第三十三章 王都の喧騒、すれ違う影
城壁をくぐると、そこは別世界だった。
石畳の大通りには色とりどりの幌馬車が行き交い、
露天商たちが威勢のいい声で客を呼び込んでいる。
鍛冶屋の金槌の音、
香辛料の匂い、
路地裏から漂う下水の臭い。
すべてが混ざり合って、
王都ネルフゥスという
巨大な生き物の息吹を感じさせた。
「すげぇ…」
太一は圧倒されて立ち尽くした。
ラバトも大きな街だったが、
ここは規模が桁違いだ。
人、人、人。
そのすべてが、
彼にとっては処理しきれない情報の奔流だった。
(こんなに人がいるのか…)
彼は無意識にリーネの服の裾を掴んでいた。
彼女は振り返らず、
むしろ当然のようにその手を自分の腰に導いた。
「迷子になるなよ、タイチ」
「あ、ああ…」
繋がれた手ではない。
しかし、服越しに感じる彼女の存在が、
太一の心を繋ぎ止めていた。
二人がまず向かったのは、
冒険者ギルドの本部だった。
大理石の柱が並ぶ荘厳な建物で、
中は多くの冒険者たちで賑わっている。
リーネはギルドの入り口前で一度立ち止まったが、
覚悟を決めた様に再び歩みを進める。
太一は彼女の後ろで、周囲の視線に怯えていた。
「おい、見ろよ。あのデブ」
「召喚士か何かか?
随分と食いすぎた召喚獣みてぇだな」
クスクスという嘲笑。
太一は俯いた。
慣れているはずだった。
慣れているのに、
リーネと一緒にいる時に聞く嘲笑は、
一人で聞くよりずっと痛かった。
(彼女にまで恥をかかせてる)
リーネは歩みを進めながら静かに言った。
「タイチ、気にすんな。ああいう奴らは、
吠えるのだけが達者な弱犬だ」
「でも…俺のせいでリーネまで…」
その時、立ち塞がるように、
三人組の冒険者が現れた。
いずれも上等な装備を身につけ、
自信に満ちた表情をしている。
「おや? どこかで見た顔だと思ったら、
リーネじゃないか」
真ん中に立つ細身の男が、
嫌味な笑みを浮かべた。
長剣を腰に差し、
マントには上位冒険者の証である銀の徽章が輝いている。
リーネの顔が強張った。
「…ライナー」
「まだ冒険者続けてたんだな。
カルロたちから聞いたぞ。
新しい飼い主を見つけたって?
そのデブがそうか?」
ライナーと呼ばれた男の仲間たちが下卑た笑い声を上げる。
周囲の冒険者たちも、
何事かと野次馬のように集まり始めた。
太一はリーネの前に出ようとした。
しかし、リーネは片手で彼を制した。
その手は微かに震えている。
「あんたに関係ないだろ、ライナー。
あたしは賠償金を払いに来ただけだ」
「へっ、聞いたぜ、お前が狂犬じゃなくなったって?
信じられねぇな。味方も顧みず突っ込んで、
何人も死なせたお前が、
今じゃデブの後ろでおとなしくしてるなんて」
「黙れ…!」
「図星か? あの時のこと、まだトラウマか?
自分のせいで死んだ奴らの顔、
夜な夜な夢に出てくるんだろ?」
ライナーの言葉は冷たい刃だった。
リーネの肩が小刻みに震え始める。
太一は彼女の顔を見た。
唇を噛み締め、目には涙が溜まっている。
彼女の暴走の過去。
死んだ仲間たち。
それは太一も聞いていた。
しかし、具体的な被害者の顔までは知らなかった。
(こいつは、あの時のことを知っている。
リーネをわざと追い詰めてるんだ)
太一の心臓が激しく脈打つ。
怒りか、恐怖か、自分でもわからない。
「やめろ…」
太一は震える声で言った。
「あん?」
ライナーが太一を見下ろす。
身長差もさることながら、
その視線には絶対的な優位性が込められていた。
「彼女に…もうその話はやめてくれ」
「なんだデブ、お前も何か言いたいのか?
その体でよくそんな口がきけるな。
食いすぎて頭まで脂肪で詰まったんじゃねぇのか?」
嘲笑が大きくなる。
しかし、太一は一歩前に出た。
足は震えている。
声も震えている。
しかし、彼は怯まなかった。
「彼女は…リーネは、変わったんだ。
過去が何であれ、今の彼女は俺を守ってくれた。
誰よりも優しい剣士だ。お前に何がわかる」
ライナーの顔から笑みが消えた。
「面白ぇな。そこまで言うなら、
そのデブがお前の新しい飼い主として
どれだけのものか見せてくれよ、リーネ」
彼が手を上げると、周囲から数人の冒険者が立ち上がった。全員がライナーの仲間らしい。
腕に徽章をつけている。
これは罠だった。
彼らは最初からリーネを陥れるために待ち伏せていたのだ。
リーネが太一の腕を引いた。
「タイチ、逃げるぞ…!」
「お前は逃げなくていい!」
太一は初めてリーネに逆らうように叫んだ。
「俺が…俺が証明する。お前は狂犬なんかじゃない。お前は俺の相棒だ。相棒を守るためになら…俺は戦う!」
太一の手に魔力が集まる。制御しなければ暴走する。しかし今は、その暴走の恐怖よりも、
リーネを守れないことの恐怖の方が大きかった。
「タイチ……」
リーネの目から涙がこぼれた。
しかしそれは、悲しみではなく、
あのタイチが、勇気を振り絞り、
こんな自分の事を守ってやると
宣言してくれた事への感謝の涙だった。
「…わかった。やるぞ、相棒」
彼女は大剣を抜いた。
迷いのない、真っ直ぐな抜き身だった。
ギルド内が緊張に包まれる。
野次馬たちが距離を取り、店員が机の下に隠れた。
ライナーが剣を抜く。
「いいだろう。狂犬の調教がどれだけできてるか、
見せてもらおうか」




