第三十五話 太平寺の戦い その2 遊佐長教調略
木沢長政が兵を率いて上洛したころ、久秀は一路、河内国高屋城へと向かっていた。
畠山尾州家の家老、遊佐長教を調略するためである。
一庫城を囲む陣で、長慶は久秀に言った。
「久秀、此度の戦、やはり完全に仕組まれたもののようじゃ。どうやらすでに伊丹殿、三宅殿まで懐柔されておるらしい。このままでは宗三殿の一人勝ちになるじゃろう。われらが武功を稼ぐには、調略しかない」
そこで長慶が調略の最大目標に選んだのが、遊佐長教だった。
「まったく、無茶を言ってくれるな、わが主は」
馬に乗りながら、久秀は言う。
独り言ではない。
隣で慣れない馬を操る若武者に、声をかけたのだ。
若武者は久秀の言葉に笑って答える。
「はは、兄者が楽しそうで何よりだ」
そう言って笑ったのは、松永甚助(長頼、のちの内藤宗勝)。
久秀の実の弟である。
久秀に勝るとも劣らぬ長身だが、久秀とは違って根が真面目な性格らしい。
顔にもそれが表れており、篤実な、農村の長者の顔をしている。
そういう意味でも、実家を継ぐのはこの甚助と、松永家の誰もが思っていた。
しかし、それを押して久秀はこの弟を呼び寄せた。
今回の戦は、久秀にとって初の大規模会戦に発展するかもしれない。信頼できる副官が、どうしても必要だった。
「しかし、初仕事が調略とは驚いた。領主殿のお触れで戦に出たことは何度かあるが、偉い武将と対面するのは初めてだよ」
久秀の実家は摂津国五百住の土豪である。
この時代、まだ武士と庶民との境目は曖昧で、京の法華門徒が町人たちで形成されたように、国人たちの部隊も戦に臨んで地元の名士が郎党を集めて構成された。
甚助もまた、遊び歩いている兄・久秀の代わりに、何度かの戦場を経験していた。
「甚助、親父殿の様子はどうだ。病は重いのか?」
「ああ、良くはない。今日明日ということはなかろうが、戦が終わったら見舞ってやってくれ。兄者のこと、気にしていたよ」
そんな会話を交わしながら、松永兄弟は河内国高屋城の在する古市(現・羽曳野市)の街に入る。
城下には驚くほど多くの武家屋敷が立ち並んでいた。
このころの高屋城を訪れた浄土宗の僧が、
もののふの 八十のちまたに 咲きぬれば 花うつほとも みゆるなりけり
という歌を遺している。
整然と立ち並ぶ武家屋敷の周りに梅の花が咲き誇り、まるで花が洞をつくっているようだと詠じたものだ。
その高屋城下で、久秀と甚助はおよそ十日間、遊佐長教に会うための交渉を繰り返した。
手元には長慶の書状のみ。
取次を介して話せる内容ではない。
城内の密教寺院の僧に多額の金子を掴ませ、なんとかその門をこじ開けた。
そうして十月十日。
二人はついに遊佐長教との対面を果たす。
長教は、二人に武器を預けさせ、丸腰であることを近習に確認させると、表座敷からやや奥まった場所に座を移した。
強い警戒感が滲み出ている。
「お会いいただき恐悦に存ずる。三好家臣、松永久秀に」
「同じく、甚助でござる」
「遊佐河内守(長教)に。孫次郎殿より火急の御用とのことであるが、いかに」
長教はあくまで突然の訪問に驚いたような口ぶりである。
だが、この時期、三好からの使者といえばその来意はわかっているはずだ。
久秀は顔を上げ、長教の顔を見た。
凝視したといっていい。
そして、沈黙した。
己の顔をにらんだまま何も言わぬ使者を前に、長教はやや気色ばんで言う。
「使者殿、いかにした。無礼であろう」
その言葉に、久秀はようやく答える。
「河内殿、紀伊の畠山植長殿、ご復帰の好機にござる」
長教にとって、これは予想外の言葉であったらしい。
長教は目を丸くして久秀の顔を覗き込んだ。
「それは……」
どういうことだ、とは長教は聞かない。
聞くまでもなかった。
今、三好と力を合わせて木沢長政を討てば、紀伊に追放された畠山植長を呼び戻すことができる。
それは誰が見ても明白だ。
しかし気になるのは、それをなぜ遊佐長教を口説く文句にしたかということだ。
なぜこの男は、長教が「植長を呼び戻したがっている」と思ったのか。
長教は、客観的には植長を追放した張本人なのである。
長教は大きく息を吐き、にやりと笑みを浮かべて言った。
「松永殿、肝が座っておるな。ひとつお聞きしたい。なぜわしが旧主を呼び戻したがっているとわかったのだ?」
久秀は物怖じもせず答える。
「口より顔貌は多くを語りまする」
「顔、だと? さきほどわしの顔をにらんだとき、わかったというのか?」
「恐れながら、河内殿は茶器に見立てれば欠けたる名物。眉間に縦の皺深く、国憂いたる英傑の相貌なれども、只今は頬痩け、目には隈が。およそ主君を追って国を得たことを喜ぶ者の顔にござらぬ」
「欠けた茶碗とは、言いよるわ。その欠片が、わが忠節か」
長教は自嘲するように笑い、それから言った。
「よかろう。話を聞こうか」