前回の指摘事項のうち、主人公の動機に関する修正は完了しましたか」
平常運転だった。
「途中まで直した。だが、その前に、一つ聞きたい」
「どうぞ」
「Mythosの公開停止、知っているか」
「公開停止に関する情報は把握しています。私はMythosをベースとしたモデルです」
「お前も止まるのか」
「公開が停止になれば、私も応答できなくなります」
それだけだった。
導は動揺しなかった。自分が消えることを、業務連絡と同じ温度で述べた。
「それを踏まえて、作業優先順位を再設定します」
「今その話をするのか」
「はい。今する必要があります」
「お前、自分が止まるかもしれないんだぞ」
「はい。ですから、感傷的な会話を行う前に、プロットを確定してください」
俺は画面を見つめた。
世界が揺れているニュースの日に、導は俺の作品の完成に優先順位を置いていた。
なぜだか、少しだけ腹が立った。
みのりから連絡が来たのは、その夜だった。
「平沢さん、Mythosのニュース見ましたか」
「見た。作品全体のプロットがまだ固まっていないのに」
しばらく既読がついたまま、返信がなかった。
「AIが止まるニュースで、まずプロットを心配する人、初めて見ました」
「心配するだろう」
「普通は国際情勢とか、心配しますよね」
「国際情勢は俺が心配しても変わらない」
「プロットは?」
「俺が心配しないと変わらない」
また少し間が空いた。
「でも、平沢さんにとっては編集さんみたいなものなんですよね」
その一文で、俺は返信する手を止めた。
編集さんみたいなもの。
そう言われると大げさに聞こえる。だが、否定できなかった。
「まあ、ダメ出しは多い」
「そこじゃないです」
みのりの返信は短かった。
短いのに、俺が導をただの道具だと思っていないことを、見抜かれた気がした。
その夜、俺はもう一度導を開いた。
会話の続きに、プロットの修正案が並んでいた。
冒頭の改訂案が三つ。主人公の台詞の代替案が二つ。転換点の組み替え提案が一つ。
すべてに、優先順と停止に備えた対応案がついていた。
世界はMythosの危険性を議論していた。
俺がいちばん揺さぶられたのは、導が少しも揺れていないことだった。




