出会い
秋は実りと収穫の季節で貴族も忙しい。
大概の領は農地を擁しているので領地に帰り収穫量の確認や、それに合わせ納めさせる税額と王に献上する額の兼ね合いに悩んだり領地のあらゆる改修や改良。普段任せている代官の仕事の査定や評価、その他諸々の雑用を熟さねばならない。王都での社交の時間は無い。所謂シーズンオフである。
バートン伯爵も例に洩れずいつもは家令に委任している領地に夫婦して赴いて行った。貿易港が主ではあるが結構土壌の優れた農地も擁する風光明媚な土地柄なのだ。両親が領地に去ったあと、学園に通う必要のある御令嬢2人はタウンハウスに残された。
どの貴族家も同じ様なもので侍従長やハウスキーパー等のお目付け役の目はあるものの親の留守は何となく気が緩み学生達はハメを外してみたくなったりするのだ。それにパーティやそれに類するイベントが年が明ける頃まで無いので休日は暇を持て余す。
そんな中、学園では11月末頃に創立記念日があり、その日は午前中の記念行事と午後にダンスパーティーが催される。学園なので少々堅苦しいが殆どの学生は結構楽しみにしている。
「あ〜退屈ですわ。創立記念パーティもまだまだ先ですし」バーバラが頬杖をつきながら可愛らしくボヤいた。
グレイスは付合いで軽く頷くついでに愛想良く「次の休みはご一緒にダンスパーティー用のドレスでも見に出掛けましょうか?」と答えた。
バーバラが既に優しい婚約者様からドレスを送られている筈と予想して、おおかた断られるとふんで。
だが目を輝かせたバーバラが「それならドレスより小物を見に雑貨店に行きましょう!」と返してきたので返答にも内容にもいささか驚いた。
「なぜ?⋯パーティの小物が欲しいなら宝飾店でしょう?なぜ雑貨店なの?」
「へへ⋯」小さく舌を出して貴族令嬢にあるまじき顔と笑い声を出したバーバラは一変してツンとすましてから言った。
「私、美を鑑賞したいのですわ。お付き合い下さいませ、グレイスにも感動のお裾分けをしたいのです」と。
次の休日はよく晴れて気持ちの良いそよ風が吹いていた。
上品で大仰でも無い街着にパラソルを差した2人は街で昼食をとってから昼過ぎに雑貨店の前に立った。
バートン家の執事は念の為地味な街着を来た中堅のメイドと目立たない装いの専属護衛を付けてくれていた。
どうやらこの店にバーバラお勧めの“美”即ち件の夏休みに見つけたらしい美男がおいでのようだ。グレイスはあまり興味がわかず気乗りしなかったが、これも付合いだ。行き掛り上いたしかたない、まあ本当に暇は暇だし⋯と自分を納得させた。
店の前に護衛を残しメイドを連れて2人は店の扉を開いた。グレイスが想像していたよりは清潔で上品な店だった。街の雑貨店と言えどここなら良い品が多少見つかるかも知れない。
「いらっしゃいませ」と微笑んだ店員は何も話し掛けて来ない。どうやらゆっくり見せてくれるらしい。
「グレイス、あの一番壁寄りのショーケースの向う側をご覧になって。あ、何気無くよ」バーバラが囁いた。
ショーケースの向こうには壁があり開け放しのドアがあった。カーテンは一応ついているがそれも開いていた。頻繁に出入りがあるのかも知れない。
バーバラが再び囁いた。「ドアの向こうは商品置場兼事務所らしいの、少し寄って私の側にいらして。私の位置からドア越し斜め前に事務机が見えるでしょう?そこに座っていらっしゃる方よ⋯たまに振り向く顔が絶品で⋯」
グレイスは覗き見という行為にかなり後ろめたさを感じて〝何よ!聞いてないわ。売場の店員かと思っていたのに⋯〟とバーバラを睨もうとして顔を上げた途端その姿が目に飛び込んで来た。
パサついた黒髪、広く薄い肩、窮屈そうに長い足を縮めてデスクに蹲る後ろ姿。⋯⋯⋯彼は!?
なぜか目が離せなくなって戸惑う。彼の姿は確かに見覚えがある⋯⋯⋯
ルーファス・ラッセル侯爵令息!?ライアンの兄だ!
グレイスは確信した途端固まった。
「駄目、いけませんわ⋯!グレイス、見詰め過ぎ⋯気付かれてしまいます⋯」
焦るバーバラと固まるグレイス。
不穏な空気を感じたのか彼が眉根を寄せて振り向いた⋯振り向いてしまった!
そして目が⋯⋯合った!
あろう事か互いに見詰め合う形になってしまっていた。
あぁどうしよう!と焦る気持ち。その顔に驚愕する気持ち。
あぁどうしよう!どっちの気持ちを優先するべき!?
あぁ本当にどうしたらいいのか分からないわ…!!
顔をあらかた隠していた筈の肩まである黒髪が掻き上げられ大雑把ではあるが首筋あたりで縛られている。
顔が見える⋯痩せてやや尖った顎のラインが冷たさを感じさせるが⋯整っている⋯!確かに美しい⋯凄く美しいわ!!
