94.逡巡
ルークとの婚約破棄をしたいと父様に告げると、さすがの父様も私を叱った。
「王家との婚約をこちらから破棄するということは、君の評判が落ちるということだよ?わかっているよね?」
「ごめんなさい……」
父様は眉間に皺を寄せて、珍しくため息をついた。
「……上手くいっていなかったのかい?私には仲良くしているように見えたけど……」
「……」
「……ちゃんと、よく考えた末の決断なのかい?一時の感情で動くべきではないよ?」
「はい……」
「もう少し、考えてごらん。ルーケンフォード様とも、もっとちゃんと話し合うべきだと思う」
父様は、私の考えを改めさせようとしているように見えた。
だけど、やっぱり、私の考えは変わらない。変えられない。
「もう決めたの」
まっすぐ父様の目を見た。怒っていると言うよりかは、心配しているような、そんな目。
「……なにか、心配事でもあるなら話してごらん?もしかしたら些細なことかもしれない。解決の手助けになるかもしれない」
「……ルークとは結婚したくないなって思ったの……それだけ」
父様は難しい顔で何かを考えている。
時計の針の音だけが執務室に響いていた。
長い思考の後、父様は顔を上げた。
「……君が、王家との婚約を破棄するとしても、イーサリオンの後継者は、デインとする」
「はい」
それでいい。そうでなければならない。
「それでも、本当に、ルーケンフォード様との婚約を破棄するのかい?」
「はい。……期待に添えず、ごめんなさい」
頭を下げる私を父様は静かに見つめた。
「……一週間、待つから。もうちょっとよく考えてごらん」
父様はそう言って優しく微笑んだ。
―――
――
―
乱暴に開かれたドア。見なくても誰が来たか分かった。
「おい!カノン!どういうことだよ!!ルーケンフォード様との婚約を破棄って!!本気で言ってんのか!?」
「そうよ」
「はぁ!?」
デインは今まで見たこともないくらい怒っているようだった。声も裏返っている。
「安心して。父様はイーサリオンを継ぐのはデインだと明言していたわ」
「まじかよ。……ってそうじゃなくって!!!」
一瞬ホッとした表情を見せたデインはまだ突っかかってくる。
「お前だよお前!どうすんだよこれから!!何考えてるわけ!?」
「いいじゃない別に……もう放っておいて」
ルークとの婚約を破棄したことで、私は間違いなく非難を浴びるだろう。
社交の場にも足を運べず、日の当たらぬところでひっそり生きることになる。
そう。それでいい。
世界の片隅で祈りを捧げ、現状を維持する事。それが今まで聖女が血を繋いで来れた理由なのだと思う。
「放っておけるわけないだろ!!お前はイーサリオンなんだぞ!!」
「……迷惑かけてごめんなさい」
「別に謝って欲しいわけじゃねーよ……」
デインははぁと大きく息をついた。
「カノン、お前大丈夫か?」
「大丈夫よ」
「なんかずっと難しい顔してるぞ」
言われてハッとした。そういえば。ずっと気を張っていたかもしれない。考えなければならないことがいっぱいあるのだ。仕方がない。
「可愛いでしょ」
「誤魔化すな」
腕をつかまれる。彼が納得するまで離してくれそうにない。
「王妃になりたくないから?」
「……そうね。そう」
それ以外に上手い言い訳が見つからなかった。
「嘘だな」
ギッと睨まれ、腕の力が強まる。
「嘘じゃないわ……。私じゃルークの隣には立てない」
「じゃあなんだったんだよこの二年!!」
本当は、初めは嫌だった王妃という立場も、二年もあれば覚悟はできていた。
「お前頑張ってたじゃん。ルーケンフォード様とも仲良かったし……」
王妃教育も、社交も、ルークの隣に立てるようにって一生懸命だった。
でも、どうしても王妃になれなくなってしまったのだからしょうがない。
私は独善的な聖女なのだから。
「デインは私の事よく見てるのね」
「……今は俺の話じゃない」
「とにかく、もう決まった事なの。デインには迷惑かけないから、放っておいて」
デインの手を振り払い、自室の扉をしめた。
「……放っておけるかよ…」
そんな呟きが聞こえて涙が出てきそうになった。力が抜けて、その場にしゃがみこむ。
私はどれだけの人を傷つけなければならないのだろう。
「消えたい……」
だけど、それは許されない。
ポロポロと涙が出てきた。
私が祈りをやめれば、世界の穢れは増えてしまう。
それだけは、したくなかった。
コンコンとノックの音が響き、肩が跳ねる。
「お嬢様。いらっしゃいますか?」
アズールだ。返事をしなければ帰ってくれるだろうか。
「失礼します」
黙っていたら、アズールはガチャリと扉を開けた。彼は扉の前で座り込む私を見て驚いたようだった。
「お、お嬢様!こんな所で何をなさっているのですか!」
アズールは私の前にしゃがみこむ。
「大丈夫ですか?」
「……」
「立てますか……?」
そう言って手を差し出してくれる。
「夕食のお時間ですので呼びに来たのです。食堂に行かれますか?」
「んーん。部屋で食べる」
「ふふ。そう言うだろうと思ってお持ちしております」
アズールは私を椅子に座らせると、テキパキと夕食の準備をしてくれた。
まだ私は療養食だ。薄味のリゾットが美味しい。
「ごちそうさま」
「随分食欲も戻りましたね。こちら、お薬です」
粉薬を飲んでいる間に、アズールはお皿を片付けてくれた。
「ありがとうアズール」
「まだ顔色が悪いですね……今日も早めにお休みになってください」
「うん」
アズールから見ても私は酷い顔をしているらしい。
でもしょうがない。
「何か悩みがあるのでしたら、伺いますよ?」
アズールは優しくそう問いかけてくれる。
聖女のことを相談する??
いいや、だめだ。
人の口に扉は立てられないということを私はよく知っていた。
それに、アズールに話でもしたらすぐ父様に報告されてしまう。
「悩みなんか、別にないわ」
「……左様で、ございますか」
―――
―――
―――
やはりお嬢様は悩みを打ち明けてはくれなかった。
私がどれだけ長くお嬢様のお傍にいても、本当に大切なことだけは、決して話してくださらない。
私ではお嬢様の心を開くことができない。
「どうだった?アズ」
「やはり、ダメでした」
「そうか……」
デイン様は珍しく項垂れた。
この方は昔からお嬢様を特別に想っている。ルーケンフォード様の婚約者という立場ではなくなったお嬢様をいっそう気にかけていた。焦りもするだろう。
「デイン様は、お嬢様を迎え入れるつもりなのですか?」
「……分かんねぇよ。カノンの気持ち次第だろそんなん」
自分の気持ちの事は考えない、と言うことはその気はあるということだろうか。
お嬢様はデイン様にはポツポツと自分の心境を話していらっしゃるように見える。
お嬢様は本当は王妃にはなりたくなかった等ということもデイン様から伺った。そんなこと、私は全く知らなかったのに。
「とにかく、あいつが何かに悩んでんのは明白だ。吐かせねーことには何も出来ない」
「そうですが、今はそっとしてあげてはいかがでしょう。体も本調子ではありませんし、心の整理を行う時間も必要のように思います」
そう提案すると、デイン様は少し逡巡したが、「それもそうだな」と納得してくださった。




