93.永遠の傷
誰にも挨拶をする気になれず、イーサリオン領を後にした。
移動魔術で王城に入り、食事を摂ることも忘れて、部屋に籠った。
ずるずると扉にもたれ掛かるように座り込み、唇を撫でる。カノンの感触をまだ忘れたくない。
カノン、カノン、カノン―――。
思い浮かぶのはカノンの事ばかり。
本当に、往生際が悪い。
だってそうだろう?
十一年だ。十一年も思い続けた人だ。
僕の今の人生の半分は彼女を思って過ごしてきたんだ。
みんな言っていた。
僕らはお似合いだって。
家柄、能力、容姿、全て釣り合っていた。
あとは、カノンに選んでもらうだけだったのに。
カノンの言葉は、冷酷に僕の心を貫いた。
知らなかった。カノンがそんな風に感じていたなんて。
たしかに、婚約は少し強引に進めた。だけれど、僕たちの関係は良好だと思っていた。カノンだって、少し照れてはいたけれど僕を受けて入れてくれていた。
……自惚れていたのだろう。
心の何処かで選ばれるのは当然だと奢っていた。
数日後、本当に、イーサリオンから婚約破棄の申し出が来た。慰謝料付きで。
僕は、最後の望みを抱いて、カノンに面会の申し出をしたけれど、彼女は会ってくれもしなかった。
……カノンの気持ちがなくても、結婚さえしてしまえば一緒にいられる。
無理矢理、自分の妻にするのは簡単なことのように思えた。
だけど、カノンからの信頼は本当に全部失ってしまう気がした。
これまで積み上げてきたものは、嘘じゃないと思いたかった。
婚約の破棄を受け入れるのは、たった一筆で終わってしまった。
もう、揺らぎようがない婚約だと思われていたから城内は騒然とした。
姉上に詰め寄られるのをかわして、また部屋に籠った。
ごろりと寝台に寝転がる。
また、じんわりと静かに涙が出てくる。
こんな情けない姿、とても人には見せられない。
目を瞑ればやっぱり彼女のことばかり考えてしまう。
愛らしい仕草も、凛とした声も、可愛い見た目も、向けられる笑顔も、意志の強そうな瞳も、キスした瞬間に見せる困惑したような顔も。
何もかもが好き。
本当はやっぱり、カノンに僕を選んで欲しかった。
今でも隣に並ぶ未来を望んでやまない。
それでも今日、僕らが二人で歩む未来は絶たれた。
それならば、せめて、彼女の永遠の傷になりたかった。
―――あぁ。やっぱりこれは―――苦くて、辛くて、狂おしいほど愛おしい、恋だった。




