求婚
グレイスはルーファスに打ち明け話を始めた。
心にあるのは信頼。味方を得た安心感と少しの依存。
まず創立記念日に起きた事と妹の恋、それを守ってやりたい気持ち。
「実はマーシャル辺境伯御令息にうちを訪ねて頂いたのです」
咄嗟の判断だったが帰り際に。
「あなたがアリスをお望みなら伯爵邸をお尋ね下さい⋯あなたが相応しい気がいたします」と。
そして目を見開くトーマスを見つめ
「無理は申しませんわ。でもあなたにお願いしたいのです。信頼しております⋯」と耳打ちした。
夕刻近くなってやって来たトーマス。
早急に自身の将来の大切な部分を決定しろと言われ、あれこれと思い悩んだであろう⋯でも彼は来てくれた。
グレイスは妹の立場や気持ちを彼に伝え協力を要請した。
心は痛んた。これから2人で育んだであろう気持ちや場面を全て薙ぎ倒すような所業なのだ。
でも何より妹を守りたい!
そして次の話はグレイス自身の気持ちと望み。
自分の婚約の経緯そしてその後の過程と相手との関係性。
「多分ラッセル家は私の父母が王都に戻り次第この婚約の解消と⋯妹との婚姻を要求して来る気がいたします」
「そんな無茶な事が?⋯」驚くルーファスにグレイスは
「やりたい放題ですわよね。でもあの家なら⋯予想がつきます。慣れておりますもの」苦く笑った。
以前から両家の間の決め事や多少の揉め事、全てゴリ押しに近い形で押し切られて来た。
バートン家の温厚な両親の気質もあろうが、その理不尽をグレイスはいつも腹を立てながら半ば諦めて来た。
以前からライアンの母ヴィクトリア夫人も苦手だった。
上品な笑顔の陰の威圧感、優しげな言葉に含む相手への侮り。
ルーファスの話を聞いてからは嫌悪感さえ芽生えた。
もう決して言いなりにはなりたくない!
グレイスは意を決してルーファスを見つめた。
「私、あなたに求婚いたします」
ルーファスが息を飲む気配がした、表情が見えないのがいっそありがたい。
「バートン家に入って私の夫となり、あなたに伯爵位を継いで頂くのが望みでございます」
あなたが側に居てくれさえすればもう何も怖くない⋯。
少しの間を置きルーファスは深く頷いて言った。
「君の望みを僕の望みとしよう。そして全力で叶える努力をすると約束します」
グレイスは安堵と心強さにまた、涙ぐみ微笑んだ。
教室に戻ると今日の最後の講義がまだ終わっていなかったので
廊下で待つ事にした。
先程迄ルーファスが隣に居た。彼の言葉や温もり。たくさん話した打合せや相談事、慰め、励まし。いろいろな事が頭を巡りじっと待つ廊下も苦にならず胸の鼓動を抑えるのに苦心するグレイスだったのだ。
帰り支度を終え教室を出たところでバーバラに呼び止められ馬車止め辺りまで一緒に歩いた。
「ごめんなさいバーバラご心配おかけしてますわよね。いつかちゃんとお話するわ。もう少しだけ待って下さる?」
軽く頷いたバーバラは「最近昼休みにあなたが何処かに消える事と関係があるのでしょ?グレイスが大丈夫なら、私何も詮索いたしませんわよ」
といつもの様に笑った。
「ただね。噂、知ってらした方が良いと思って。かなり酷いですわよ」曰く。
グレイスは幼い頃からライアンが好きで親に頼み込み無理矢理に婚約者に収まっていた。
気が強く我が儘なグレイスを愛そうと努力していたライアンはそのうち密かに自分に恋するアリスに気付き惹かれていった。
愛し合うようになってしまった2人は先日のパーティでグレイスに誠実に婚姻解消を願い出た。
嫉妬して怒るグレイスはライアンを怒鳴りつけ嫌がるアリスを無理矢理連れて帰っていった。⋯⋯のだそうだ。
まるで猿芝居の脚本だ。そして随分粗大ごみ男にだけ都合の良い話である。
出処が知れる。腹が立たない訳はないが今は騒ぎ立てる気はない。
出来るだけ大事にしない事が肝要だ。
でもアリスは鳥肌を立てるかも知れない。恋すると、愛し合う、の下りで。
「姉妹揃ってたいへんね⋯」と言うバーバラに感謝と敬愛を告げてから
迎えの馬車に乗った。
