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異世界で拾われた社畜、貧乏領地を立て直したら大貴族に睨まれた  作者: 伊達ジン


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第4話 赤字の原因は、金がないことではなかった

 北棟の資料室には、乾いた羊皮紙の匂いと埃の気配が立ち込めていた。


 窓から差し込む夕方の西日が、木製の棚に押し込まれた帳簿の背表紙を赤く染めている。机の上には、昨年と一昨年の支出記録、そして紐を解かれた未整理の納品控えがいくつもの小さな山を作っていた。


「ねえ、おじさん。そのページ、さっきから三回くらい往復してない? もしかして、書いてある文字をド忘れしたとか?」


 机の脇に立っていたすずが、首を傾げながら帳簿を覗き込んだ。


 袖口をまくった白シャツ姿の任三郎は、左手の人差し指で一昨年の帳簿の行を押さえたまま、右手で昨年の納品控えを一枚ずつめくっている。革鞄から取り出した黒い電卓が、時折カチャカチャと軽快な音を立てた。


「まさか。文字はちゃんと読めていますよ。ただ、少しばかり目が離せない数字の並びを見つけましてね。すず君、そこの棚の下段にある、赤い紐でくくられた束を取ってもらえますか? 『三年前の納品書・控え』と木札がついているはずです」

「目を離せないって、数字が勝手に逃げ出すわけじゃないのに。えっと、これ? よいしょ、っと。はい、どうぞ」


 すずが棚から羊皮紙の束を抱え上げて机の端へ置くと、ずしりとした音が響いた。


「ありがとうございます。助かりますよ」

「どういたしまして。で、その逃げ出さない数字のどこが面白いの? 私にはミミズが団体で日向ぼっこしてるみたいな文字と数字にしか見えないんだけど」


 任三郎はペン先で、昨年の帳簿のある一ページをトントンと叩いた。


「たとえば、この『ベルン商会』という業者への支払いです。昨年の春、街道補修用の砕石を荷車二十台分、銀貨百枚で購入した記録になっています。一台あたり銀貨五枚ですね」

「うん、五かける二十で百。よかった、異世界に来ても九九は変わってないね。そこまでは分かるよ」

「ええ。ところが、同じ月の二週間後には『河川護岸用の石材』という名目で、同じベルン商会にまた銀貨百枚を支払ったと記されているんです。ですが、こちらの納品控えを見ると、納入された石材の種類も量も、先ほどの街道補修用と一字一句同じなんですよ」

「えっと……つまり、そのベルン商会ってところから、同じ石のセットをもう一回おかわりしたってこと?」

「本当に二回おかわりしたのなら、ただの買い過ぎで済むんですがね。この二つの控えを見てください。納品日と名目は違いますが、荷を受け取った現場監督の署名と、検収の控え番号がまったく同じです。しかも、さっき応接室で見た相場と比べても、ベルン商会だけ倍近く高いんです」


 任三郎が二枚の羊皮紙を並べて置くと、すずが「あれ?」と眉を寄せた。


「番号まで同じなの? じゃあ、一個だけしか届いてないのに、二回お会計したってこと? え、しかも値段まで倍なの? なにそれ、ぼったくり居酒屋じゃん!」

「居酒屋なら二度と行かなければ済みますが、こちらは領地の公共事業ですからね。同じ月に別の業者から買っている単価は従来の相場のままなのに、特定の業者を通した時だけ単価が跳ね上がり、一つの納品に対して複数の名目で支払いが計上されているように見えます」


 任三郎は手帳を開き、万年筆で疑問のある取引の日付と金額、さらに棚の隅にあった未払金の一覧から現在の債務残高を素早く書き留めていった。


 その時、開け放していた資料室の扉が控えめにノックされた。


「あの……失礼いたします。リリアーナ様より、新しい事務方の方へ夕食をお運びするよう言いつかりました。それと、もしご不明な点があれば私の方でお答えするようにと」


 扉の前に立っていたのは、簡素な灰色の執務服を着た小柄な女性だった。歳の頃は二十代前半ほど。後ろでひとつに束ねた少し傷んだ栗色の髪と、そばかすの散った頬には深い疲労の色が覗いており、不安げに視線を泳がせながら、腕にはパンとスープの載った木製の盆を抱えている。


