恋心
その夜グレイスは自室で思い悩んでいた。1人反省会である。
「いったい今日の私の言動は何なのかしら?あぁ自分で自分が判らないわ」
心を覗き込む様にして考えてみる。
私はあの方が図書室を出て行くのが嫌だった。なぜ⋯?
話す前は少し怖かった。けれど話すうち何だかどきどきうずうずして来て⋯目が離せなくなって。
楽しい⋯いえ、違うわ。夢中、そう何だか夢中になってしまって。
話の内容じゃないわ。内容は余りにも衝撃的過ぎて心が痛くて涙ぐみそうにさえなってしまったもの。
そうじゃなくて⋯何でも構わないからもっと、そうもっと聞きたかったもっと話したかった。もっと見つけたかった何を?あの方の何か⋯
分からない⋯けれどもっと側に居てほしかった!
え?⋯もっと側に⋯て何?側に居て欲しい?あの方に?
私あの方と一緒にいたいの?
待って!?私!あの方が美しいって知ったからなの?
好みだったから?い、いいえ!違うわ。だって昨夜は思いもしなかった。
お顔を知ったからって一緒に居たいなんて⋯
そうよ図書室よ今日お会いしてからなのよ。
でも、でも⋯今日の会話のどこに一緒に居たいと思える要素があったっていうの?愛の告白された訳じゃないのよ!
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯あ
あ⋯あ、愛の告白〜!?な、何考えてるの!?私!!
1人で赤面して取り乱し情緒が迷子になって、はしたなくベッドで転げ回ったあとグレイスは諦めた。
私、やっぱりおかしいわ。冷静にならなきゃこんがらがるばかりよ。とにかく明日のアポは取れた⋯というか、もぎ取れたんだもの、また明日考えよう。
あの方の顔⋯は見えないから姿?を見て⋯いえ冷静になってあの方の前でじっくり自身を見つめて見よう。
決意を固め厨房へ足を向けた。シェフは帰ったかも知れないがまだ下働きの誰かくらいは居るだろう。
グレイスは案外図太かった。
翌日、昼休みの図書室。
扉を開けると既に彼は居た。
冷静に自己分析よ。自身に言い聞かせてからグレイスは気付かれない程度の深呼吸をひとつしてから話し掛けた。
「来て頂いてありがとうございます」「⋯オレはいつも昼はここだ、本当に来たんだな⋯」開いていた参考書を閉じた。
「昼休みの図書室っていつもこんなですの?その誰もいない⋯」「ああ。ランチ時だからな⋯」学園にはレストランとサロンがあり大抵が皆どちらかでランチを取る。
「それで⋯?今日は何を白状すればいい?」椅子ごとこちらを向直り言った。
「だって尋問なんでしょ?」唇の片方の端だけ吊り上げた。
息を吸い込んだグレイスは「では⋯。」と彼の顔のあたりを見る。「尋問第一です。いつも昼、図書室で何をしてらっしゃいますの?」嫌味が通じなかったのが残念なのか、少し黙ってから、勉強。と答えた。
「予習復習。オレに時間が無いのご存知⋯だよね?」
「⋯尋問第二ですわ。なぜいつもお昼を頂いていらっしゃらないの?」
「なぜ?金が無いからだよ⋯これもご存知の通りだと思うけど?」なぜ得意気なのかしら?と思いながらグレイスは窓際の席を指差した。
窓際には長テーブルがあり椅子が何脚か並んでいる。
「あの席にお掛けになって。今度は命令ですわ⋯命令第一」
「は?」ルーファスは戸惑っていたが顔のたぶん目だと思えるあたりをじっと見つめると大人しく従った。
