「confiture」 side Shiori
俺、友達いなくってー。でね、クラスでたっくんもひとりだったんだ。だけど、いつからかなぁ、たっくん、変わっちゃってさー。ただの陰険な勉強浪人バカだと思ってたら、すっかり自分に自信持っちゃったみたいに胸張ってさ。俺、すっごく気になったんだ、たっくんに何が起こったのかって。それで、ずーっと様子伺いながら、やっと二年になって話しかけて、今はすげー仲良しだよ。そしたら、たっくん、俺に紹介したい素敵な人がいるって言って。それが、しおりさんだったの。
川島くんが彼を連れてきた次の日、そう、寺沼くんから話を聞いたときは、川島くんにもやっとクラスメイトの友達ができたんだって、正直すっごく嬉しかったし、安心した。
寺沼くんもちょっと変わってるけど、悪い子じゃないみたいだし。
川島くんの友達なら、私も彼に対してぞんざいな態度はできないと思った。
でも、日が経つにつれ、なにやら様子が違ってきて。
突然、北原と一緒にいる前で、私は寺沼くんから愛の告白を受けた。
それが本心なのか、ただ私たちがからかわれているだけなのか、イマイチつかみどころが無くて、真意がわからない。
こんな時、以前の私なら、ちょっと彼に触れれば、何か聞くことができたのだけど。
最近、その能力の調子が悪い。
ホントに役立たず……。
「どうですか? 俺の得意なテニスで勝負。あ、もちろん、ハンデはつけますよ。俺から1セット6ゲーム中、1ゲームでもとったら先輩の勝ちってことで」
均整のとれた長身に似合わない、アイドルさながらの甘い顔つき。
口元はにっこり笑っているけれど、北原と交差する視線は、まるでばちばちと火花が散りそうにみえた。
だいたい、そんなバカな話、北原が受けるわけがない。
寺沼くんの実力は、それなりに将来を約束されるほどのものだと、相変わらずミーハーな香奈やクラスメイトが話しているのを聞いたことがある。
たとえハンデがあるとしても、寺沼くん相手に、普段からテニスなんてものに触れていない北原が勝てるわけない。
最初から勝算のない勝負なんて、馬鹿馬鹿しいとか言うに決まってる。
「馬っ鹿じゃねぇの」
先に言ったのは川島くんだった。
「そんな試合するわけねぇじゃん、な、伊吹」
同感。
いくら挑発したって、北原は冷静だってことを、私も川島くんもよく知ってる。
……つもりだった。
「桜井」
落ち着いた北原の声が私を呼ぶから、顔を上げた。
「負けても俺を恨むなよ」
「……え?」
今、何て言ったの?
「確かに、桜井は俺だけのモノじゃない。それに、素人の俺が、もし間違って寺沼から1ゲームでも取れたなら、面白いことになりそうだ」
は!?
な、な、何なのっ!?
そんなくだらないことに、私を差し出すっていうの!
冗談じゃないーっ。
「じゃあ、早いほうがいいですよね。明日の放課後なんてどうですか?」
「わかった」
私は、極めて互いに冷静を装っている、北原と寺沼くんを交互に見た。
どうやら冗談じゃ済まされないふたりの視線に、私は慌てて北原のシャツを引っ張った。
「ちょーっ! 待ってよ、やだ。やだやだ、やめてよ」
「なんだよ。俺が負けると思ってるのか?」
「あ、や、そうじゃなくてっ」
「もしそう思ってるんだとしたら、明日は、俺が勝てるように応援して」
そんな。
私は北原の態度に愕然とした。
北原は、特別な時しか見せてくれない優しい笑顔で、私の髪を撫でる。
いつもなら、そんな北原に素直に甘えられるのに、今は状況が違う。
まるで、負けるとわかっているような。
でも、そんなはずがないっ。
「冗談、だよね?」
その答えを俺に聞くなとばかり、北原の視線は寺沼くんを向いた。
つられて彼を見ると、さっきまで笑顔だった寺沼くんは、わずかにその表情を曇らせた。
「変な彼氏ですね」
半ば呆れたようにそう言われて、私は頷くことも、否定することもできずに、再び北原の顔を覗きこんだ。
たぶん、女性に生まれてきたとしても、高嶺の花という言葉がぴったりな美人だっただろうと思う端整な顔立ち。
何も言わず、ただ微笑んでいれば、大人顔のイケメン。
でも。
うん、確かに、フツーじゃないよ、ね。
心の中で結論が出たところで、タイミングよく北原の目がこっちを向いた。
