第8章 パート1 — 期待
期待 — カイト
翌週には、初秋が学校の中にも前よりしっかり入り込んでいた。
午後にはまだ残る暑さも、月の初めのころのように朝まで届くことはなくなっていた。生徒たちは制服を少しずつ調整して登校していて、夏以来初めて袖を下ろした者もいれば、まだ気温は変わっていないふりを頑固に続けている者もいた。教室の窓の外の光は前より薄く見え、一時間目が始まるころには、もう中庭へ低い角度で差し込んでいた。
職員室の近くでは、文化祭のお知らせの横に模試の日程が貼られるようになっていた。
教室の黒板には、宿題の連絡や交通機関についての注意の下に、委員会の締め切りが書かれていた。
学校全体が一か月前より忙しく感じられた。騒がしくなったというより、向かう先が決まってきたような感じだった。
カイトはそれを、授業と授業の短い合間にいちばんはっきり感じた。
教室の前の方で、サトシはいつもの椅子に後ろ向きに座り、両腕を頭の後ろへ伸ばした。
「先に言っとくけどな」彼は宣言した。「今年も偽物のクモの巣にクラスの金を使うなら、俺は正式に抗議する」
「霧発生装置が通らなかったのが悔しいだけだろ」カイトは答えた。
「そもそも正式な抗議の出し方、知ってるの?」後ろの方から来てユキの隣に座っていたアイコが言った。
「もちろん知ってる」
「知らないでしょ」
「書類と感情的な確信が必要なんだよ」
「後半でまず失格だね」
窓の近くでは、別のクラス代表と委員会の予算について言い合っている生徒がいて、その近くの数人があまり興味なさそうに聞いていた。
カイトはスマホをノートの横に置いてから、英語の教材を取り出した。
画面を上にして。
小さなことだった。
近くの生徒のスマホが振動して、自分のものへ反射的に目を落とすまで、カイトは特に意識していなかった。
何もない。
彼はまた目をそらした。
隣で、サトシはすぐに気づいた。
「有名人からファンレターでも待ってるの?」
「違う」
「書店、まだ返事来てないの?」
「まだ」
「そんなに返事遅いところで、本当に働きたいのか?」
「採用の流れなんてそんなものだろ」
サトシはさらに机の上へ身を乗り出した。
「働き始めたら、社員割引は責任を持って乱用しろよ」
「書店はそういう仕組みじゃないと思う」
「じゃあ書店員は搾取されてるな」
「搾取ってそういう意味じゃない」
「近い意味だろ」
その後、別の生徒が土曜日の準備にまだ人手が必要かどうかを聞いたせいで、会話は自然に文化祭の人員の話へ移っていった。どこか後ろでは、電車の遅れがあると遅くまで残るのが大変だと誰かが文句を言っていた。
カイトは黒板の最初の一行をノートに写し、それからまた短くスマホで時間を確認した。
授業中に書店から連絡が来ると思っていたわけではない。
ほとんど癖だった。
面接はもう一週間近く前に終わっていた。外から見れば、それは模試や進路希望の用紙と同じ種類のものに落ち着き始めていた。普通の学校生活が周りで続く中、少し先でどこかへ動いているもの。
それでも、そこで働くかもしれないという可能性に合わせて、彼の予定の一部は静かに動き始めていた。
意識してではない。
ただ、少しずつ。
昨日の夜も、週末のシフトが普通に入るようになったら、週ごとの課題をどれくらい早く終わらせる必要があるかを計算している自分に気づいた。
そのときは、実用的な考えとして数秒ほど自然に続いてから、まだ採用されたわけではないと思い出した。
その気づきは、別に恥ずかしいものではなかった。
ただ、自分の考えが勝手にそこまで先へ進んでいたことが、少し変に感じられた。
桜井先生が出席簿を片腕に抱えて教室へ入ってきた。
教室は不揃いに元の形へ戻っていった。
「始める前に」先生が言った。「文化祭の委員長は、明日の朝までに材料の希望を確定して提出してください。それから、模試の座席表は昼休みのあとに貼り出します」
