出会い
秋は実りの季節で貴族も忙しい。
領地に帰り収穫物の確認や税の徴収を行う為である。
もちろん狩猟や地方での社交も楽しむ。
所謂シーズンオフである。
バートン伯爵夫妻も普段、代官に委任している領地に赴いて行った。
学園に通う御令嬢二人はタウンハウスに残されている。
両親の目の届かないこの季節、学生達は思わずハメを外してしまいそうになるのだ。
それにパーティやイベントが年明け頃まで無いので休日は暇を持て余す。
そんな中、学園では十一月中頃に創立記念日がある。
その日は午前に記念行事、午後にダンスパーティーが催されるのだ。
学園なので少々堅苦しいが殆どの学生は結構楽しみにしている。
「あ〜退屈ですわ。創立記念日も、まだ先ですし」
バーバラが頬杖をつきながらボヤく。
「次の休みはご一緒にパーティー用のドレスでも見に出掛けましょうか?」
グレイスはお付き合いで軽く答えた。
彼女は既に婚約者からドレスを送られている筈だ、おおかた断られるだろう。
そう思ったから。
だがバーバラは目を輝かせた。
「それならドレスより小物を見に雑貨店に行きましょう!」
そう返してきたので返答にも内容にも驚いた。
「パーティの小物なら宝飾店でしょう…なぜ雑貨店なの?」
「へへ⋯」
小さく舌を出して貴族令嬢にあるまじき笑い声を出した。
次に、一変してツンとすましたバーバラ。
「わたくし、美を鑑賞したいのですわ」
「は?…美?」
「お付き合い下さいませ。グレイスに感動のお裾分けをしたいのです」
***
次の休日は気持ちの良いそよ風が吹いていた。
上品な街着にパラソルを差した二人は街で昼食をとった。
それから昼過ぎに雑貨店の前に立ったのだった。
バートン家の執事は念の為、中堅のメイドと専属護衛を付けてくれていた。
どうやらこの店にバーバラお勧めの“美”即ちくだんの美男がおいでのようだ。
グレイスはあまり気乗りがしなかった。
だが行き掛り上、いたしかたない。
まあ本当に暇は暇だし⋯と自分を納得させた。
店の前に護衛を残しメイドを連れて二人は店の扉を開いた。
グレイスが想像していたよりは清潔で上品な店だ。
ここなら良い品が見つかるかも知れない。
「いらっしゃいませ」
微笑んだ店員は何も話し掛けて来ない。
どうやらゆっくり見せてくれるらしい。
「あの壁際のショーケースの向こうをご覧になって」
バーバラが囁いた。
「あ、何気無くよ」
ショーケースの向こうには開け放しのドアがあった。
カーテンはついているが開いていた。
頻繁に出入りがあるのだろうか。
バーバラが再び囁いた。
「ドアの向こうは商品置場兼事務所らしいの。斜め前に事務机が見えるでしょう?」
その言葉を聞いてグレイスは後ろめたさを感じた。
…それは覗き見じゃない…!
「そこに座っていらっしゃる方よ。たまに振り向く顔が絶品で⋯」
売場の店員だと思っていた、話しが違うわ。
バーバラを睨もうとして顔を上げた。
途端、その姿が目に飛び込んで来た。
パサついた黒髪。
広く薄い肩。
窮屈そうに長い足を縮めてデスクに蹲る後ろ姿。
⋯⋯⋯彼は!?
なぜか目が離せなくなった。
見覚えがある。
ライアンの兄…
ルーファス・ラッセル侯爵令息…!
グレイスは確信した途端固まった。
「駄目、いけませんわ⋯!見つめ過ぎ⋯」
焦るバーバラ。
目を見開き、見つめたままのグレイス。
不穏な空気を感じたのか彼が眉根を寄せて振り向いた。
振り向いてしまった。
目が⋯合った!
互いに見詰め合う。
あぁどうしよう!
焦る気持ち、顔に驚愕する気持ち。
あぁどうしよう!
どっちの気持ちを優先すべき!?
あぁ本当にどうしたらいいのか分からないわ…!