邸に帰ったグレイスはここまでの諸々の事情やアリスの状況、ルーファスの境遇と自分の気持ち、を綴った少し長い文を領地の両親に宛て早馬を頼んで送った。
申し訳ないが、驚いた両親はこれで予定を繰上げて早晩帰還してくれる筈だ。
グレイスが文を書くのを横で見ていたアリスは目を丸めて言っていた。
「ルーファス様っていったいどんな方なの?噂とは随分違うのね。お姉様を夢中にさせるなんて凄いわ」と。
グレイスは「あなたはどうか自分の心配だけしていなさい」と返したが、今日もライアンに見つかるのが怖いと学園を休んでいるのに⋯本当に繊細なんだか楽天的なんだかわからない子だわ。
とにかく今は両親の帰りを待つしかないが出来るだけ早くアリスの婚約を決めライアンの手が出せないようにして安心させ、自身は婚約解消を勝ち取りたい。
そしてルーファスを思い出してまた少し頬を赤らめたグレイスだった。
その夜ルーファスは学生寮のベッドで昼間の事を思い返していた。
全てが本当に起こった事なのだろうか。
「お慕いしております」彼女の言葉が頭を駆け巡る。
そっと触れた唇の柔らかさ甘やかさに頬が火照る。
本当に彼女が僕のものに⋯?
歓喜と恐怖が同時に襲って来る。
初めて知った彼女の、いやバートン伯爵家とラッセル侯爵家の事情と関係。
今迄は侯爵家から逃げ出す事だけに腐心していた。
何とかして卒業資格を得るまでは逃れ、感情的な衝突は避け穏便に嫡男の立場を譲れる方法を考え続けて来た。
それが叶えば市井で安全で平和なそこそこの暮しが得られるだろうと。
でも自分は今、グレイスを欲してしまった。
それでは済まない困難が立ち塞がっているのは明らかだ。
それを乗り越えなけれは本当の意味で彼女を得る事など出来ないのだろう。
人生で初めて優しさに触れ、人生で初めて求められた。
それも人生で初めて欲した人に。
ルーファスは彼女が居なければ生きて行けなくなる程の執着を持ってしまう自分を予感し戦慄した。
だが彼女を得たいと思う気持ちが止められない。
もうそんな自分を甘んじて受け容れるしかないのだった。
そして翌日の放課後、探しあてた人物に声をかけた。
「不躾に失礼致します。トーマス・マーシャル辺境伯令息。
私はルーファス・ラッセルと申します。バートン家令嬢の件でご相談したい事があります。少しお時間頂けますか?」と。
グレイスが望んだ通りバートン伯爵夫妻はグレイスが文を送ってから一週間も経たないうちに急遽王都に帰還して来た。
目立つのを避け、家紋の無い馬車で日が落ちてからの帰邸だった。
「お前の文が届くのとほぼ同時にラッセル家からの文も届いた。
私達が王都に戻り次第、侯爵家に出向けとのお達しだった。
御令嬢の問題について話し合いを持ちたいそうだ。」
「私の問題って⋯」
眉を顰めたグレイスの肩をマーガレット夫人が片手で優しく抱いた。
もう片方の手はアリスの手を握っている。
「分かっているわ。だからこそ出来るだけ目立たないようにして帰ってきたのよ」顔を覗き込む様にして言う。
グレイスの文でおおよその事態の把握が出来たバートン伯爵夫妻は“王都帰還は予定通りでその後早急に伺う”との文を侯爵家に送ってから密かに領地を発った。
「私の娘達が心配でな⋯それに、先方に会うのはこちらの準備が整ってからの方が無難だろうからね⋯」
「お父様⋯」緊張して強張るグレイスを宥めるような穏やかな口調だった。
グレイスとアリスは一からここ迄の事情と経緯を語った。
アリスはトーマスについて、勿論グレイスはルーファスについても。
両親が質問を差し挟めるよう出来るだけ時間をかけて丁寧に。
家族の長い話し合いは真夜中を過ぎても続いた。
娘2人の想い人との早期面会を両親は求め、グレイスも勿論異論は無い。
面会はその週末に決まった。
週末、ルーファスは自分を拾う為に馬車を廻してくれたトーマスと共にバートン家を訪れた。二人は打合せ通り近くでマーシャル家の馬車を降りて目立たないように通用門から入った。