サトシがすぐに片手を上げた。「受験期の精神的補償は申請できますか?」
「できません」
「一部補償は?」
「できません」
「お菓子の無料配布は?」
「ありません」
「交渉が厳しいですね、桜井先生」
「三年生を教えていますから」
「それは納得です」
桜井先生が出席を取り始めると、教室はまた静かになった。
カイトはシャープペンに手を伸ばした。
スマホは授業のあいだずっと、ノートの横に置かれたままだった。
昼休みになるころには、教室はまた重なり合う動きにほどけていた。
後ろの壁の近くでは何人かの生徒が段ボールを運び、窓際の女子二人は、塗った看板が「安っぽい」のか「レトロ」なのかで言い合っていた。
カイトは中央の列の方へ目を向けた。
ユキはアイコと話していた。
ぼんやりしているわけではない。
ちゃんと会話に入っている。
それは、この数週間のあとでは、まだ少し目に留まった。
最近のユキは、すぐには言い表しにくいところで落ち着いて見えた。
必ずしも機嫌がいいというわけではない。ただ、前より安定している。会話の中にいながら、どこか半分だけ別の場所にいるような感じが減っていた。
今は黙るときでさえ、前と同じように引いているようには見えなかった。
カイトは昼食を取ろうと鞄へ手を入れ、いつものように彼女たちのところへ行こうとしていた。
けれど立ち上がる前に、ユキの隣に座っていた女子が椅子を少し回し、周りの教室のざわめきより低い声で話し始めた。
ユキはまだ弁当を開けていなかった。
隣の女子は椅子を少し回し、周りの教室のざわめきよりも低い声で話していた。
カイトは飲み物のふたを開けながら、最初は断片だけを拾った。
「……本当にそれがしたいのか、自分でも分からないんだよね」その女子は小さく認めた。「みんな、どこの大学を目指すのって聞いてくるけど、どれも自分がやってるところを想像できなくて」
ユキは遮らずに聞いていた。
見せるためではなかった。
ただ、相手が数秒後に自然と続けられるくらい、きちんと聞いていた。
「親はずっと、事務の仕事の方が安全だって言うんだけど」彼女は言った。「でも、それを一生やってる自分を想像しようとするたびに、なんか……」少し迷った。「違う、気がする」
ユキは二人の間にあるプリントへ短く目を落としてから答えた。
「全部の将来を、一度に決めなくてもいいんじゃないかな」
「理屈としては優しいね」
「慰めで言ってるわけじゃないよ」ユキは静かに言った。「今はみんな、不完全な情報で選んでるだけだと思う」
女子は鼻から小さく息を吐いた。
「それ、なぜか少し楽になる」
「たぶん、みんながもう分かってることを自分だけできてない、ってわけじゃなくなるから」
それを聞いて、女子は小さく笑った。
「ユキって、いつも物事を落ち着いて聞こえるようにするよね」
「物事が落ち着いてるとは思ってないよ」ユキは認めた。「ただ、みんな少し早く焦りすぎるときがあると思うだけ」
隣の席から、アイコが少し机越しに身を乗り出した。
「ほらね。だからユキはそのうち、気持ちがぐらぐらしてる人たちをカウンセリングすることになるんだよ」
ユキはその注目に、すぐ少し居心地悪そうにした。
「それは疲れそう」と彼女は言った。
「もうだいたいやってるけどね」
その後、会話は自然に、その女子が何に興味があるのか、何か合いそうな仕事があるかという話へ移っていった。
行こうとしていたカイトは、そのまま自分の場所にいることにした。
そこにいてはいけないと感じたわけではない。
ただ今入っていくのは、少し場所違いに思えた。
教室の向こうで、ユキは昼休みの残りのあいだ、その会話に自然に入っていた。
それ自体は珍しいことではなかった。
会話がちゃんと彼女のところまで届けば、ユキはもともと人と話すのが苦手というわけではない。
それでもカイトは、いつもより少し長くそのやりとりを見ていた。
