意外な人
「え?」
素っ頓狂な声をあげたジュスティーヌは、バッと頭を後ろに向けた。
そこには、2人分のティーカップとお菓子が乗ったトレーを持って、こちらに近づいてくるヴァイオレットの姿があった。
「えーと、こちらのメイドさん?たしか、ヴァイオレットさんという方?」
意外な相手だ、とジュスティーヌは一瞬思ったが、よく考えてみたらそうでもない。
同じ屋根の下でずっと暮らしているうち、愛が芽生えることもあるだろう。
ヴァイオレットの年齢は、どう低く見積もっても、ジュスティーヌよりちょっと年上くらい。
ほっそりした体つきに穏やかな物腰、白い肌にはわずかにそばかすが散っているが、間違いなく整った顔をしている。
長年仕えてくれた恩もあるわけだし、リッシュ氏が愛しいと感じるには、充分かもしれなかった。
しかし、ジュスティーヌの予想は大きく外れることになる。
「やだあ、面白いこと言うわねえ、お嬢さんったら!ふふふ…ほら、お茶とお菓子どうぞ」
ヴァイオレットが、ジュスティーヌを茶化して笑うと、お茶とお菓子をテーブルに置く。
この反応から見るに、相手は別にいるらしい。
だとすると、瞬時に誰かわかってしまった。
この部屋にいるのは、あとひとりだけだ。
「こいつは驚いた…殿方でいらっしゃいましたのか!!」
ジュスティーヌは、すぐ近くで話を聞いていた若い使用人の方へ、ぐるっと顔を向けた。
すると、当の使用人が「その通りです」とばかりに、それでいて少し困惑したように微笑んでみせた。
リッシュ氏の恋人は、使用人の男だった。
なるほど、「侯爵夫人が納得しない相手」というのは、そういうことだったのか。
霧がパッと晴れていくみたいに、ジュスティーヌは全てが一瞬でわかった。
リッシュ氏が、この恋人をラフィヌモン侯爵夫人と会わせたくない理由もわかる。
リッシュ氏からしてみれば、どんなに可愛い恋人であっても、ラフィヌモン侯爵夫人はどう思うだろうか。
矜持高き貴婦人だから、「自分はこんな使用人の男に負けたのか!」と怒ってしまうことは充分に考えられる。
別の謎も解けた。
そこまで惚れた相手なら、結婚して添い遂げればいいのにとジュスティーヌ思っていたのだ。
これに対してジュスティーヌは、やはりリッシュ氏も、煩わしい婚姻関係に縛られたくはないのだろうかと邪推していた。
そんな下卑た推測を立てたジュスティーヌは、密かにリッシュ氏に申し訳なく思って、猛省した。
この2人は結婚したくとも、できないのだ。
この国エレウテリアーでは、同性結婚は認められていない。
「こちら、ジャルディニエというんだ。わたしの…まあ、愛人にあたるね」
リッシュ氏が恋人の名前をジュスティーヌに教えると、若い男の使用人──ジャルディニエが会釈した。
「はじめまして。ジャルディニエと申します。あの、あなたのお名前はなんとおっしゃるのでしょうか?」
ジャルディニエが申し訳なさそうに名前を聞いてきた。
「ああ、すみませんな。そういえば、まだ名乗っていませんでした。アタシはジュスティーヌというのです。改めて、今後よろしくお願いします」
ジュスティーヌは、深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします」
ジャルディニエも頭を下げる。
「ジャルディニエ、ヴァイオレット、お前たちはもう下がりなさい」
「はい、旦那さま。失礼します」
「失礼しまわすわね。あ、飲み終わったカップとかお皿は、そのままテーブルの上に置いとていてくださいな。あとで片付けますから」
ヴァイオレットが、テーブルの上に置かれたカップやお皿を指さすと、ジャルディニエと一緒にさっと引き払って行った。
「バカらしいでしょう?いい歳をして、25歳の使用人の男と懇ろになるなんて」
去っていく2人の背中を見送った後、リッシュ氏が自嘲気味に漏らした。
──あの人は25歳だったのか
リッシュ氏は45歳であるから、ジャルディニエとは20歳もの歳の差があることになる。
10年も交際しているとなると、出会ったときはリッシュ氏が35歳、ジャルディニエが15歳のときになる。
使用人と主人、中年と若者、老練と若輩。
2人はまるでちぐはぐだが、どこかに通じるものを感じて信頼を育み、それが進展して愛し合うことになったのだろう。
実はお互いが障害のある恋に酔っているだけで、本当は相手は誰でもよい可能性はある。
案外、障害がなくなればあっさり別れてしまうのかもしれない。
それを踏まえても、交際10年という年月はあまりにも長い。
それに、ジャルディニエはまだ若いから、身分が低くとももっといい家に仕えることもできる。
リッシュ氏だって、彼の経済力をもってすれば、愛人などいくらでも囲える。
ジャルディニエを追い払って、鞍替えすることだって、やろうと思えばできるのだ。
ジャルディニエの外見は、素朴さが過ぎて、かえって地味で野暮ったい。
もっと若く美しい恋人を得ることだってできるが、リッシュ氏はそれをしない。
それは何故か。
やはり2人の間には、しっかりした信頼関係があるからだ。
そんな仲を、ジュスティーヌはバカらしいなんて思わない。
「別によいのでは?法に反してるわけではないし、不倫でもないし。言っては何ですがね、誰が誰を好きになったところで、アタシには関係の無い話でございます。勝手に愛し合えばいいし、勝手に別れればよいのです。門外漢のアタシは、ただ頼まれたことをこなすだけですよ」
言うとジュスティーヌは、ズズズと音を立てて紅茶を啜った。
「……ジュリエット嬢が、きみを深く信頼する理由がわかった気がしたよ」
リッシュ氏はジュスティーヌの言葉に一瞬驚いたような顔をした後、優しげな笑みを浮かべた。