ルーファスは質素だが清潔感のあるダークカラーのスーツで髪も纏めていたので珍しく表情が見えた。
近頃のグレイス渾身のランチのおかげなのか、少し顎の尖りがマシになり顔付きが以前より柔らかくなった。
トーマスもモスグリーンのスーツに身を固め相変らず凛々しく爽やかだ。
2人は共に覚悟と緊張を顔に浮かべて両親の前で正式な成人貴族男性の礼儀通りの挨拶を行なった。
グレイスもアリスも立派なその姿を面映ゆく見つめていた。
両親の印象も緊張していた4人が拍子抜けする程上々なようだ。
グレイスは安堵とともに、ああ私の両親はこうゆう人だったわ⋯と改めて自身が恵まれている事を幸福に思った。
トーマスが辺境伯のサイン入りの正式な婚姻申込書と婚姻契約書を差し出した。
トーマスは父宛ての長い文を信頼のおける従者に持たせ
必死にかき口説いて承諾を求めた。
これはやっと昨日王都に届いたばかりの父の返事に同封されたものであった。
今、無事にバートン伯爵のサインが加えられトーマスは胸を撫で下ろしたのだった。
トーマスの父は辺境の地をその武力と知力、胆力で支えており領地を離れる事が少ない。両家の顔合せはもう少し先になるだろう。
ルーファスはその光景を眺め、やはり自身の境遇の特殊さと寄る辺無さを痛感して多少の虚しさを禁じ得なかった。
「お義兄様⋯とお呼びしてもよろしいかしら?⋯まだ少し早いかしら?」
アリスが遠慮がちに問い掛けた。ラッセル家の名称で呼ぶのに抵抗があるのだろう、でもルーファスに興味津々な様子だ。
「あ、その、どうぞお好きにお呼び下さい。アリス嬢」
突然話し掛けられ少し動揺したルーファスは口籠った。
「ありがとうございますお義兄様⋯私の事はどうぞ呼び捨てで」
とはにかんでからグレイスを見た。
「お義兄様って⋯いえお義兄様のお姿を拝見して私思いましたの。本当はお姉様ってバーバラお姉様より余程、その⋯勇者でらしたのね」そしてトーマスに「従姉妹に、それはとっても美意識の高いバーバラ様とおっしゃる方がおいでですの」と説明を加えた。
今日初めてルーファスの姿を知ったアリスはグレイスを〝面食い〟認定したのだろう。
意味を理解したカンの良いトーマスも「僕も今日初めて姿を改められたルーファス殿にお会いして仰天いたしました。最初にお声かけ頂いた時もそのお姿だったなら、もう少し⋯」
初対面の時の印象がかなり怪しかったのだろう、思い出すように目線をあげた。
グレイスはその会話に怪訝そうな視線を向けるルーファスを見やりながら
「ルーファス様の本当の価値はお姿では無いのよ」と開き直った。
ルーファスは自身の真価を理解っていない。
自己評価が低過ぎるところも歯痒いようないじらしいような⋯
「君達の将来が明るく開けて行く事を願ってやまないよ。
私達で出来る事は全てして支えて行こう。ねマーガレット?」
娘達のやり取りを聞いたバートン伯爵は妻の方を見遣りながら言った。
伯爵は長年の長女の婿についての屈託から解放されそうな自身に期待をだいているのだろう。
「ええシリル。でもまさか二人共自らちゃんと伴侶を見つけてくるなんて、しかも同時に⋯」
マーガレット夫人は目を細めて言った。
「まぁ状況も状況だったが⋯君の情操教育の賜物なのでは?
私達の結婚がつまらなかったかい?親の決めた政略だったからね」
「あら?私、両親には感謝しておりましてよ。
だって私の初恋はあなたですもの」
「奇遇だね。マーガレット私もだよ」
いつものやり取りを交わしてから伯爵が手で軽く顎を揉みながら「良い拾い物をしたな⋯うちの娘達は⋯」と呟き、それが聞こえた夫人に嗜められた。
バートン伯爵夫妻の本来の帰還予定だった日は来週後半で、週末から学園の冬季休暇に入る。その初日にラッセル家を訪えば早急に訪問の体裁も整うはずだ。
思ったより順調に事が運んでいた。
バートン伯爵家と娘の想い人達は少しの間の平穏を得ている。
グレイスは祈った。
ああどうかすべて上手く行って皆で安心して笑える日が早く来ますように⋯。