そういう場面を見ると、前ならあまり考えずに受け入れていたユキのことに、最近は気づくようになっていたからだった。
人が自然に、彼女の前で少し力を抜くこと。
話しすぎて重くしないまま、彼女が言葉を返す前にちゃんと聞くこと。
相手の迷いを否定せずに、少し落ち着かせることができるところ。
どれも、正確には新しいものではなかった。
けれど最近、そういう瞬間があるたびに、ユキの中で自分が素直にいいと思う部分を、前よりはっきり意識するようになっていた。
そういう細かいところを、わざわざありがたいと思う人は多くないのかもしれない。それでもカイトには、彼女のそばにいるのが少しうれしくなるようなところだった。
その考えがそれ以上落ち着く前に、窓の近くの動きが教室をまた動かした。何人かの生徒が、文化祭の準備のために段ボールを後ろの壁の方へ運び始めたのだ。
その後の午後は早く過ぎた。
授業の合間の学校は、学期の初めにはなかった混み方をしていた。廊下には文化祭の準備物を運ぶ生徒たちがあふれ、階段の近くでは先生たちが生徒を呼び止めて、模試の書類や委員会の割り当てについて確認していた。
四時間目の終わり近く、カイトは教材を鞄に戻しながら一度スマホを確認した。
その動きはもう自動的になり始めていて、あとからそれに気づくくらいだった。
今週の初めにも、まだ採用されたわけではないのに、仮にシフトが入った場合の課題の締め切りを頭の中で組み替えている自分に気づいたことがあった。
今も、考えの一部はまだ、書店がこれからの数週間にもう組み込まれたもののように扱っていた。
チャイムが鳴り、カイトはスマホをポケットへ戻した。
放課後になると、玄関へ向かう生徒の流れには、一日中校舎の中にあった詰まった勢いがそのまま残っていた。
廊下を歩くあいだ、声がいくつも重なった。サトシは、給料が入ったら何を買うのかと聞いてきた。
校門の近くで、前方にアイコと並ぶユキが見え、カイトは自然に足を緩めた。
ユキは近づいてくる足音に気づいて、短く振り返った。
「兄さん」
「今から帰る?」
「うん」
アイコが片手を軽く上げた。「また家族優先で見捨てられるんだ」
「毎回それ言うよね」とユキが言った。
「裏切りは毎回ちゃんと認識されるべきだから」
カイトは、ユキが心理学の資料らしいプリントを一枚持っているのに気づいた。どうやら、また家から持ってきたものらしい。
「まだカウンセリングの学科、調べてるの?」
「少し」
「どう?」
ユキはその紙を鞄に軽く当てて整えた。「思ったより複雑」
「それはたぶん普通だろ」
「たぶん」
その答えは十分なめらかで、あとの短い間も、不安というより彼女自身の意図のように感じられた。
それも最近変わったところだった。
進路の話になると、今でもたまに迷うことはある。けれど、前ほど分かりやすくはない。完全に黙る代わりに、あとで自分からもう少し自然に会話へ戻るようになっていた。
前より整っている。
読み取りにくい。
カイトは、何がどう違うのかまでは分からないまま、それに気づくようになっていた。
アイコは両腕を頭の上へ伸ばした。
「さて、未来の書店員とは違って、私はまだ委員会労働を生き延びないといけないので」
「自分で引き受けたんでしょ」とユキが言った。
「物を運ばされるとは思わなかった」
「準備って何だと思ってたの?」ユキが聞いた。
「近くに立って意見を言うこと、かな」
アイコは駅前の道の反対側へ向かって、後ろ向きに歩き出した。
サトシもその後を追った。
「資本主義の一員として機能できるよう頑張れよ」彼はカイトに言った。「学業で倒れるな」
「その予定はない」
「自信過剰なやつは、カフェインに頼る前にみんなそう言うんだよ」
それから彼はユキに一度手を振り、駅へ向かう人の流れの中へ消えていった。
その後の帰り道は、静かな流れに落ち着いた。