グレイスは彼の横の椅子に座り徐に持参の包みを広げ差し出して言った。
「命令第二⋯。お召し上がりになって」
ルーファスは動かない。動揺しているのかも知れないが、何せ表情が判らない。
広げたのは2人分のランチボックス。ローストビーフとレタスのサンドイッチと冷たい飲み物が入っている。レストランではいつも温かいお茶を頂けるのだがランチボックスでは無理と諦めた。
「どういう事?これ⋯」「命令ですわ」畳み掛けて言った。
「同情?お情け!?で恵んで下さるんですか?お嬢様⋯」
「勿論違いますわ!」グレイスは虚勢を張って頑張っていたが本当はもう泣きそうである。
「あなた様は由緒正しい侯爵家の嫡男でいらっしゃいますのよ!いづれは侯爵様ですわ。なぜ私ごときが同情なんて致しますのよ!?」
「!⋯⋯」
ルーファスは何か言いかけたが、口を噤んだ。
「私も空腹ですのよ。あなた様の前で1人で頬張れとでも?お付き合い下さいませ!」
暫く2人で睨むように見つめ合っていたがルーファスが諦めた様にサンドイッチに手を伸ばした。
やがて、ゆっくりと頬張る。その様子をグレイスは緊張して見つめていた。
ルーファスが咀嚼しながらグレイスを向いて顎をクイッと上げた。お前も食べろ、と云う意味だろう。
グレイスもサンドイッチの端を少し齧った。まさかこの方の前で大口なんて、とてもじゃないが開けられない⋯
そしてまた少し齧って⋯青ざめた。
辛い⋯辛いわ!明らかにマスタードの量をしくじっている!涙目になった。
辛かったのではなく⋯いやそれもあるが、大事なルーファス様にこの様な物を勧めてしまった自分を殴りたい!絶望感が半端ない!
「も、申し訳ございません!ル⋯ラ⋯ッセル様!こ、このような味の物をお勧めして⋯!」畳み掛ける「じ、実は私が作りましたの⋯私が悪いんですの!私今まで料理などした事がなくっ!いえ!いえ、ローストビーフはうちのシェフの物ですわ!ご安心下さいましっ、違うんですの私、私昨夜厨房へ行ったら⋯!」
しどろもどろである。
昨夜厨房へ行ったら誰も居なかった。当然だ。メイドなどは交替で常駐しているが厨房は夕食のサーブが終われば終業である。お嬢様は御存知無かったが伯爵家はホワイトなのだ。
暫し悩んだグレイスは棚に有った残りの食材とパンを使って自身の記憶を参考に作ってみた。勿論記憶とは見た目の記憶の事で出来上がったビジュアルを見て「なかなかの物だわ」と悦に入った。
たぶんマスタードの量以外にもいろいろ間違っている。しかもこの時グレイスは、心の中で大事なルーファス様と叫んでいた事に気付いていない。
横で慌てふためく彼女を見たルーファスは、椅子を蹴って立ち上がり後ろを向いて口を押さえて蹲った。
昨日の謎の敗北感を払拭しようと懸命にガードを固めていた彼は変な緊張感が急に解けて可笑しさが込み上げて来た。
しかし口にサンドイッチがあるので吹き出す事も出来ず苦しさに呻いた。
それを見たグレイスは更に慌てた。
「ルーファス様!ルーファス様!!」婚約者でも無い男性を姓以外の名前で連呼しながら、婚約者でも無い男性の背を激しく撫でた。
「吐いて下さいませっ!早く吐いて下さいませ!私、私、校医を呼んでまいります!」走り出そうとする彼女の腕を掴んで引き止めたルーファスはその顔が至近距離にあるのにたじろいだ。
引き寄せる力が強すぎたのだ。今迄女性の扱いになど縁の無かったルーファスは驚いた。
なんて、軽くて柔らかいんだろう⋯!
