86.エリュナ・サンクティア神聖国
エリュナ・サンクティア神聖国はアルセリオンから見ると遠くにある国だ。各地に設置されている移動魔術陣を使っても片道四日はかかる距離がある。
「最後の移動魔術陣までもうすぐです。カノンお嬢様、疲れてはいませんか?」
「はい。大丈夫です」
私は丸々一ヶ月を費やしてエリュナ・サンクティアに滞在することになった。
最初はルークも一緒に行くつもりで予定を決めていたのだが、世界会議という大きなイベントを控えていたため同行を見送ったのだ。
ルークも残念がっていたけれど、重要な会議なので仕方が無い。
その代わり、私の世話係として、アズールとエミリィ、カティアが同行してくれていた。同乗してくれたカティアはずっと隣で静かに目を瞑っている。
移動魔術陣を乗り継ぐのも十回目だ。これで最後の移動魔術陣だと聞いている。そこから最後の魔導車に揺られること数時間。
「さぁカノンお嬢様。そろそろ見えてきますよ」
ユリウス様がコンコンと窓の外を指さした。
森の端が切れ、一気に視界が開ける。
「わぁぁ」
そこにあったのは山のように大きな真っ白い樹。
聖樹エリュナ・グランテリア。
その枝葉は昼間でも淡く輝いており、クレイトニーばぁちゃんが語ってくれた通り、とても幻想的だった。
聖樹の麓には真っ白な建物が建ち並んでおり、まるでこの世のものではないような雰囲気を漂わせている。
「これが、エリュナ・サンクティア神聖国」
「はい。美しいでしょう?」
「とっても」
入国審査を受けた後、ようやく私達はエリュナ・サンクティアに足を踏み入れることができた。
エリュナ・サンクティアは、神聖な雰囲気とは裏腹に、下町はとても活気の溢れた場所だった。アルセリオンの大市場と同じくらい賑やかで、活気ある呼び込みがあちこちから聞こえてくる。
「おっ、お嬢ちゃんどうだい!安くしとくよ」
ずいっと突きつけられたのは見たことの無い形のフルーツ?だろうか?真っ赤な皮に棘がいっぱいついている変わった見た目をしていた。
「それはパフルと言ってこの辺りの名産なのです。甘酸っぱくて美味しいですよ」
「へぇ」
「店主。一番熟れているものをひとつ包んでください」
「あいよっ」
そう言ってユリウス様がパフルをひとつ買ってくれた。
「後で屋敷で剥いてもらいましょうね」
「ありがとうございます」
ユリウス様は袋をアズールに渡すと、私を振り返った。
「さぁ。まずは聖樹を見に行きましょう」
ユリウス様はまっすぐ聖樹に一番近く、この辺りで最も高い建物に向かった。
「あれがエリュナ・サンクティア大聖殿です」
大聖殿。聖樹の麓に広がる聖殿の総本山。全ての祈り子はここから各地に派遣されている。アルセリオンの王城にも負けないくらいの大きさの建物はどこもかしこも真っ白で、青を基調としたステンドグラスは聖樹からの光を反射してキラキラと輝いていた。
ユリウス様は大門からまっすぐ大聖堂の中に私達を案内した。
中は巨大なホールになっていて、礼拝が行われているようだ。何百人もの人が祈りを捧げていたが、ホールはしんとしていて厳かな雰囲気だ。
「今は礼拝中のようですね。あまり音をたてないように。響きますから。……待っていてください」
ユリウス様は小声でそう言うと、ホールを守っていた聖殿の騎士様の元に行ってしまった。
「お嬢様もお祈りをしてはいかがですか?」
「そうだね」
アズールに言われて少し前に進む。ホールの上空はガラス張りになっており、淡く輝く聖樹がよく見えた。
邪魔にならない後ろの方で手を組み、祈りを捧げる。
女神様、女神様。無事にエリュナ・サンクティアに来ることが出来ました。旅の安全をありがとうございます。
『―――あぁ、よく来たね』
「えっ?」
誰かに呼びかけられた気がして、振り返る。
そこにはキョトンとした顔のアズールとエミリィが居るだけだった。
気のせいだったのかな。
「お待たせしました。カノンお嬢様。こちらへ」
「あ、はい」
ユリウス様に呼ばれて、私達は奥の間に通された。
―――
――
―
奥の間で、ユリウス様は申し訳なさそうに話を切り出した。
「ここから先に進めるのは私とカノンお嬢様のみとなっています」
「えっ?なんでですか?」
「元来、この先は祈り子であっても、入ることを許される者は限られているのです。今回はカノンお嬢様に限り、特別な許可が下りているのです」
「そうなんですか……」
「えぇ。是非、聖樹のもとでお祈りしていただけないでしょうか」
「せ、聖樹まで行くんですか!?」
初耳だ。別にこのホールからの祈りでも私は充分だったのだけれど。
「お嬢様、せっかくここまで来たのですから、近くで聖樹を見てきてはいかがですか?きっと良い思い出になりますよ」
アズールはそう言って背を押してくれる。
たしかに、こんな機会滅多にない。少しびっくりしたけれど、許可が下りているのなら悪い事でもない。
「うん。じゃあ、行ってみようかな……!」
