82.チェックメイト
翌日、学院に向かえば、また視線を感じた。王命の婚約申請だ。噂が回るのも早いだろう。
「やはりカノン様が王妃に……」
「ルーケンフォード様のお相手としてこれ以上の方は居ないだろう」
「いつ婚約発表が行われるのかしら」
「ほら今週はルーケンフォード様の……」
世論はもう私がルークの婚約者に内定したのだと広まっている。当然だろう。国で最上級の立場である王太子との婚約の王命だ。しかも王命を出してまで求められているということでもある。こんなメリットしかない婚約話断る方がおかしい。
本当にこんな状態で婚約を断ることができるのだろうか……。
教室に入った瞬間も、何人もの視線が私に集まった。
「カノ~ン!」
甲高い可愛らしい声と共に、右肩に衝撃が走った。
「聞いたわよ!ルーケンフォード様と婚約するんですってね」
朝から元気なピピナが大声でそんな事を言うので教室がしんと静まってしまった。
「ま、まだ決まったわけじゃないから」
「え?でも王命なんでしょ?」
「そう、だけど……」
純粋なピピナは、たまに全く空気を読まない。いや、読めない。今はその話題に触れてほしくないのに。
ピピナは、何やらピンと閃き顔をみせると、コソコソと耳打ちしてきた。
「まだ気持ちの整理がつかないのね!それとも、まだ彼のこと忘れられない?」
「もうッピピナ。その話は辞めて」
アズールのことを持ち出すなんて!
グイッと頬を引っ張れば、ピピナはバタバタと手を大きく振った。
「ごめん!ごめんってばぁ」
「もうっ」
ピピナを置いて席に着いたが、ピピナはまたぐいとくっついて来た。甘い香水の香りが鼻腔をくすぐる。
「ルーケンフォード様からなにか事前に話はあったの?」
「ないわよ」
「え、じゃあほんとに突然だったんだ」
「……うん」
「もっと事前に決まってたのかと思ってたや。今日号外にも載ってたのよ?」
「えっ?」
ピピナはぴょんぴょんと席に戻ると新聞を1部引っ掴んで戻ってきた。
「ほらこれ。もう前々から決まってたんだと思ってたわ」
新聞にはでかでかと私に王命の婚約指示が出たことが書かれていた。
私がルークを振ったのは一昨日だ。ルークが一日でこの王命を仕込んだのも、新聞社が話を聞きつけるのも早すぎる。
話が出来すぎている。
しかも記事を読み進めれば、もう私とルークの婚約が決定したかのように書かれている。
どんどん血の気がひいていく。気持ち悪くて倒れてしまいそうだ。
「カノン」
「っ」
呼ばれた方を振り向けばいつもよりうんと優しげな表情で、ルークが立っていた。その手には薔薇の花束が抱えられていた。
「おはよう」
にっこりとルークは笑う。だけれど、すぐに視線を外された。
「あららぁ!ピピナ!おじゃまかも?退散しまーす」
小声でそんな事を言ったピピナはスススと本当に席に戻ってしまった。
教室はしんと静まり返っている。だけれど、その意識が全てこちらに向いているのは嫌でも分かった。廊下からも視線を感じるほどだ。
これは、まずい。
ドクンドクンと心臓が早鐘を打つ。
「カノン・イーサリオン」
フルネームを呼ばれて、ビクリと肩が跳ねる。ルークは、また一昨日と同じように私の前で跪いた。この間と違い、座っているからか、ルークとの距離が近い。
「びっくりさせてごめん。でも、僕は、本当に心から君が好きなんだ」
深紅の薔薇の花束が目の前に突き出される。周囲がざわついいた。
「僕の隣に相応しいのは、君しか居ない。君には、苦労をかけるかもしれない、苦手だと思う事を強要してしまうかもしれない。でも、僕がずっと隣で支えるから」
一呼吸の間の後、ルークの視線が私を射抜いた。
「僕の支えになって欲しい」
目の前には薔薇の花束がある。周囲からは多くの視線を感じる。世論も私とルークが婚約すると思っている。
ルーク、ルーケンフォード・ウィン・アルセリオン……。
アルセリオンの銀の至宝。勉学、魔法、武術、どんな事でも卒なくこなし、性格もよく思慮深い人柄が民に愛され、見目も麗しく、非の打ち所のない完璧な王子様。
そんな彼が、公衆の面前で、私のような小娘に振られたら、どうなるのだろう。
ああ、そうか。
私は、私は―――完璧で、天才で、美しいルークの隣で彼に見合うだけの期待を背負うのが嫌なんだ。
これがチェスなら、チェックメイトだ。
「………………わ、かりました。お受けします」
ワッと割れるように歓声が響き渡る。拍手喝采に包まれる中、ルークが私を抱きしめた。
「ひどい、ひどいわ、ルーク」
「なんとでも言って。僕はそれだけのことをしたからね」
そんな会話は、拍手や口笛の音で描き消えただろう。
「世界で1番幸せにする」
するりと頬を撫でられ、上を向かされる。ルークの顔が近づいてくる。
分かっていた。
これから何が起こるのか。
それでも私は、目を閉じた。
そのままルークの唇が落ちてきた。




