第三十四話 太平寺の戦い その1 木沢長政と父・浮泛
天文十年(1541)、長慶十九歳の春のことである。
晴元旗下の長慶は、宗三とともに摂津の平定に兵を動かし始めた。
晴国が死んだとはいえ、その残党は細川玄蕃家の細川国慶を盟主とし、丹波の内藤国貞を武力の要として、未だ各地に跋扈していた。
これらを掃討し、あるいは懐柔し、畿内を平定することが、晴元の当面の目標である。
まずその矛先となったのが、旗色を鮮明にしていない摂津の国人たちだった。
宗三は七月、長慶とともに上田氏を攻め下すと、次の標的として摂津一庫城の塩川国満を選んだ。
次の戦略目標を聞いた久秀は、長慶に問う。
「塩川国満ってのは、味方だったんじゃないのか?」
「謀反のきざし有り、と宗三殿がな。国満殿の母御は高国殿の妹でもある」
「おいおい、血縁に高国縁者がいれば潰して回るのか? 言いがかりじゃないか?」
久秀が眉をひそめると、長慶は辺りを見渡したあと、久秀の耳に顔を寄せ、声を落として言った。
「謀があるようじゃ」
「どんな?」
「おそらく、伊丹親興殿、あるいは木沢長政殿を失脚させるつもりであろう」
長慶は机に広げた地図に指を落として言う。
「一庫城の塩川国満殿は、伊丹城の伊丹親興殿に娘を嫁がせておる。急襲して一庫城を囲めば、伊丹殿は血縁から、これを解くべく後詰に兵を動かすであろう」
「なるほど、それで伊丹殿を狙うってわけか。木沢のほうは?」
「もしこちらが伊丹殿の兵を合わせても戦にならぬほどの大軍であれば、伊丹殿は木沢長政に援軍を依頼するじゃろう」
「なぜ木沢に?」
「伊丹親興殿の娘が、木沢長政の弟に嫁しておる。摂津では三宅国村殿も、木沢殿の内縁となっておるな。彼らが連合して対抗してくる可能性がある」
久秀はくらりと目眩を感じた。
知らぬ間に、驚くほど緻密な婚姻の網の目が摂津に敷かれていたのである。
久秀の困惑を読み取って、長慶が言う。
「東国では“洞”とか言う国人統制策らしい。宗三殿が晴元殿に献策したと聞いておる。ともかく、この血縁の糸を手繰って、木沢長政を釣り出さんとしておるのじゃろう。うまく釣れれば木沢長政謀反として、追うか、討つか、晴元殿次第じゃの」
「晴元殿? 宗三殿が木沢長政を追い落とそうってのは、まあわかる。競争相手だからな。だが、晴元殿が何故?」
久秀が問うと、長慶は小首をかしげた。
「もしかすると、わしらのせいかもしれんな」
言って、長慶は地図の大和を指さす。
「木沢殿は今や大和に河内、山城半国の守護扱いじゃ。単独で動かせる兵数であれば、六角定頼殿にも匹敵するかもしれん。もし木沢殿が細川氏綱殿と結び、反旗を翻さば、先年わしらが起こした謀反とは比べ物にならぬ危機となろう」
「でかくなりすぎたってわけか。だが、元からの味方だった木沢より、六角定頼のほうが頼られるってのは、何なんだろうな。でかくてやばいのは、六角定頼だって同じだろう」
長慶は、わずかに言葉をためらってから答えた。
「……家格というものがある。六角家は祖をたどれば鎌倉開府の功臣、佐々木四郎にまでさかのぼる名門中の名門。対して木沢長政は、父が総州畠山家の奉行人とはいえ、それ以前は上河内の土豪じゃ。それが主を殺し、追放し、また殺し、のし上がってきた。下剋上の者じゃ。細川京兆家を継ぐ晴本殿が、これを警戒せぬわけがない」
久秀は瞑目し、それから言った。
「……ああ、そうだな。そういう世の中だ」
九月、夏の暑い盛りのころである。
大和国信貴山城の木沢長政のもとに、摂津からの使者が訪れた。
「木沢殿っ! なにとぞご救援を!」
急き込んで言う使者によれば、塩川国満の守る一庫城が、三好宗三の軍勢に囲まれたという。
敵方は大軍であり、宗三旗下に、三好孫次郎(長慶)、波多野秀忠、池田信正らが集結し、兵数は総勢五千にも及んでいるらしい。
伊丹氏や三宅氏の軍を合わせても、太刀打ちできぬ大軍である。
長政は使者に対し、即座に派兵を回答する。
「塩川殿ご謀反の嫌疑、まったくもって不当のこと。急ぎ兵を遣わし、宗三らの兵を退かせるべし」
そう答えて、即日、実弟・木沢左馬允に兵一万を託し、伊丹城へ派遣した。
しかし。
宗三、長慶らの軍勢は、この動きを察知すると、干戈を交えることなく早々に退却してしまった。
長政はこの報せに不信感を覚えた。
木沢の兵を見て逃げ出すくらいなら、はじめから城など囲う意味がない。
そんな見通しの甘いことを、あの宗三がするだろうか?