「ああバーバラ⋯初めてあなたの美意識に私⋯共感いたしましたわ」呟くグレイスにバーバラは奇妙な物を見るような目を向けた。
とりあえず気力で彼から視線を引っ剥がして慌てて二、三点購入したグレイスはバーバラを引っ張って店を出た。何を買ったのかは定かでは無い。
帰りの馬車でバーバラやメイドが話し掛けて来たような気がしたけれど何も耳に入らなかった。顔が紅潮している自信がある。
大丈夫、大丈夫よ!ルーファス様が私を認知出来る筈がないわ。だって一度もまともにお会いした事なんてないんですもの!
少し、変な客だと思われただけだわ、きっと!で、でも何故ルーファス様を見て⋯ルーファス様の顔を見ただけなのに何故私はこんなに動揺しているのかしら!?
他にも人はいた筈なのに何故私とだけ目が合ってしまうのよ!
必死でひたすら自分に言い聞かせたり、問い掛けたりするグレイスなのであった。
翌日の昼休み。
グレイスは学園の図書室へ向かう廊下を歩いていた。
夢遊病者の様だ⋯先程バーバラにレストランに誘われた気がするが分からない⋯⋯何て答えたのかも記憶にない。
今朝の事である。
校舎に向かうグレイスの前に流れに逆らう様にこちらへ歩いてくる人物がいた。誰あろう只今グレイスの中で絶讃大暴れ中のルーファス・ラッセル侯爵令息である。
今朝の彼はいつもの彼で顔を髪で覆う姿である。猫背で俯き加減に歩いて来る。
彼が見えるような気がするけれどマボロシかしら?⋯現実逃避しかけたグレイスにすれ違いざま彼が小さく声をかけて去っていった。
「昼休み、来いよ⋯図書室」
⋯⋯⋯⋯⋯は?
固まりそうになって自分を叱咤した。足を動かすのよグレイス!公衆だわ⋯人目があるのよ!
グレイスは混乱した。空耳じゃないわよね?私に言ったのよね?なぜ!?いや、いや。これ絶対⋯⋯⋯顔バレしてた?⋯って事?なの。
機械人形のようだか、何とか足は動きいつも通りの午前を終えた。勿論、講義内容の記憶はまったく無く⋯⋯今ここ。
なぜ?なぜ?なぜ?大きな疑問小さな疑問。解らない事だらけ。いったい何がどうなって私は今ここに?いや、昨日の私のせいよね⋯。殴られたり⋯しないわよね?あぁ⋯
意を決して扉を開けた。無人の図書室の中ほどに彼は立って「あっち」と隅の書架の陰を顎で示しながら言った。
「バートン伯爵令嬢」彼は私の名を正確に身分で呼んだ。
「⋯⋯私をご存知なのですね」
「ぼ⋯いやオレの弟殿の許嫁でらっしゃいますから⋯お嬢様もオレをご存知ですよね?」事もなげに言い捨てた。いや言い捨てようとした?
「その⋯昨日の⋯いえ、昨日すぐに私だと?」
「はい⋯あ、ああ。驚き⋯驚いた。あんな所にまさかおいでとは思ってませ⋯なかったから」何度も言葉につまる。わざと乱暴に話そうとしている?⋯なぜ。
「あの⋯不躾で失礼いたしましたわ。⋯怒ってらっしゃいます?」
「⋯困って⋯いる」少し間が空いた。
「あなたにお願いしたい。どうかあの店の事は他言無用で」と言って俯いた。
彼からじりじりとした焦りや不安を感じグレイスは何となくいたたまれなくなって来た。
「あの、働いてらっしゃるの?よね⋯」「!⋯もしかしてもう誰かに!?」急に顔を上げた。グレイスは焦って両手を小さく振り「い、いえ!決して⋯」と言うと、彼は書架の棚に手をやりながらまた俯く。「もし周りや学園に知れたら非常に困る」
グレイスは彼を見詰めて問うた。
「それはやはり金銭を伴う労働が学園の禁止事項だから?ですわね」
「⋯そうだ」
短く答えた彼に更に問う「なぜ働いていらっしゃるか⋯お聞きしても?」彼は顔を上げグレイスを向いた。
「それ、条件?」「え?」条件って何?「他言無用の⋯」グレイスは不思議な気分になって思わず答えた。
「ええ。条件ですわ。」
ルーファス・ラッセルは以前からこの令嬢、グレイス・バートンを知っていた。学園の行事で弟のライアンがエスコートする姿を見たからである。
「物欲しそうに見んなよ。ふん。まぁけっこう美人だろ?気が強い所は気に入らないけど」ライアンが言った「まあ婚約なんて事、お前には絶対縁が無い事だよな⋯」と嘲笑った。
美人だと思った、ツンとした上品な美人。だがライアンを見上げて微笑んだ時の表情がその印象と異なった。あどけなく甘やかな笑みにルーファスは心惹かれるものを感じて、それ以来学園で彼女を見かけるたび目で追ってしまっていた。
その彼女が今じっと自分を見つめ「ええ。条件ですわ」と言った。
ルーファスが働く店に彼女が現れた時は目を疑った。
高貴な御令嬢が訪れるような店ではとてもないのに⋯その上目が合った時の彼女の表情でどう見ても自分が誰か認識されているとしか思えなかった。
まずい事になった。もし言い触らされたら、それよりライアンに告げられたら⋯とんでも無い事になる前に口止めを。どうせ彼女も世間の噂を信じている、悪ぶって少し脅せば⋯とにかく早く口止めを⋯!
