75.形を変える噂
休日明けの昼休み。僕は昼食をとりに食堂に居た。
「聞きましたか?カノン様の執事。カノン様のメイドとご婚約なさったのだとか」
「まぁ。ではカノン様と熱愛というお話は本当にただの噂だったって事?」
「え〜!私はお似合いだと思ってましたのに」
今日もご令嬢たちは噂話に花を咲かせていた。人通りの多い場所だというのに大きな声で噂話に興じている。まるで聞いてくれと言わんばかりだ。
「カノン様ずっと否定していらしたものね」
「でも、噂が始まった頃から二人で居るところを見なくなったって話、すごく怪しいじゃない。図星だったから慌てたみたい」
「でもカノン様の執事の婚約話は確かな話らしいわよ。うちの侍女が家政学校で聞いてきたの」
テーブルを囲んでいるのは四人のご令嬢。仕入れたばかりの新しい話を早く分け合いたいとばかりに話している。
カノンにとっては良い方向に話が進みそうだと聞き流していると、
それまで黙っていた四人目のご令嬢が口を開いた。
「あら……という事はカノン様がご失恋なさったのね?」
「え?そうなの」
「そういえば、カノン様が執事への想いを口にしていたって話もあったわね」
「なぁに、その面白そうな話」
ご令嬢達の笑みが深まる。また新たな話題の種を見つけた。そんな顔だ。聞くに耐えなくて、僕は彼女達の席へ向かった。
「本当に、面白い話をしているね」
「ル、ルーケンフォード様っ!?」
声をかけられたことに驚いたのかご令嬢達はみな慌てて紅茶を置いた。一人を除いて。
「カノンはあの噂の事はずっと否定していたじゃないか。執事が婚約した。だからそれでこの話は終わったんだよ。根も葉もない噂だったってね」
僕が割り込んだ事で、食堂には妙な空気が流れていた。少し早計だった気がしたが、好きな子が悩んでいる姿を見ているのだ。何とか彼女の為になる事をしたい。
「そうだよね?カティア」
一人動じていないショートヘアの少女に視線を向ける。今の会話の中で印象を操作しようとしていた。少なくとも僕にはそう感じ取れた。
「……そうですね」
カティアは少し視線を下げた。そして真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
まるで自分は何も悪い事をしていないと主張するように。
「ですが、カノン様がご失恋なされたというのは紛れもない事実ですよ。私、聞いたんです」
食堂の空気がざわついた。まずい。
ただでさえ僕が干渉した事で注目を集めているのに。
どう場を収めようか考えていると、背後からクイと服の袖を引っ張られた。
「ルーク、もういいよ」
「……カノン」
いつから居たのだろうか。彼女は、無表情で噂をしていた四人を見つめた。
「言いたい人には好きに言わせておけばいいわ」
そう言って、彼女は珍しく僕の手をとった。
「一緒にご飯たべよ!」
「えっ、あ、うん」
満面の笑みで手を引かれて思わずこちらが赤面してしまった。
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執事との熱愛の後は、私の失恋が噂の種になるらしい。
少なくともアズールに迷惑はかからなくなるならそれでもいいだろう。
私を煙たく思う人はどうやっても私を貶めたいらしい。
こんなの私がどれだけ無理に笑ってても意味が無い。掴めない雲を相手に一人で格闘している、そんな気分だ。
「ごめん、カノン。余計な事をしちゃったね」
立ち止まったルークはキュッと私の手を握り返してきた。
「ううん。気にしてない」
謝らなければならないのはこちらだ。私は今、ルークを利用した。
アズールとの噂はとても苦しかったけれど、それまで流れていたルークとの噂はそんなに思い詰めたことはなかった。だから、噂されるなら銀の至宝と金の華の方がいいと思ってしまったのだ。
手を繋いでいる私たちは仲良く見えただろう。
「カノンは何食べる?」
「今日はパスタセットにしようかな」
「いいね。僕は日替わりセットにするよ」
「今日の内容はなに?」
「鱈のフライにコーンスープだって」
「わぁ!美味しそう!」
噂など気にしていないと見せつけるように声を弾ませた。
チラリと周囲を伺えば視線は私達に集まっていた。
