85.二年後
「カノンッ」
呼ばれ、振り向くと同時にぎゅうと抱きしめられる。ルークはいつもこうだ。いい加減慣れてはきたけれど、周囲から向けられる生暖かい視線にはいつも辟易する。
「ル、ルーク!人前ではやめてって言ってるでしょ」
「ふふ。カノンは恥ずかしがり屋さんだね」
「もぉー」
ルークは一向に反省する気配がない。
ルークとの婚約が決まってから、もう二年。私は十九歳になっていた。学院も卒業し、本格的な王妃教育を受けるために連日城に泊まり込んでいる。
ルークのスキンシップはエスカレートするばかりだ。会う度に抱きしめられ、少し二人きりになるとすぐにキスされる。
今だって可愛い可愛いと抱きしめられたまま撫でられている。まぁ、私は可愛いから撫でたくなる気持ちは分かるけれど。
「先生が褒めていたよ。カノンは覚えがいいって。さすがカノンだね」
「……ありがとう」
当然だ。なんたって私はルークの隣に立たなければならないのだから。王妃教育で躓くことは許されない。
完璧で、ルークの隣に相応しい王妃にならないと。そのプレッシャーが私の首を絞めていた。
「今日は街に視察に出るんだ。カノンも一緒に行くことになってるからよろしくね」
「聞いてる。酒造組合にいくんでしょう?いいお酒あるかなぁ」
もうお酒も飲める歳である。自分が意外と飲めることが分かってから色んなお酒を飲むのが楽しみになっていた。
「そう。あと、急だけどユリウス様との定期交親会を行うことになったんだ。帰りに寄るから」
「ユリウス様!戻ってたのね」
最近は隣国の穢れが酷いとの事でユリウス様を始めとするアルセリオンの祈り子様は手伝いに派遣されていた。ユリウス様に会うのも三ヶ月ぶりだ。
「セイゾルグのお土産あるかなぁ」
「あまり期待しすぎちゃダメだよ?ユリウス様は祈り子の役目を果たすために派遣されているのだから」
「わかってるわ」
いつの間にか私はルークの膝の上に乗せられていた。周囲から見たらまぁただイチャイチャしているだけのカップルだろう。
護衛さん達が呆れ顔でこちらを見ている。恥ずかしい……。
そんな時、カツンと前に出た人影があった。
「ルーケンフォード様、そろそろお時間にございます。カノン様の予定もありますので」
凛とした声でそう進言してくれたのは、王城での私の側仕え、カティアだ。
「あぁ、もう少しカノンと一緒にいたいのに」
「午後の視察がありますでしょう?とにかく邪魔ですのでさっさと仕事に向かってください」
そう言ってカティアは私をルークの上から引っ張り起こしてくれた。
「カノン様のご予定も詰まっております。急ぎ移動をお願いします」
「わ、分かったわ」
今からはまた王妃教育の時間だ。少し乱れてしまった髪をときなおす。
「じゃあルーク、午後にね」
「うん。頑張って、カノン」
―――
――
―
「ふぁぁ、いい買い物をしちゃった」
酒造組合でルークがお仕事の話をしている間、私は新作のお酒を片っ端から味見させて貰えた。中でも気に入ったお酒を何本も購入してしまった。
「ふふ。いいものがあって良かったね」
「うん!今年はウィスキーの出来がいいんだって!いっぱい飲ませてもらったの!今度一緒に飲もうね」
「それは楽しみだな」
王宮の魔導車は静音低振動の最新式だ。中も広々としており、ルークと横並びに座ってもまだ余裕がある。流れる景色を見ながら次の予定―――ユリウス様との交親会に向かう。
ルークは何やら書類を持ち込んで片手間に眺めている。少し覗いたら大規模な世界会議が予定されているらしい。
ルークは現在王太子として外交を任されている。
大変そうだ。じっと書類を眺めていると、ふとルークがこちらを見ていることに気づいた。
見てはいけない書類だっただろうか。
「キスしようか?」
「なんで!?」
「寂しそうにしてたから」
「今のどこでそう見えたの!?」
