25 お風呂の支度をします
メセタがぱたぱたと後をついてくる。
風呂場に入って、まず湯船の栓をしっかり閉める。
それから一旦廊下に出て、壁のパネルを操作した。
自動湯はりのボタンを押すと、
『それでは湯はりを開始します。湯船が一定量になりましたら報告いたします』
落ち着いた声のアナウンスが流れた。
「いまの声はどこから!?」
メセタが耳をぴんと立てて、パネルをじっと見つめている。
「このパネルだよ。お風呂の自動湯はり機能」
「誰かが中に入っているのですか?それとも精霊の類ですか?」
やはりこの世界では、機械工学はまだ発展していないらしい。
声が出る装置というだけで精霊を疑うのだから、技術の差というものは面白い。
「俺のいた世界の技術だよ。声を録音して、条件に合わせて再生する仕組みなんだ」
「録音……?」
「難しく考えなくていいよ。要は機械が喋ってるってことで」
「機械が喋る……我が君の世界はほんとうに凄いですね」
感心しきったようにメセタが呟いた。
「湯はり終わるまでソファで待とうか」
「そうしましょう」
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リビングに戻って、ソファに腰を下ろす。メセタが隣にすとんと座った。
銀色の毛並みが、間近でふわりと揺れる。
なんとなく手を伸ばして、メセタの頭を撫でた。
続いて背中も。
毛が思ったより柔らかくて、撫でる手が自然と止まらなくなる。
メセタは目をゆっくりと細めた。気持ちよさそうに、息をひとつ吐く。
こういう時間が、妙に落ち着く。
異世界に来て、池に落ちて、一日中バタバタしていたのに、今はこんなに穏やかな気持ちでいる。
気づいたら、メセタの頭にそっと口を寄せていた。
軽く、キスをした。
「わ、我が君!?何をなさっているんですか!?」
メセタが身を起こした。
耳が真横に開いて、頬のあたりがうっすら赤みを帯びているように見える。
「驚かせたか。感謝の気持ちを表そうとして、つい」
「感謝……」
「一人でいるより、ずっといいから。ここに来てくれて」
メセタはしばらく黙っていた。
「(きゅん……)」
小さな声が漏れた。
本人は聞こえていないと思っているのかもしれないが、契約で鋭くなった俺の耳には届いていた。
「なんと……お優しい方なのでしょう。わたし、やはり我が君を選んで間違っておりませんでした」
「そ、そう」
なぜか胸のあたりがどきりとした。
(なんで俺までそんな気持ちになってるんだ)
よくわからないまま、誤魔化すようにメセタの頭に顔を近づけた。
すんすんと嗅いでみる。
「すんすんするのは、わたしの特権なのですが!?」
「特権なのか」
太陽の匂いがした。外で過ごしてきた温かさと、草の香りが混ざったような、ぽやぽやとする匂いだ。
「んー……日光の香りがする。いいな」
しばらくそうしていてから、ふと思った。
「狼吸いしていいか?」
「……なんですかそれ」
「猫吸いって知ってるか。猫のお腹に顔を埋めてふかふかを堪能する俺の世界の文化なんだけど、メセタはハイランドウルフだから、狼吸いかなと」
「そんな文化があるのですか」
「お腹を見せてくれたらわかるよ」
メセタは一瞬考えてから、ごろんと仰向けになった。銀色のふわふわの腹毛が、こちらに向いている。
俺はためらわずに頭を埋めた。ぐりぐりっと顔を押しつけて、深く息を吸う。
「うおう!?我が君!?」
メセタが身を縮めた。
「嬉しゅうございますけど、同時に恥ずかしゅうございます!!」
「もう少しだけ」
「(喜んでおられるなら……まあ)……気の済むまでどうぞ」
毛がふかふかで温かくて、日光の匂いがして、なんとも言えない幸福感があった。
猫吸いをする人間の気持ちが、今初めて心の底からわかった気がした。
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そのとき、
『湯はり終了です』
パネルから声が響いた。
俺はゆっくりと顔を上げた。お名残惜しいが、仕方ない。
「さて、風呂に行こうか」
「……は、はい」
メセタが立ち上がりながら、少し顔を逸らした。耳の先がまだ赤みを帯びている。
俺も立ち上がって、風呂場へ向かった。
隣をぱたぱたとついてくるメセタの足音が、今日一番穏やかな音に聞こえた。
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