74.いつも通りの笑顔
「……えっ?」
今聞いた言葉が理解できなくて、アズールを見上げる。
「ご、ごめんアズール。もう1回言って?」
「はい。この度、エミリィとの婚約が決まりました。少し唐突ではありますが……。近頃お嬢様の周りで囁かれていた噂もこれで落ち着くかと」
聞き間違いだと思いたかった。けど、そんな事はなくて、その事実が信じられなくて。
「へ、へー!そうなんだ」
奥歯を強く噛み締める。ここで取り乱すわけにはいかなかった。
「……おめでとう」
絞り出した言葉はありきたりなもので、お世話になっている人への祝辞としては零点だった。
お茶会やパーティで身につけた笑顔を浮かべるように、頬に力を入れた。
「エ、エミリィと……って、いつからそんな……」
「いつからと言われると困ってしまいますね。お嬢様が好まれるようなお話はまだあまりありませんので」
はにかむアズールは、少し照れているのか口元に手を当てた。
アズールは単純に私に報告をしているつもりらしい。
それだけなのに、一つ一つの言葉が胸に突き刺さる。
いつから決まっていたんだろう。今朝のエミリィの様子がどうしても思い出せない。それくらい彼女はいつも通りだった。
それからアズールはいつものように予定を確認してくれた。
だけど内容は何一つ頭には入ってこなかった。
お菓子をくれたりしたけれど、手のひらに乗ったお菓子がなんだったかの記憶すらなかった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「うん?……うん。大丈夫」
「今日のお嬢様は上の空ですよ」
「……そうかも。ちょっと、疲れちゃったのかもね」
「それならば今日は早めにお休みください」
「……うん」
「それでは私は失礼いたします」と、アズールは早めに退室していく。
もうアズールは、エミリィの婚約者なのだ。
そう思った瞬間、張りつめていたものが音を立てて崩れた。
寝具に潜り込み、声を押し殺して泣いた。
悲しくて、苦しくて、次から次へと涙が流れていく。
私とアズールが結ばれるのは難しいとは分かっていた。それでもずっとずっと大好きで、想い続けていたのだ。
……一度も「好き」って言えなかった。
なんにも伝えることが出来なかった。
恋をするのが初めてなら、恋を失うのも初めてだ。
その日はやはりあまり眠れなかった。
エミリィとチエルさんが起こしに来る前に、酷い顔になっていないか鏡の前に立った。
涙の跡が目立ったけれど、腫れてはいないようだ。
「大丈夫。今日も可愛い」
顔を洗い、もう一度鏡に向かって笑顔を作る。
誰にも違和感を抱かせないように。
私は笑わなければ。
こうなったからには、もうこの恋心は隠し通さなければならないのだ。
太陽の方を向き、いつものお祈りを終わらせる。
「おはようございます、お嬢様」
「……おはようございますぅ」
いつも通り。
いつも通り。
「おはよう、チエルさん、エミリィ」
二人はいつも通り微笑み返した。
私だけが、昨日までと同じ笑顔を作れなくなっていた。