そうしてすぐさま弟に撤兵を指示したが、返ってきた答えは思わぬものだった。
弟からの書状を前に顔をしかめる長政に、しわがれた声が聞こえる。
「どうした、長政」
酒のにおいがした。
長政の父、浮泛である。
「浮泛殿、昼間から酒は控えられよ。隠居の身であろう」
「隠居じゃから、昼の酒を飲んでおるのじゃ」
浮泛は酒臭い息を吐きながら、笑って答えた。
長政は昨年、この父を公的には義絶している。
その経緯をかいつまんで言えば、こうである。
昨年、大和国を計略するに当たって、長政は飯盛城から信貴山城に居城を移した。大和と河内を同時に治めるには、国境に位置する信貴山城が最適だったからだ。
そこで長政は、父・浮泛に飯盛城と上河内の統治を任せたが、その統治ぶりは悪評芬々たるもので、苛烈な対応をとらざるを得なくなった。
やむなく、長政は父を義絶し、飯盛城主の任を解いた。
以来、浮泛はすることもなく、河内と大和をふらふらと行き来している。
「どれ、何の書状じゃ。父に見せい」
書状に伸びる父の手を振り払い、長政は言う。
「弟よりの書状にござる。三好が城に逃げたゆえ、包囲すると申してきておる。わしには率兵上洛し、将軍と晴元様に宗三の排除を願い出よと」
聞いて、浮泛は嘲笑を浮かべて言った。
「ふん、やめておけ。貴様のような成り上がりが、主君に楯突いてみよ。たちまち首を刎ねられ、一族郎党離散の憂き目に遭うが目に見えておるわ」
長政は怒りを抑え、反論する。
「親父殿、今や我は山城半国、大和、河内を領する大大名。将軍、管領といえどそう簡単に首を切れるものではござらぬ」
その父なのだから自重せよ、という意味を込めて言ったつもりであった。
しかし、浮泛はそれを増長と受け止めたらしい。
「この痴れ者めが。主を殺して奪った地位ではないか。下剋上なんぞに酔いおって、酒に酔うだけわしのほうがまだましよ」
言って震えたその手の酒器から、酒がこぼれた。
こぼれた酒は、長政の手と書状をべたりと汚した。
長政は激発して怒声を放つ。
「爺いっ! そうまで言うなら見ておれ、わしが三好の残党どもを排して、畿内を残らず平定してくれるわ。そのときはわしの足元にひれ伏して詫びよ、この下衆めが!」
長政はただちに兵を率い、城を出る。
弟には宗三の籠もる原田城、長慶の籠る越水城への攻撃を命じ、自らは上洛。
大舘常興を通じて、将軍から宗三成敗の命を下すよう願い出た。
天文十年十月一日。
この事件を機に、畿内の情勢は大きく動いていく。
木沢長政は、数十万の民を巻き込んだ大乱の火種を、ここに点じたのである。




