告白
明日はいよいよ創立記念日である。
この1、2週間は何だか学園全体が浮き足立っていた。
ダンスパーティーに向けまだ婚約者の居ない者が多い下級生は誰かを誘いたいとか誘われたいとかでソワソワするし、相手のいる上級生は身元確認書を添え願書を提出すれば校外の婚約者ともパーティで踊る事が出来るのでその準備に余念が無かった。勿論、学生であれば1人でも参加出来る。
1人でも充分食事や催事を楽しめるのだ。
アリスも何だか最近妙に浮かれているみたいだ。
反対にグレイスは酷く憂鬱である。
最近の楽しみはルーファス様にお会い出来る昼休みだけなのに。
それも先日つまらない質問をして彼に辛い思いをさせてしまった。
思い出したく無かっただろう過去を説明させるなんて⋯私ったら。
「大丈夫だよ、君に話すのは苦にならないよ。だから涙目にならないで?」
お優しいルーファス様は慰めて下さる⋯私が悪いのに。
日を追うごとに彼への思いが強くなる。グレイスは最近もう諦めて認めた。
きっかけは未だ謎だけれど⋯立派な恋煩いだわ。
あの方が愛しい⋯。もうグレイスには抱えきれない程の重さだ。
明日はルーファス様は欠席だ。講義が無いなら働いた方が有意義だとおっしゃって。「タキシードも持ってないし、それに⋯⋯。いや⋯君は楽しんでおいで」
ですって!あ〜あ、つまらない⋯。
敢えて考えない様にして来たけれど、もう明日⋯
実はグレイスの1番の憂鬱の原因はライアンなのだ。
だって明日はパートナーとしてどうしたって最低1曲は彼と踊らなければならないだろうから。
あぁ⋯私だけ今夜眠って目が覚めたら明後日になっていないかしら⋯。
切羽詰まると現実逃避に走ろうとするのはグレイスの悪い癖である。
でもグレイスは愛するルーファスの本音をまだ知らない。
「それに⋯」のあとに続く言葉が
「君がライアンにエスコートされる姿なんか見たくない」だった事を。
グレイスはライアンにエスコートされて優雅にパーティ会場に入場した
ライアンの腕に掛ける指を目立たない程度僅かに浮かせて。
だって触れたくないし触れられたくない。
ルーファスを知ってからライアンへの嫌悪感が倍増してしまった。
この気持ちは申し訳無いと思うべき?どうだろう⋯微妙だ⋯
今朝目覚めると、ちゃんと翌日で創立記念パーティの当日だった。
彼女の願いは当然だが、叶いっこないのである。
出来るだけ身体を離して出来るだけ息がかからない位置でやっと1曲踊ったところで、ようやく取り巻き令嬢がライアンを引取りに来てくれた。
「ごめんなさいね、グレイス様⋯ライアン様をお借りいたしますわ。」
「何だかライアン様がお退屈そう⋯あ、いえ、ご気分がお悪そうで空気でも悪いのかしら⋯?少しこちらで休んで頂きますわ。」
グレイスは綺麗に微笑んでおいた。粗大ごみの回収どうもありがとう⋯。
ホッとしてジュースを頂きながら壁の花になっていると、アリスが少し頬を染め満面の笑顔で近付いて来た。
あら?何だか体格の良い男性にエスコートされている。
「お姉様!お探ししておりましたの。お姉様に彼をご紹介したくて。高等部から入学されたクラスメイトのトーマス様、マーシャル辺境伯家の御令息でいらっしゃるの。とてもお強いのよ!」
にっこにこのアリス、言葉の端々からハートやお花が飛び散っている。
そして彼は⋯うん。本当にとても強そうだ。長身で筋肉質で顎が張って眉も太い。でも凛々しいお顔の少し奥まった瞳は麦の穂のような色をして穏やかでとてもお優しそう。
彼も頬を上気させ話し出した。
「はじめましてバートン令嬢。あの、アリス嬢にはいつも励まして頂いて、その⋯ほ、放課後の剣の練習にも応援に来て頂いたり⋯そ、その!いつもとても感謝していて⋯」
!!ああ、そう⋯!原因はこの方だったのね!?
グレイスは目を見張った。初めてルーファスを認識したあの日迎えの馬車に遅刻したアリス。あの日以来何度か同じ事があったのだ。
そう⋯アリスの好みはこうゆう方だったのね⋯。
これじゃライアンがいくらアピールしても無駄ね、タイプが違い過ぎるわ⋯。
目を見交わして微笑み合う2人はとても可愛らしかった。
「はじめまして、マーシャル様。お会い出来てうれしいわ。あの、アリスとは⋯」「グレイス!」
グレイスは思わず眉間に皺を寄せた。あの男は私の言葉を遮る趣味でもあるのかしら。しかも今、私が話しているのはあなたじゃないのよ!
ライアンが足早に近付いて来る。
取り巻き令嬢は何してるのよ!ちゃんと捕獲しておきなさいよっ。この男に関する事ではグレイスの心の声はガラが悪過ぎる、貴族令嬢にあるまじき事である。
「ライアン様私に何か⋯」「アリス!アリス、僕と踊ろう!」この粗大ごみ男⋯私に用が無いなら私の名を呼ぶんじゃないわよ!
