013 命の香り③
火薬と、最初に呼ばれたのはいつか、覚えていない。
ただ、其の匂いが好きで、ずっと嗅いでいたのは覚えている。
――机の上の、乳鉢。幾つかの薬を混ぜた、新作のブレンドは――ああ、悪くない香りだ。
火薬の材料と言うのは、金が掛かる。下民の自分が働いても、すぐに底をついた。
なのに、どうしても我慢が出来なくて。其れで、俺は身体を売った。
――出来上がったオリジナルを、筒に詰めていく。コイツは、きっと良く働いてくれる。
売った先は、政府が運営する機械義肢の研究所。
碌な扱いをされないの知っていたが、存外に良心的な場所であった。何せ、改造後の職の斡旋までやってくれる。
向上した嗅覚は、より繊細な火薬の香りを、脳に届けてくれる様にもなった。
「さて――働くか」
ただ――初めて嗅いだ、ニトログリセリン。あの時の様な興奮は、何処かに忘れてしまったらしい。
「――未だ昼よ!? やることが、派手すぎるでしょ!!」
けれど、効果的。
地上部隊にも、隠れ家の場所が割れた。すぐに、此方へ向かってくる筈。
「どうするっ? 市民に紛れ込んでも――」
「この形じゃ、すぐに見つかるでしょうねっ」
二人共、浮浪者もかくや。というぐらいの汚れた風貌。見つかるのも時間の問題だ。
「じゃあ――」
「一点突破よっ!!」
包囲網も、破ってしまえばただの糸くず。
補足されても、連絡が取れるワケじゃないなら。
「はあっ、予定通りに、当走路を駆け抜けて――スラムまで逃げ込みましょうっ!」
喋りながらも、走る、走る。
(いい加減、辛いわねっ)
エリザベスの、細い足。足も遅くないし、体力もソコソコだ。疲れたって、足を止めない根性もある。
けれど、其れじゃあ――振り切れない。
「マックスっ、背中、貸しなさいっ!!」
「ええっ!?」
言うが速いか、一息にマックスに飛び乗る。
流石、ふらついても立ち直して、すぐに走り出す。エリザベスよりも細いくらいの身体なのに。
「リザっ。僕も、けっこう――」
「――男の子でしょ、頑張りなさいっ! 大丈夫、跳兎の貴方ならっ――!」
「其れを言われると、弱いなあもうっ!」
そう言って、マックスは走って、走って、跳んで、走る。
実際、速い。裏通りの割れたタイルは、マックスが踏みしめる度に粉々なって舞い。暖炉を燃やしているのか、立ち込める煙も吹き飛ばす様に。
(こっちも、振り落とされないようにしなきゃね)
エリザベスも、必死にしがみ付く。マックスは、背中を貸すだけだ。彼の腕は、駆けるために振るわれるだけ。
正直、慣れない腕の力を使う分。此方の方がしんどいくらい。
(ジョン。感覚の同期、フルでやっていいわ。何か気付いたら、すぐに教えなさい)
『分かった――』
ジョンから、返事が聞こえて。途端に、頭痛が襲ってくる。右目の視界が、緑色に染まる。
(未だ、慣れないわね――)
身体を渡したときほどでは無くても。其れでも、辛い。辛いけれど、こうするしか無い。
『早速お出ましだ。隣の通り、100ヤード先。十人くらいで動いてる奴らが居る』
「――ありがとう! マックス、敵よ。90ヤード先、隣の路地。気づかれても、構わず突っ切って!」
走る速度に合わせて、補正を加えて告げる。
「了解っ!」
マックスは、更に速度を高める。
ああ、すぐにエリザベスに耳にも、相手が感じられる距離になって。
「居たぞっ!」
そして、見つかる。十字路、相手の視線が通る場所。
其れでも構わずに、マックスは駆け抜ける。後ろから迫られた所で、追いつかれることはないという自身が有る。でも――
――パアン!!
音。銃声じゃあない。空に、赤い煙が上がる。丁度、エリザベス達の真上!
信号弾と言うには、単純過ぎるけれど。
「やっば! 位置がバレた――」
『なかなか、相手もやるな』
「相手を褒めてる場合じゃないでしょ!」
『そら、相手が来るぞ。正面、320ヤード先だ。二十は居るな』
「マックス、300先二十人! 左の道に逸れてっ!!」
「あそこだねっ!」
叫んで。マックスも其れに応えて。
何とかかんとか、逃げおおせようと踏ん張って。
「――さあ、来い。一番旨い香りで、俺を高ぶらせてくれ」
辺りを眺めるのに、絶好のロケーション。時計塔の上で、パウダーは一人待ちわびる。




