第二話 見よ、世はすべて
少年は、苦しめられていた。『九条家』の純血であるにも拘らず、己の能力が著しく乏しいことに。まだ『洗礼』を受けてはいないが、自身を流れる力が弱いというのを、なんとはなしに感じ取っていた。そして、それを感じ取ったのが自分だけではなく、『九条家』の者全てだったということが、更に少年を、興助を苦しめていた。自分に無償の愛を注いでくれていた母はもうおらず、母の死の責任の一端を担ってしまった興助は、一族から疎まれていた。葬儀の日こそ興助を恐れた様子の姉たちだったが、それ以降鳴りを潜めた興助の異常性に、姉たちは鬱憤を晴らすために興助を利用することにしたようだ。『お前のせいで』。姉や兄の言葉が容赦なく心に突き刺さった。それでも、大好きな兄弟にまた好いて欲しくて、彼らの手伝いならなんでもしたし、『九条家』の名に相応しくなるよう勉学にも一層力を入れた。それは総て『点数稼ぎ』と軽侮されてしまう結果になったけれど。しかし、今となってはそれで良かったと思っている。そう。『今』となっては。
一族の人間であるにも拘らず、『分家』のような扱いを受けてきた興助への待遇は、更に悪化することとなる。
『点数稼ぎ』と言われぬよう、三桁のテストを父に見せることもしなくなった頃のことだ。悪態を突く隙がなくなって面白くなくなっていた姉と兄が共謀し、『分家』や『境界人』に興助の謂れのない噂話を流した。それは、いつも彼らが抱いている劣等感を逆撫でする、なんとも正鵠を射た内容で。彼らの不満の吐き出し口に、されたのだ。身体に幾ら傷をつけようと、それが武器でない限り一瞬で完治する。興助は彼らの汚い言葉に傷つき、加減を知らない暴力に精神を擦り減らしていった。
そして、ある日。
興助はふとこんなことを思った。
(姉様も兄様も、こんなことに頭を使うなんて、よっぽど暇なんだなあ)
そして、その時気づいた。
(あれ、声が、聞こえない。痛みも、感じない)
あれだけ姦しく、頭に直接流れ込んでくるかのようだったのに。
あれだけ、痛かったのに。
彼の真っ赤に染まった視界には、確かに酷く醜い顔で口を動かす人間が、こちらに石や包丁などを投げつけてくる奴らがいるのに。
身体は奴らから寄越される頼んでもいない聴覚情報と痛覚を棄てたようだ。
(嗚呼、なるほど)
そこまで思考が追いついて、興助は一つの答えを導き出す。
(僕にとって、こいつらは、その程度の人間なんだ)
それに気づいてしまえば、彼らの仕打ちにあんなにも傷ついていた自分が恥ずかしくて堪らなくなった。
急に「やめて」と叫ばなくなり、虚空を呆然と見つめる興助を不審に思った、彼を痛めつけていた者たちが、ふと己の行為を顧みて一瞬蒼くなった時。
その場にいた誰もが興助の姿に戦慄した。
彼は、こちらを見て、どこまでも柔らかく微笑んでいたのだ。
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あれから暫く経ち、興助は今日、遂に『洗礼』を受ける。
あの日以来、興助を痛めつける行為はその激しさを弱めた。興助の狂気に気づいた者たちが、早々に彼から手を引いたからだ。まあ、その選択は正しかったが、結果としては雀の涙ほどの違いしか見受けられなかった。
『洗礼』の末、興助は己の『能力』が如何なるものかを知った。それはやはり、戦闘に役立つとは思えないような『能力』で。現代より『能力』の秘匿性が重んじられていなかった当時、興助は己の『能力』は何かと散々訊かれた。しかし、幾ら問うても、興助は頑なに自身の『能力』について話そうとはしなかった。彼の周りの者は、きっと彼の『能力』は語ることすら恥ずかしくなる、役立たずな『能力』なのだろうと思った。だから、更に彼を侮るようになった。それが、総て少年の掌の上で転がされているだけの感情とも知らずに。彼が、自身の『能力』にどれだけ歓喜に肩を震わせていたか、知らずに。
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彼が『洗礼』を受けた年。後に人間戦争と呼ばれることとなるHWが勃発した。
この戦争を裏から操っていた一人の少年がいたなど、誰が想像出来ようか。
見よ、世はすべて
神にそむき、み名をおそるる
思いは消え
正義と愛は
ふみにじられて、罪と不正は
世界に満つ。




