第十三章 直感の刃、理を超えて
翌朝、二人は街道沿いに現れた小さな村に辿り着いた。
だが、村の空気は異様だった。
家々の戸は閉ざされ、広場には血痕が点々と残っている。
「…奴隷狩りか」
リーネが低く呻いた。
「最近、この辺りを荒らしてる『赤牙』って
盗賊団だ。人は攫い、金を奪い、抵抗する者は殺す」
その時、広場の奥から数人の男たちが現れた。
皮革の鎧に身を包み、汚れた刃を持った者たち。
その背後には、縄で縛られた村人たちが引きずられていた。
「おや、変な客だ。そこのデブ、いい皮帽ができそうだな」
盗賊の頭目らしき男が、下卑た笑い声を上げた。
「タイチ、下がってろ」
リーネが大剣を抜いて前に出る。
太一の心臓が早鐘を打つ。
(嫌だ、また…あの感覚になる。人が死ぬのを見たくない、人を殺したくない、でも…)
「おいおい、小娘が一人で俺たちを止められると思ってんのか?」
剥き出しの殺意と、
弱者を踏みつけることに慣れた下卑た笑い声が、
空気を震わせた。
数は二十三。
いずれも肥え太った体に錆びついた剣や斧を抱え、
獲物を前にした野獣のごとく距離を詰めてくる。
先頭の男が、唾を飛ばしながら剣を振り上げた。
「死ねぇッ!」
彼女の肢体が跳んだ。
赤い髪が鮮やかな弧を描く。
巨大な鉄塊が、まるで柳の枝のようにしなやかに、
そして神速で舞った。
「な――」
先頭の男が声を上げるよりも早く、
大剣は彼の剣を根元から両断し、
その勢いのまま脇腹を深々と抉っていた。
血飛沫が闇に咲く。
男は声にならない呻きを上げ、
糸が切れた人形のように倒れた。
一撃。
それが合図だったかのように、
リーネの赤い髪が翻る。
大剣の軌跡は芸術のようだった。
振り抜かれた鉄塊が生み出す暴風が、
二人目の男の胸郭を圧し潰す。
間髪入れず、返す刃で三人目の斧を粉砕し、
肩から鎖骨までを断ち切る。
四人目の男が、恐怖で歪んだ顔で背後へ退こうとした。
だが、速すぎた。
リーネの踏み込みの一歩が、彼の退路を断ち切る。
自身の身長ほどもある大剣を
片手で天井に突き上げるように振り上げ、
容赦なく叩き下ろした。
轟、と地面が鳴動する。男は悲鳴を上げる間もなく、瓦礫とともに地にめり込んだ。
「う、あ……」
残された者たちの足が、揃って止まった。
「ば、化け物か……!」
さっきまでの下卑た笑いも、
殺意も、
夜霧の向こうへ霧散していた。
彼らの目に映っているのは、
小柄な少女の背中と、
その肩に軽々と担がれた血塗れの大剣だけ。
ポニーテールの赤い髪が、ゆっくりと揺れている。
(すごい……)
太一は息を呑んだ。
恐怖の中にあっても、彼女の背中は微動だにせず、
振るう剣は一条の光のようだった。
美しい、とすら思う。
己の無力さを痛感しながらも、
その頼もしい姿に胸を打たれずにはいられなかった。
しかし、数が多すぎた。
多勢に無勢の瞬間、
リーネの視界の外から盗賊達の刃が迫る。
「リーネっ!」
その叫びと共に、彼は魔術の行使をイメージした。
焼き払うのではない。
弾き飛ばすのだ。
詠唱はない。
だが、深層意識下で、彼は「言葉」を紡いでいた。
(敵の動きを止めろ。物理干渉。衝撃波)
「動くな!!」
ドォンッ!!
盗賊達に叫ぶと同時に、
太一の手から透明な衝撃波が放たれた。
それはリーネをすり抜ける様に盗賊たちのみを薙ぎ払い、
数メートル吹き飛ばした。
壁に激突し、意識を失う盗賊たち。
死んでいない。太一は無意識に、
殺傷力を極小化した衝撃を選択していた。
「え…?」
太一は自分の手を見た。
暴発していない。
自分の意志で、制御できた。
(
どうやって…? わからない。でも、さっき頭の中で呪文みたいなものが…)
彼が口に出した「動くな」という言葉。
それは、かつて家に引き篭もりながら
ゲームのチャットで、
会ったことも無い、顔も知らない、
『仲間』に指示を出していた時の
「ゲーミング軍師」の残響だった。
感情の混乱の中に、突然、ゲーマーとしての
彼が顔を出したのだ。
リーネが振り返り、目を見開いた。
「す、すげぇ…タイチ、今のはお前がやったのか?」
「わか、わからない…でも、リーネが…危なかったから…」
太一は荒い息を吐いた。
冷や汗が頬を伝う。だが、胸の奥には奇妙な安堵があった。
自分の力が、人のためになった。
誰かを守った。
「…へぇ、ただのビビリじゃなさそうだな」
リーネがニカっと笑った。
「助かったよ、タイチ」
その笑顔を見た瞬間、
太一の中で何かが崩れた。
壁が。
長い間彼を閉じ込めていた、
自己否定の壁が小さくひび割れた。
「…あ、ああ…」
彼はリーネに向かって、
初めてはっきりとした、
吃ることのない笑顔を返した。
それはひきつった、
ひどく不格好な笑顔だった。
だが、
そこには確かに「理」を超えた「情」があった。
静寂が戻った広場で、
リーネが即座に後処理を始める。
「タイチ、そいつらを縛る縄ないか?
あいつらの腰に付いてるやつだ」
指示に従い、太一は震える手で
気絶した頭目も含めた盗賊たちから縄を奪い、
互いに背中合わせに縛り上げていった。
リーネは大剣を鞘に収めると、
縛られた村人たちの元へ駆け寄り、
手際よく拘束を解いていく。
「大丈夫か? 怪我人はいないか?」
縛めを解かれた村人たちは、
初めは呆然としていたが、
やがて女性や老人が
子供を抱きしめて泣き崩れ始めた。
「あ、ありがとう……本当に、
ありがとうございます……」
震える声で頭を下げる村の老人に、
太一はどう返していいかわからず、
ただ無造作に首を横に振った。
リーネは盗賊たちが用意していた荷車から
略奪品を村に戻し、
さらに盗賊の頭目の懐から
金貨の入った革袋を引き抜いて、
老人の手に押し付けた。
「これで修繕くらいはできるだろ。
奴隷狩りの奴らは警戒して当分の間は
来ないはずだ。
あたしたちはここを離れるが、
すぐに街の衛兵に知らせろ」
「は、はいっ! お気をつけて!」
村を後にする二人の背中に、
村人たちの何度も何度も頭を下げる姿が見送られていた。
街道に戻ると、
風がそよぎ、血の臭いを急速に薄めていく。
太一は自分の掌をもう一度見つめた。
まだ微かに心臓の鼓動のような熱が残っている。
玉座の間で、それを見ていた本体の太一は、
自分の胸を押さえた。
心臓がないはずの場所が、激しく疼いた。
彼がどんな数式を弄んでも、
どれほど王国を最適化しても得られなかった
他者からの承認、
そしてそれに伴う歓喜の笑顔。
それを、彼の分身は
あっさりと手に入れてしまったのだ。
自己否定のひび割れた壁の向こう側で。
「……いいぞ太一」
太一は掠れた声で呟いた。
オリジナル太一の胸に走った疼きと共に、
その奥底で何かが確かに変わり始めていた。