「わあ、ご飯だ! ありがとうございます! お腹ペコペコで、もう那珂川の石でも食べられそうだったんです!」


 すずがぱっと顔を輝かせて駆け寄り、女性の手から盆を受け取った。


「な、なかがわ? あ、いえ、どういたしまして。私は当家で会計の記録係をしております、ミラ・ベネットと申します」

「ご丁寧にありがとうございます、ミラさん。私は佐藤任三郎、そこの石を食べようとしていたのが鈴木すずです。せっかく温かい食事をお持ちいただいたところ恐縮ですが、少しだけ、これまでの帳簿のつけ方についてお話を伺ってもよろしいでしょうか」


 任三郎が穏やかに声をかけると、ミラはびくりと肩を揺らし、机の上に広げられた帳簿の山を見て目を泳がせた。


「あ、はい! ただ、見ての通り整理がまったく追いついておりませんで。その、お恥ずかしい限りです、どのようなお叱りも」

「いえ、私はあなたを叱るためにここへ来たわけではありませんよ。これだけの量の書類をお一人で処理されていたのなら、手が回らなくなるのも無理はありません。まずはそこに掛けてください。すず君、先に温かいスープをいただいてしまいましょうか」

「うん! 冷めちゃうもんね。ほら、ミラさんも座って座って!」


 隣の個室から椅子を二つ運び込み、机の端を片付けて簡単な食事の席を作る。湯気の立つ豆と根菜のスープに、少し硬めの黒パンという質素な献立だったが、昼から何も口にしていなかった二人にとってはご馳走だった。


 任三郎は一口スープを飲んで喉を潤すと、ハンカチで口元を拭い、向かいに座るミラへと視線を向けた。


「ミラさん。改めて申し上げますが、あなたの整理の遅れを責めるつもりは毛頭ありません。ただ、この館で普段どのようにお金の支払いと記帳が行われているか、その手順を教えていただきたいのです」

「手順、ですか? あの、私が毎日やっている作業のことでよろしいのでしょうか」

「はい。リリアーナ様からは、領主として最終的な承認印を押しておられると伺いました。業者への発注からリリアーナ様の承認、そしてこの帳簿へ記帳されるまでの流れを、普段通りに教えていただけますか」


 責めるような響きがないことに安心したのか、ミラは膝の上で握りしめていた手を少しだけ緩めた。


「えっと……まず、毎月の初めに、代官のガレス様が『道路補修費』や『備蓄購入費』といった大まかな項目ごとの予算書と、前月の支払総額をまとめた月次集計表を作られます。リリアーナ様が最終承認の印を押されるのは、その月次の予算書と集計表です」

「なるほど。では、その大枠の予算の中で、どの業者にいくらで発注するかという個別のやり取りは?」

「普段の買い入れや工事の注文は、現場の担当者が手配して、請求書が回ってくると、まず倉庫の受け入れ記録や発注の控えと照らし合わせてから支払いの手続きに進みます。ですが、急ぎの調達や追加工事の分については、ガレス様が直接業者へ発注して、請求書の確認から支払いまでをすべてご自身の執務室で済まされるのです」

「すべて執務室で? では、ミラさんはその承認された書類を見て、金庫からお金を出し、帳簿に書き込んでいるわけですね?」

「いえ、金庫の鍵と実際のお金の出し入れも、ガレス様が管理しておられます。私の仕事は、ガレス様から『すでに支払いを済ませた』と渡された請求書と納品控えの束を、日付順に帳簿へ書き写すことだけです」


 すずが黒パンを齧りかけたままピタリと動きを止め、目を丸くした。


「え? ちょっと待って。それって、ミラさんは会計係なのに、お財布の中身をぜんぜん見てないってこと? レシートだけ渡されて家計簿つけてるみたいな?」

「はい。先代の領主様の頃は、会計係が三名おりまして、倉庫の在庫確認と金庫の出納管理を分担していたそうなのですが、数年前に経費削減で私一人になりまして。それ以来、金庫の管理や業者とのやり取りは、すべてガレス様が引き取ってくださっているのです」


 ミラの説明を聞きながら、任三郎の眉がわずかに動いた。


 発注、納品の確認、個別の支払承認、そして現金の出納。本来の経理実務であれば、不正や間違いを防ぐために複数の人間で分担すべき工程が、ガレスという代官一人に集中している。


「ミラさん。その、ガレス代官が直接扱われた案件の書類が回ってくるとき、元の発注書や、倉庫に品物が入ったという受領書は一緒についてきますか?」

「いいえ、ガレス様の承認印が押された請求書と、業者が持ってきた納品控えだけです。たまに、通常の注文分と似たような請求書が混ざっていることがあって、一度だけガレス様にお尋ねしたこともあるのですが」