いつもは顔を隠していた筈の髪。
その黒髪が大雑把にうなじあたりで纏められている。
ルーファス・ラッセル。
何?この顔…
理知的な額
痩せてやや尖った頬と顎のライン
蒼穹を思わせる深い青の瞳
すっと通った鼻筋
やや薄めの形の良い唇
──美男⋯
確かに美しい、凄く美しいわ。
「バーバラ⋯初めてあなたの美意識に⋯共感しました」
呟くグレイスにバーバラは変人を見る目を向けていた。
そして、我に返る。
…いけない。
駄目よ。見つめては駄目!
き、気まずい…
気力で彼から視線を引っ剥がした。
慌てて数点を購入したグレイスはバーバラを引っ張って店を出た。
何を買ったのかは定かでは無い。
馬車でバーバラやメイドが話し掛けて来たような気がした。
けれど何も耳に入らなかった。
顔が紅潮している自信がある。
大丈夫、大丈夫よ!
あの方がわたくしを知ってらっしゃる筈がないわ。
一度もまともにお会いした事がないんですもの!
少し…。
変な客だと思われただけだわ。
そうよ。
ルーファス様…
あの方を見ただけ。
あの方の顔を見ただけなのに。
何故わたくしはこんなに動揺しているの!?
他にも人は居たのに何故わたくしとだけ目が合ってしまうのよ!
必死で自分に問い掛ける。
必死で自分に言い聞かせる。
グレイスはどうかしていた。
***
翌日の昼休み。
グレイスは図書室へ向かう校舎の階段を昇っていた。
夢遊病者の様だ⋯
先程バーバラにレストランに誘われた気がする。
でも何て答えたのか記憶にない。
今朝の事である。
校舎に向かうグレイスの前に、流れに逆らって歩いて来た人物がいた。
昨日からグレイスの中で絶讃大暴れ中の人。
ルーファス・ラッセル侯爵令息である。
今朝の彼はいつもの彼だった、顔を髪で覆っている。
猫背で俯き加減に早足で歩いて来る。
彼が見えるような気がするけれどマボロシかしら…?
現実逃避しかけたグレイスにすれ違いざま小さく声をかけた。
「昼休み、図書室に来い」
そして何事も無かったように去っていった。
「…………」
──は?
固まりそうになった。
直ぐに自分を叱咤した。
足を動かすのよ、グレイス!
公衆の面前だわ⋯人目があるのよ!
混乱した。
空耳じゃないわよね?わたくしに言ったのよね?
なぜ!?
いや。いや、これ絶対⋯⋯
⋯顔バレしてた?⋯って事?
自分が機械人形のようだった。
だが何とか足は動き、午前を終えた。
もちろん講義内容の記憶はまったく無い。
そして今ここ。
なぜ?なぜ?なぜ?
いったい何がどうなって私は今ここに?
いや。
絶対、昨日の私のせいよね⋯。
……殴られたりしないわよね?
あぁ⋯
意を決して扉を開けた。
無人の図書室の中ほどに彼は立っていた。
「あっちに…」
隅の書架の陰を顎で示した。
「バートン伯爵令嬢」名を正確に身分で呼んだ。
「⋯⋯わたくしをご存知だったのですね」
「ぼ⋯いや俺の弟殿の許嫁ですから⋯お嬢様も…俺をご存知ですよね?」
事もなげに言い捨てた…いや言い捨てようとした?
なぜ…。
「昨日の⋯あ、いえ、昨日すぐにわたくしだと?」
「はい⋯あ、ああ。驚き…いや、驚いたというか…。あんな所においで、来るとは思ってま⋯なかったから」
何度も言葉につまる。
あ…わざと乱暴に話そうとしてるんだ。
⋯場違いにも何だか心が緩むのを感じた。
恐れと不安が薄れて不思議な感情が湧いて来ていた。
「あの⋯不躾で失礼いたしました。⋯怒ってらっしゃいます?」
窺うように踏み込んでみる。
少し間があいた。
「⋯困って、いる」
下を向いた、いや頭を下げたのだろうか。
「あなたにお願い…したい。あの店の事は他言無用で」
彼からじりじりとした焦りや不安を感じる。
少しの沈黙が流れた。
思い切ってもう少し踏み込んでみた。
「あの、働いてらっしゃるの?よね⋯」
彼が動揺したように顔を上げた。
「!⋯もしかしてもう誰かに!?」
「い、いえ!決して⋯」
グレイスは焦って両手を小さく振った。
ほっとしたのか、彼は書架の棚に手をやりながら俯向く。
「もし周りや学園に知れたら非常に困る…んだ」
グレイスは彼を見詰めた。
「それは学生の金銭を伴う労働は禁止だから?ですわね」
「⋯そうだ」短く答えた。
「なぜ、働いていらっしゃるか、お聞きしても?」
聞いた途端身を硬くした気がした。
そして、ゆっくりとグレイスを向いた。
「…それ、条件?」
「え?」
「他言無用の⋯」
グレイスは妙な焦燥感を覚えた。
聞いてはいけない事だったのだろうか?