また貴族令嬢にあるまじき⋯うん。今回は許そう⋯。
学園主催のパーティなのではける時間も当然早いのだかグレイスは馬車まで借りて予定時間よりかなり早い時間に邸に着いた。
早い帰邸にも関わらずグレイスは疲れ果てていた。
それには事情がある。
空気も読まずしかも唐突にアリスを誘ったライアンはなんだかんだ理由をこじつけられ結局はダンスを御遠慮された。
アリスに大人ぶりたいライアンはこわばった笑顔で鷹揚なふりをしていたがアリスがその場を離れてトーマスと踊り始めたのを見てなぜかグレイスにキレた。
「グレイス。君はアリスがあんな野蛮な男に触れられるのを許すのか!?」
「野蛮な?⋯触れられる⋯⋯とは?何をおっしゃっていらっしゃいますの?」
「ダンスだ。わからないのか?あの野蛮人とダンスを踊っているじゃないか!?
ふしだらな⋯」
グレイスが呆れて「だってここはダンスパーティー会場ですのよ?それにマーシャル様と踊るとふしだらでライアン様とだとふしだらではないと?」首を傾げ
「おかしなお話でございますこと」と返した。
すると額に青筋をたてたライアンは「君は⋯君は妹がどうなってもいいと言うのか?責任は誰が⋯そうだ、伯爵夫妻だ。君の両親は娘の監督も禄に出来ないのか!?」と見当違いな抗議をした。
嫉妬に狂った世間知らずのお坊ちゃまも大概だったが両親を悪く言われた御令嬢も我慢の限界を突破してしまった。
「私の両親はそれはもう大っきな大〜きな深い愛をもってアリスを育てておりますことよ!あの子は優しく気高く慎み深く育っておりますでしょう?勿論、芯の強さ、節度、思い遣りの心も兼ね備えておりますわ!」一歩詰め寄って
「ラッセル侯爵家の御母堂様もさぞや御令息にいろいろお教えになられた事でございましょうね?我慢、謙虚、遠慮、忍耐力、包容力!懇切丁寧〜に教え導かれたのでしょうね。その御努力がいつか実を結ぶ奇跡があるのを願ってやみませんわ!」
言いきってライアンを鋭く睨んだ。
まさかグレイスからこれ程の反撃をくらうとは思っても見なかったのだろう、二歩三歩と後退ったライアンは声を震わせ叫ぶように言った。
「き、君とは相容れない!婚約は解消する⋯⋯僕は⋯僕は、君の替わりにアリスを、アリスを娶る!」
何ですって⋯!?アリスを?何を言ったのこの男⋯耳を疑う!?
新たな怒りにグレイスは目の前が真っ赤になって目眩を覚えた。
そしてもう無言になって踵を返したのだった。
言い合いに気付いた数人の中にアリスとトーマスが居て2人とも呆然としている。アリスの顔は強張っていた。
それを見たグレイスはアリスの肩を抱きトーマスを振り向いて小声で二言三言告げたあとライアンの存在は完全に無視して会場を離れた。
帰りの馬車の中で俯くアリスに「あなたはマーシャル辺境伯御令息をお慕いしてらっしゃるのね?」と聞くと顔を上げ深く頷いた。
グレイスは疲れ果ててはいたが案外頭と身体は俊敏に動けていた。
多分火事場の馬鹿力だ。
しなければならない事はこれからが本番だった。
本当は今すぐ両親に泣きつきたい!
が領地への文の時間さえ今は惜しいし
自分に出来るだけの事はしてみたいと思った。
頭に浮かぶのはルーファスの姿だ。
そして日暮れ少し前にトーマスがバートン伯爵邸を訪れた。
創立記念祝祭後、休日1日を挟んだ日の学園の昼休み。
グレイスは図書室へ向かう階段を急ぎ足で登っていた。
朝の教室は不愉快だった。
ライアンは仏頂面でこちらを見もしない。まあ、仏頂面以外はいつもの事だ。
問題は取り巻き令嬢で、余計な吹聴をしたらしく、皆が自分に好奇心や哀れみの視線を向けて来る。意味不明である。
バーバラも心配そうに見ている。
講義が終わると何か聞かれる前に急いで教室を出た。
申し訳ないけれど今は一刻も早くルーファスに会いたかったのだ。
「ルーファス様っ⋯」図書室に姿を見つけて涙が滲んだ。
書架の前に立つ愛しい姿に駆け寄るグレイスは暫し我を忘れてしまった。
あれ以来ずっと彼の事を思い詰めてばかりいたからだ。
思わぬ涙に驚いたルーファスは一瞬彼女を引き寄せて抱き締めそうになった。
実際は僅かに右腕を上げただけだったけれど。
「何か⋯あった?」
聞かれたグレイスは思った。
あぁこの方に褒めてもらいたい。「よく頑張った」と言って。
「よく泣かずに耐えた」と言って!