 ミラはそこで言葉を濁し、気まずそうに視線を落とした。


「何と言われたのですか?」

「『現場の追加工事や、急な買い足し分だ。自分の印があるものは確認済みだから、いちいち細かいことを聞かずにそのまま記帳しろ』と。私が要領よく仕事をこなせないばかりに、ガレス様のお手を煩わせてしまって」

「要領の問題ではありませんよ、ミラさん。中身を見るなと蓋をされて、渡された紙の通りに書き写せと言われれば、誰だってそうするしかありません」


 任三郎は静かに言って、机の上の帳簿を閉じた。


「ただ、このやり方ですと、もし同じ納品控えを使って二度請求書が作られていても、記帳する段階では気づきようがありません。そして、リリアーナ様が最終承認される月次の集計表には、『道路補修費として銀貨何百枚』という合計額しか載らないのではありませんか?」

「はい。リリアーナ様はお忙しいので、個別の請求書や細かな明細まではお出ししないよう、ガレス様から固く指示されております」

「よく分かりました。詳しく教えていただき、ありがとうございます」


 任三郎は立ち上がり、隣の個室から取ってきたスーツのジャケットを羽織った。ボタンを留め、ネクタイの結び目を整える。


「あれ、おじさん、もう食べ終わったの? まだパンが半分残ってるよ。さては硬くて顎が疲れた?」

「失礼なことを言わないでください、ちゃんと後でいただきますよ。ミラさん、リリアーナ様はまだ執務室におられますか?」

「え? あ、はい。おそらく、まだ書類をご覧になっているかと」

「では、今すぐご報告に上がりたいと思います。帳簿と控えはここへ置いたまま、先に私の手帳のメモをお見せして、現物を執務室へお持ちしてよいかリリアーナ様の許可をいただいてきましょう」

「了解! じゃあ、お皿は私が片付けておくね。あ、おじさんのパンは食べないでおくから安心して!」

「ええ、くれぐれもお願いしますよ」


 任三郎は調査内容を書き留めた自身の手帳だけを手に取ると、ミラと共に資料室を出て二階の執務室へと向かった。


 事情を聞いたリリアーナはすぐに書類の運搬を許可し、待機していたすずが三冊の帳簿と控えの束、それに未払金の記録を執務室へ運び込んだ。


★★★★★★★★★★★


 領主の執務室は、燭台の火が灯されているものの、薄暗く静まり返っていた。


 大きな執務机の向こうで、リリアーナが運び込まれたばかりの羊皮紙の束と帳簿へ視線を落としている。机の前へ並び直した任三郎たちを見て、彼女は疲れた顔を上げた。


「佐藤殿、すず殿。それにミラまで……まだ試験業務を始めてから、数時間しか経っていませんよ。夕食のパンが硬すぎた、という苦情ではなさそうですが」

「夜分に恐れ入ります、リリアーナ様。パンとスープは大変結構なお味でした。古い収支記録と請求書、ならびに現在の未払金の記録を検めましたところ、パンの硬さよりずっと差し迫った問題が見つかりまして」


 任三郎はすずが机の端に置いた帳簿の中から、昨年と一昨年の二冊を開き、リリアーナの前へ向きを変えて差し出した。その横に、自身が手帳から書き写した一覧表を添える。


「こちらは、過去二年間の主な公共事業と物資購入の支出記録を、業者別・品目別に並べ直したものです。結論から申し上げますと、当領の財政がここまで逼迫している原因は、単に税収が減ったからではありません。支払済みとして帳簿に記録されている取引の中に、極めて不自然なものが複数見受けられます」

「支払済みとして記録されている取引に、不自然な点? それは、どういう意味ですか」

「具体的に三つの異常がございます。一つ目は、同じ納品に対する支払記録の重複です。同じ検収番号を使った不自然な支払いの計上が、昨年だけで八件確認できました」


 リリアーナは任三郎が指し示す二枚の納品控えと、帳簿の記帳欄へ視線を落とした。


「八件も? 一度や二度ならまだしも、なぜそのようなことが起きるのです。ミラ、これは記帳の誤りなのですか?」


 名指しされたミラが、青ざめて小さく首を振った。


「い、いえ、リリアーナ様! 私はガレス様から支払済みとして回ってきた承認済みの請求書を、そのまま書き写しただけでして」

「ミラさんの落ち度ではありません」


 任三郎が一歩前に出て、静かだがはっきりとした声で引き取った。


「現在の管理体制では、承認された請求書が正しいかどうか、また実際に金庫からその通りの金額が支払われたのかを、記録係が確認する手段がないのです。そして二つ目の異常は、購入単価の不自然な高騰です。こちらの『ベルン商会』、および『オルソン商会』という二つの業者から購入している石材、木材、備蓄用穀物、そして魔獣除けの香薬について、他の業者からの購入価格と比べて一倍半から二倍近い単価がつけられています」


