90.目覚め
ひたりと、頬に冷たい手が触れた。
ゆっくりと、意識が浮上する。
重いまぶたを持ち上げる。
真っ白な天井が見えた。
「カノン、お嬢様……?」
「ひっ」
思わず声を上げてしまった。
「……」
ユリウス様はただ静かに私を見下ろす。
その姿には、―――今までみたこともないほど穢れがまとわりついていた。
「お嬢様!あぁ、良かった!身体は大丈夫ですか?」
アズールの声が遠く感じる。ユリウス様から目が逸らせない。
「私が見ておきます。アズールさんは、医者を呼んでもらえますか?」
「分かりました。少しの間、お願いします」
バタンと扉が閉まる。
「わ、わたし、どれくらい……眠って……」
「一ヶ月程でしょうか。ずっと目を覚まさなくて……どれだけ心配したか」
そっとユリウス様は私の手をとる。
冷たい。
それが彼の体温なのか、穢れのせいなのかは分からなかった。だけど、だんだんはっきりした頭で、非常にまずいことをしてしまったことだけはわかった。
私、穢れに反応しちゃった!
ユリウス様は私の手を持ち上げた。
「今はただ、祈ってください」
その声は静かだった。
「なんと祈るか、教えましたね?」
動悸が止まらない。
そうだ。ゼゼは言っていた。私は毎日祈らなければならないと。
一ヶ月もお祈りが出来て、いない……?
―――今この世にいる聖女は私だけなのに。
「さぁ。……いい子ですね」
きつく手をくみ、必死に祈った。
女神様、女神様、世界は大丈夫でしょうか。
ユリウス様の身体から、穢れがどんどん消えていく。あぁ、ダメだ。そんな当然の事にも気が回らないなんて。
そっとユリウス様を見あげた。
彼は酷く落ち着いていて、私が穢れを消しても全く驚いていなかった。
「自覚はあったのですね」
「!」
どういう意味だろうか。ただ、私には「聖女である自覚があったのですね」という意味に聞こえた。
「貴女は世界を救うのですか?」
ユリウス様は私を覗き込むようにそう尋ねた。ギシリと寝台が鳴る。
「…………」
「いいことを教えてあげます」
私が何も言えないでいると、ユリウス様は静かに続けた。
「私は、祈り子である事に誇りを持っています。自分が世界を穢れから守っているのだと。どんなに忙しくても、辛くてもその誇りが、生きる力になるのです。きっと、ほかの祈り子も同じだと、そう信じています」
ユリウス様の言葉はゆっくりとしていた。
「―――世界から穢れが消えれば、祈り子はどうなる思いますか?」
「え?」
「きっと絶望するでしょう。そして自分という歯車の役目を失ってしまうのです」
ユリウス様は両手で私の顔を包んだ。冷たい手の感触。
初めは包み込むように添えられていた手に徐々に力が入っていく。
「貴女は世界を救うのですか?」
ユリウス様は泣いていた。
「それなら私は、きっと貴女を許せない」
ポタリ、ポタリと、雫が落ちる。
「私たちは祈り子という役割に縋るしか、生きる意味は無いのです」
そうか―――聖女という存在は、祈り子にも影響を与えてしまうんだ。
「どうか世界を救わないでください、聖女様」