思わず頬が引きつったけど、そんなことなど厭わないというように、やっぱり北原は微笑んでいた。
「川島くん、テニスのルール知ってる?」
「んあ? あれだろ、サーブ権のあるほうが、相手方の四角いマスの中にボール打って、相手がミスすりゃ点が入るんだろ?」
「そうだよね」
「たぶん、な」
川島くんも、どうやら私と同じ程度の知識しかないらしい。
コート脇の金網にもたれて、私と川島くんはふたりを見守った。
……っていうか、なんていうか。
「なんで、こんなことになっちゃったんだろ」
溜息とともに、ぼそり呟くと、川島くんがすまなそうな顔をしてうつむいた。
「あ、や、寺沼くんって、いいひとだと思うよ。川島くんとも、息がぴったりーって感じだし」
「しおり、いいんだよ、そんなフォローいらねぇから」
「え……あ、そう、なの?」
うんと頷いて、川島くんはコートの北原を見つめた。
「けど、マジで、どうして伊吹、こんなくだらねぇこと……」
「うん」
らしく、ない。
昨日、あのあとどれだけ詰め寄って真意を聞こうとしても、北原は妖しく微笑むばかりで、何にも教えてくれなかった。
ただ、必死で応援してくれと、それだけで。
ジャージにTシャツ姿の北原が、ラケットを片手にコートに佇んでる。
その姿も、私にとっては初めてで、違和感がたっぷりだ。
ホリちゃんからは、北原がスポーツ万能だと聞いていたけど、実際そんな姿を見たことはない。
対する寺沼くんは、ポロシャツにショートパンツのユニフォーム姿で、器用にラケットでボールを玩んでいる。
その横顔がきらめいて、私とばっちり視線が合った。
「しおりさん。デート、どこに行くか、考えておいて下さいね」
屈託のない笑みに、私は苦笑して首を横に振った。
だいたい、デートなんて、北原とだってちゃんとしたことないのに!
そのこと、北原、わかってるの?
「んじゃ、始めますか」
ルールが曖昧な私と川島くんのかわりに、審判にはテニス部の男の子が、このわけのわからない試合に付き合ってくれることになった。
彼が寺沼くんの声を聞くと、コート上のふたりを見やる。
「プレイ」
そして、試合が始まった。
1ゲーム4ポイント、1セット6ゲームのうち、1ゲームでも北原が勝てばいい。
寺沼くんのサーブから始まった最初のゲームは、結局、北原が1ポイントも取ることができずに、あっという間に終了した。
そのボールの速さに北原も手を出すものの、相手のコートに返さなければいけないボールは、あらぬ方向にばかり飛んでいった。
「へー。俺のボール、最初っから、ちゃんとガットに当てられる人も、めずらしいね」
へらへらと笑いながらの寺沼くんに対し、北原のほうは、たった1ゲームでも、わずかに息が上がっていた。
これじゃあ、先が思いやられる。
本当に北原、一体何考えてるのっ。
嫌な予感がおさまらない。
私は不安で両手を祈るように組んだまま、気がつけば、ずっと北原の姿ばかりを追っていた。
真摯な瞳でボールを見つめ、必死で腕を伸ばしコートを走る。
そして。
「やったっ!」
北原の初得点に、私は声を上げてその場で小躍りした。
思わず駆け寄りたくなるけど、まだまだ試合中。
「この調子で頑張って」
いつの間にか私は、恥ずかしげもなく大きな声で、北原に声援を送っていた。
思いきり打ち込まれれば、がっくりと落胆して、少しでも北原にとって有利な状況になれば、笑顔で見守った。
なんとなく寺沼くんが面白くない顔をしてたのを、視界の片隅で確認できたけど、こればかりはしょうがない。
いくら大切な親友の友達でも、今は寺沼くんを応援するわけにはいかないし。
私の声に応えて、嬉しそうにはにかむ北原に、今までになく胸の奥をぎゅっと掴まれた気がした。
たぶん、きっと……恋する乙女って、こんな感じなんだ。
北原と私の出会いは、とてもフツーじゃなくて。
少しずつ進んできた道のりも、平凡な高校男女の健全恋愛とは、ちょっとズレたものだったと思う。
だからこそ、こんな感覚が新鮮で。
何より、見たことのなかった、汗を流す北原の姿に、どうしようもなく心を奪われてる。
「しおり、伊吹が負けてんのに、ナニ、にやにやしてんだよ」
「あ……えへ」
「えへ、じゃねーよっ! あと一点で、負けだぞっ!!」
「えぇっ!?」
淡い甘い青春模様のシチュエーションに酔っていた私は、川島くんの一言で、一瞬にして夢から覚めた。