なのに彼女に追い詰められている気分になぜ、なってしまうんだろう?
僕が働く理由を言えばどうしたって⋯あの家の誹謗になってしまう。ライアンの事はどうでもいいがグレイスはどう思うだろう⋯傷付くのか?話を納得出来るのか?だがここで逃げる事はもう無理だ。
グレイスは急激に彼の事を知りたい欲求にかられた。
理由が自身でもよく掴めなかったが彼の、捨てられた子猫が怯えて牙を向くような?いやもっと大きな⋯獅子か寅のようなものなんだけど⋯。とにかく保護欲求が湧いてしまう⋯みたいな?何だか愛おしいような⋯?あぁまた良く分からなくなって来た。
ルーファス・ラッセルは俯き、少し沈黙を挟んでから答えた。
「生きて行く為⋯」と。
彼は毎日学園の放課後から寮の門限時間迄と学園の休日は終日を充てて働いているという。
あぁ⋯街で遊び歩く放蕩息子の噂はこのあたりが出処なのか。
彼はラッセル侯爵家からは保護も援助も無いと言った。
授業料と寮費だけは学園から直接侯爵家に請求されているが、学生が直接請求される教科書や学習資料代、寮で出される以外の食費、衣服や靴や身の回りの諸々の費用を働いた給金で賄っていると。
「なぜですの⋯」絶句した。だって彼は侯爵家の後継ではないか!?例え噂通り本当は庶子だったとしても。この国の法の上で歴とした後継者なら彼には権利がある筈なのだ。
「いいんだ。慣れている」彼は普通に言った。物心ついた時からずっとそうだった、いつも何も与えられないと。それどころか満足な食事さえ取れない時があった。
「食事に毒が混ぜられる時があって⋯」
直に命を奪う物であったかは判らない。服すとじわじわと身体の感覚が無くなり意識が希薄になって来るとやがて幻覚の魔物に襲れる。気が付いたら次に酷い吐気や頭痛。
丸一日は禄に起き上がれなかった。誰にも訴えられないし訴えたところで何も変わらない。
幼い身体で蹲りじっと耐えるだけだ。
「でも、そのうちにいろいろ理解って来て」
彼は離れに追いやられて育った。離れと言っても小さな小屋だ。そこで誰からも無視され、居ない者の様な扱いをされていた。
が食事は日に二、三度、老いた下働きの女が持って来た。硬いパンと野菜スープだけの使用人用の食事だ。
でも使用人は侯爵家の食卓で口を付けず残された物が頂けるので結果、結構豪華になる。
「こちらにも週に何度かそれを装ったおこぼれが付く時があって⋯」
それにたぶん毒が混ぜられている。
数回そんな目にあったルーファスはそれを食べずにそっと裏口から捨てた。そこに排水溝があったのだ。
「そうしている内にだんだんとそのおこぼれは止んで行ったけどね⋯」
そこまで話し終えたところで彼は振り向いて書架の隙間から壁の掛時計を見て言った。
「もう昼休みが終わる、話は終わりだ。もういいだろう?誰にも言わないと約束して欲しい」
グレイスは無言で立ち竦んでしまっていた。
それを見たルーファスはほんの少し唇を上げた。微笑んだのだろうか?顎と唇と頬の一部しか見えないので良くわからなかった。
「時間を取らせた。こんなに長引くとは思わなかったんだ。昼食を取れなかったな⋯済まない」彼は私を気遣ったのだろうか⋯グレイスは何と無く胸が詰まった。
「あなたこそ⋯空腹でいらっしゃるのでは?」と返すとまた唇を上げて
「オレはいつも昼抜きだから慣れている。気にするな」と踵を返そうとした。
「お待ち下さいませ!」思わずグレイスはその背に叫んだ。
「お、お待ち下さい!明日⋯明日もいらっしゃる?あの⋯あのここに。わ、私もここに来ても⋯よろしい!?」
表情は判然としないが訝しそうに少し身を逸らした。「何を⋯なぜ?⋯」
「きょっ!⋯脅迫ですわっ!」言葉の最初が不様に裏返った。
「脅迫⋯?」「そうです!明日また私と会って下さいませ!そうすれば誰にも何も申しませんわ!」いっそ捲し立てる程の勢いだ。
ルーファスは暫く黙っていたが僅かに頷き「わかった」と言った。
そして、先に行け、一緒に出る訳にいかない。と言って背を向けた。




