第十五章 雨の峽谷、剣聖の残響
数日後、
二人は『嘆きの峽谷』と呼ばれる隘路に差し掛かっていた。
空は鉛色に濁り、冷たい雨が降り注いでいる。
ぬかるみに足を取られ、太一の巨体には過酷な道程だった。
「急ぐぞ、タイチ。ここは『魔将』の縄張りだ」
リーネが顔を強張らせた。
『魔将』
ただの魔獣ではなく、知性と強力な個体能力を持つ、
軍団を率いる階級の魔物だ。
その時、峽谷の壁面が崩落した。
現れたのは、岩のような皮膚に覆われた、
四本腕の巨人だった。
その手には、丸太のような骨の棍棒が握られている。
「見つかったか! 走れ、タイチ!」
リーネが叫び、大剣を抜いて巨人に立ち向かう。
大剣が巨人の脚に叩きつけられるが、
火花が散るだけで皮膚に傷一つつかない。
「硬っ…! 魔法で皮が強化されてる!!」
巨人が腕を振り回す。リーネは辛うじて避けるが、風圧だけで数メートル弾き飛ばされ、泥濘に叩きつけられた。
「リーネ!」
太一の悲鳴。
巨人が、倒れたリーネに向かって棍棒を振り上げる。
死の予感。
太一の体が動いた。
理屈ではない。制御された魔法でもない。
ただ、彼女を守りたいという、
純粋な衝動だけが彼を突き動かした。
「うおおおおおぉぉッ!!」
太一は泥濘を蹴った。
彼の巨体が、信じられない速度で加速する。
右手には、野営で使い続けたあの細い木の枝。
彼は巨人の懐に潛り込んだ。
(見える…!)
理の眼を持たない彼には、方程式は見えない。
だが、リーネとの稽古で研ぎ澄まされた直感が、
巨人の筋肉の収縮と、骨格の隙間を
「斬るべき線」として浮かび上がらせていた。
一閃。
木の枝が、巨人の岩皮の継ぎ目、
関節の薄い膜を正確に突き抜いた。
それは剣聖級の剣技。
ありあわせの枝で、鋼鉄の鎧の隙間を貫く、
人間技ではない精度。
巨人の動きが硬直する。
太一は枝を捻じ込み、
そのまま魔力を流入させた。
制御など考えていない。
ただ、目の前の敵を破壊するイメージだけを注ぎ込む。
「消えろぉッ!」
ドォォン!!
巨人の体内で魔力が炸裂し、
その巨体を内側から粉砕した。
岩の破片が雨の様に降り注ぐ中、
太一は肩で息をして立っていた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
手からボロボロになった枝が落ちる。
振り返ると、リーネが呆然とした表情で見上げていた。
「おい…タイチ。お前、あたしが剣の稽古つけてたけど…
本当は、あたしより強かったんじゃねぇか…?」
太一は膝から崩れ落ちた。
「ち、違う…俺、何も…わからない…ただ、
リーネが…死ぬと思ったら…」
雨が彼の醜悪な体を打つ。
だが、彼は泣きながら笑っていた。
(守れた。俺は、誰かを守れたんだ。パケットロスしないで、繋がれたんだ)




