はじめまして
「へ?ちょいとお待ちください!アルフレッド様との婚約を破棄するんでございますか?いかがなすったんです?!アルフレッド様、浮気でもなすったのですか?あの超がつくほどに堅物なお方が?!」
驚いたジュスティーヌが、異様なまでにマルグリットに詰め寄る。
「ねえ、ジャン・ジャック。ジュスティーヌのあの、人の話を聞かないで勝手に話を自分で飛躍させちゃうクセ、どうにかしたほうがいいんじゃないかしら?」
「いや、ガブリエルよ。アレはもう手遅れだよ。今さら矯正できるようなもんじゃないと思うぞ」
物陰から、事の経緯を見守っていたジャン・ジャックとガブリエルは、ヒソヒソと話し込んでいた。
「いやだわ、ジュスティーヌ。違うわよ、私とアルフレッド様はうまくやっているわ」
マルグリットがクスッと笑った。
「では、どなたがどなたとの婚約を破棄するのです?」
「こちらの方よ。ジュスティーヌ、こちらはベンジャミン・リッシュ様といって、運送や交通や物流なんかの商売をされているの。私もよくお世話になっている人なのよ」
マルグリットが、隣に座っている男について説明しはじめた。
「はじめまして、ジュスティーヌ嬢」
リッシュ氏が、ジュスティーヌに向かって会釈する。
リッシュ氏は、歳の頃40代半ばから50代前半くらい。
座っているので目立ちにくいが、脚の長さからして相当に背が高いことがうかがえる。
肩や胸は広く厚く、全体的にがっしりした体つき。
黒々とした髪はしっかり撫でつけられていて、凛々しく太い眉に、猛禽類を思わせるような鋭い眼差しと、彫りの深い鷲鼻。
しっかり切り揃えられた口髭は威厳にあふれ、いかにも大家の主人といった趣きがある。
──このリッシュ様というひと、国王陛下と並ぶぐらいの威圧感があるな
一度、国王陛下と対峙した経験を持つジュスティーヌは、1年前に国王陛下に圧倒され、演技ではなく、本気でたじろいだときのことを思い出した。
そのあと、マルグリットに「あなたは役者になれるわよ」なとど褒められたけれど、実際は演技ではなく、本当に怖かったのだ。
あのときはなんとか保ちこたえたのだけど、国王陛下にもう一押し詰め寄られていたなら、ジュリエット嬢の仮面など即座に脱ぎ捨てて、大泣きして許しを請うところであった。
「はじめまして、リッシュ様。それで、婚約破棄なさりたいとのことですが、アタシは何をすればよろしいのです?そもそも、お相手にどんな問題があって婚約を破棄したいと思っていらっしゃるんです?」
ジュスティーヌは矢継ぎ早に質問した。
「……いや、正直な話、向こうには何の非も無いんだ。婚約破棄したいワケは、完全にこちらの都合なんだ」
リッシュ氏は、自分の身に起きた事を語り始めた。
「私には、もう交際して10年になる恋人がいるのです」
「ああ、なるほどなるほど。でも、だとしたらですよ、なぜ婚約などなさったのです?」
リッシュ氏は、事の経緯を話しはじめた。
そもそも、この婚約の話を持ってきたのは知り合いの王侯貴族で、45歳になる現在まで独身でいたリッシュ氏を慮っての縁談だったそう。
お相手の名前はベアトリーチェ・ラフィヌモン侯爵夫人という、40歳の未亡人であった。
彼女は元は隣国の大貴族の出で、20歳のときにラフィヌモン侯爵の元へ嫁いできた。
しかし、そのラフィヌモン侯爵は現在から半年ほど前に、肝臓の病で死亡。
長年のアルコールの過剰摂取が災いした形であった。
この侯爵の生前の放蕩や事業の失敗が原因で、ラフィヌモン家は現在、破産寸前。
これを見かねた前述の王侯貴族の知人が、ラフィヌモン侯爵夫人と、リッシュ氏を引き合わせた。
その王侯貴族には、商売の面で大変世話になった過去があるだけに、リッシュはこの縁談を断れなかった。
というのが、今回の婚約の経緯らしい。
「大商人さまも、何かと苦労なさいますなあ」
まだ会ったばかりだというのに、ジュスティーヌは、リッシュ氏に深く同情した。
ジュスティーヌに商売の経験は無いが、自身の雇い主たる居酒屋の主人が、経費や売り上げの出納に頭を痛めたり、店内で揉めた客同時の苦情の処理に四苦八苦したり、取り引き先のお偉がたにペコペコと頭を下げて行っては疲れて帰ってくる様を、そばで散々見てきた。
だから、恩人からの縁談を断れないというリッシュ氏の気持ちも、わからなくはない。
それでも、まだ疑問は残る。
「それならば、そのラフィヌモン侯爵夫人に、正直に話せばよいのでは?恋人のために結婚はしない、と。お言葉ですが、侯爵夫人の目的は金銭目的でございますよね?でしたら、然るべき金額を渡せば、向こうも文句なしで婚約破棄に応じてくださるのではないですか?」
ジュスティーヌが疑問を口にすると、リッシュ氏は眉間にシワを寄せて、何かを言い淀んでいるかのように、口をもごもご動かした。
それはマルグリットも同じことで、その反応を見たジュスティーヌは、そうもいかない事情があることを瞬時に悟った。
やがて、リッシュ氏の口が開く。
「果たして、そうだろうか?簡単には応じないかもしれない」
「何故ですか?」
「私は、あの子を誰よりかわいいと思っている。しかし、向こうは高貴な生まれで、見た目も間違いなく美しい女性だ。あの子のことをどう思うかわからない。「私はこんなのに負けたのか」と怒って、意地になる可能性もある」
「そのお方は、出自の低い方なのでしょうか?だから、向こうが納得しない可能性が高いと?」
これはジュスティーヌの勝手な予想だが、リッシュ氏ははっきりと首を縦に振った。
大当たりだったらしい。
同時に、ジュスティーヌはリッシュ氏の話が見えてきた気がした。




