令嬢からの頼み事
「ラフィヌモン侯爵夫人、申し訳無いが、このたびの婚約は破棄させていただきたい」
未亡人のベアトリーチェ・ラフィヌモン侯爵夫人は、豪奢な猫脚のテーブルを挟んで向かい座っている婚約者ベンジャミン・リッシュ氏に、突然の三くだり半を突きつけられた。
夫が亡くなってすぐ、ようやく見つけた再婚相手が、なぜこんなことを言い出したのか。
ラフィヌモン侯爵夫人には、心当たりがなかった。
「ベンジャミン様、なぜです?理由を聞かせてくださいませ」
ラフィヌモン侯爵夫人は、リッシュ氏を睨むように見つめた。
「情けない話ではあるが、ほかに好きな人ができた。私は、彼女を愛している。それが、婚約破棄の理由だ。ジュスティーヌ、ほら、入りなさい」
金色のフルール・ド・リスの装飾が施された豪奢なドアが開いて、年若い女性が入ってるくる。
「はじめまして、ベアトリーチェ様」
女がうやうやしく挨拶する。
背が低く、華奢な体つき。
丸顔の童顔で、歳の頃はおそらく10代後半から20代半ばくらい。
このジュスティーヌという女、いったい何者なのだろう。
どこの誰ともわからぬ女に向かって、ラフィヌモン侯爵夫人は、鋼鉄のように冷たい視線を向けた。
──さてさて、この御婦人はどう出ますかな?
ドアの前に突っ立ったまま、ジュスティーヌはラフィヌモン侯爵夫人の反応を待っていた。
ここはリッシュ氏の邸宅。
なぜこんなところで、こんなことをしているのか。
これはすべて、リッシュ氏の思いつきなのだ。
話は、1ヶ月前に遡る。
統一国家エレウテリアーの第一王子エクソリアと侯爵令嬢マルグリット・エレオスのあの婚約破棄騒動から、約1年後のこと。
すっかり庶民の女に戻ったジュスティーヌは、居酒屋での仕事を終えた後、バックヤードでタバコをふかしていた。
「いやあー、疲れたー疲れたー!」
薄汚れた木箱にドカッと腰掛けて、ジュスティーヌは鼻から口から、盛大に煙を吐いた。
「まったく、品の無いヤツだなあ」
ジュスティーヌと同じように、そばに立ってタバコを吸う職場の同僚ジャン・ジャックが、呆れて苦笑いを浮かべた。
「はっはっは!そりゃそうだろう。なあ、ジャン・ジャックよ、こんな居酒屋の裏側でわざわざ上品ぶる必要はあるまい?」
「ま、お前の好きにすりゃいいんだけどな」
言いながらジャン・ジャックは、タバコを口に含んだ。
途端、居酒屋の非常口が開いて、中から同僚のガブリエルが出てきた。
「ねえ、ジュスティーヌ。マルグリットって人があなたに会いたいって来たんだけど、知ってるかな?なーんかすっごい身なりのいいお嬢さんよ」
「なにい!?それはきっと一大事にちがいない!ガブリエル、伝達ありがとう!」
話を聞いたジュスティーヌはタバコをその場に捨てると、ガブリエルの脇をすり抜けるようにして走り去っていった。
「行っちゃった…」
ジュスティーヌの尋常ならざる様子に、ガブリエルは唖然とした。
「ていうか、タバコをこんなところに捨てるなよ。まったく…」
ジャン・ジャックは呆れながら、ジュスティーヌが捨てたタバコを拾って、そばに設置されているゴミ箱に捨てた。
もうすっかり客がいなくなり、静まりかえった居酒屋。
店内は簡素な木製のテーブルとイスがいくつも寿司詰めになって並んでいて、その片隅の席に、侯爵令嬢マルグリット・エレオスは座っていた。
隣には、ジュスティーヌの知らない男がいる。
「マルグリットお嬢様、いかがなさいました⁈」
バタバタと忙しない様子で、ジュスティーヌは店内に戻った。
「久しぶりね、ジュスティーヌ」
ジュスティーヌが声をかけると、マルグリットが嬉しそうにこちらに視線をよこした。
今日のマルグリットは、ジュスティーヌがまだジュリエット嬢の影武者をしていたときより、ずっとシンプルな装いだ。
おそらく、ここに来るにあたって、目立たないように服を簡素化したのだろう。
それでも、庶民の目からすれば充分に「高そうな服だな」と感じるのだけど。
「お久しぶりでございますな、マルグリットお嬢様。それで、今日はどのようなご用件で?」
言うとジュスティーヌは、マルグリットの向かいの席に腰を落とした。
「もう一度、婚約破棄の手伝いをして欲しいのよ」
「へ?」
マルグリットの予想外の頼みごとに、ジュスティーヌは間抜けな声を出した。