言いたくないならそれでも良かった。
でも…。
この会話を続けていたい。
彼を見失いたくない。
思わず答えていた。
「ええ。条件ですわ。」
ルーファス・ラッセルはこの令嬢を知っていた。
グレイス・バートン。
二年と少し程前の高等部の入学式典。
入学して来た弟のライアンがエスコートする姿を見た。
何と無く目が向いただけだった。
「物欲しそうに見んなよ」
口の端を上げたライアン。
気が付いてわざわざ近付いて来て小声で言った。
こういう時、僕は反応を返さ無い、その方が早く終わるからだ。
「美人だろ。羨ましいのか?僕は気が強い所が気に入らないけどね」
そして嘲笑う。
「でもまあ、お前には一生縁が無いよな」
確かに僕には一生縁など無い女性だろう…。
美人だと思った、ツンとした上品な美人だ。
だが…
自分の傍に戻って来たライアンに気づき見上げた時。
その顔がゆっくり綻んだ。
あ…。
印象が覆る。
あどけなくも甘やかな笑み。
目が釘付けになった。
そして前を向いた次の瞬間に見せるのは真摯な眼差し。
美しい湖の水底のように澄んだ瞳に浮かぶ凛とした勁さ。
なんて豊かな表情だろう。
ルーファスは心惹かれずにはいられなかった。
以来、見かけるたび知らず知らずに目で追っていた。
その彼女がじっと自分を見つめている。
「ええ。条件ですわ」
今、そう言った。
ルーファスが働く店に現れた時は目を疑った。
高貴な令嬢が来る場所ではないのに。
自分を見る彼女の表情。
僕が誰なのか分かったのだ、としか思えなかった。
まずい事になった。
もし言い触らされたら…ライアンに告げられたら。
困った事になる前に口止めを。
どうせ彼女も世間の噂を信じている、悪ぶって少し脅せば。
とにかく早く口止めを⋯!
なのに。
今は追い詰められた気分に、なっている。
僕が働く理由を…
それを話せば、もとの理由まで話す事になるだろう。
彼女に言ってどうする?
どうして、そんな事聞くんだ、聞いてどうする。
ライアンの婚約者だろ。
聞いたら傷つくに決まってる。
いや、信じないだろうか、納得しないのかも。
……。
それともただの興味本位?
