第三十六話 太平寺の戦い その3 雉も鳴かずば
久秀が遊佐長教を説き伏せたころ、木沢長政は洛外に敷いた陣の内にいた。
そこに、大舘常興からの返書が届く。
読むなり、長政はそれを破り捨てた。
「兄上、何をなさる。幕府はなんと」
弟の左馬允が問う。
長政は怒りをあらわにして答えた。
「京兆家内々のことゆえ、幕府は容喙せぬとよ」
誤算であった。
兵を率いて上洛し、摂津の国衆とともに宗三の非を挙げれば、幕府は少なくとも調停に乗り出すか、あるいは御教書を発してくれるはずであった。
実際、長慶が謀反を起こした際はそうだったのだ。
それが、どうしたことか。
晴元は長政が京に兵を入れると、突如、洛北嵯峨へと避難した。
まるで長政が晴元を討ちにきたかのような反応である。
その動きに呼応するかのように、公家衆が「木沢謀逆」と長政を難じ始めた。
かつて公家衆が長政を評した言葉が思い出される。
「彼の志やさしく候、天下御警固、力分の及ぶべく申すべき由、常々申し候」
(彼の志はやさしく、力の及ぶ限り天下を警固すると常々言っている)
「自然悪もの候はば木沢をして給うべく候」
(悪者は木沢に退治させればよい)
そう言っていたにも関わらず、この手のひらの返しようは、いかなることか。
長政は京に兵を入れたまま、各所に己の正当性を説いた。
説くとともに、将軍から洛中警固を仰せつかるべく、幕府に直訴を続けた。
しかし、幕府はさらに態度を硬化させる。
月があらたまり十一月、将軍義晴は京から退き、近江坂本へと移ってしまったのである。
もはや裏に晴元と六角定頼の連携があることは明らかであった。
「兄上、これではまるで、我らが逆臣ではないか」
左馬允はそう言って憤慨したが、事態は次第に深刻化していく。
訴訟の当事者である三宅国村が離反し、三宅城へ帰還してしまったのである。
さらに本拠地である大和からも、国人の鷹山弘頼が三好氏の調略を受け、離反したとの報がもたらされる。
知らぬ間に、木沢包囲網が畿内に敷かれていた。
長政は兵を退かざるを得なくなった。
長弟の木沢中務大輔が守る飯盛城に戻ると、中務は長政の肩を抱いて言った。
「兄上、気を落とされるな。我らは城のひとつも失ってはおらぬ。ここはじっと耐え、挽回の機会を待ちましょうず」
弟の言葉通り、長政は信貴山城に戻り、体勢を整えにかかる。
信貴山城では、父の浮泛が相変わらず酒に溺れていた。
不幸中の幸いか、上洛前に交わした口論など、もはや憶えておらぬようだった。
長政は、どっと疲れが押し寄せるのを感じ、貪るように深く眠った。
年が明けて、天文十一年(1542)一月。
長政は気力を取り戻し、挽回策を講じる。
六角定頼との仲介で縁を結んだ、本願寺の蓮淳を頼ったのである。
蓮淳は渋ったものの、長政の強硬な申し出に、大坂での会談に応じた。
会談の席、蓮淳は左右に僧兵を連れ、あたかも敵国の将と相対するがごとき様子で会見が行われた。
「蓮淳殿、何も兵を動かせというのではない。なんとか晴元殿の誤解を解き、和睦をとりなしてほしいというだけのことだ」
長政は緊張を解こうとそう言ったが、蓮淳は一通の書状を示して首を振る。
「あきまへんな。見なはれ、将軍の御教書や。木沢はんに味方することなきよう、念を押してきはったわ」
「だから、我に戦をする気はない。誤解なのだ!」
長政はあくまで謀反の気持ちはないと主張する。
はあ、と息を吐き、蓮淳は哀れみの目で長政を見る。
「わかりまへんか? 誤解なんぞいっこもあらしまへん。こうも根回しが済んどるっちゅうことは、晴元はんは初めっからあんたを本気で潰しにかかっとるんでっせ」
言われて、長政は息を飲んだ。
無論、考えなかったわけではない。
だが、まさか。
まさか自分が、ここで主君から裏切られるとは。
蓮淳はいちおう、仏教者としての慈悲を示して言う。
「畠山稙長殿を帰還せしめ、大和、上河内の守護進退権を総州家にお返しし、木沢殿は出家して引退するっちゅうなら、これまでのよしみで仲介引き受けんでもないけどな」
「馬鹿な、全権の放棄ではないか! 何故わしがそこまでせねばならん」
愕然とする長政に、蓮淳は言う。
「何故かといえば、そら、秩序を破壊しようとしたからやな」
「秩序だと!? おれは……!」
「あんたがどう思おうが、木沢長政のやったことは家格秩序の破壊や。将軍の軍権が地に落ち、京におれんようになってすら、それでも室町の権威が尊ばれ、自力の世と言われつつも天下が一定の秩序を保っとるんは、いったいどないしてやと思うてはります?」
蓮淳の言葉に、長政は驚き、沈黙する。
蓮淳はかまわず続けた。
「家格や。家格っちゅう価値の体系の中に、諸人が自分の置かれるべき場所を見出し、その正当性を保つために、価値の中心におる権威を諸人が尊ぶ。これが室町の秩序を生き延びさせとるんや。その秩序の源泉である家格を破壊する者を、室町の権威そのものたる将軍と管領が、見過ごすことはありえへんで」
長政はその言葉に怯みながらも、己を奮い立たせるように言葉を返す。
「蓮如の息子に生まれた貴様になにがわかる!」
蓮淳は、ぞっとするほど穏やかな声で答えた。
「せや、本願寺も一種の権門や。しかしな、蓮如の六男やからわかることもある。わしは半生、蓮如がばら撒いた血の種と闘こうて、本願寺をひとつの家にまとめた。家格っちゅうもんの恐ろしさを心魂に徹するほど味わっとる」
それから、蓮淳は静かに言った。
「心から忠告しといたる。今持っとる地位は幻やったと諦めはったらよろしい。三好の小僧を見なはれ、あんだけ手ひどくやられたっちゅうのに、家運を盛り返しつつあるわ。あんたはんも、そこからやり直したらええ」
しばし、沈黙があった。
正月にしては、暖かすぎるほどの小春日和である。
蓮淳は汗を拭い、円窓の外を見遣った。
目には見えぬが、どこか遠くで、雉の鳴く声がした。
ふと、蓮淳が視線を戻すと、長政がいない。
長政は無言で去っていった。雉の声は、もう聞こえなかった。




