第四十六章 大剣の秘密、朽ちた銘
王都での騒動から数日。
「なあ、タイチ。ちょっと付き合ってくれ」
リーネが真剣な顔で言った。
手には愛用の大剣を抱えている。
「どこへ?」
「鍛冶屋だ。こいつ、ルシアとの戦いで刃こぼれがひどくてな。研ぎ直さねぇと」
二人が向かったのは、王都の下町にある古びた鍛冶屋だった。
煤けた看板には「ドワーフの穴ぐら」と書かれている。
店内に入ると、熱気と金属の匂いが二人を包んだ。
「おう、いらっしゃい。って、お前さんは…」
カウンターの奥から現れたのは、
腰の曲がった老ドワーフだった。
分厚い眼鏡をかけ、髭は床につきそうなほど長い。
その目が、リーネの顔を見て見開かれた。
「リーネじゃねぇか! 久しぶりだな!」
「ガルドのじいさん…まだ生きてたのか」
リーネが苦笑する。
「当たり前だ! まだまだ死なんわ!
で、今日はなんの用だ? そのデブは新しい連れか?」
「相棒のタイチだ。それより、こいつを見てほしい」
リーネが大剣をカウンターに置いた。
ガルドは眼鏡を押し上げ、大剣をじっくりと観察し始めた。しかし、その表情が次第に曇っていく。
「嬢ちゃん、この剣、いったい何と戦ったんだ?」
「氷の魔法をバカスカ撃ってくる貴族の女だ」
「なるほどな…刃こぼれだけじゃねぇ。
刀身全体に無理な負荷がかかってる。
このままだと、次に強い衝撃を受けたら折れるぞ」
リーネの顔が強張った。
「折れる…? この剣がか?」
「ああ。元々が古い剣だ。
継ぎ接ぎで使ってきたのが、もう限界なんだ」
太一は驚いて大剣を見つめた。
言われてみれば、刀身には無数の古傷があり、
鍔元には見慣れない紋様が刻まれている。
「リーネ、その剣は…」
「ああ。グレイン爺ちゃんの形見だ」
リーネは静かに語り始めた。
「あたしの爺ちゃんは、ただの村の剣士じゃなかった。
若い頃はソードマスターと呼ばれた大剣使いで、
この剣はその爺ちゃんが若い頃に
師匠から授かったものらしい。
あたしが物心ついた時にはもうボロボロだったけど、
それでも岩も鉄も斬れる、すげぇ剣だった」
彼女は大剣の刀身を指でなぞった。
「村が魔獣に襲われた時、
爺ちゃんはこの剣一つであたしを守って死んだ。
最後に言ったんだ。
『この剣をお前に託す。強くなれ、リーネ』って」
太一は黙って聞いていた。彼女の過去の断片。
彼女が剣に込めた想い。
「だから、この剣はあたしの命そのものなんだ。
こいつが折れるってことは…あたしの過去が全部、無くなるってことだ」
リーネの声が震えていた。
「こ、この剣、直せないんですか?」
太一がガルドに尋ねた。
「直すだけならできる。
だが、それは一時しのぎだ。
この剣を本当に甦らせたいなら、『竜鱗の鍛冶師』を探せ」
「竜鱗の鍛冶師…」
「ああ。伝説の刀鍛冶だ。
正体不明の変人でな。
この剣の元の作り手でもあるらしい。
そいつに頼めば、あるいは素材を打ち直して
新しく生まれ変わらせることができるかもしれん」
太一はリーネを見た。
彼女は何か思い当たる節があるのか、
俯いて考え込んでいる。
「…そ、その鍛冶師はどこにいるんですか?」
「さあな。もう何十年も音沙汰がねぇ。
だが、噂では北の霊峰のどこかに住んでるって話だ。
相当な変わり者で、気に入った奴にしか剣を打たない。
まあ、あんたらなら気に入られるかもしれんがな」
ガルドは笑いながら、
とりあえず大剣の刃こぼれを応急処置で直してくれた。
店を出た後、リーネは大剣を背負い直し、空を見上げた。
しかし、その足取りは重く、北の空を見る瞳には迷いが揺らいていた。
「霊峰か…遠いな」
「行くのか?」
「…わからん」
彼女は珍しく即答しなかった。応急処置を終えたばかりの剣の柄を、白くなるほど強く握りしめている。
「あたしは借金もまだあるし、赤牙も放っておけねぇ、
それに……」
リーネは一旦言葉を切り、唇を噛んだ。
「……でも、それ以上に…あたしは、この剣を『打ち直す』のが怖いんだ」
「怖い?」
「ああ。爺ちゃんが死んだあと、
魔獣の血と泥にまみれたこの剣を、
あたしはずっと涙で拭い続けた。
爺ちゃんの体温が残ってるって信じてた。
この刃の欠け一つ一つに、あたしと爺ちゃんの記憶が刻まれてるんだ」
彼女は震える指先で、刃こぼれした刀身の傷をそっと撫でた。
「打ち直すってことは、爺ちゃんが残してくれた最後の形を、溶かして壊すってことだ。
爺ちゃんの体温も、あの夜の記憶も、全部溶かして、
全く別の剣に作り変える。
それは…あたしの過去を否定するみたいで」
リーネは俯き、絞り出すように言った。
「それに…『強くなれ』って言われた時、
あたしはこのボロボロの剣で十分だって思ってた。
不格好でも、爺ちゃんが守ってくれてる気がしたから。
でも、新しい剣になるなら、もう言い訳はできなくなる。
あたしは、爺ちゃんの加護じゃなくて、
自分の力で立たなきゃならなくなる。
あたしに、その覚悟があるのかわからない…」
過去の記憶に縋り付くことと、
過去を乗り越えて強くなること。
その狹間で揺れるリーネの姿は、あまりにも脆く見えた。
太一は黙って彼女の言葉を聞いていた。
そして、リーネの剣を握る手の上に、
自分の手をそっと重ねた。
彼は精一杯の優しさを込めて握った。
「リーネの過去は、剣の形が変わっても消えないよ。
爺ちゃんの想いも、あの夜の涙も、
全部リーネの中に残ってる。
剣を新しくするのは、過去を捨てるんじゃなくて、
これからも戦い抜くための準備だ」
「タイチ…」
「借金を返しながらでも、霊峰を目指せる。
赤牙を追いながらでも、鍛冶師を探せる。
俺たちは二人だ。
できることの幅は、一人の時より広いだろ?
それに…強くなるのが怖いなら、俺が隣にいる。
リーネが立ち止まりそうになったら、俺が引っ張るから」
リーネはしばらく太一の顔を見つめ、それから破顔した。
目元に光るものがあったが、それはもう迷いではなかった。
「お前、言うようになったな。最初はビビリだったのに」
「うっ…それは…」
「ははっ! よし、決めたぞ! 霊峰へ行く! ついでに赤牙もぶっ潰す! 欲張りで何が悪い! 過去を食って、未来を斬る! それがあたしの流儀だ!」
彼女は太一の背中をバンと叩いた。
「頼むぞ、相棒!」
「ああ!」
二人は王都を後にし、北へと向かった。