興味本位…なのか、だとしたら面倒くさい。
もう…どちらでもいい気がして来た。
だったら、聞きたいなら話してやるさ。
自分を守るためにも必要なんだから。
「…面白い話ではないですよ」
グレイスは急激に彼を知りたい欲求にかられた。
知りたいのは話の中身ではない。
彼の声を聞きたいだけのような気さえする。
そうだ。
彼の内側を覗きたいのだ。
理由はまだ分からない。
ただ。
捨てられた子猫が恐怖で牙を向いているような彼。
大きな獅子か寅のようなもののくせに⋯
わたくしなんかに怯えて。
悲しいような、いじらしいような、愛おしいような。
傷口があるなら、それをちゃんと知って手当てしたい。
何か大きな物で包み込んでしまいたい。
グレイスはそんな感情をもて余し、戸惑った。
***
面白い話では無いと前置きしたあと。
ルーファス・ラッセルは一度俯向いた。
少し沈黙を挟んでから言った。
「生きて行く為⋯」
と。
学園の放課後と休日は終日、働いていると言った。
ああ、街で遊び歩く放蕩息子。
との噂の出処はここだ。
「ラッセル侯爵家からは保護も援助も無いから…」
授業料と寮費は、侯爵家に請求される。
困るのは直接個人に請求される教科書、学習資料代、食費、衣料費。
「なぜですの⋯」
絶句した。
だって彼は侯爵家の後継ではないか。
例え噂通り本当は庶子だったとしてもだ。
この国の法の下、後継者なら彼には権利がある筈だ。
学習の権利
健康に生活する権利
「いいんだ。慣れているし面倒は怖い」
彼は普通に言った。
「怖いって、何が…」
「…もっと聞きたいですか?」
聞きたい、でも聞いていいか分からない。
無言で少し俯向いた。
俯向いたつもりが頷いたように見えたのだろう。
「…物心ついた時からずっとそうだったんだ」
彼はゆっくり話し出した。
いつも何も与えられないと。
それどころか満足な食事さえ取れない時があった。
少し躊躇ってから出した言葉は衝撃的だった。
「食事に毒が混ぜられる時があって⋯」
グレイスは息を呑んだ。
直に命を奪う物であったかは判らない。
じわじわと身体の感覚が無くなり意識が希薄になる。
やがて幻覚の魔物に襲れる。
気が付いたら酷い吐気や頭痛。
「丸一日は禄に起き上がれもしなかった」
少し笑う。
いや、笑い事では無いだろう。
誰にも訴えられない、訴えたところで何かして貰える事など無い。
幼い身体で蹲りじっと耐えるだけだ。
「でも、そのうちにいろいろ分かって来て」
彼は庭の離れに追いやられて育った。
離れ、とはいえ。
「以前、住み込んでいた庭師が居た小屋だったらしい」
誰からも無視され居ない者のような扱いだった。
食事は日に数度、下働きの女が持って来た。
硬いパンと野菜スープだけの使用人用だ。
でも侯爵家の食卓で残された物が付くから使用人は結構豪華な食事が出来る。
「僕も週に何度か貰えるんだ。でも⋯それに毒が混ぜてある」
数回そんな目にあって気付いた。
それからは目立たないように排水溝にそっと捨てた。
「その内にその、おこぼれは止んだけどね⋯」
殺すつもりでは無い嫌がらせだったのか…?
そしてそれに飽きたのか…?
「……」
グレイスは無言で立ち竦んでしまっていた。
ルーファスは書架の隙間から壁の時計を見た。
「話しは終わりです」
静かにそう言った。
もう昼休みが終わる時間。
「これで誰にも言わないと約束してくれますね」
グレイスは自分の指先が冷えて震えている事に気づき握り込んだ。
こんな時はいつも涙が盛り上がる、そんな自分を危惧したが…
砂嵐が吹く心を映したのだろうか。
乾いた瞳を見開きじっと立つグレイスだった。
ルーファスはほんの少し唇を上げた。
微笑んだのだろうか。
顔の一部しか見えないので良くわからなかった。
「時間を取らせた。昼食が取れなかったな⋯」
わたくしを気遣ったのだろうか⋯。
グレイスは胸が詰まった。
「あなたこそ⋯空腹でいらっしゃるのでは?」
返すとまた唇を上げた。
「俺…はいつも昼抜きだから慣れている。」
俺…まだ自分を俺と。
わたくしの前で鎧を外そうとはなさらないのね。
ルーファスは踵を返そうとした。
「お待ち下さいませ!」
思わずグレイスはその背に叫んだ。
「お、お待ち下さい。明日⋯明日もここにいらっしゃる?」
彼は立ち止まって振り向いた。
「あの⋯あのここに。わ、わたくしも、ここに来ても⋯?」
表情は見えないが訝しそうに少し身を逸らした。
「何を⋯なぜ?」
なぜ?
そんなのわたくしだって分からないわ。
ただ、ただ…あなたと…
「きょっ!⋯脅迫ですわっ!」
言葉の最初が不様に裏返った。
「脅迫⋯?」
「そうです。明日またわたくしと会って下さいませ!」
いっそ捲し立てる程の勢いで懸命に願った。
「そうすれば誰にも何も申しませんわ!」
ルーファスは暫く黙っていた。
その後僅かに頷いた。
「…わかった」
それだけ言うと、背を向けて図書室を出て行った。
唇を小さく震わせ放心するグレイスを残したまま。




