奥底の心情
「ねぇ、グレイ。今日の話なんだけれど」
「なんだよ。テメェーも騎士の話をするのかよ」
ポツリと話し始めたエレナの言葉にグレイは辟易したように語気を少し強めて返事をした。硬質な感触を布を一枚挟みながら背中で感じるベッド横の床上で、グレイは視線を天井から移すことなく布団を一層深く被る。
「ま、待って、寝ようとしないでよ。私はお父さんと違って誘うつもりは無いのよ。ただ、なんでそんなに騎士の事を毛嫌いするのかがわからなくて。なんでなのよ、そんなに悪い仕事じゃ無いのよ」
慌てて上半身を起き上がらせて、向き合うように座り直すエレナを布団の隙間から眺めたグレイは呆れたように息を吐き捨てた。現実を知らない子供の夢物語をそれは幻想だと心のうちで知っている大人の残酷なまでの冷たい息であった。
「俺は知っているんだよ。騎士はおめえが思うほど良いやつがなっていないって事をよ。平気でスラム街の奴の頼みを無視して塵を見るような目を向ける奴。何もやっていない奴にあーだこーだと罪を着せて理不尽な暴力を振るい、泣き叫ぶ様を嘲笑い、吐き出された食い物が何にも入っていない吐瀉物が靴に掛かったと癇癪を起こしたように喚き、更に蹴る奴。汚れた少ない硬貨を、どうせ盗んだもんなんだろうと決めつけて奪い取る奴。さらに小さい子供や女をさらっていって、奴隷商に売り払う奴。そんな奴らばかりいる騎士になろうと思うか? 」
グレイは感情の込められていない、起伏の乏しい声音でただ淡々と言葉を発した。それはグレイ自身が見てきた映像を、日常を言語化しているようであった。エレナはそんな凄惨な光景を想像して二の句が暫し継げなかった。
静寂がこの場を支配する中、何時もならば気にも留めない自分の呼気が、鼓動が、鼓膜を煩わしいほどに震わせている事にエレナは気付いた。
部屋に入ってくる窓からの月光はベッドの上に座っているエレナにだけ当たり、グレイは陰鬱とした地から湧き出るような暗闇の中に溶けているようであった。
「……でも、そんな人ばかりじゃ無いはずよ。それは私が保証するわ。だって私が知っている人にそんな人いないんだもの」
エレナは早口になりながらも、胸を張って答えた。エレナの赤髪が少し湿り気を帯びて、重たそうに気怠げに揺れた。ふと、グレイの脳裏に王都で出会った女騎士の相貌が浮かんだ。『そんな人』では無い彼女もエレナと同じ赤い髪色であった。
エレナはそれに、と言葉を続けた。
「私はグレイが騎士になっても、ならなくてもどっちでも良いと思っているの。だけど騎士になったなら、そんなおかしな騎士を止める事が出来るし、被害者をこれ以上に増やす事は無いと思うの」
グレイは眉をしかめ、苛立ったように言い返す。
「それは、俺じゃなくてもオメェでも出来るだろうよ。なんでそんなに筋肉もオメェも俺に騎士の話をするんだよ」
「なんでお父さんがグレイに騎士の話をするかは、騎士の事をグレイに刷り込ませる為って言ってたよ」
エレナは少し困り顔を浮かべ、笑い混じりで話す。
「刷り込みってチビじゃねぇんだから」
その声に気が抜けたようにグレイは明るく返事をした。エレナは小さな笑い声を上げた。無邪気な子供のような年相応の笑い声だった。グレイはその声を聞き、瞼をゆっくりと閉じた。直ぐに寝息と似たような深い息が吐き出された。
エレナはそんなグレイの顔を眺めながら、先ほどの言葉を頭の中で反芻した。グレイの話した騎士の話がグレイの奥深くにある、ドス黒く淀んだ感情の片鱗であるように感じられ、それを無理矢理、露呈させた事が申し訳なく感じた。
本来の夜の静寂に戻った部屋でエレナはゆっくり話し始めた。
「羨ましいのよ私、あなたが」
「はっ?……!?」
グレイの鼓膜を優しく触れた言葉は、唐突過ぎてグレイの脳を滑らかに通り過ぎ、理解をする事が出来ず。だけど意識だけがその称賛という甘美な響きに引っ張られ、水面下に潜っていた眠りの海から覚醒の陸へと上げられた。
「グレイは気づいてないかもしれないけれど、あなたはとても恵まれていて、それを活かせる実力があるのよ」
エレナはグレイが起きている事に驚いた様子はなく、更に言葉を続ける。
「いきなり、なんだよ。恵まれているのはおめぇも同じだろ。寧ろおめぇの方がいい環境で育っていて恵まれてるじゃねぇか」
グレイは上半身だけ起き上がり、訝しげにエレナの真意を伺うように瞳を注視する。
「そうだけど、違うの。私が言いたい恵まれているっていうのは環境の事じゃないの」
「じゃあ、なんだよ?」
それでも、真意を理解する事が出来ず。エレナの言いたい事も上手く理解出来なかった。
「魔力の事よ」
「魔力?」
グレイは素っ頓狂な声を上げた。
「……私、魔力が少ないのよ。だから、私弱いの」