グレイスの目は大きく見開かれ涙が後から後から流れ落ちて来る。ルーファスは慌てて自分の指でその涙を拭った。
「ち、違う⋯違います!グレイス嬢。笑え無かっただけで⋯!」
「わ、わら⋯わ、らえ?」もう彼女の瞳は零れ落ちそうだ。薄紅の唇が艶めきわなないている。
ルーファスは口を押さえたままでどんどん顔を赤くするがグレイスには髪と手に隠されたその現象はまるで見えなかったのである。
図書室を去り際ルーファスはグレイスに言ってくれた。
「美味しかったですよ」と。
今は放課後である。
馬車止に歩を進めながらグレイスは昼の惨状を思い出す。
と言うか、もうずっと考えっ放しである。
昨日と今日の講義は全滅だ。何も頭に入って来なかった。
あのドタバタのあと彼は濡らしたハンカチを渡してくれた。
目を冷やさないと午後の講義に出られないからと言って。
有難く受け取りずっと目を押さえていたが、結局は彼と別れ教室に戻る途中で諦め、気分がすぐれない事にして医療室で休んでやり過した。
ランチボックスの残りは彼が持って行った、あとで食べると言って。
あんな物を!?⋯彼の優しさが胸に染みる⋯
私を傷つけまいとする気遣いに感動を覚え顔が火照るのを感じた。
「あの⋯また脅迫してもよろしいかしら?」ルーファスとの別れ際
「明日もここに⋯」
今度は口の端を優しくあげて頷いてくれた。
やはりルーファスの悪評はすべてが嘘!大嘘だわ!!
拳を握り目をすわらせ心の中で叫んだあと邸に帰ったグレイスは厨房に直行してシェフに頼み込んだ。
「手が空いた時でかまわないので私に簡単なランチボックスの作り方を教えて下さいませ!」と。
サンドイッチは美味しかった。
確かに辛かったがパンもローストビーフも柔らかく、口に含むと溶けて消えた。
ルーファスは今迄の生活が生活なのでさほど口が肥えていなかったのだ。
それよりもあの日は雑貨店の仕事が進まなくて困った。
あの柔らかい腕、瞳そしてあの唇、頭からいくら追い払っても浮かんで来て集中出来なかったのだ。
あの日からグレイスは毎日ランチボックスを持って図書室に来るようになってしまった。
ルーファスには彼女の気持ちはわからない。
ただ自身がどんどん彼女に惹かれて行くのが怖かった。
彼女を知らない時はただ目で追うだけで満足していたのに⋯
彼女はあの男⋯ライアンの許嫁だ。
許嫁と云うものは相手を愛するものだろう⋯結婚するのだし。
グレイスはライアンを愛している筈だ。なのになぜ自分を構うのだろう。
同情では無いと言われたが⋯
ああ、もう同情でも構わない。今だけでも彼女と一緒に居たい!
たとえ彼女が飽きてそのうちどこかに行ってしまうのだとしても⋯傷つくのなんて慣れている⋯。
グレイスは今日も図書室へ急ぐ。
ランチボックス作りの腕もかなり上がった⋯と思う。
だっていつもあの方が美味しそうに食べて下さるもの。
彼の食べる姿を見ているとなぜか大層幸せな気持ちになるグレイスなのだ。
だから構わない。貴族令嬢なのに毎日厨房に入り浸りメイドや侍従や邸中のいろんな人達の顰蹙をかって、ハウスキーパーに「お嬢様、どうかおやめ下さい。旦那様や奥様に何て言い訳をしたら⋯シェフ、あなた⋯あなたのせいですよ!」と泣かれても。
酷いお嬢様でごめんなさい。今だけ許して⋯
今は“私の作った”ランチを食べて頂きたい!
ランチのあとは2人で勉強する。
ルーファスはグレイスが理解出来ない難問をいとも容易く解いてわかりやすく説明してくれたりする。
「ルーファス様お聞きしても⋯いいかしら?」すでに許可を取ったので婚約者じゃないけどルーファス様と呼ぶ。だってそうお呼びしたいから!
「うん。今度はどの問題?」今はもう彼も慣れて来て自然体で接して下さる。
「違うんですの⋯あの、お気を悪く無さらないでね。あの⋯」
ルーファスはこんなに優秀なのに何故成績上位に入っていないのか?