流石にこれ以上はルークに悪い。そろそろ手を離そうとした、のだが、ルークは私の手を握ったまま離してくれなかった。それどころか、するりと指を絡ませてきた。
驚いてルークを見上げると彼ははにかんだ。
私の作戦に乗ってくれてるのか、他の意図があるのか、判断出来なかった。
自分からはじめたことなのに、なんだか急に恥ずかしくなってしまった。
慌ててルークから目を逸らす。
「今日はピピナ嬢とは一緒じゃないんだね」
「う、うん。ピピナ、絵画サロンに用事があるんだって」
だから本当はクラスメイトの席に混ぜてもらおうと思っていたのだ。食堂に来たらあの状態だったから叶わなかったけど。
「ルークも1人だったの?」
「……うん。そうだよ」
「しれっと嘘をつかないでくれますか?」
にこりと笑うルークの背後に現れたのは、呆れ顔のネフェル様だ。
彼は軽食の入ったバスケットを持っているようだった。
「空気が読めないのか?ネフェル」
「別に私は構いませんけど」
そう言ってネフェル様はルークに何か耳打ちした。
「分かった。ありがとう。悪いね」
「いえ。ではごゆっくり」
そう言ってネフェル様は一人食堂から出て行ってしまった。
「ネフェル様と一緒に食べる予定だったの?」
「まぁね。でも今日はせっかくカノンがお誘いしてくれたからね」
そう言ってルークは嬉しそうに笑った。
「きゃっ……」
「今笑った……」
小さな歓声があちこちから漏れ聞こえる。相変わらず、ルークは人気者だ。
注文してトレーを受け取る頃には繋がれた手は離れていた。
―――
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「……だから、一緒に行かない?……カノン?」
「え?」
ポトリとフォークの上に乗っていた小エビが落ちた。
「明日、一緒に、歌劇見に行かないって話」
ルークは話を聞いていなかった私に呆れることなく、もう一度優しく言い直してくれた。
最近の私は集中力が無さすぎる。相手に失礼だ。
一度目を瞑る。
再び目を開いた時には、しっかりルークの顔を見た。
「いいよ!明日は予定もないし」
今は一人でいるともやもやとアズールの事ばかり考え続けてしまっていた。だから外に出て気分転換するのは良い事のように思えた。
本当はこんな理由で誘いを受けるべきではないのかもしれない。それでも、今は彼の優しさに甘えさせてもらうことにした。
「良かった。じゃあ十の刻に迎えに行くよ」
「うん。楽しみにしてる」
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カノンから手を繋いでくれた。カノンから食事に誘ってくれた。
それだけで舞い上がってしまいそうになる。
だけれど僕も分かっている。
彼女は人前で自分から手を繋ぐような人ではない。
噂を上書きしたいんだろうな……。
これまでカノンは執事との熱愛の噂を否定し続けては来たが、積極的に風化させようとはしてこなかった。
彼のことがそんなにも大切だったのだろうか。
やはり噂通り、カノンは彼に片思いしていたのかもしれない。これまで、色んな噂を聞き流していたカノンにしては、過剰に反応しすぎているような気がする。
明るく笑うカノンに違和感を覚える。心から、笑っていない。
相談してくれれば力になるのに。
相談する相手に、僕は選ばれなかった。
だから、今僕にできることは、彼女の武器になってあげる事。
繋がれた手を分かりやすく絡ませた。カノンは驚いて目を見開いていたが、拒絶されることはなかった。
少し照れているのか頬をそめて目を逸らす。その姿が可愛らしくって、悪い考えが浮かんでしまう。
これはチャンスなのではないか。
最初にこちらに手を伸ばしたのはカノンだ。ならばこのまま畳み掛けてしまえばいい。
いつもなら、カノンが断りにくいような理由を付けてデートに誘うけれど、今日はストレートにデートに誘ってみた。
「……え?」
ポカンとした表情のカノン。うん。まぁさっきから聞いてないなとは思ってたけど……。
「明日、一緒に、歌劇見に行かないって話」
これくらいの事では僕は引かない。
それくらいずっと好きだから。
「いいよ!明日は予定もないし」
やっぱりカノンからの返事は前向きなものだった。……理由なんて、今はどうでもよかった。




