騎士になる気はないかい?
「グレイ君は騎士になる気はないかい?」
暖められた風に運ばれてグレイの鼻腔に届くのは花の甘い香りだけではなく、自他の汗の臭いが混ざっていた。上がっている息を整える為の深呼吸をし終わるとグレイは再び木剣を構えて素振りを始めようとした。そんな折に隣で素振りを続けていたレベンディスから質問が投げかけられた。
グレイはレベンディスを横眼で見ながら、露骨に嫌な顔を浮かべる。
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遡る事数刻。
朝食時の出来事へと遡る。
彩り綺麗に並べられた野菜、油の乗ったお肉の皿に、白い柔らかなパンの置かれた食卓にグレイ達は席に着いた。
「頂きます」の全員の声が言い終わると同時に走り出した箸が我先と肉へと向かい、持ち主の口へと運ばれて行く戦いが始まった。個別のお皿に分けられていない時の食事時は直ぐに戦いの火蓋が切られる。
肉は怒涛の勢いでその姿を消し始めた。
エレナは減りの少ないサラダを一口食べるとその都度お肉を口に入れた。時々自分の皿のパンを千切り取ってその小さい口へと頬張った。本日のサラダは魔力草が入っていない普通のサラダであったため渋い顔をせずに滞りなく食していた。
サラダの減りは微々たる程度であったが、シルバーズもきちんとサラダを取っていた。お肉を二口食べてパンを千切り取り、その後サラダを食べていた。
一方の2人はサラダには見向きもせず一心不乱に肉を挟み、口へと放り込みパンを噛み切って頬張っていた。
どんどん減っていく中シルバーズは全然お肉を取れていないエレナとチビの皿へとお肉を配る。
そんな日常と化した食卓のなかグレイは此方を見つめる視線に気が付いた。
「はひひてんはお」
グレイは箸を止める事なく、お肉を口に含んだまま視線の送る主へと視線を返した。
「いや、こんなに……美味しい肉を……食べれるなんて幸せだなと思ってな」
視線の送った主であるレベンディスも会話の途中にも関わらず箸を動かし続け、途切れ途切れながらの返事をした。そして最後の一切れをグレイの箸よりも素早く掴むとグレイに見せつけるかのように掲げて、大きく開けた口へとゆっくりと降ろされた。
グレイは歯を噛み締めて悔しそうに呻った。そんなグレイを見て愉快そうに笑うレベンディス。空になった皿をレベンディスは手元に引き、話を続けた。
「こんなに美味しい肉を食べようとすると、王都じゃ王族か貴族、大きな商人、冒険者ならCランクが無理をして食べれるくらいだろうな」
パンを皿に滑らせて、肉汁を染み込ませて食べながら話す。そしてはっ、と大袈裟な表情を浮かべてさも今気づきましたかのように話す。
「そうだ、王族お抱えの騎士だったらこんなに美味い肉を毎日食べる事が出来るんだった」
態とらしい演技口調のレベンディスはグレイの表情を再三にわたり確認をする。グレイは顔を嫌な言葉を聞いたと言わんばかりに顔を顰めて
「ご馳走様でした」
と言い、レベンディスの言葉など聞こえていなかったように無視をした。そして小さくなったパンを食後の挨拶が終わったにもかかわらず口の中に放り込み、銀食器を持って外へ出た。
チビはグレイが立ち上がると急いで残りの肉を食べて、銀の皿を咥えて、椅子から飛んだ。パタパタとはばたく両腕の皮膜と背中の羽とは裏腹にその身を床へとゆっくりと落下させて、膨らんだ腹をくっ付けた。そして這うようにグレイの後を追った。
その一連の流れを眺めていたエレナはポツリと「かわいい」と言って、チビの姿を名残惜しむように姿が見えなくなった後もしばし眺めた。
「此れグレイ、また野菜を食べておらんじゃないか。……まったくのう、困ったもんじゃ。それにしてもあれはなんじゃレベンディス、これが先日の、それとなく、なのかのう。あれはちと露骨過ぎやしないかの?」
シルバーズが姿の見えなくなったグレイに声をかけるが、グレイからの声は聞こえず、息を思わず吐く。そしてレベンディスの方に向き、先程の態とらしい算段を指摘する。すると、レベンディスは大きく笑い声を上げる。
「失敗、失敗。だけど、まだ可能性があるはずだ」
そう言うレベンディスを見てシルバーズは呆れたように溜息をつく。
今日の修行内容は、レベンディス達が来る前と同じ修行内容であった。
銀食器を洗い終えたグレイは、いつも通りの修行じゃ、と言うシルバーズに少し驚きを覚えたが、直ぐに以前と同じように修行を始めた。