なぜライアンより劣っていると噂されているのか?をグレイスは婉曲に聞いた。
「うん⋯」ルーファスは少し考えてから口にした。
「こんな話、聞いても傷つかないでね⋯僕は⋯中等部に入って1年の時の成績は本当に悪かった」
ライアンには幼い頃から優秀な家庭教師が付けられていたが、ルーファスは物心付いてからずっと庭の隅の小屋で独りぼっちだった。
字を教わる事も無く計算を学ぶ事も無い。
ただ放置され、やる事も無い日々。
最初は裏門近くに時折積んである廃棄物の中からきれいな絵本や雑誌を見つけてはこっそり抜き取って眺めていた。
やがてそれに意味がある事を悟り図形が文字だと気付き、形を覚えて少しづつ読めるようになると、言葉を理解し操れるようになった。
そしてその後、廃棄物の中に綴じ糸の切れた崩れそうな紙の束、絵は無く全て文字で埋め尽くされた所謂書物があるのに気付く。
見つける度抜き出していると数冊になった。その内容のあまりの面白さ興味深さに貪るように何度も何度も読み返した。
思い返せばその書物が幼い頃唯一の教師だったかも知れない。
けど「まさか学校へ行かせてくれるとはその頃は思っても見なかった⋯」
なぜ侯爵家は通学を許したのか。
仮にも嫡男と届け出がある者が学齢に達してどの学校にも入学記録が無ければ国の調査が入るかも知れない。
閉じ込めたままにも出来ず、病弱と偽るのも無理があったのだろう。
逆に何も教育の無い子供を入学させ学力が追い付か無ければ能力不足の烙印が押せるとも思ったかもしれない。
すべては想像であるが、たぶん多くは外れていないだろう。
ルーファスは逆の意味で世間知らず。侯爵邸の中の小さな小屋と庭で育った。
「この世界の知識?基本的な事?なのかな⋯が乏しかったからね。でも学園で学ぶのが凄く楽しかったせいかな?ひとつ理解出来ると次々と流れる川の様に理解できて⋯」
ルーファスが中等部2年にあがり1年だったライアンが初の定期試験でベスト10に入った。母や叔父に褒められている所に珍しく呼び出され試験の順位を見せろと言われた。
「嫌だった。僕が1年の時は最下位に近かったから言われたのだろうとわかったから⋯見せたら何されるか怖かった⋯」
でも近くに居た執事に引ったくるように取り上げられヴィクトリア夫人に渡された。
「2年になってから成績がかなり上がってて、その時の試験は首位だったんだ⋯」
ライアンは屈辱で真っ赤になり涙目で俯き、ヴィクトリア夫人は無言で固まりバレン伯爵は「まあ⋯学年も違う事だし比べても⋯な」と口籠ってライアンの肩を抱いた。
「僕をもっとランクの低い地方の学校へ放り込めば良かったのに」王都には王立学園の他は淑女を育成する花嫁学校のような女子校がひとつあるだけだ。
ルーファスを見縊っていたのか、手元から離せない事情があったのか、その何れもなのだろうか。
その日からまた途絶えて久しく忘れかけていた毒入りの食事が頻繁に、いや毎日の様に運ばれて来る様になった。
怖くて仕方なかったルーファスは侯爵家の食事は全て捨てた。
学校に通う様になってから通用門から目立たないように外出する事も覚えていたので街の市場で安売りのパンや惣菜を買って食した。
あと3ヶ月程、夏休みが過ぎれば高等部で安全な寮に入れる。
昔自分を哀れに思ってくれた人に貰って隠し持っていた金を少しづつ切崩して何とか高等部まで生き延びたのだ。
その日を境に成績はずっとセーブしている。
真ん中くらいが妥当だろう。どんな場面でもライアンを上回れば侯爵家が何をしてくるかわからない。
「僕は怖い⋯」ルーファスは笑う時の口の形を作った。
でもグレイスにはその黒髪に隠れた瞳が暗い色をしているだろう事が容易く想像出来て哀しかった。