交差点を車が途切れず通り、涼しい夕方の空気が、通り過ぎる生徒たちの間を抜けて歩道に流れていた。
ユキは、持っているファイルを両手で軽く包むようにして隣を歩いていた。
「最近、それよく読んでるな」とカイトが言った。
「カウンセリングの資料?」
「うん」
「大学で必要なことを、もう少しちゃんと分かりたくて」
「家族カウンセリングの方をまだ考えてる?」
「たぶん」彼女は前方の信号へ目を向けた。「それに近いものかもしれないけど」
「その分野は、重いことも扱うって聞いたことある」彼は言った。「でも、ユキならできそうな気がする」
ユキは短く彼を見た。
「兄さん、そればっかり言う」
「本当だから」
「その仕事が何をするのか、全部知ってるわけでもないのに」
「ユキもまだ知らないだろ」
「それはそう」
そこで会話は自然に途切れた。
この数週間、そのあとの沈黙がユキにとって居心地悪くなっているようにカイトには思えていた。
今は、そうではなかった。
完全にそう言い切れるわけではないけれど。
むしろ、そういう間の中で、彼女の立ち方が少し変わったように感じられた。
二人の間の空気がまた前より安定したことを、カイトはよかったと思っていた。
それでも最近、少し先のことまで考えようとすると、自然にユキがいる前提で予定を組もうとしている自分に気づくことがあった。そのたびに、いつかはそれをやめなければならない時期が来るのだと思い出す。
その考えは、そこまで行くといつもうまく収まらなかった。
たいていは、あまり先へ進む前に止めた。
離れること自体が、まだ現実味のないものだったからではない。
進路面談の知らせ、大学の話、バイトの応募、模試の日程。そういうもののせいで、未来はもう抽象的すぎるものではなくなっていた。
それでも、彼の中のどこかはまだ、ユキがそのそばのどこかに自然にいるという静かな前提で、未来を思い浮かべ続けていた。
彼女は一時的に自分の生活へ入ってきた誰かというより、最初から自然にその一部を分け合っていた相手に近かった。それは、いちばん親しい友人たちについて考えるときとも違っていた。
だからたぶん、いつか彼女がいない形に慣れることを想像しようとしても、思ったほど単純にはいかなかった。
カイトは短く彼女を見た。この数週間、ユキも未来のことを考えながら、似たようなものに引っかかっていたのだろうかと思った。
聞こうかとも考えた。
けれど、自分でもまだうまく言葉にできないものをどう説明すればいいのか、やはり思いつかなかった。
家に着くころには、外の空はもう夕方の青へ暗くなっていた。
父が仕事から帰ってきたあと、夕食は少しずつ動き出した。
母が台所から最後の皿を運んでくるあいだ、炊きたてのご飯から湯気が上がっていた。
「で?」父は席に着いてから聞いた。「書店からはまだ何もなし?」
「まだ」カイトは言った。
「忙しいんでしょうね」母が言った。「話したとき、店長さんは興味ありそうだったんでしょう?」
「たぶん」
「じゃあ、そのうち連絡が来るわよ」
父はお茶に手を伸ばしながら一度うなずいた。
「シフトが無理のない範囲なら、最初のバイトにはいいだろう。駅にも近いし」
「受験が本格的になってきたら、予定には気をつけないとね」母が付け加えた。「特に夜に入るようになったら」
「分かってる」
「お前は昔から時間の使い方はうまいけどな」と父が言った。「ただ、詰め込みすぎるなよ。思っているより簡単にそうなるから」
その後、会話は自然に続いていった。
ユキは時々だけ参加していた。
ほとんどは聞いていた。
ただカイトは、書店の話が出ても、彼女がもう前ほど分かりやすく反応しなくなっていることに気づいた。代わりに、話しかけられれば慎重に答え、それからその話が別の方へ移っていくのを、そこに残りすぎずに見送っていた。
夕食のあと、カイトは皿を流しへ運び、通学鞄をまだ片方の肩にかけたまま二階へ上がった。