グレイはエレナの話す意味を理解する事が出来なかった。それは、魔力保有量が少ないと話すシルバーズが恵まれていない、なんて思った事がなかったからであった。シルバーズ曰く魔力が少なくて困ったことがある。くらいの話であったため、グレイの認識では魔力保有量の乏しさは弱いに直結しないものであった。
「はぁ? さっきから何言ってんだよ。魔力が少ないから弱いって、じゃあ、負けた俺は──」
「ちょっとだけ私の話をさせて、……ね?」
なんだって言うんだよ、と言葉を続けようとしたグレイの言葉は遮られ、鎮痛な面持ちとも取れる、作り笑いのような不格好な笑みを浮かべた。
「私、兄弟の中で一番魔力が少なかったのよ。市民よりは魔力が多かったんだけど、それは市民と比べると頭1つ超えたぐらいの平凡の域を出ない兄弟の中では落ちこぼれな魔力保有量だったの。魔力が無尽蔵にあるような人の娘なのに、私だけ少なくて。家族のみんな、誰もその話題には触れはしないけれど、私自身は何度も魔力が少ない事を痛感していたの。みんなはどんなに修行で魔力を使っても魔力切れを起こす気配がないのに、私は直ぐに気持ちが悪くなって倒れてしまっていたりとかね」
ポツリポツリと話し始めた出来事は、グレイにとっては意外なものであった。出会って直ぐの高慢ちきな姿からは想像し難い姿であった。
「それでも、私が頑張っていこうと思えたのは、吟遊詩人や絵本で聞いて、見た物語の中のシルバーズ様が居たからなの」
「ジジイ?」
「そう、シルバーズ様。物語の中のシルバーズ様は仲間の中で一番魔力が少ないのに、強くて、勇敢でカッコよくてなんでも出来ていたの。高弟の他の2人にも引けを取らずに並んで戦う強さに私は憧れたの。そして思ったの。魔力が少なくても、強くなる事は出来るんだって」
熱が入ったように語気は強まり、大きな瞳は更に見開き、月光を浴びてきらきらと輝いていた。そして言い切ると一拍置いて、先程とは一転して落ち着いた語調に変わった。
「だから私、王都にいるのを辞めてお父さんについて行ったの。だけど、いくら修行しても強くなっている実感は湧かなくて、これだと物語の中のシルバーズ様にはなれないなって思い始めていたの。だから一度シルバーズ様に弟子を申し込んだ時があったんだけど、その時はなれなくてね。今度こそって思ったのに、今度はあなたがいてね。貴方はシルバーズ様をジジイなんて呼んでいるし。だから、私凄くむかついちゃって怒鳴っちゃった。でもグレイは私が思っているほど悪気はなくて、それがグレイの自然体なんだなって気付いたの。そしたら、グレイの他の部分までキチンと見えてきたの」
エレナは大きく息を吐き出し、そして、言いづらそうにゆっくりと俯き脚をパタパタと気持ちを落ち着かせているように一定のリズムを刻んでいた。
「だからかなぁ、私嫉妬しちゃったし、羨ましくなっちゃったの。シルバーズ様の弟子になっている事も、魔力の保有量が多い事も、一年足らずで修行についていける努力も才能も、全て良いなって思ったの。騎士になったら私がなれない隊長にもなれちゃうのかなって、お兄ちゃんやお姉ちゃんとも肩を並べる事が出来るのかなって考えたら私、悔しくて、ライバルになる事にしたんだ」
「急にどうしたんだよ。気持ち悪りぃ。具合悪いのか? それとも新しい勧誘か?」
グレイは異常に持ち上げるエレナに猜疑の目を向ける。
「素直に褒めたんだから、素直に受け止めなさいよ」
エレナはそんな目線に気づき、早口でまくし立て照れを隠した。頬を赤く染めて、細い腕でグレイに見られないように顔を隠す。グレイはさして気にした様子はなく、鼻高々と満足げに笑みを浮かべ、そして、これまた言いづらそうにグレイなりの褒め言葉を言う。
「まぁ、俺が凄えのは言われなくても知ってたけどな。でも、まぁ、おまえに俺が負けた事も事実だ。だから、うじうじすんじゃねぇ、おまえに負けた俺に失礼だろが」
「そうね。ありがとう。ただ、知って欲しくね。今のあなたは幸せだって事を」
「うるせぇ、知ってるよ。十分すぎるほどにな」
「それは、良かったわ」
エレナは話したい事が終わったのか、布団へと寝転び直し。グレイも寝転び、布団をかけ直した。最後に興味本位でエレナに尋ねる。
「でもよ、そんなにジジイの事を尊敬してんのかよ」
「当たり前よ。私にとってみたら目指すべき、人なんだもの。あっ、そうだ! この前の決闘で賭けていたシルバーズ様の話をしてあげるわ」
想像以上の食い付きにグレイは自身の発言が軽率であった事を認識した。
「いいよ、別に」
相手を刺激しないように、声を荒げず、静かに拒否の意を示した。だが、一度火のついた気持ちは抑えきれないのか、エレナはベッドの上で転がり、横寝の状態で脇のグレイを見下ろしながら話し始めた。
「いいや、話すわ。いや、話をさせて、これを聞いたらグレイもシルバーズ様達、剣神の弟子達の凄さがわかるはずよ」
「めんどくせぇ所は筋肉譲りかよ」
そうぼやきながら布団を深く被るのであった。
「先ずね、一章から話すわね。それは────」