ちゅと、頬にキスされる。ルークの愛情表現はたまによく分からないタイミングで行われる。
頬から唇に、それだけでは止まりそうになかった。
「ちょ、ちょっとルーク!めっ」
「むぅ」
「むぅじゃない!もう」
ルークを押しのければ、ちょうど魔導車が止まる。「着きましたよ」と運転手が扉を開けた。
―――
――
―
「ようこそいらっしゃいました」
聖殿の中にある応接室に向かえば、ユリウス様が笑顔で迎えてくれる。
「お久しぶりですユリウス様」
ルークの挨拶に合わせて私も頭を下げた。
「どうぞおかけになってください」
そう言って案内されたテーブルには色とりどりのお菓子が並んでいた。
「わぁ!ユリウス様!これってセイゾルグのお菓子ですか?」
「えぇ。今日のために開封せずに取っておいたのです。カノンお嬢様のお口に合えば良いのですが」
セイゾルグは美味しいフルーツが有名な土地だ。そのため焼き菓子やデザートにもふんだんにフルーツが使われている。やったぁ。
私がお菓子に目を輝かせている横で、ユリウス様とルークはセイゾルグの状況の情報共有を始めた。
「セイゾルグの穢れは酷いものでした。エリュナ・サンクティアから派遣人員が到着したので私は帰ってきましたが、あれが収まるにはまだ時間を要するでしょう」
「それほど……」
セイゾルグは広い海を擁しており、海の交易の中継点になっている。穢れが発生したのは内陸の方だと聞いているが、港にまで影響が出てしまっては世界の流通が滞ってしまう。
ユリウス様もルークも眉根を寄せていた。
「アルセリオンは平和な方ですよ。穢れが発生することはあれど土地を封鎖する選択を迫られることは少ない」
「えぇ。そうですね」
それからもルークはユリウス様との会話を続けた。私もお菓子を食べながら耳を傾けていたが、事態は深刻なようだ。
ふと、ユリウス様と目が合った。彼はにっこりと笑うと口を開く。
「カノンお嬢様。エリュナ・サンクティアに足を運ぶ気はありませんか?」
「え?」
突然話を振られてびっくりしてしまったが、その内容はもう何度も聞いてきた内容だった。ユリウス様と会う度にこの話題が出ていると言っても過言ではない。
「カノンお嬢様程の敬虔な信者であるならエリュナ・サンクティアに足を運ぶべきです」
少し考えてしまう。チラリとルークの様子を伺えば、ちょうどルークもこちらを見ていた。
「カノンが行きたいのなら行ってみるのもいいんじゃないかな。来年も余裕があるか分からないし……」
そうなのだ。今までもユリウス様の誘いを断って来たのは学院があったり、外せないパーティがあったりで大きく時間を取ることが出来なかったからだ。だけど幸い、今は逆に時間を合わせて貰える立場である。それに、もしルークと正式に結婚したらますます自由に移動できない立場になってしまう。
「行くなら今しかない気がしてきた……」
ずっとエリュナ・サンクティアには足を運びたいと思っていたのだ。人生で一度はエリュナ・サンクティアに巡礼に行くようにというのはクレイトニーばぁちゃんの言いつけでもある。
「行ってもいい?ルーク……」
「もちろん」
「ありがとうっ!」
決定だ。今年はエリュナ・サンクティア神聖国に行く。ユリウス様の方を見れば、彼はポカンと目を見開いていた。
「あぁ、やっとカノンお嬢様をエリュナ・サンクティアにお招きできるとは!いつ出発しますか!ご案内致しますよ!」
「ええっ!でもユリウス様、お忙しいのでは……」
「いえ!そんなことはないのでご安心ください!明日でも明後日でも行けます!」
「そ、そんなに急には無理ですよぅ」
ユリウス様はいつになく興奮しているようだった。まぁ本当に毎回誘われていたくらいだからよっぽど私をエリュナ・サンクティアに連れていきたかったのだろう。
また日程が決まれば連絡するという話に落ち着き、今日はお開きとなったが、ユリウス様はずっとソワソワしていた。