二階の廊下は、夕方の早い時間より静かになっていた。少し開いたユキのドアの向こうに、もう机の明かりの端が見えていた。
カイトは少しだけ立ち止まり、ドア枠を一度叩いた。
ノートに何かを書いていたユキが顔を上げた。「何?」
「少しのあいだ、一緒に課題やる?」
「何か分からないところあるの?」
「たぶん」カイトは手に持っていたプリントを少し動かした。「間違えて答える前に、意見を聞きたい数学の問題がいくつかある」
「少なくとも、自信過剰とは言われなさそうだね」
ユキの口元に、小さな笑みが一瞬だけ浮かんだ。
「それで、やるってことでいい?」
「いいよ」
数分後、二人は居間のテーブルで、座布団に座って隣同士になっていた。
近くの窓の外では、空はもうすっかり暗くなっていた。
しばらくのあいだ、夜は普通に続いた。
紙の上を動くシャープペン。
時々めくられるページ。
公式や言い回し、課題の指示についての短い会話。
途中でユキは、特に驚いた様子もなく、カイトの数学の立て方の一部を静かに直した。
「また条件飛ばしてる」
「気づいたと思う」
「問題を半分くらい間違えて解いたあとで?」
「それでも気づいたことにはなる」
「一晩中ここにいたいならね」
カイトはその何気ないからかいに少し笑い、プリントを直した。ユキは自分の数学の教科書を引き戻した。
彼の肘のそばには、スマホがテーブルの端近くに画面を上にして置かれていた。
次の問題の途中で、カイトは自動的にカレンダーを開いていた。シフトが重くなる週には、どれくらい早く課題を終わらせる必要があるか、頭の中で見積もりながら――
スマホが震えた。
カイトはすぐに下を見た。
書店。
差出人を見た瞬間、考えが途中でほどけた。
彼はメッセージを開いた。
このたびは面接のお時間をいただき、誠にありがとうございました。
慎重に検討いたしました結果、今回は当店の募集条件により合う別の方で進めさせていただくことになりました。
当店にご関心をお寄せいただきましたことを心より感謝申し上げますとともに、今後のご活躍をお祈りいたします。
カイトはそのメッセージを一度読んだ。
それから、もう一度読んだ。
向かいで、ユキのシャープペンが紙をこするかすかな音が、数秒だけ続いてから止まった。
テーブルの上では、メールの通知の下に、カレンダーの画面がまだ開いたままになっていた。
しばらく、彼はどちらも見たまま動かなかった。
それからサイドボタンを押し、画面を暗くした。
そのあとに来た反応は、思っていたより静かだった。
まだ、はっきり落胆というわけではなかった。
むしろ、考えの一部がしばらく同じ方向へ進み続けていたせいで、止まったあとすぐにはどこへ行けばいいのか分からないような感じだった。
仕事のシフト。
勉強の進め方。
そういう考えは、もう少しのあいだ自動的に場所へ収まろうとして、それから少しずつ崩れていった。
「兄さん?」
カイトは少し顔を上げた。
ユキは今、彼を見ていた。シャープペンはノートの端にゆるく置かれている。
「返事、来たの?」彼女は慎重に聞いた。
カイトは暗くなったスマホの画面へ一度目を戻してから答えた。
「うん」
ユキが彼を見ているまま、カイトは椅子の背へ少し体を預けた。
やりかけのプリントは目の前に開いたままだったが、メッセージを確認する前にどの問題を解いていたのかは、もう分からなくなっていた。
少しして、彼は作業の予定を組み直そうとして、テーブルの上のスマホへ自然に手を伸ばしかけた。
途中で止まった。
そうか。
もう、それを考える必要はなかった。
階下からは、両親が台所で話す声と、流しの近くで食器がやわらかく触れ合う音がかすかに聞こえていた。
普通の音。
普通の夜。
家の中では、何も変わっていなかった。
それでも、自分が最近の考えを少し先に進めすぎていたのだと分かると、その夜の一部だけが、少し流れから外れたように感じられた。