そうだ、この方に全て打ち明け、全て託して、そしてこの方の胸で泣きたい⋯。
溢れる熱情に押し流されて口を開こうとした時グレイスは
急激に激しい恐怖心に囚われた。
そうだ。この方はラッセル侯爵家嫡男なのだ。
周りがどう扱おうがどう思おうが、私の思惑がどうであろうが。
歴とした 侯爵家嫡男なのだ。
昨日から幾度となく考え抜き悩み、悩んだ末にやっと出した結論があった。
突如湧き出した恐怖心にその全てが崩れて行く。
結論が決心が恐怖に勝てない⋯。
立ち竦み目をそらして俯くグレイス。
今度こそルーファスはその肩に優しく手を添えて顔を覗き込む。
「話して?」
手遅れだ。グレイスは涙目で名を呼びながらルーファスに駆け寄るという醜態を演じてしまった自分に気が付いた。
もうどんな言い訳も通用しないだろう。
逃げ出したい気持ちを捻じ伏せて口を開いた。
「ルーファ⋯ファスさ⋯」喉が締り声が掠れた。
「ルーファス⋯様は、そのっ、侯爵家を⋯
お継ぎになりたい⋯お気持ちはお有りなのですか?」
彼が少し体を硬くした気がした。
「怒らないで!お願い⋯お気を悪くなさらないで⋯!」
嫌!嫌われたくない!
「怒ったりしない。なぜそんな事君が知りたいの?⋯ライアンに何か⋯?」
「違!⋯私です。私があなたに侯爵家を⋯離れて頂きたいのです!」
じわじわと赤くなって行く自分を感じた。
「⋯⋯別に構わないけど、ライアンが当主になったら君がラッセル侯爵家に
嫁ぐ事になるよ。⋯それはいいの?」
グレイスは冷水を浴びせられたような気分になった。
自分がライアン側の立場で話していると思われている⋯なぜ?
この方は何も御存知無い⋯
ルーファスの前ではグレイスはライアンの事など思い出した事さえ無い。
居ないもののように、いや全く居ないものだったのだ。
癖の現実逃避の賜物なのだ、今手痛くしっぺ返しを食らった。
理不尽にもルーファスの方に腹が立ってきたグレイスは涙を盛り上げる。
「あなたはっ⋯わ私を!ど、どんなお気持⋯ちで⋯」涙が溢れる。
「わ私が⋯どんなっ思⋯いっ⋯ひくっ!」
「⋯⋯⋯⋯」もう言葉が継げない。
肩に添えた手を離し体を引こうとしたルーファスに気付き
グレイスはその胸に思い切りしがみついた。
「行かないで!お願い⋯」
何が起こったか分からなかったルーファスは一瞬固まった。
自分に何か懸命に訴えて来る彼女を引き寄せたい気持ちを持て余し
距離を取ろうとしたのに⋯
突然飛び込んで来た温かく柔らかいものに心を囚われ愛おしさが溢れた。
時が止まったように感じた一瞬ののち。
ルーファスは許しを乞うように戸惑いながら
ゆっくりと優しく、やがて強くグレイスを抱き締めた。
グレイスが泣き止む迄ルーファスはそうしてくれていた。
気が付けば昼休みは過ぎていて、そろそろ図書室にも誰か来るかも知れない。
2人は一緒に居る事を決め午後の講義数コマを諦め学園の目立たない場所へ
移動する事にした。
裏庭の温室と茂みの陰になる芝生の一角に2人で座る。
ルーファスは隠れ場所に詳しかった。
「事情を教えてくれないか?」
優しく尋ねられた。何も知らないルーファスが戸惑うのも当たり前である。
グレイスは息を吸い込んで一気に言った。
「私は、あなたをお慕いしております⋯!」
まずそこから、そこから始めなければ。
彼の気持ちが自分に無ければ彼をここで手放す。その方が彼の為にも良い。
「私を受け容れて頂けますか?」
大丈夫、落ち着いている。彼にさっき抱き締めて貰えたから。
望みが全く無い訳ではない⋯と思いたい!怖いけど⋯
駄目なら泣けばいい⋯きっと凄く辛いけど。
祈る気持ちで目を閉じて待つ。
心臓が早鐘を打つ⋯
「君を⋯愛していいの?⋯僕が本当に?」
ルーファスの声が僅かに震える。
グレイスは息を飲み頷いた。「受け容れてくださるの⋯?」
心が弾けそうだ!
「君が望んでくれるなら⋯。
僕は君の望みならすべて叶えたい。」
その言葉が嬉しくてまた涙が溢れそうだ。
「触れてもいい?」と聞かれて彼の顔のあたりを見た。
彼はゆっくりと5本の指で髪を掻き上げた。顔が顕になる。
美しい⋯けれど彼がどんな顔でももういいわ。
彼が彼なら⋯それだけで。
ルーファスはそっとグレイスにくちづけた。
軽く触れて離れて行った唇を⋯顔を見つめていると瞬く間にまた
黒髪の陰に隠れた。
ああ⋯この方の全てが好きだ⋯怖いほど。