 任三郎は一覧表の数字をペン先でなぞった。


「たとえば備蓄用の麦ですが、領内の農家から直接買い入れている分は一袋あたり銀貨二枚です。しかし、オルソン商会を通した分は、同じ時期にもかかわらず一袋あたり銀貨四枚で計上されています」


「倍の値段? いえ、ですが、オルソン商会の麦だけ特別に品質が良かったとか、そういう理由はないのですか?」

「備蓄用の麦ですよ、リリアーナ様。蒔けば黄金の穂でも実るというなら話は別ですが、ただの保存食にそこまでの価格差がつく理由は考えにくいですね。しかも、過去三年間の帳簿を遡ると、領内の業者や職人への支払いが未払いとして後回しにされる一方で、この単価の高い二商会への支出ばかりが優先して処理され、発注割合も全体の七割近くまで増えています」


 リリアーナの白い指が、机の縁をぎゅっと掴んだ。


「佐藤殿。あなたは、わずか数時間でこれだけの記録を照らし合わせたのですか」

「まだ過去二年分と、三年前の主要な取引をざっと洗っただけです。そして、三つ目の問題が最も深刻です」


 任三郎はもう一冊の薄い帳簿――年末の棚卸し記録と書かれた冊子を開いた。


「こちらは昨年の暮れに記録された、備蓄倉庫の在庫表です。帳簿の上では、昨年秋にオルソン商会から魔獣除けの香薬を二百箱、銀貨六百枚で購入し、代金も支払済みとなっています。ところが、その二ヶ月後の年末の在庫記録には、香薬の残数が『三十箱』としか記されていません」

「三十箱? 馬鹿な。秋から冬にかけては、魔獣の動きが鈍る時期です。二ヶ月で百七十箱も消費するはずがありません」

「ええ。衛兵の方々が毎晩焚き火代わりに燃やしてでもいない限り、あり得ない数字です。もし使われていないとすれば、残りの百七十箱はどこへ消えたのか。あるいは、最初から倉庫に納品されてすらいない『架空の買い入れ』が計上されているのか、帳簿を見ているだけでは分かりません」


 リリアーナはしばらくの間、開かれた帳簿の数字を見つめていたが、やがてゆっくりと顔を上げ、任三郎の目をまっすぐに見た。


「ガレスが、私を欺いて不正を行っていると?」


 その声は低く抑えられていたが、微かな震えが混じっていた。先代の頃から家に仕え、領地のやり繰りを任せてきた代官への疑念は、彼女にとって簡単に受け入れられるものではないはずだ。


 しかし、任三郎はすぐには頷かなかった。


「現時点では、まだ断定はできません」

「えっ、なんで? おじさん、さっき資料室では『ぼったくりだ』って話してたじゃない。これだけ証拠があるのに?」


 隣で黙って聞いていたすずが、驚いたように任三郎の顔を見た。リリアーナも意外そうに眉を寄せる。


「すず君、ぼったくりと言ったのはあなたですよ。もちろん、特定の業者と組んで意図的に単価を水増しし、架空の納品や二重計上で領地の資金を流出させている可能性は十分にあります。ですが、実際に金庫のお金がどう動いたのか、ガレス代官の手元にある出納記録はまだ確認できていません。今ここで問い詰めても、『ただの事務の手違いだ』『現場の記録漏れだ』とシラを切られれば、そこで水掛け論になってしまいます」

「そうですね。確たる証拠もないまま、長年仕えてくれた代官を罪人扱いするわけにはいきません」

「だからこそ、明日は帳簿ではなく、実際の倉庫を調べたいのです。リリアーナ様、領内の備蓄倉庫と資材置き場を直接確認する許可をいただけますでしょうか」

「倉庫の在庫確認ですか?」

「ええ。帳簿の上では言葉を飾れても、実物の石材や木材は急に湧いて出たりはしませんからね。買ったことになっている資材や香薬が実際に倉庫にあるのか、また、どの請求書に誰の承認印が押され、現場がどれだけの物資を受け取ったのか。現物と記録を突き合わせれば、少なくとも、どこに食い違いがあるのかははっきりします」


 リリアーナは机の上の一覧表を見つめ、それから顔を上げた。


「分かりました。佐藤殿、あなたに領内の倉庫および関連施設の調査を許可します。私の名において、必要な場所すべてを検めてください。ミラ、あなたも明日は佐藤殿に同行し、案内と記録を手伝いなさい」