「カノンお嬢様ならそう言ってくださると思っていました」
ユリウス様は至極嬉しそうに笑った。ユリウス様はエリュナ・サンクティアに来てからずっと嬉しそうだ。普通なら故郷に帰れて嬉しいのだろうなと思うところだけれど、私には何か、焦っているようにも見えるのが少し不安だった。
「それでは参りましょう。カノンお嬢様。他の方はここで待機をお願いします」
「お嬢様をよろしくお願いします」
「もちろんです」
ユリウス様は私の手を引くと、奥の扉を開けた。
大聖殿の荘厳な裏口から出た私達は岩場を歩いた。上空は聖樹の枝葉が生い茂っており陽の光を遮っている。そのためこのあたりは草木が育たないのだろう。簡易的に整備された階段を一歩一歩進む。
三十分は歩いただろうか。やっと聖樹の太い幹の前に小さな祭壇のようなものが置かれているのが見えた。
「ここが最も聖樹に近い祈りの場になります。ここから先には行ってはいけませんよ」
「は、はい」
聖樹の幹はやはり白く途方もない大きさだった。いったい何千年、生きているのだろう。
「おっきいですね」
「えぇ……」
ユリウス様はじっと私を見下ろした。
「世界で最も高尚な場所と言ってもいいでしょう。ここでお祈り出来るのはとても栄誉なことなのですよ」
「そ、そうですねっ!緊張してきました」
「ふふ。いつも通りお祈りすればいいのですよ。さぁ」
ユリウス様は私の肩を押して座らせる。そして二歩下がった。
一緒にお祈りしてくれると思っていたけど、そんなことはないらしい。まぁ、ただお祈りをするだけだ。特別な事でもない。
姿勢を整え、息をひとつつく。
手を胸の前で組み、祈りの姿勢をとった。
女神様、女神様。こんなに聖樹の近くでお祈りできるとは思ってみませんでした。とても貴重な体験です。ここで何を祈るか、迷ってしまったのですが、やはり今必要な事を祈ろうと思います。
どうか、どうか、世界が平和でありますように。
さぁと風が頬を撫でた。ザワザワと聖樹の枝葉が揺れる。
「よしっ」
「……終わりましたか?」
「はい」
「何か、身体に不調はありませんか?」
「?いえ、大丈夫です」
「そうですか」
ユリウス様はキョロキョロと辺りを見回したり落ち着かない様子だ。
「ユリウス様?」
「……えっ」
「大丈夫ですか?」
「え、えぇはい。私もここまで来たのは久々で、少し落ち着かないのです」
そう言ってユリウス様は視線を逸らす。たしかにここは聖地の中でも重要な場所だろう。ユリウス様も思うところがあるのかもしれない。
「せっかくですし、もう少し祈っていてもいいのですよ」
「えっ、でもいいんですか?」
「はい。祈りに時間制限はありませんから」
「そう、なんですね。それならもうちょっとお祈りしてみようかな」
「えぇ。えぇ、是非……」
ユリウス様に促され、私はまたお祈りをする為に座った。
―――
―――
―――
ようやく、ようやくカノンお嬢様を聖樹のもとまでお連れすることができた。
私は長年の願いが叶い、達成感のようなものを感じていた。
聖樹に向かって祈るカノンお嬢様を眺める。
聖女であるカノンお嬢様が祈ることで、聖樹にも何か変化があると思っていたのだが、そんなことはなく、聖樹はいつも通りその巨体を風にさらしている。
カノンお嬢様の祈りは、聖樹の穢れを消せているのだろうか。
そんな不安もあったが確かめる術はなかった。
聖樹は世界から大量の穢れを吸い取る存在。その幹は濃い穢れで溢れている。この祭壇から先は、祈り子であっても立ち入ることを許されない。
あの祭壇は、祈り子が聖樹にのまれずに祈りを捧げられるギリギリの境界線を意味している。
祈り子の力は祈りで聖樹から穢れを取り出すこと。穢れを移し替えること。
聖樹に近すぎる場所は逆に危険なのだ。
私でもここで祈りを捧げることは命をかける行為となる。
カノンお嬢様はやはりというか、ここで祈りを捧げてもケロりとしていた。どんなに優秀な祈り子でも体調不良を訴えるというのに。
ならばやはりカノンお嬢様は特別なのだろう。
世間的にカノンお嬢様は祈り子ではない事になっている。それに加え今ではアルセリオン王国の王子の婚約者だ。
祈り子でない事実、そして高い地位が約束された子女という事で今回ここで祈りを捧げる許可を下ろすことができた。
ルーケンフォード様との婚約はあまり好ましくないのだが、……今回はとても便利に活用させて貰った。
「ふぅ」
しばらくして祈りを終えたカノンお嬢様は、うーんと大きく伸びをした。
「せっかくなのでいっぱい女神様にお祈りしちゃいました。貴重な経験をありがとうございます」
「いえ。お嬢様が敬虔な信者であるからこそです。今後もお祈りを続けてくださいね」
「はいっ」
無邪気に笑うカノンお嬢様。
まだ、彼女に真実を伝えるつもりは無い。
伝えること、が、私にはできない。
彼女の存在は、――――――――――――――――。




