72.消えない噂
噂など無視すればいい。
そんなものに振り回されるようではイーサリオンの後継者などやってられない。堂々としていればいつかはみんな飽きて別の話を始めるだろう。
だから私は噂など素知らぬふりで過ごしていた。やはり少し耳に入るとかなりの羞恥心はあったけれど、私が動揺すれば噂に信憑性が増してしまう。
無心……。
考えない……。
動じない……。
それなのにいつまで経っても噂が止むことはなかった。
もう二ヶ月が経とうとしているのに未だに私は話題の中心だ。
普通なら、とっくに別の噂へ移っている頃なのに、おかしい。
誰かが、わざと話を広げている……?
はぁ、とため息をついた。
流石にアズールの耳にもこの噂は耳に入っているだろう。
そう思うとなんだか彼の様子がいつもと違ったような気がしてきた……。
夜の予定確認の時にいつもより早く帰っちゃうような気がするし、外に出る時ついて来てくれなくなった。
なんだか寂しい。
それに、その行動一つ一つが、私を避けているように思えてしまう。
はぁと、またため息をつきたくなるのをグッとこらえる。
「カノン様はどう思われますか?」
「え?」
尋ねられて顔を上げれば、視線が集まっていた。
まずい。考え込んでいて何も聞いていなかった。
「すみません。少し、聞き取りづらくって。なんの事でしょうか」
こういう時は素直に聞いていなかったと伝えるのが良いのだ。
「ネリアン家の新しい魔導具の売り出し方についてですわ」
「カノン様が考え事だなんて珍しいですわね」
「まぁ!愛しい方のことでも考えていたのではなくて?」
「お二人は相思相愛なのだとか」
「素晴らしいわ!私、応援しますわ」
クスクスという笑い声が何故か嘲笑のように聞こえてしまう。
やめて、やめて、やめて!
「そのような事実はありませんわ」
それは、この二ヶ月で何度口にしたか分からない言葉だった。
この言葉を口にするたびに心に楔が穿たれたような、嫌な心地になる。
私はアズールが大好きなのに、彼への気持ちを雑に蹴り飛ばしてしまっているような、そんな気分になるのだ。
なんだか、疲れてしまった。
帰って、着替えて、すぐにベッドに倒れ込んだ。
―――
――
―
人の気配がして、意識を浮上させる。
ぼんやりとした視界に、驚いた表情のアズールが見えた。
「すみません、お返事が無かったので入室させていただきました」
アズールはにこりと笑った。その笑顔を見ただけで、張り詰めていたものが少しだけほどけた。
「夕飯の時間ですよ。お嬢様。起きてください」
優しく声がかかる。
「もうそんな時間……?」
目を擦りながら起き上がる。
「失礼します」
そう言ってアズールはボサボサになった私の髪を櫛で梳かし始めた。
「最近はよく眠れていますか?」
「……うん。大丈夫」
嘘。本当はちょっと眠れていない。
「嘘ですね」
「え」
驚いてアズールを見る。なんでわかったんだろう。
「……また倒れては大変です。本日は少し早めに休みましょうね」
「うん……」
静かにアズールが髪を梳かし終わるのを待った。
「出来ましたよ。お嬢様」
「うん。ありがとう」
うーんと伸びをして、立ち上がる。
「今日のご飯はなんだろうね?………………アズール?」
アズールからの返事がなくて振り返ると目が合った。
「アズール?どうしたの?」
「い、いえ……何もありませんが」
そう言って、彼はふいと視線を逸らした。
その様子が何もないわけなくて、不安になってしまう。
噂の事もあるから尚更。
夕食は大好きなハンバーグだったのに、アズールの様子が気になってあまり食べた気にならなかった。
―――
「私と、お嬢様が恋人だと……?」
「そー。結構噂になってるッスよ。一応耳に入れといた方がいいと思って」
家政学校の友人であるマルテからその話を聞いたのはもう数ヶ月は前のことだった。
「どうしてそんな噂が……お嬢様にはルーケンフォード様がいらっしゃるのに……」
「そのルーケンフォード様を袖にしてるからじゃねーんスか?」
「言い方に気を付けてください。お嬢様とルーケンフォード様はとても仲が良いです」
仕える執事と主人の恋の噂など、社交界では珍しくもない。 そのほとんどは根拠のない噂話。 だから私も最初は所詮その程度の噂だと思っていた。
だが、それでもお嬢様の身に良からぬ疑惑が囁かれるのは従者として見過ごせなかった。
しばらく、屋敷の外でお嬢様と行動するのは控えよう。
そうすれば、噂などすぐに消え去るだろうと、通学の別を提案した。
お嬢様の耳に入るまでもなく、噂が消えてくれればいいのですが。
あの時は、それで対策をとり終わったと安心してしまっていた。まさか二ヶ月近く噂がおさまらないという想定をしていなかったのだ。
既に市井にまで噂は広がっており、その根本を探すには二ヶ月は後手すぎた。
噂が出始めてすぐにお嬢様とは距離を取っていた。それなのに、この噂は収まることを知らない。
ここまで来ると、誰かが悪意をもって広めているのだろう。
なんでも、お嬢様が私に想いを寄せていると、ご自身で口にしたという噂まであるらしい。
お嬢様がそんな事を言うなど、あるはずがないのに。