グレイは体をほぐし、草原に向かって駆け出した。空には真っ白な雲がふわふわと2、3浮かび、天気が崩れる事のなさそうな晴天であった。
「風が気持ちのいい、いい天気ね」
グレイに話しかけたのはグレイの左手を並走しながら空を見上げている、ボリュームのある唐紅色の髪を1つに纏め上げた綺麗な髪を揺らして走っているエレナであった。
「そうだな、こんな日にずっと昼寝なんか出来たら最高だな。チビも寝てるし」
グレイが振り向いた視界の端、フードのついた外套のフードのなかにとぐろを巻いたチビが鼻ちょうちんを膨らませていた。
「本当に幸せそうね。かわいい〜」
フードを覗き込んだエレナはかわいいチビの姿に微笑みを湛える。すると、
「そうだねいいよな、昼寝は。俺も好きだよ」
突然会話に入り込んで来たレベンディス。グレイは再び顔を顰める。準備運動代わりの駆け足の筈だが、レベンディスは先に走りこんでおり、薄っすらと額に汗が見えた。今回の修行の付き添いはレベンディスだけであった。
「昼寝といえば──あっ」
レベンディスのしらじらしいたとえ話が始まりそうになった刹那、グレイはその場を急いで離れた。レベンディスはグレイを追いかけることはせず、その背中を眺めた。
「お父さん、騎士に関係する話をするの止めたら? 話すから逃げられるんだよ」
「いいや、止めないよ。王都の騎士になってくれたら、俺が嬉しいからね、今のうちから刷り込んでおくんだよ」
「嬉しいって」
エレナは呆れたような表情になる。
「エレナは嬉しくないのか?」
「私は別にどっちでもないわよ。グレイがなりたいなら賛成だけど、無理にとは言わないわ」
「俺も無理には誘わない約束だからな、ゆっくりと刷り込んでいくよ。じゃあ、また走ってくるよ。エレナも頑張るんだぞ」
レベンディスはそう言い残し走り去って行った。
その後のレベンディスは事ある毎に、騎士に関連する話をグレイに聞かせようとした。だが、毎度グレイは嫌な顔をして、無視を決め込んだ。
それは、筋トレの時も行われ、
「筋肉といえば、しっかりとご飯を食べなきゃ付かないんだだから、ご飯をたくさん食べれる──」
「うるせぇ」
グレイは一蹴した。
それでも諦めないレベンディスは変わった方法で一度試みる。以前から騎士になる事が夢であるエレナとの対話でグレイに興味を持たせる作戦だ。
「エレナは騎士になりたいもんな」
「ええ、そうだけど」
エレナは突然の会話に驚きながらも答えた。グレイを挟んでの筋力強化の途中の会話に、エレナはチラチラとグレイの顔色を伺う。心なしかグレイの目線が冷たく感じて、目線を合わせるのが心苦しくなった。
「なんでなりたいと思ったんだ?」
「えーっと、それ今言わないとだめなの?」
喋るのを渋っているエレナにレベンディスは何度もグレイの方を目配せする。
「……わかったわ、私が騎士になりたい理由は、騎士隊の中にはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいる事、それと諍いや争いを止めるのに一番良い立場だからよ」
これで満足ですか? といった表情を浮かべ、エレナは半眼でレベンディスを睨む。
グレイからの反応はなんもなく、レベンディスとエレナの会話は次第にエレナが意図的に日常会話に変化させていった。
筋力強化が終わり木剣を握り、素振りを始めて数分経った後に冒頭の質問が投げかけられた。
「さっきからしつけぇ、俺は騎士なんか嫌いなんだよ。騎士なんてなるわけねぇよ」
グレイは面倒くさそうで少し怒気のこもった返答をした。
「えーー、そんなこと言わないで考えてくれよ、グレイ君」
レベンディスは木剣の素振りを続けながら懇願するように言う。グレイは遠く先にいるシルバーズに嫌そうな顔を向けるとレベンディスを顎をしゃくって指し示した。すると、シルバーズは理解したように深く頷きレベンディスを呼ぶ。
「ごめんねグレイ。お父さんがあんなにうざく絡んできて」
「ああ、まじでめんどくせぇ」
「そうだよね。私もあれはちょっとやりすぎな気がするよ」
エレナが謝辞を述べた。グレイとエレナの視線の先にはシルバーズに叱られていると思しきレベンディスが悪びれもせずに仰け反って後ろ髪を触る姿と、笑い声が聞こえてくるのだった。
その後、レベンディスからの騎士の話は減った……。
「はっはっ、叱られちゃったよ。それはそうと、いい仕事を知っているんだが聞かないかい? それはね騎──」
「叱られたばっかなんだろ! ちょっとは、控えろよ筋肉」
「お父さん、強要は良くないことでしょ」
……本当に減っている……筈。