「は、はいっ! かしこまりました! あの、帳簿の書き写ししかできない私でよろしければ、何でもお手伝いいたします!」


 ミラが背筋を伸ばして勢いよく頷く。


 リリアーナは机の上の未払金一覧へ視線を戻し、かすかに眉をひそめた。


「ですが、佐藤殿。もし本当に不正な支出があったとして、それを止めるだけで、今滞っている職人たちへの賃金や、今後の領地のやり繰りをすべて賄えるのでしょうか。当領の税収が減り続けていること自体は、紛れもない事実なのです」

「おっしゃる通りです、リリアーナ様。無駄に出ていくお金を止めることと、領地が新しく稼ぐ力を取り戻すことは別の課題になります。ただ、底の抜けたバケツにいくら水を注いでも溜まりませんから、まずはどこからお金が漏れているのかを突き止めなければ、手元の資金をどう配分するかも決められません。明日はまず、そのバケツの底を確かめに行きましょう」


 任三郎が静かに頭を下げると、リリアーナは小さく息をつき、初めてその口元にわずかな微笑みを浮かべた。


「今日、あなたをこの館へ迎え入れて、本当によかったと思っています。頼りにしていますよ、佐藤殿」


★★★★★★★★★★★


 翌朝、任三郎たちはミラの手引きで、館の敷地外れにある第一備蓄倉庫へと向かっていた。


 朝の冷たい空気の中、石造りの大きな倉庫の前に立つと、扉には太い鉄の南京錠が掛けられていた。


「あの、ここは緊急用の備蓄品や、高価な資材を保管している倉庫です。普段はガレス様の許可がないと開けられないのですが、今日はリリアーナ様の通行証がありますので」


 ミラが震える手で鍵を開け、重い鉄扉を押し開けようとして、「うっ、んんっ!」と唸って動きを止める。錆びついているのか、扉はびくともしない。


「あ、ミラさん、そこ変わって。私、こういう建付けの悪いドア得意だから」


 すずが前に出て、扉の取っ手に片手をかけると、重苦しい金属音を響かせながら分厚い鉄扉がするすると開いた。


「お、大人二人がかりの重量扉ですよ!? えっ、修繕記録では蝶番の油差しは半年前に止まっていたはずなのに、どうして片手で!?」


 帳簿上の管理記録を思い浮かべて混乱するミラを伴い、任三郎は手帳を片手に薄暗い倉庫の中へと足を踏み入れた。


 窓から差し込む朝の光の中に、いくつかの木箱や麻袋が積まれているのが見える。だが、倉庫の奥へと視線を向けた任三郎の足が、入り口の数歩先でぴたりと止まった。


「あれ? おじさん、なんかこの倉庫、すごくガランとしてない? 体育館みたい」


 すずの声の通り、広い倉庫の半分以上が空っぽで、石畳の床にはうっすらと埃が積もっていた。


「ミラさん。先月、ベルン商会から緊急補修用として買い入れ、すでに銀貨二百枚を支払ったはずの『上質建築木材・五十束』と、オルソン商会から購入した『魔獣除けの香薬・追加百箱』は、この第一倉庫のどの区画に納められた記録になっていましたか?」

「えっと……帳簿の控えでは、木材が奥の東側区画、香薬が中央の棚に保管されているはずです」


 任三郎はミラとすずを伴い、まず入口近くの壁際に積まれた木箱や麻袋の荷札を一つずつ検めた。そこにあるのは三年前に納入された古い予備の工具や、少量の塩と乾物だけだった。


 続けて中央の木製棚へと足を運ぶ。数段ある棚には、一昨年の日付が書かれた古い香薬の小箱が十数個並んでいるばかりで、先月納品されたはずのオルソン商会の木箱は一つも見当たらない。さらに奥の東側区画へ回ってみたが、そこには木材を束ねる荒縄の切れ端すら落ちておらず、乾いた石の床がむき出しになっていた。


「そんな! 嘘です、だって確かに、この倉庫の受領印が押された納品控えを、先週私が帳簿に書き写しましたのに! 木材が五十束もあったら、こんなふうに消えるはずが」


 呆然と立ち尽くすミラの隣で、任三郎は誰もいない東側区画の空間を見渡し、静かに手帳を閉じた。


「どうやら、単なる記帳ミスや数え間違いではなさそうですね。支払いが終わったはずの品物が、指定された保管場所のどこにも存在していません」

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