あってはならないのに。
「アズール。少し来なさい」
「!はい」
父さんに呼びかけられて足を止める。何か仕事の手伝いだろうかと後ろを着いていくと、レイン様の執務室にたどり着いていた。
「レイン様。アズールを連れてきました」
「入っていいよ」
失礼しますと父さんは執務室のドアを開ける。ヒュオと冷気が部屋の中から溢れ出た。
「よく来たね」
ニコリと笑うレイン様は書類を置くと、私に座るよう促した。
「はい。何かご用でしょうか?」
近頃のお嬢様の元気がない件だろうか。噂の件かもしれない。どんな質問が来るか、少し構えていると、レイン様は私の前に新聞を置いた。
「……!」
「今日発刊されたゴシップ誌だ。何が言いたいか、もう分かるね?」
目の前に置かれた新聞の1番見やすい位置に大きく記載されたタイトルは「イーサリオンの一輪花、執事と熱愛か!」とある。まさに今囁かれている噂を取り上げた記事だった。
「まぁ、形式的に聞いておくけれど、事実なのかい?」
「まさか!そのような事実はありません」
「そうだろうね」
レイン様は、はぁとため息を着くと私を冷たい目で見下ろしてきた。
「君をカノンの傍に置いておいたのはこういった悪影響がないだろうと思ったからだった訳だけれど。私の思い違いだったみたいだね」
「……返す言葉もございません。……申し訳ございません」
「可愛いカノンに悪影響があってはいけない。君にはまずこの噂をどうにかすることを命じる。どうにかできなかったら領地で謹慎処分を受けてもらうよ」
領地での謹慎処分。つまりお嬢様の傍に居られなくなるという事だ。学校にも通えなくなる。
既にお嬢様も、噂の事を聞いてしまっているだろう。
最近のお嬢様は、ふとした拍子によく視線を向けてこられる。
だけれど、噂の事については言及してこない。
やはり気がかりなのだろうか。
誰が最初の火種なのかはもう目星が付いている。ただ、現状、火種である彼女に何を言っても、この噂が止むことはないだろう。
火種を大きくするのは風。全くの別物だ。この噂がここまで広がってしまったのは火種が強かった訳ではなく、風が強かったからだ。
つまり、普段からお嬢様に良くない感情を抱いていた層がこの噂を広めているのだ。
となれば、この噂を止めることができるのは明確な事実のみ。
「何か案はあるのかい?」
「簡単です。私に―――」
―――
――
―
コンコンと部屋をノックする。
「はいっ」
明快でハキハキとした声。
部屋から出てきた同僚は、私を見るなり目を丸くした。
「相談があるのです。エミリィ」
「ふむふむなるほどぉっ。近頃のお嬢様の良からぬ噂をおさめる為に、私にアズールの仮初の婚約者になって欲しいと」
「はい。頼めるのがエミリィしか思い当たりませんでしたので……」
招かれたエミリィの部屋で、私たちは向き合っていた。
大まかな事はきちんと説明したつもりだ。お嬢様の噂を打ち消す大きな事実。簡単だ。私に相応しい婚約者ないし恋人が居ればいいのだ。
「少し長期戦になってしまうかもしれませんが、お嬢様の噂が落ち着いたら私の有責で破棄するつもりです。……お願いしても良いでしょうか?」
「嫌ですぅ」
即答だった。ここは同じお嬢様に仕える者同士協力し合う場面だと思っていた。だから、YES以外の言葉が返ってくる想定すらしていなかった。
エミリィは珍しく舌打ちした。
「アズールは馬鹿ですっ!ほんっとうになんにも分かってない愚か者ですぅっ!」
「おろかもの……」
そう言ってエミリィは枕を引っ掴んで勢いよくこちらに投げつけてきた。
「ホントもー私も笑っちゃいたいくらいですよ……もー、とにかくほんとにありえません〜っ!」
言葉は軽い調子なのに、その声は震えていた。
「私は、一人の男性として、アズールが好きですっ」
「…………はい?」
一瞬何を言われたか分からなかった。
「別に婚約してあげてもいいですけどっ、婚約破棄なんてしてやりませんからねぇ!よく考えて決めてくださいっ」
エミリィは涙を浮かべていた。それが本気だと物語っていた。
私はと言うと予想外の出来事に頭が追いついておらず、ポカンと彼女を眺めることしかできなかった。
な、なんと声をかけるべきなのか……考えなくてはならないのにエミリィは待ってくれない。
「せっかく諦めかけてたのに、仮初の婚約だなんて……。しかも、本人がなんにも分かってないなんて、本当に、もう……はぁ……」
更に、自分の処理能力を超えるような事を言われてしまい、もう何をしに来たかも飛んでしまった。
ただ、エミリィの事を見ていたら、バチりと目が合う。
エミリィは顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけてきた。
「〜〜っ!よく考えて、それでもエミリィと婚約したいって言うんだったらきちんとプロポーズの言葉を用意してきて下さいっ!話はそれからですっ!!」
エミリィはグイグイと私を部屋の外に押し出すと、「じゃあ!そういう事でっ」と言ってバタンと扉を閉めた。
「…………は、……………え?」
エミリィの枕を持ったまま、私は呆然と廊下に立ち尽くした。