「だめーっ、絶対、ぜーったい負けちゃだめだからねっ」
力の限り、たぶん、必死な顔で叫んでる私を見て、サーブするところだった北原が笑った気がした。
いつもの、人を馬鹿にするような顔で。
ちょっとだけムカついたのも束の間、寺沼くんの強烈なスマッシュが決まってしまった。
「ゲームセット。寺沼の勝ちです」
当たり前だとでも言いたそうに、審判の彼が無表情で告げると、私は呆然とその場に座り込んだ。
「これじゃ、誰が試合したのかわからないな」
弾む息を整えながら、北原は私の目の前にしゃがんで顔を覗きこんでくる。
随分能天気に聞こえる言葉に、意気消沈な私は思いきり北原を睨んだ。
「どうして負けちゃったのよっ」
「しょうがないだろ。相手が相手なんだから」
「だったら、こんな試合受けなきゃ良かったじゃないっ」
「桜井」
「私、ぜーったい嫌よ。寺沼くんとなんか、絶対にデートしないから! あんなの、ふたりで勝手に約束しただけで、私は一っ言も良いなんて言ってないんだからっ」
大きな声で北原に言い放ったつもりだった。
でもそれは、私に影を落とす彼にも聞こえていて。
「しおりさん、そんな言い方、ひどいなぁ」
はっとして顔を上げると、唇を尖らせた寺沼くんが、ラケットで自身の肩を叩きながら立っていた。
彼の大きな溜息が、私の上から降りかかってくる。
私はすかさず立ち上がって、口を開いた。
「ごめんね、あの……とにかく、ごめんなさいっ! でも、本当に、私は寺沼くんとはデートできないよ」
たとえふたりの賭けだとしても、私は納得できないし。
どんなに強要されたって、北原ともろくにデートしてない私が、他の誰かとデートするなんて、やっぱり考えられない。
「あー、そっか」
寺沼くんはどこか空を見上げて呟くと、次には立ち上がった北原を真っ直ぐに見つめた。
「北原先輩は、こうなることが見えてたんだ。嫌らしいことするんだねー」
「策士と言って欲ほしいな」
「ふーん、認めるんだ」
「もちろん、大切なものを守るには、頭も使わないと。ただひたすら力任せなだけじゃ、疲れるだけだ」
意味のわからない北原と寺沼くんのやり取りを、私と川島くんはぼんやり見ているだけだった。
「たっくん、俺、試合には勝ったけど、やっぱ負けたみたい。あーっ! もう、超悔しいし、すげー傷ついたっ! たっくんのせいだよー」
「な!? どーしてだよ!」
「たっくんが、こんなひと俺に紹介するから悪いんだぁーっ」
「それは、オマエが勝手に足突っ込んだんだろっ」
「……そーだけどさぁ」
言い合いしながらも、凸凹なふたりは、先にテニスコートを出て行った。
まるで、駄々をこねる寺沼くんを、川島くんが慰めるみたいに。
ふたりを見送る北原の視線が優しくて、でも、やっぱりまだ北原の考えていたことがわからなくて、私は小さく息を吐いた。
「ねぇ、どういうこと、だったの……?」
「ん?」
「『さくし』とか、なんとかって」
「あぁ。俺が、桜井のことをよく理解してるってことだよ」
「ふぅん。とりあえず、私はデートしなくていいんだよね?」
何か私が馬鹿なことを聞いたのか、北原が声を上げて笑った。
「だって、したくないんだろ?」
「うん」
「だったら、しなくていいんじゃないのか」
「……そっか」
って、納得していいの?
「桜井、負けた俺って、格好悪い?」
「えっ……いや、そんなこと、ないよ」
むしろ、試合中の北原にあらためて見惚れたなんて、恥ずかしくて言えなかった。
不意に北原が私を抱きしめた。
「ありがとう」
そんなことを言われると、今日はなんだか妙に気恥ずかしくて、身体が固まってしまう。
私はそっと北原のTシャツの裾を掴み、汗の匂いのする胸に顔をうずめた。
後日、川島くんから、北原は私が試合後どんな言動をするか予想がついていたのだと聞かされた。
他人が何を言っても響かない寺沼くんには、私から直接はっきりとした気持ちを伝えさせるのが一番『効く』と踏んでいたことも。
もしかして、私があんな気持ちになることも想定内だとしたら……まるで私は北原の手の上で転がされてるみたいで、恥ずかしくなった。
私たちは、まだまだ甘いイチゴジャムには程遠いかもしれないけれど。
丁寧に煮詰められて、ゆっくりと甘くなればいい。
そう、私は夢見てる。